006



 女性は何も言わずに、部屋の中へと入ってくる。
 クラス全員が不気味に静まり返り、その様子を淡々と見つめることしか出来なかった。


 赤のトップスに、白いロングフレアースカート。簡素な恰好をしているものの、その風格はひしひしと感じる。僕は突
然現れたその女性に対して、不思議ななにかを感じ取っていた。それは、一種の畏怖の念だったのかもしれない。女
性は、いきなり黒板の下のボックスからチョークをおもむろに掴み取ると、素早い手つきで文字を書き連ねる。
カンカッ、カッカン、その虚しい音だけが室内に響き渡り、さらに静けさを増長させていた。

「……はい、というわけで今日からこのクラスを受け持つことになりました、門並です。よろしく」

黒板には、門並増美と丁寧な字で書かれている。変わった苗字だなと、そう思った。
その言葉に、誰も反応しなかった。いや、出来なかったというのが正しいだろうか。あの、浜田でさえもだ。
門並と名乗った女性は今度は教卓の下からたたまれた模造紙を取り出す。それをガサガサと広げ、黒板に貼り付け
ていく。四隅がマグネットで留められると、門並は少しだけ横にずれた。

「えーとですね。今回の会場はこちらになります。山中村近辺、あまり大きくもない山村です」

ほとんど緑色をしたその紙は、どうやら地図のようだった。なるほど、確かによくよく見てみると、青や赤の色も垣間見
れた。だが、残念ながら薄暗くてぼんやりとしているせいで、しっかりと認知できない。

「あのー……その、門並センセ」

すぐ近くで、声がした。浜田だった。
浜田の顔は呆けていて、今も考えるよりも先に口が動いてしまったようだった。門並が、少しだけ笑みを浮かべなが
ら浜田を見据える。

「えっと……浜田くんだね。どうしたのかな」

「いや、その。いきなりあたしが今日から担任ー、とか。ちぃと意味がわからんのですが」

その質問に、門並はポカンと口を開けた。そして、くすくすと笑いながら返事をする。

「あー、そうだよね。いきなりじゃあ変だよね。でもなぁ……そうとしか言えないからなぁ。私が今日からこのクラスを受
 け持つことになった、それだけのことです」

「いやいや、戸田センセはどうなったんすか? ……まさかクビ? ついに痴漢でもやっちゃいました?」

「……あーあ。やっぱりあいつ、遂にやらかしたかー。前々からいつかやるなとは思っていたんだけどな」

浜田から上田へ、掛け合いが始まる。一瞬だけ、二人が僕を見たような気がした。わかっているのだ、この状況が、
異常だということに。だからこそ、この場の厳粛な雰囲気を必死に変えようとしていることに。そして、僕は今、二人に
助けを求められている。そう、僕らが騒ぎ出せば、きっと他のみんなだって笑ってくれる、そうに違いない。

「いやいやー、安心していいよ。戸田先生はなんにもやましいことなんかしてませんからねぇ。……あ、そうだったそう
 だった。先生からみなさんに伝言でーす」

「……伝言?」

「悔いの残らないように、とのことです。大切な言葉です。よーく覚えておきましょう」

悔いの、残らないように。
いったいなにがどうで、いったいどうなってしまっているのか。僕には理解できなかった。もどかしい気持ちになって、
首筋をさする。だが、そこに皮膚の感触はなかった。硬い、金属の感触。それを認知した瞬間、首筋が急に冷たく思
えてきた。両手で思わずそれを掴む。それは、首輪だった。
こんなものを勝手に装着した覚えはない。となると、この門並とやらにつけられたに違いない。そう思いつつ辺りを見
回してみると、先程は部屋が薄暗くて気付かなかったが、よくよく見つめると銀色の首輪が、浜田にも、上田にも、他
の面子にも等しくつけられていた。それにしても、軽い。先程まではそんな感覚が全くなかったのも頷ける。こいつは
いったい、なんなのだろうか。
浜田の顔を見つめる。再びそれは、真剣な眼差しへと摩り替わっていた。上田も一緒だ。もしかしたら、この言葉の真
意を、既に理解しているのかもしれなかった。

「あのー……先生」

再び、近くから声がする。今度は女子だった。

「はいはい、えっと……芳田さんだね。なにかな?」

芳田。その言葉に、ピクリと眉をひそめたたい。だが、それも一瞬だった。当たり前だ。相手は初対面なのだ、たいの
あだ名を知っている筈がない。今は元の表情に戻して、続けていた。

「すみません、ちょっと薄暗くて、それよく見えないんですよー……なんとかなりません?」

たいは薄笑いを浮かべている。静まり返った教室内の雰囲気を、再び変えようとしているのだ。門並もその真意を読
み取ったのだろう、笑顔を向けて、返答した。

「あーあー、ごめんごめん。これ気にしなくていいから。どうせ後でちゃんとしたサイズのやつ、みんなに配るから大丈
 夫よ。今は気にしなくて大丈夫だからね。まぁいいや。今みなさんがいるのはD=4でーす。ここねー、ここ。みなさ
 ん頭いいからわかると思いますけど、一応説明すると、縦軸が英語、横軸が数字になってます。だから、ここがD=
 4、大丈夫だよね?」

「えーと、その黒線は境界線か何かですか?」

「あっ、そっか。薄暗いからこれも見えないんだね。そうそう、今芳田さんが言ったみたいに、この会場はエリア区分さ
 れています。その境界を現すのがこの黒線ね。これも全員に配るのにきちんと描いてあるから大丈夫ですよ」

門並は、にこにこと説明を続けている。だが、僕にはいったいそれがなにを示しているのかがわからなかった。バカだ
からじゃない、単に状況をうまく飲み込むことが出来ないのだ。

「あのさー、門並センセ。さっきから会場とかエリア区分とか、いったいなんなの? きちんと説明してよ」

浜田が、少しだけ笑いながらもとげのある言い方をした。
だが、門並はそれに対して、ふっと顔に浮かべていた笑みを取っ払う。そして、大きく深呼吸をした。

「……本当は、もう気付いているんでしょう? 浜田くん」

浜田も、笑みを消した。正直、こんなマジな顔をした浜田を見るのは初めてのような気がした。浜田が、浜田でないよ
うな気がした。僕にとっての浜田は、笑っていてこその浜田なんだ。いつものようにみんなを笑わせてこその、浜田な
んだ。こんなの、浜田じゃない。

「さて、なんのことでしょうかな」

「さっきからやり方がせこいですよ? 無理にこの雰囲気をぶち壊そうとしたって、そう簡単には崩せません。そうでし
 ょう? 上田くん、芳田さん?」

二人も、ビクンと肩を震わせた。門並には、全て筒抜けだったのだ。ただ、その流れに少しだけ乗っかっただけ、その
流れに乗じて説明すれば、みんなの関心が集められる、そう思っていたのだろう。

「あなた方は、わかっていて流れを変えようとした。だけど、所詮は無駄なわるあがきですよ。あなた方がいくら頑張
 ったところで、太陽は東には沈みません。これは、絶対的なことなんです」

 雰囲気が、一気に凍てついた。
 先程までがなまじ和やかなムードだっただけに、これは厳しかった。

 完全に、立場は向こうの方が上だった。


「あなた方には、今から殺し合いをしてもらいます」


 完全に支配された空間の中で、門並が高らかに宣言をする。
 浜田の舌打ちをする音が、その空間の中で、微かに聴こえ、そして飲み込まれていた。






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