15.逃  走



 痛い――


西野直希(男子5番)に付けられた傷は、じくじくと血を垂れ流しながら鈍い痛みを放っていた。
貫通した左腕の出血はかなり酷く、こうして左腕の付け根を苦労してスポーツタオルで縛ったものの、やはり片手だ
けでは満足に締められなかったのだろう、未だに止血は出来ていない。
徐々に体力が失せていくのが手に取るようにわかった。先程に比べて、随分と体はだるい。足元もおぼつかない。ふ
らふらとしている。水が欲しい。水が足りない。水が恋しい。水が愛しい。水、水、水。

三島幸正(男子6番)の怒りの矛先は、まさしく天敵、西野直希にのみ向けられていた。
だらんと垂れ下がった左腕は酷く腫れ、熱を帯びていた。西野が放った刀は見事に腕を貫通していた。もしもあの時
腕を突き出していなかったら、今頃自分の命は当に散ってしまっていただろうに。だが、生きながらえることが出来た
代償として、この左腕の傷が残った。いわば、これは爆弾だ。首輪などについているような、静かにしておけば安全
な代物などではなく、じわりじわりと自分の体を蝕んでいく、時限爆弾だ。
ベレッタM92Fを握る右手は、左手をあざ笑うかのようにふるふると震えている。痺れは左肩まで侵食してきた。
ふと、出発直後に襲い掛かってきた相棒の森川 勇(男子7番)を思い出す。もしも彼が、自分を裏切らなかったら。も
しも彼が、西野と戦ったときにあの場にいれば。
たら、れば。言い出すときりがない。彼は強かった。彼は頼りになった。だけど、結局精神は弱かった。精神が弱かっ
たから、相棒を殺して自由になるという単純な動機で、自分に襲い掛かってきた。
彼がいれば、彼の精神が強ければ、西野は倒せた。きっと怪我だってしなかった。いや、もしも彼を殺していなけれ
ば、彼が襲い掛かってこなければ、自分は誰かを殺したなんて放送で言われなかったのだ。積極的に殺すつもりな
んて毛頭無い。だけど、既に自分は森川を殺していたから、だから西野だって自分を警戒したのだ。
だから、自分も西野を殺そうと考えた。森川を殺してしまったから、もう何人殺しても同じことだと、信じて疑わなかっ
た。だから、自分は戦った。そして戦って、痛み分けになった。
左腕が痛かった。ただ、偶然が重なって、結果論として、自分は傷を負っている。悪いのは自分ではない。西野でも
ない。ましてや襲ってきた森川でもない。真の悪は、自分達をプログラムに巻き込んだ政府だ。だけど、それに対して
自分達は何も出来ない。いや、何かをしようとして、篠塚晴輝(男子3番)は殺された。

 俺だって、死ぬのは怖い。
 死ぬことを考えただけでこんなにも恐ろしいのだから、きっと、本当に死んだ奴は。

自分達は無力だ。何も出来ない。出来ることといえば、戦って、クラスメイトを殺して、生き残ること。
だが、クラスメイトを、3年間席を並べてきた奴を殺して、そしてその結果生き残って何になる。生き残ったところで、自
分はどうやって生きていけばいいんだ。家族にだって迷惑がかかる。いや、もともと迷惑はかけていたが、生き残って
帰るよりはマシだろう。息子が人殺しだなんて、どんなに苦痛だろう。
結局、死んだ方がマシなのかもしれない。だけど、死ぬのは怖かった。だから、死ねない。そう、それは大きな矛盾な
のだろうけれども、だけどそんなの関係ねぇ。怖いものは怖い。だから嫌なんだ、死ぬのは。死にたくないから、戦う。
戦って、生き残る。だけど、生き残った先に待っているのは、死ぬよりも辛い仕打ち。世間の冷たい視線。
胸が苦しかった。自分が、どうしたいのかわからなかった。

 死にたくない。だけど、生き残りたくもない。
 俺は、どうすればいいんだ。

ふらふらと森を歩く。おぼつかない足が、木の根に躓いた。
傷を負っている左腕から思いっきり倒れて、耐え難い激痛が、俺を襲う。瞬間、こんなにも苦悩していた神経が、極度
に刺激された。痛い、ただそれだけを伝えてきた。
畜生、痛い。痛い。痛すぎる。
その痛みは、覚醒するのには十分だった。


 なんだ、簡単なことだ。
 先のことなんて、考えなければいい。

 生き残ったら生き残ったで、どうすればいいかなんてそれから考えればいい。


その痛みは、傷をつけた張本人、西野を思い出させるのに十分すぎた。
悔しさが、惨めさが、脆く、儚く、俺を傷つけた。

「畜生……」

痛い。痛すぎるぞ、畜生。
畜生、畜生、西野の野郎、西野の野郎……!

「ちきしょおおおおおっっっ!!!」

叫んだ。同時に、傷が疼く。
だが、その痛みは、憎しみに変えることが出来た。うらみ、つらみ、ねたみ、全てが結晶となって、俺自身を突き動か
すのだ。



 そう、どんな手を使ってでも。
 西野、お前は俺がこの手で―― 。

 それまでは、俺は死ぬわけにはいかない。


 絶対に。



デイパックのジッパーをあける。そして、残っていた水を、全て飲み干した。
一気に喉が潤う。勢いよく飲んだせいか、少しだけ、むせた。だが、これでいい、これでいいのだ。
もうこれで、後戻りは出来ない。自分は、やるしかないのだ。


目の前に、池が現れた。
そこに立っている、一人の女子。ふらふらとしていて、今にも倒れそうだ。一体、あれは誰だろうか。
音を立てずにそっと近付こうとしたが、そう上手くはいかなかった。自分もおぼついている身。案の定茂みの葉っぱを
揺らしてしまう結果となった。
それにビクンと反応する女子。勢いよく振り向くと、いきなりこちらに向けて何かを構えた。それが何かを確認するや
否や、反射的に走り出す。



 ぱぱぱぱぱ……。



ウージー9ミリ・サブマシンガンから吐き出された鉛の弾は、瞬時に先刻自分がいた位置を貫いていた。
振り向いて、一気に走り出す。再び鈍痛が襲い掛かってきたが、そんなことは関係ない。今は、悔しいがこの場から
逃げなくてはならない。初めての、敗走だった。いや、もともとこちらは戦いを仕掛けてもいないのだから、負けという
わけではないのだが。
一瞬だけ顔を見た。彼女の名は、松岡圭子(女子4番)。ペアである東雲泰史(男子4番)の姿までは確認できなかっ
た。一体、何処にいるのだろうか。それとも、あるいは。
誰とも関わらずにいきなり掃射してきたところを見ると、どうも相当精神的にやられているのだろう。そう、つい先程の
自分のように。もしもあのままの自分で今の境遇に出くわしていたら、きっと今頃蜂の巣だ。
だけど、今俺は生きている。結果的に、生き延びている。




 そう、俺は生きる。
 西野を、この手で殺すまで。





 必ず。









 絶対に。











【残り4人】





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