第二章 天国と地獄 − 


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「ねー、聞いてるのー? ねぇってばー」

 地図上でいうエリアB=3に、その二人はいた。男子の方は、ただひたすら、真っ直ぐ突き進んでいるが、女子の方
は、何か喚きながら後を必死に追いかけている。実に滑稽な姿だった。
彼女、伊藤早紀(女子一番)は、ひたすら前を行くペアの浅野雅晴(男子一番)を追いかけていた。

「ねぇ、浅野君!」

大声を出すと、浅野が振り向いた。口に人差し指をあてて、首を振っている。静かにしろということなのだろうか。その
仕草を見て、さらに早紀はイライラした。

 ああ、もう本当にこいつ意味わかんない。中学校の前でみんなを待とうって言ったって無視するし、途中道端にあっ
た交番の中で武器とか確認しただけですぐに出発しちゃうし、何考えてるんだかわからない。

 もともと、早紀は浅野とはあまり付き合いがなかった。いや、恐らくクラスの中でも、浅野と付き合っている生徒はい
なかっただろう。それどころか、教師陣からも浅野は見放されている。その理由は簡単だ。彼が、極度の無口であっ
たからだ。
中学一年の頃。今と同じくたった16人しかいないこの学年は、やはり早紀は浅野と同じ出席番号だった。席も隣同
士だったし、浅野と出会ったのも初めてだったので、早紀は緊張しながらも「よろしく」と言ったのだった。浅野は、黙っ
て頷いていた。
浅野は変わっていた。出席を取るときも、本当に聞こえるか聞こえないか程度の声で「ん……」と言うだけだったし、
授業中に指名されても、黒板に黙って答えを書くだけだった。決して、喋ることはなかった。そのうち教師もそれが当
たり前だとわかったのか、誰も彼を指名することはなくなったし、彼も要求をすることはなかった。一体誰だったか、確
小島奈美(女子三番)あたりが「あいつ、失語症なんかじゃないの?」とか言っていたものの、正確にそう断定でき
ると言うわけではないし、そうやって浅野を軽蔑することも嫌だった。浅野に関しては、全てが謎だったのだ。

 プログラムに選ばれたと知ったとき、確かに彼の表情が微妙に変化したと思う。だが、それも少し強張った程度で、
その後はいつもの、冷静沈着そのものの浅野だった。いつもの、落ち着いた顔になっていた。顔に絆創膏を貼ってい
ても、誰もそれに関しては突っ込まなかったし、多分怪我でもしたのだろう、といつの間にか結論付いていたが、その
真偽は不明だった。

 中学校を出たとき、早紀は前田綾香(女子五番)のことしか考えていなかった。綾香と一緒にいたい。それしか、考
えていなかった。だから早紀は浅野に、とにかく中学校の前で他のみんなを待とうと主張したのだ。だが、浅野は聞
いていないのか、それとも聞いた上で無視しているのかはわからないが、反応もせずにすたすたと歩き去ってしまっ
た。そこで早紀は、一人でもここに残って、みんなのことをかき集めようとしたのだが……。

 ふと、自分の首に巻かれている首輪にそっと触れた。

ペアが死ぬことによって、この首輪は警告音を発し、突如爆発する。全ては浅野にかかっているのだ。浅野を一人で
行かせる、そんな危険なこと、出来るはずがない。
仕方なく、早紀は浅野についていった。校庭を突っ切って、昇降門を出る。二手に分かれている道を、浅野は迷わず
右へ曲がった。しばらく歩くと今度は丁字路にぶつかった。浅野は、再び右へ曲がった。そのまま歩き続けると、今度
は目の前に交差点が広がっている。浅野は真っ直ぐ突き進み、対角線上に位置していた建物、交番の中へと足を踏
み入れた。早紀も遅れて中に入ると、浅野は支給されたデイパックを漁っていた。恐らく、自分に支給された武器が
何なのかを調べていたのだろう。まもなく、その硬い材質で出来た机の上に、緑色の、デイパックと同じ色をした、馴
染みのある形の物質を取り出した。それは早紀でも知っているような物だったし、浅野は勿論知っていたのだろう。慎
重に、合計三つのそれを、机の上に置いた。

 手榴弾だ。

こんな物騒なものまで支給されているとは……、早紀は、よくわからないものの感心していた。パイナップル型のそ
れを、浅野は二つ腰に装着すると、残りの一つを再びデイパックの中に仕舞い込んだ。その光景が、早紀には不思
議なものに感じられた。

 え? 浅野君? なんで、それを腰に装着するの? だって、それは人を殺すための道具なんだよ? そんなもの、
必要ないはずじゃない。クラスメイト同士で殺しあうなんて馬鹿げた事、するわけないじゃないの。

浅野はデイパックに全て元通りに仕舞うと、再び担いで交番の外へと出て行った。慌てて、早紀も後に続いた。その
時、浅野ばかりを見ていて、すっかり自分自身の武器を確かめるのを忘れていたことに気がついたものの、まぁいい
か、と楽観的に考えた。

 その後、浅野は交番の裏に回り、山道へと入っていった。獣道のそれは、非常に歩きにくかったし、そんなに持久
力がない早紀にとって、それは辛かった。
それから、浅野は歩き続けた。その間、早紀は必死になって後を追っていたものの、いい加減に疲労が溜まり、遂に
はばててしまった。力尽きて、ドスンと大きな木の根元によたれ掛かる。デイパックを開けて、水の入ったペットボトル
を取り出した。キャップの封を切って、中身をそっと喉の奥に流し込む。生ぬるかったものの、おいしかった。
浅野も早紀の疲れに気がついたのかどうかは知らないが、早紀の隣にしゃがみこむと、同じようにペットボトルの封を
切って飲んでいる。

 早紀は、少し息を落ち着かせて、浅野に問いかけた。

「ねぇ、浅野君……。こんなに歩いて、どうするつもりなのよ……?」

 当然、というべきか、浅野は早紀の顔をまじまじと眺め、首を傾げている。だがもうイライラする余力もなく、早紀は
空を仰いだ。掻いた汗が、冷たい風にあたって気持ちよかった。

「なんだかなぁ……。私達、どうなっちゃうんだろ」

早紀はそう呟くと、ペットボトルをデイパックに仕舞い込もうとした。その時、何かゴツゴツしたものが、手に触れた。な
んだろうと思い、ちらとそちらを見る。そこには、拳銃が置かれていた。

「こ……これって……」

驚いた早紀はすぐに握ってみたものの、それは情けないほどに軽かった。よくよく見ればなんてことはない。精巧に
作られた、それはプラスチック製のモデルガンだったのだ。浅野が怪訝そうな顔をしているが、「なんでもないよ」と言
い、それはそっと腰にさしておいた。威嚇には、使えるかもしれない。

 時刻は11時を大分過ぎていた。稲葉の話によると、正午に放送が入るそうなのだが、本当に死者は誰も出ていな
いのだろうか? 自分達が出発してから、確かに銃声のようなものを聞いた。浅野はそちらの方を伺っていたようだっ
たが、近くではないとわかったのか、また腰を下ろした。相変わらず、神経を集中させているらしい。

 その時だ。ふいに、浅野が立ち上がった。今自分達が潜んでいる位置は、小高い丘のような地形になっていて、市
街地の方面に向けて、少し見下ろせる形になっている。もしかすると、この見晴台から、誰かを発見したのかもしれな
い。そう思って早紀も恐る恐る下の方を見ると、そこには確かに人がいた。思ったとおり、男女のペア。女子の方は、
セミロングのポニーテールをしている。あの特徴的な髪型は、矢島依子(女子六番)に間違いない。となると、あのお
っかなびっくり歩いている男子は、中野智樹(男子六番)ということになる。
矢島はどうかわからないが、中野ならこの理不尽な殺し合いには参加しない筈、そう感じ取った。もともと早紀は矢島
のことが苦手だった。だから、極力話さないようにしていたし、あくまで表面上の付き合いだけにとどめておいた。そ
れが功を制したのかどうかはわからないが、矢島とはこの三年間、無難に過ごす事が出来たのだ。中野なら、色々と
学級のことで話し合う機会が多かったし、安心して話すことは出来る。

 ふと、浅野が右手に何かを握っているのが目に入った。この状況で一体何を握っているのか、なんとなく想像はつ
いていたものの、まさか本当にそれ、手榴弾を握っているとは、予想もしなかった。

「浅野……君?」

 恐る恐る、早紀は浅野を呼んでいた。顔だけ振り向いた浅野は、少しだけ顔に笑みを浮かべている。そして、その
握っている手榴弾のピンを、今にも抜こうとしていた。
咄嗟に早紀は、浅野の腕を掴んだ。再度振り向く浅野に向かって、激しく首を横に振った。それだけはやっちゃ駄目
だ。やっちゃいけないことだ。
だが、浅野は相変わらずその顔に笑みを浮かべながら、そっと早紀の掴んでいる右手を左手で握り返し、膝の上に
おいてしまった。

 ああ、どうすればいいのだろうか? 間違いなく、浅野は手榴弾で下にいる二人を殺すつもりなんだ。どうすればい
い? どうすれば、浅野を止めることが出来る?

ふと、自分に支給された武器を思い出す。このモデルガンで浅野を脅せば、考えを改めるかもしれない。考えたら即
行動だ。早紀は、腰にさしておいたモデルガンを抜き出し、浅野に向けて構えた。その手が、震えていた。浅野はす
ぐに気がつき、怪訝そうな顔を早紀に向けていた。

「駄目。やめて、浅野君」

浅野は、だが笑っていた。そして、プログラムが始まって以来初めて、声を出した。

「死ぬつもり?」

 刹那、浅野の右腕が早紀の方に伸びてきた。あっという間にモデルガンを持っていた右手を捻り上げた。ビリッとき
た激痛に、思わず握っていたモデルガンを落としてしまった。浅野はそれを拾い上げると、やはりその軽さに気がつい
たのだろう。フン、と鼻で笑うと、開きっぱなしのデイパックに入れてしまった。そして、その後は早紀が止める間もな
く、あっという間に手榴弾のピンを抜き、下にいる二人に向けて投擲した。全てが、あっという間だった。

 早紀は、これほどまでに浅野のことを恐れたことはなかった。浅野は、無口だけど冷静沈着な少年だと思ってい
た。だが、今はどうだ? その体に秘められている体力は凄まじく、運動神経もそこそこの自分を、あっという間に封じ
込めた。そして、驚くべき柔軟な動作で、手榴弾を放り投げたのだ。全てが、自然の流れ。

 手榴弾は綺麗な放物線を描いていた。周りの時間が、止まっていた。全てが、静かだった。それは確実に六番ペア
の方へ飛んでいく。矢島が、こっちを見た。気がついた。目の色を変えて、慌てて横に避ける。一人残された中野が、
その矢島を見て不審に思ったのか、自分の背後を見るために、振り向いた。そして、何かが飛んできている。それを
確認した瞬間。

「あ……」

その声を、無意識のうちに出した途端、手榴弾が中野の目の前に落ちて、爆発した。それは、政府の連中が本部に
投げ込まれることを危惧して幾分火薬の装薬量を減らしていたものの、人を殺すためには充分すぎる量だった。鼓膜
が、キーンとしている。耳がいかれているのだとわかった。

 全てが崩れていく感じがして、早紀はペタリと地面に座り込んだ。終わった、終わってしまった。間違いなく、中野智
樹は死んでしまったのだ。もう、あの呑気な笑みは見ることが出来ないのだ。そして、多分矢島も……この、首輪が。
誰もやる気になるはずなんかない。そう信じていた早紀は、自分のペアに裏切られた。浅野が悪いというわけではな
い。浅野は、ただ冷静に考えて、この殺し合いのルールに従ってクラスメイトを殺しただけなのだ。批判するべきところ
は、何もない。だけれども……何かが、違う。本当は、こんな殺し合いなんて、してはいけないのだ。大人の言いなり
になって、悔しくないのか?

 土煙が立ち込めている。爆発の被害がどれだけなのかわからない。すると、どういうわけか、土煙が紅くなりだし
た。シューッという音がしている。隣にいる浅野は、じっと目を凝らしていたが、その時吹いた風が砂を運んできたらし
く、目を擦っていた。それは、悲劇への第一歩だったのかもしれない。風によって、その赤い光が漏れている煙が、こ
ちらの方に漂ってきたのだ。途端に視界が悪くなる。同時に、咳き込む結果となった。浅野が、再び腰に付けたもう一
つの手榴弾を手に取った。

 まだ、誰かを殺すつもりなの? もう周りには、誰もいないじゃないの。一体、何する気?

 ふと、浅野の背後で、キラリと何かが光ったような気がした。あれは、何だろうか。そう思った瞬間、その銀色の光
は、真っ直ぐにこちらへ近づいてきていた。浅野がその光に気がついたのか、振り返る。その直後だ。

 悪夢を、見た。

 その銀の光、即ち刃は、何の躊躇もなく浅野を薙ぎ払った。その刃筋に従うように、浅野の首が吹っ飛ぶ。同時に、
熱いシャワーが早紀の全身に降り注いだ。それは、なんとも不思議な感触。

 え? 何? 何なの?

早紀は、もう何がなんだかわからなかった。風がさっと吹き、立ち込めていた煙が薄れていく。そこに立っていたの
は、紛れもない。ポニーテールが特徴の、末恐ろしい女の子が、刀を持って立っている。

 矢島依子が、そこにいた。

「矢……島さん?」

矢島の足元に、浅野の首があった。浅野が殺されていることに気がついたものの、そんなことは、どうでもよかった。
感覚が、麻痺していた。
矢島依子は、その血に染まった顔に付いている口を、そっと開いた。

「浅野の野郎が、中野を殺したんだね?」

矢島が、その足元に転がっている首を足で軽くコツンと蹴った。それは、最早生きていたものなのかさえ、わからな
い。早紀は、黙ってコクンと頷いた。

「中野の武器は発炎筒だったんだ。だから爆発したとき、デイパックに入っていたそれが反応を起こして、大量の煙を
撒き散らした」

「そう……だったの」

「そして、あたしの武器はこの仕込み刀。早速役に立ったね」

「矢島さん」

早紀は、喋る矢島を制して言った。

「貴女は、この殺し合いに参加する気だったの?」

「さぁ、別にどっちでもいいと思ってる。でもね、ペアが殺された今、あたしは浅野を殺すしかなかった。これは、理解し
て欲しいな」 

それは、そうだ。矢島はペアの中野を殺された。つまり、誰かを首輪が爆発するまでの三分間の間に殺さなければ、
自分が死ぬ。生きるために浅野を殺したのなら、彼女の首輪はもう爆発しない。

 でも、そしたら。ペアが死んでしまった私は……。

「ねぇ、死にたい?」

 唐突に、矢島が訊ねてきた。その質問の内容を理解したとき、早紀は不思議と恐怖は感じなかった。つまり、矢島
は今すぐ死ぬのと、それとも三分後に首輪の爆発を怯えながら待ち続けるのと、どっちがいいかを聞いてきているの
だ。迷いは、なかった。

「殺してください」

 最期くらいは、覚悟したかった。いきなりこの銀の首輪に殺されるなんて、癪だったからだ。

「本当に、いいの?」

「うん。私さ、絶対に誰も殺し合いなんてしないもんだと信じきっていた。だけどね、浅野君は、違ったの。だからって、
死んで当然だとか言うつもりはない。でも……」

「でも?」

 大きく、息を吐いた。

「友達を殺してまで、生き延びたくないから」

 矢島は溜息をつくと、仕込み刀の刃を、早紀に向けた。

 ああ、ここで私も終わりなのか。もう少しだけ、いろんな事知りたかったな。もう少しだけ、世界を見たかったな。一度
でいいから、恋もしてみたかった。なんだか、悔いの残る人生だったな……。

 矢島が、その腕に力を込めた。次の瞬間、私の胸には、真っ直ぐに刃が突き刺さっていた。焼けるような痛みと、息
が漏れるような苦痛が襲ってきた。そして、意識が混沌としてくる。


 私が最期に見たものは、矢島依子の、少し悲しそうな笑顔だった。




  男子一番  浅野 雅晴
     六番  中野 智樹
  女子一番  伊藤 早紀    死亡



   【残り9人】






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