第三章 稲葉先生 − 10


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 E=4、高原中学校。
 2004年度、戦闘実験第68番プログラム第50号実施本部。

「男子四番、死亡確認しました」

 兵士の一人である石田が、モニターの前でそう言った。

「おぉ、そうか。水島、死亡報告書頼むよ。さっきの都築の奴と一緒にして、デスクの上に置いといてくれな」

 うるせぇ、このバカ教師。水島恵子は心の中でそう毒づいたが、流石に口にするのは危険なのでやめておいた。

「……わかりました」

 屈辱だった。あの総統の決断で、恵子はあの稲葉とかいうバカ教師の下請けにされたのが、悔しかった。
なんで、なんで私がこんな風に扱われているのだ? あの男は、今でこそ総統の意思により私よりも立場が上だけ
れども、傲慢に振るいすぎではないか。よくもあんなもので教師が務まったもんだ。生徒達がグレるのも納得できる。

 苛立ちを抑えながら、恵子はデスクワークに取り掛かった。
今しがた死亡した二人の生徒の死亡報告書を書き始める。まずは女子四番、都築優子。午後3時07分、頭部被弾
により即死。まずは簡単なものから書き始めた。
都築優子という生徒は、政府関係者も誰が優勝するかというくだらない賭け事、すなわちトトカルチョではノーマーク
の生徒だった。大して運動能力があったとは言えず、普通のちょっと目立つ女子、それがこの荒れたクラスの中での
彼女の立場だ。何故、そんな彼女がゲームに乗るような行為に走ってしまったのだろうか。心当たりは、ひとつある。
あの稲葉が殺した若本千夏(女子八番)による連動で、町田宏(男子八番)が死んでしまった一件だ。あの時、町田
は生きるために、本気で誰でもいいから殺そうとしていた。そして、運悪くそのターゲットにされてしまった都築優子が
いた。結局死ななかったものの、彼女はさぞや恐怖心を植え付けられただろう。特に、走り迫ってくるものに対しては
それは記憶がフラッシュバックするに違いない。
だから小島奈美(女子三番)を撃ったのだ。きっと、小島が彼女に向かって突撃してきたとき、本能的に町田と姿が重
なってしまったのではないだろうか。だから、本人も小島を町田だと認識し、殺されると思ってしまった。だから、殺す
つもりで、撃ったのだ。元をただせば、全ての元凶は、稲葉自身なのだ。
おまけに、町田の一件で気に入らないことは、まだあった。まず、町田を含む八番ペアのトトカルチョ順位、なんと二
位だ。なのに、出発前に稲葉が殺してしまったのだ。一人の生徒の、単なる教師への意見を述べただけで。

 さらにもう一つ、重大なことがあった。今回、生徒に支給されるデイパックは、全部で16個用意されていた。だが、
出発前のアクシデントのせいで実際に配られたのは14個。2個余ったのだ。それだけなら簡単な引き算だ、何も問
題はない。問題は、その余ったデイパックに入っていた本来なら生徒に支給されているべき武器だ。一つは、稲葉が
町田用にサンプルとして取り上げたデイパックに入っていた、ソーコム・ピストル。そして、最後の一個、つまり若本の
デイパックには、なんとキャリコM950が入っていたのだ。キャリコM950、重量はマシンガンすなわち突撃銃にして
は三キロもないほど軽く、装弾数は50発。間違いなく、最強の武器だ。
なのに、その武器は、ソーコム・ピストルと同様に配られることはなかった。一人の身勝手な男のせいで。おかげで、
今回実際に配られた武器の中に拳銃はコルト・ガバメントと、ブローニング・ハイパワーしかない。冗談じゃない、たっ
た二丁だけの銃でプログラムをやっているなんて、前代未聞の話だ。

 今まで関わってきたプログラムは、まだ自分が新任ということもあって大人数のクラスは受け持ったことがないもの
の、大体平均で二25人程度の生徒数だった。その内拳銃は全体の40パーセント、10人に支給されていた。だが
今回は16人中僅か二丁。12パーセントだ。それはいつもの半分よりずっと下。ありえない。

 既に起きてしまったことは仕方ない。今は、自分の仕事に集中するべきだ。もともと教官になる筈だった私に与えら
れていたこの仕事を。
都築優子死亡後一分後に、男子四番、杉本高志、死亡確認。同じく頭部被弾により即死。両者とも加害者は女子七
番、吉村美香
杉本高志という生徒は、元バスケ部員と記録されていた。なるほど、運動神経が通常よりも優れているのが特徴だと
書かれている。彼に支給された武器、鉄棒は、意外と見た目よりも重たいのだが、それでも軽々と振り回していたこ
とから、筋肉量も並ではないに違いない。

 そう、生徒の行動経緯だけでなく、その詳細までもを把握する為に、生徒全員に平等に付けられる首輪、正式名称
ソロモン8号には盗聴機能が装備されている。主な役割は二点。一つは、ただ純粋にその生徒が何をしているのか、
どのような会話を繰り広げているのか、武器は一体何なのかなどを全て把握する為。すなわち生徒の実際の行動状
況を簡単に知ることが出来る。そしてもう一点。生徒達の会話が全て聞こえているので、先の行動がわかることが出
来る。生徒達の中には、たまに脱出や本部への襲撃などを考えている生徒がいるという。そういった計画を事前に察
知し、未然に防がなければならない。ちなみに、恵子がこれまでに行ってきたプログラムの中では、そのようなことを
考えた生徒はいなかった為、具体案などは一つも知らなかった。
そして、吉村美香だ。美香は、この事前報告書によると、どうもワルにしてはあまり目立っていない人物だった。プロ
グラムが開始されてからもほとんど喋っておらず、ただペアである平山正志の後をくっついているだけだった。だが。
何が起きたのだろうか、今回の件から、突然暴走らしきことを始めたのだ。躊躇せずにクラスメイトを撃ち殺していくこ
とから、何かがあったと見るのが普通なのだが、直前に起きていた出来事としては、都築優子に襲われたということ
しかない。さらに、以前彼女は自分はこのゲームには参加しないと言っていた筈だ。それが簡単に覆されるような出
来事なのだろうか。
もともと精神面では弱かったのかもしれない。それなら、ちょっと襲われたくらいで発狂するのがわかる。でも彼女は
冷静だ。平山も変わったが、彼女の変わりようは凄まじかった。
流石に心の中身までは盗聴することが出来ないので、恵子は色々な事例を考えてみたものの、結局どれも確信にま
では至らなかった。まぁ、本人に聞くのが一番手っ取り早いかもしれない。もしも彼女が優勝したら、聞いてみよう。何
が、あったのかを。

 考え事をしながら、あたしは二人の死亡報告書を書き上げた。立ち上がって、デスクの上に置こうとすると、急に稲
葉が手招きをした。なんだ、この紙をもってこいということか。それならさっさと口で言え、口で。

「これで、残りは七人だな?」

 唐突に稲葉がそう言い出したので、咄嗟に私は返事をした。

「はい」

「水島は、誰が優勝すると思う?」

その言葉が、あたしの脳を沸騰させようとしていた。いきなり、大して親しくもない、むしろ尊敬しなければならないほ
どのあたしに向かって呼び捨て? 冗談は程々にしてもらいたい。なんてことは今は口に出せなかった為に、なんと
か怒りを堪えた。

「あたしは……七番ペアを」

「あー、やっぱりなー」

まだ言い切っていないのに、稲葉は言葉を遮るように気だるげに声を伸ばした。それが、本当にムカついた。まだ成
人になって少し。自分は子供の部類なのだろうか。妙に、八つ当たりがしたくなった。

「あの……なにか?」

「考えが安直なんだよなぁ。そりゃあ、確かに平山は強いよ。吉村だって、なんか急に殺し始めてる。矢島も同じと見
ていいだろう。だけどさ、よく考えてみれば、こいつら、バカだぜ?」

安直といわれさらに頭に血が上った。そして、教え子をバカ呼ばわりと来たもんだ。これをバカ教師と言わずして何と
呼ぶ? カバ? 上等上等、30ポイント。

「では、誰が優勝すると……」

「ふふん、俺の考えを言おう」

 鼻笑いをして、鼻の下を指でこする姿は、まるで何かの田舎のガキ大将、あるいははなたれ小僧を思い出させた。
不謹慎にも笑ってしまったが、稲葉は自分によっているのか、気がつかなかったらしい。

「俺はな、優勝者が出ないと思っている」

「……は?」

 何を言い出すかと思ったら。
優勝者無し。この記録は、本当に少ない。優勝者無しになるケースは主に三つ。一つは刺し違えた時だ。最後の二
人になって、お互いにお互いを攻撃し、お互いに致命傷を受けて、そのまま死んでしまったということ。だが同時に死
ぬということはまずないので、とりあえず最後まで生き残っていた者が優勝者となる。後は、病院に搬送するまでに
死亡とでも書いておけばいいのだから。もう一つは、24時間誰も死ななかった場合に起こる時間切れの全員の首輪
爆破だ。だがしかし、過去のプログラムで時間切れになったケースは稀である。統計学上、過去のプログラムで時間
切れになった確率はパーセンテージで表して僅か0.5パーセント程度だ。まずありえない。最近のプログラムでも、
そういったケースは一件しかない。最後に、前回の連動プログラムで起きた、事故による死亡だ。これは今回もある
かもしれないが、まぁあの開発主任の自身ありげな表情を見る限り、今回は大丈夫だと思える。前回のようなケース
がもう起きない事は、既にわかっているのだから。

 となると、この男は何を根拠にそのようなことを言うのだろうか。

「意味がわからねぇって顔してるな、オイ? 教えてやろう、なんでそう思うかを」

「はぁ……」

「まず、現在やる気であることが確認できるのは平山、吉村、そして矢島の三人だ。この三人は殺しまわるために今
でも会場内を歩き回っている。当然この三人が遭遇する可能性も高い。となると、確実に戦闘が起こるな。そしてどち
らかが全滅する。残りは生き残った方と固まっている仲良し四人組だ」

 中央部に設置されたモニターを覗くと、かなり近い位置に矢島依子と七番ペアがいることがわかった。なるほど、今
は臨界状態という訳か。矢島依子の武器は手榴弾仕込み刀。手榴弾を上手く使えば、二人を出し抜いて倒すこと
が出来るかもしれない。だが、それに失敗したら、吉村のコルト・ガバメントに倒される。人数面で考えても、七番ペア
の方が有利だ。ここまでは、基本的に自分の考えと同じ。後は、固まっていてやる気無しの四人を倒せばおしまい
だ。

「生き残った方とこの四人が戦う。どっちが有利だかわかるか? 四人組だよ。何故なら、武器が優れているからだ。
大原の探知機で、まず襲撃者が来ることがわかる筈だ。そしたら、高松あたりが容赦なく、そう、先程の杉本との戦
いのように行動するはずだ。吉村が撃ってきたって、前田には防弾チョッキがある。心配ない。そして襲撃者を倒した
ら後はもう誰もいない。この四人組が殺し合いをするとはとても考えられないから、時間切れになる。どうだ?」

「……ですが、本当に、もしそれで襲撃者が倒されたとしても、戦闘は続くのではないでしょうか? それから24時
間、誰も行動しないとは考えられません。誰かが、恐らく前田綾香辺りが、行動を起こしそうです」

 前田綾香。不思議な女子だ。親友である伊藤早紀が死亡したとわかってから、なんとなく雰囲気が変わったように
感じた。声のみで、見えない分、あたしの思考能力は飛躍しているのだろう。
まず、どうして自分の武器が防弾チョッキであることを隠そうとしているのだろうか。それが解せない。別に信頼してい
るならいいじゃないか。つまり、何か腹の中で考えていることがあるのだ、きっと。それが何かまでは、わからないけ
れども。

「前田かぁ……。大原と高松が殺し合うことはないだろうし、確率的には前田か栗田が裏切る形になるんだろうな」

「栗田真帆がやる気だったら、五番ペアを受け入れないと思いますが」

「ふん、そんなのはどうでもいい。とにかく、全員死ねば俺は満足だ」

 その言葉を聞いて、恵子は唖然とした。全員死ねばいいという既知外的な発想、そして、自己中心的な考え。
このプログラムは、表向きでは生徒同士の殺し合いのデータを収集して、戦闘の際の個々人が起こす行動を記録す
る為の戦闘実験だ。まだ自分が生まれてもいなかった時期に、かの米帝に対しての戦力を蓄えるためだとかいう当
時の帝国理論はとうに消え去り、共和国となった今、この戦闘実験に何の意義があるのだろうかと思っている共和国
民は多々いる筈だ。だが、誰一人として異論を唱えないから、惰性で続いてしまっているのが現状だ。昨今では、競
馬や競輪と同様に、誰が生き残るかなどという賭け事まで蔓延している始末。だが、この男は、そのことを知っている
のだろうか。全員が死ねばいいなどという考えは、自己中心的で幼稚な我侭言論に他ならない。

 こんな教師が、何故共和国の未来ある若者を指導しているのか。
 何故? どうして?

恵子はそれらの意見を、最初に反抗して殺された若本千夏のように洗いざらい喋りたい衝動に駆られた。当然それを
実行すれば自分自身の身が危うくなるだろうし、これからの昇進にも支障が出てくるのでよすことにした。

 ああ、この鬱憤を晴らしたい。全て、ぶちまけたい。


 まさかこのストレスが、この後とんでもない騒動を起こす引き金になるなんて、恵子自身、まだ知る由もなかった。




   【残り7人】







18


 突然、爆発音が外から聴こえた。恵子が何事かと思い、モニターを覗くと、音の発生地はB=2、どうやら、予想が
当たったらしい。
エリアB=2に存在する三つの点。これは生徒一人ひとりを表すマークのようなものだ。M‐7と表示された青丸。これ
は男子七番の平山正志を表す。それに付き添う形で表示されているF‐7は、女子七番の吉村美香だ。そして、その
エリア情報に位置しているF‐6と表示された赤丸。すなわち、七番ペアと対峙している女子六番の矢島依子。この爆
発音は、矢島依子が投擲した手榴弾なのだろう。奇襲をかけたのだ。

「石田君、生存反応は?」

中央の大きなモニターと同じ画面を表示しているパソコンのモニターの前に座っている兵士石田に、恵子はそう尋ね
た。石田は目をモニターから離さずに、やや遅めの口調で言った。

「変化、ありません。生存しています」

「そう……、三人の声、公開盗聴にしてくれる?」

 恵子はさらに続けた。

 公開盗聴。それは、生徒に平等に付けられた首輪の盗聴機能を利用して、中央のスピーカーから流すというもの
だ。これは基本的には人数が少なくなってきたときに使うものだが、事実上これは優勝決定戦のようなものなので、
公開盗聴の判断を下したのだ。もっとも、別に自分が支持しなくとも稲葉がそうするように命令するのだろうけれど。

 丁度そう思っていたのか、稲葉は浮かしかけた腰を、再び椅子に戻した。どうやら図星らしい。

その様子を見ている間に、どうやら石田は公開盗聴に設定したようだ。誰かが叫ぶ声が聴こえた。

『矢島ぁ! いきなり何するんだ!』

 男子の声、なるほど、これが平山正志か。中央のモニターを見ると、下部に表示されていた赤丸と青丸がせわしな
く動いていた。たしかこのエリアは山間部だった筈だ。きっと段差を登ろうとしているのだろう。矢島はこの段差の上
から手榴弾を投げ込んだのだ。

『依子! 貴女も、ゲームに乗ったのね? 答えてよ!』

吉村美香であろう、透き通った高い声を出して、必死に喚いている。それに対する返答なのかどうかは知らないが、
矢島は言った。

『ご名答。流石は美香ね、あたしのことなんて筒抜けね』

『なんで一番ペアを殺したの?』

三つの点が止まった。距離にして十メートルあるかないか。既にお互いが完全に見えているだろうし、ここからいつ戦
闘が始まってもおかしくはないだろう。

『ああ、浅野と伊藤のことね? 殺した理由は簡単。死なない為よ』

『死なない……為?』

『放送聴いたからわかってんでしょ? あたしのペアの中野がね、殺されたのよ、浅野に。だから、殺した。ついでに、
一緒にいた伊藤も』

『あ……それで』

『別にどっちでもよかった。この殺し合いに参加してもしなくても、どっちでもよかったの。だけどね、やっぱり一度でも
殺人を犯してしまうとね、なんか変な気持ちになるの。罪悪感とか、そういうものは一切なくなった。ただ、もう元には
戻れない。殺しあうしかないと、思っただけのこと!』

『避けろぉ!』

 突然高いトーンで矢島が叫ぶと同時に、今度は平山が叫んだ。その後何が起きるのか、薄々予測は出来た。


  ズゥゥン……。


 最後の手榴弾が、爆発した。矢島が話している途中で、唐突に投げつけたそれが何処で爆発したのかはわからな
い。だが、直前にその行動に気がついた平山が、ペアの吉村を引っ張ったようだ。

「生存反応は?」

「まだあります」

念の為石田に確認を取ったが、まだ二人は生きている。だが、怪我の一つや二つはしたかもしれない。

 本来手榴弾は、爆発によって殺すのではない。爆発したときに中に入っている金属片などが爆風などにより散乱し
て、ターゲットの体をズタズタに引き裂くというものだ。よって、致命傷になるような距離ではないにしろ、怪我をした可
能性は十二分にありうる。

『うぅ……』

 低い呻き声。平山が、怪我でもしたのだろうか。
 そう考えている時だった。隣の椅子で、万歳をしているバカが言った。

「よぉーし、殺しあえよぉ! どっちが死んでもいーぞぉ!」

 そんな風に叫んで、しきりに両手を上げている。

「じゃああんたが殺してきなさいよ」

 恵子が一番許せない行為。それは、自分が頭を回転させて想像力をフル稼働しているときに、ちゃちゃを入れられ
ることだった。あのバカのせいで考えが中断してしまった。それに積もっていたストレスが重なって、ついその言葉が
口から洩れた。
途端、デスクをドンッと叩く音がして、続いて稲葉が勢いよく立ち上がった反動で倒れた椅子が、ガタタンと派手な音
を立てた。まずい、そう思ったときには、時既に遅し。

「なん……だとぉ? 水島、貴様何と言った?」

拳を握り締めている稲葉。あたしはなんと答えたら良いのかわからなかった。しかし、黙り込んでいるわけにもいかな
い。

「貴方が生徒を殺せばよかったじゃないですか、と言っただけですが」

「ふざけるな!」

正直に、丁寧語でもう一度言いなおす。それがいけなかったのか、突然稲葉が怒鳴りだした。

「なんで、なんで俺があんなカス共と一緒の所で殺しあわなくちゃならないんだ! ふざけるな! 俺をあのカス共と
一緒にすんじゃねぇ、このボケ!」

「ボケですって……? あたしがボケだって言うんですか? ならあんたは一体何なんだ! この自己中が!」

 水島恵子の唯一よくない部分、それは彼女のプライドの高さだった。自分より低俗に値する者に罵られる、これ以
上の屈辱感はなかった。これまで溜まっていたストレスが、一気に爆発したのだ。
当然、自分よりも立場が下の者に叱責を受けた稲葉が怒り出すのは自然な行為と言える。案の定、稲葉はいきなり
恵子の方に近寄ってきた。

「貴様! 誰に向かって言葉を発しているんだ! 俺に向かってよくもそんなことが言えたもんだな! 詫びを入れて
もらおうか!」

「誰があんたなんかに詫びを入れるもんか! 大体わかりましたよ、どうしてあんたが西中最悪の教師と呼ばれてい
るのか、そして生徒に嫌われているかね! 自分で原因作ってるじゃない!」

「うるせぇ! そんな減らず口を叩くのはこの口かぁ!」

 近寄ってきた稲葉は、いきなり恵子に殴りかかった。だが恵子もだてに特殊訓練を受けていたわけではない。難な
くそれをかわしたものの、いかんせん相手が悪い。恵子の長い髪をいきなり右手でむんずと掴み、思い切り下に引っ
張った。突き刺すような痛みと同時に、恵子の体全体が床に崩れ落ちる。

「痛い!」

 そして、いきなり稲葉が上に圧し掛かってきた。

「はっ! 俺に勝とうなんざ十年早いなっ!」

 すると、突然稲葉の目の色が変わった。その視線が自分のはだけたブレザーに向いていることに気がつき、慌てて
元に戻そうとしたが、両腕を掴まれて身動きが取れなかった。

「おめぇ……なかなかいい胸してんなぁ」

その粘着質のある目に、恵子は恐怖を感じた。この男が貪欲な精神を持っていることが、嫌でもわかった。

 屈辱だった。これ以上ない恥さらしだ。

「や……やめて……」

「恥ずかしがんなって。気持ち良いからよぉ」

 稲葉の右手が、自分の胸に伸びてくる。

「いや……」

「やめて下さい!」

 全てを諦めかけたときだ。いきなり、近くで大きな声が聴こえた。

「なんだおめぇは? ええと……ああ、村田だったっけな?」

村崎です。稲葉先生、その手を離しなさい」

兵士の村崎だった。彼が、この行為に間一髪気がついて、静止しに来たのだった。小銃をその手に握り、稲葉を威嚇
している。それに気がついたのか、稲葉は馬乗りをやめて、あたしの腹部を一回蹴りつけると、ふんっ、と鼻で笑っ
た。

「折角楽しい所だったのにな。次やったら本気で犯すぞ」

 そう言い残して、稲葉が部屋を去っていく。あたしは髪を引っ張られた痛みも、蹴られた痛みも感じなかった。ただ、
屈辱感だけが残った。悔しかった。あんな男にバカにされた自分に、腹が立った。

「水島教官、大丈夫ですか?」

村崎が、自分を気遣って抱いてくれた。どうやら転んだ拍子に何かで切ったらしく、二の腕から血が流れ出ていた。そ
れに気がつき、村崎がハンカチをあたしに差し出していた。

「あんまし大丈夫じゃないけど……ありがと、助けてくれて」

「いえいえ。こちらこそ、気付くのに遅れてすみませんでした」

二の腕にハンカチを当てる。雑菌が入らないようにするためだが、ここにあるものでは消毒は出来そうもない。止血し
てくるといって、あたしはメインモニター室(もともとは職員室だったものだ)から出て行った。たしか保健室も同じ階に
あったはずだ。

 職員室を出た瞬間、再び怒りがこみ上げてきた。



 絶対に許さない。あのバカ男を、絶対に許すものか。



 あたしはなんだかよくわからなかった。
 正常な判断が出来ていなかった。

「……悔しい」

 ひとりでにそう呟いていた。そして、声がかすれているのに気がついて、そして頬を涙がつたっているのに気付い
た。拳が震えている。
悔しかった。女であることが。ああ、もし自分が男だったら、あの男なんか簡単に伸すことが出来たのに。出来なかっ
た。

 保健室に行く前に、あたしはそっと階段を上った。向かう先は、出発地点であるあの教室。その教室の目の前に行
く時には、微かな血の匂いと死臭が漂っていた。だが気にすることもなく、あたしは教室の扉をそっと開けた。
まだ、出発前に殺された町田宏若本千夏の死体があった。それは果たして生きていたものなのだろうか。淀んだ
眼を自分に向けているような気がしたが、あたしはそれにも興味を示さず、教卓の下を漁った。
そこにあるべきもの、稲葉が説明用に使い、そのまま放置したデイパックを掴みあげる。ジッパーを開け、安置されて
いるソーコム・ピストルを取り出す。同じようにデイパックに入っている四十五口径の弾が入った箱から弾を十発分取
り出して、マガジンにセットした。




 絶対に、許さない。許すものか。




 あたしはソーコム・ピストルをそっとブレザーの内ポケットに仕舞うと、教室を後にし、保健室へと向かった。




   【残り7人】







19


 保健室に入ると、白いベッドに兵士の石田がいた。まさか誰かがいるとは思わなかったので、恵子は少し驚いた。

「石田君、どこか怪我でもしたの?」

 そう尋ねると、石田は軽く微笑んで、少々申し訳なさそうに言った。

「すみません、ちょっと水島教官のことが気になったもので、心配して来たんですよ。でも、随分と遅かったですね」

「あ、うん。ちょっと、迷っちゃって」

まさか教室に戻っていたとも言えず、恵子は曖昧に返事をした。それに気付いたのかどうかは知らないが、石田はそ
れ以上は質問してこなかった。黙って、机の上に消毒液やら絆創膏を並べている。

「あのさ……」

「はい?」

 そんな彼に、恵子は声をかけた。石田は手を止めて、振り向いた。

「結局、さっきの決着は、どうなったの?」

「決着って、先程の戦いのですか?」

「ええ」

彼が手招きをしたので、大人しく恵子は緑色のビニールが張られている椅子に座った。消毒液をガーゼに含ませて、
優しく傷口に当てる。かなり沁みたが、我慢できないほどではない。

「矢島が、死にましたよ」

「そう……やっぱりね。どういう状況だったの?」

続いて、絆創膏を取り出した。綺麗に切り取って、傷口に当ててそっと貼り付ける。軽く上下に振ってみると、痛みが
来て動きに支障があることに気がついた。まぁ左手だから、別に問題はないだろうけれども。包帯はどうするか聞か
れたものの、別にいいと言った。

「矢島が最後の手榴弾を使い果たして、それでもともとの支給武器の仕込み刀で戦ってたんですがね、やはり銃に
は敵わなかったようで」

「平山君の怪我は、どんな按配?」

ありがとう、と礼を言って、恵子は石田に楽するように言った。石田は少々遠慮しながらも、もともと座っていた白いベ
ッドに再び腰掛け、向き合った。

「どうやら足に怪我をしたようです。それほど深刻ではなさそうですが」

「そう、足にねぇ……」

「ちなみに、とどめを刺したのは吉村です。平山が動けないことに気付いたのかどうかはわかりませんが、矢島が吉
村を狙ったのは事実ですが、斬りかかりに行ったところを銃で撃たれたようで……」

「随分殺したことになるわね、そうすると」

「吉村は都築との戦いで軽い怪我をしている筈です。やはり四人相手だと、きついのではないでしょうか?」

 これで、残りは六人。平山と吉村。そしてあの仲良し四人組だ。確かに、怪我をした状態で四人に戦いを挑むのは
かなり厳しいかもしれないが、それは相手がやる気だった場合だ。

「平山君は大丈夫だとあの四人組は思っているよ、多分。じゃなかったらあそこで高松君を信用させる意味がないし
ね」

「やはり、時間切れはないと思いますね」

時間切れの話題を思い出して、恵子は再び怒りが込み上げてきた。それに気付いたのか、慌てて石田がそれを制し
た。

「すみません、嫌なこと思い出させちゃって」

「いえ、いいのよ。悪いのはあの男なんだから」

 ブレザーに装着したソーコム・ピストルの重量を感じる。

「総統の命令、どうやら守れなさそうね」

 その言葉の真意がわかったのかどうかはわからない。ただ、彼は黙ったままだった。一言だけ、こう言った。

「水島教官が何をしようとも、僕は止めません。絶対に、正しい行為だと信じてます」

「そう……わかった、ありがとう」

 お礼を言い、二人でいたことが稲葉にばれると後々面倒なことになりそうなので、先に石田に帰らせることにした。
彼は一回だけ振り返って礼をすると、そっと保健室の扉を閉めた。その後、小走りをする音が聴こえた。


 あたしは、もう迷わなかった。それがたとえ総統の意思と反したものでも、あたしはそれが正しいことだと信じてた。



  女子六番  矢島 依子    死亡




   【残り6人】






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