08



 藤田恵。覚醒剤常用者の、一人。
 彼女の名前を、栄之助は呼んだ。つまり、最初の出発者は、彼女だ。


「……え?」

「藤田、お前だよ。さっさと外に出て行け」

 一方、呼ばれた藤田は、一瞬何故自分が呼ばれたのかを理解できなかったらしく、呆けていた。右肩からトロトロと
流れ続ける血が、確実に彼女の命を蝕んでいく。
そして、気がついたのだろう。自分が、最初の出発者だということに。瞬間、彼女は後退りをした。

「そんな……嫌だ…………」

 両手で頭を抱える藤田。その顔は、蒼白だった。まるで病人だ。
 ……そっか、こいつヤク中だったっけ。なんともまぁ、滑稽な姿だ。

「あとがつかえている。さっさと出発してもらいたいんだがな」

 だが、栄之助の警告にも、藤田は耳を貸そうとしなかった。ただ、後方で震えているだけだ。
 業を煮やしたのだろう。栄之助が、つかつかと藤田の前まで歩いていく。

「おら、立てコラ」

「いやだ……行きたくない、行きたくない……!」

「さっさと出発しろって言ってんだよぉっっ!!」

 喚く藤田に、栄之助は蹴りを入れた。一瞬だけ声を裏返す藤田。すかさず、栄之助はその胸倉を掴んで藤田の体
ごと持ち上げた。かなりの豪腕だ。
女子に対しての暴力。もしも自分がこの間までの自分だったのなら、確実にその暴力を揮った側を軽蔑していただろ
う。だが、今の自分は違う。彼女が、救いようの無い愚か者だと、知っている。栄一郎を死に追いやった側の人間な
んだ。同情の余地も無い。

「いやだぁぁ!! 死にたくない、死にたくないよぉぉ!!」

宙に浮きながらも、藤田は必死に抵抗していた。だが、そんなものはなんとも思わないらしく、栄之助は彼女の体を
部屋の外に散在な扱いで放り投げると、老兵士の的場からデイパックを受け取って、彼女に投げつけた。
藤田は、力なく崩れ落ちて、微かな声でまだ喚いていた。

「いやだ……死にたくない、まだ死にたくない……」

「あー……一応この部屋出たら出発扱いだからな。でもこいつやる気が全くないみたいだから、いつでも殺して構わ
 ないぞ」

誰も、何も言わなかった。いつでも殺していい、即ちそれは、全員が見ている目の前で、殺人をしろということだ。
相手はヤク中の人殺し。だが、それでも。みんなが見ている前で殺すのは、流石に戸惑うだろう。

「じゃあ、二分後に次の奴出発な。えーと、十一番は……なんだ、松本か。もう死んでるからこいつパスな。そういう
 わけで……真木。準備しとけ」

 呼ばれた瞬間、真木沙織(女子十一番)はビクンと肩を震わせた。
自分が出発するということ。それから、外で力なく崩れ落ちている藤田の処遇をどうするか、それが最大の問題点だ
った。放っておくか、あるいは殺すか。

 真木沙織は、藤田恵の幼馴染であり、そして親友だ。だが、そんな真木でも、藤田が覚醒剤に手を出していたこと
は知らなかったらしい。それだけ藤田が巧妙だったか、あるいは真木が鈍かっただけかのどっちかだろう。さぁ、いっ
たいどっちを選択するんだ。
そこで、ふと僕は思った。真木がもし殺さないで出発した場合、次に出発するのは修平だ。なんとなく、嫌な予感がす
る。修平は、きっと藤田がそこにいたら殺していくだろう。それはとても痛快なこと。だが、親友の修平が、いくら相手
が相手だからといって人殺しをする瞬間を、出来れば僕は見たくはなかった。

 刻々と、不自然なまでの静寂の時が過ぎてゆく。
 そして、やがてタイムリミットはやってきた。

「真木。出発の時間だ」

 言われるや否や、真木はすぐに立ち上がると、老兵士からデイパックを受け取った。そして、迷うことなく藤田のもと
へと近寄っていく。

 まさか。

そう思ったのも束の間、真木は振り返ると、栄之助に向かって言った。

「私は……恵を信じます。彼女がやったことは確かに悪いかもしれないけれど……、それでも、全部彼女が悪いわけ
 じゃないと思うんです」

「ほぅ、それで? お前はどうしたいんだ?」

「彼女を預かります。必ず真実を聞き出して見せます」

 そう言うと、真木は崩れ落ちている藤田の肩に手をやって、そっと立ち上がらせた。
 そして、二言三言言葉を交えると、廊下の奥へと一緒に消えていった。

「ふん……真実になんか、興味ねぇっつーの」

 隣に座っている修平が、そう声を洩らした。
 次に出発するのが自分だとわかっているのだろう。今は靴紐をしっかりと結びなおしている。

「……あいつが栄一郎を殺した一味って事には、かわりねぇんだからよ」

 僕も、真木のとった行動に対しては意外だった。
 まさか、わざわざ連れて行くとは。

 やがて、再び誰も喋らない時が過ぎる。とても二分間とは思えない時間が過ぎて、栄之助が口を開いた。

「では、村田。出発だ」

 修平は、黙って立ち上がると、大きく伸びをした。そして、悠々と歩いて、老兵士からずっしりと重たそうなデイパック
を受け取る。結局、一言も喋らないまま、部屋を出て行った。本当に最後の一瞬だけ、僕と目を合わせただけで。
その光景を、誰もが黙り込んで見ていた。そこに、いつもの調子のいい村田の様子は存在しなかった。野球の試合
の時だって、みんなのムードを高めていたお祭男だったくせに、こんなに真剣な修平を、果たして今までに見たことが
あっただろうか。

 僕は、確信した。修平は、必ず復讐をする、と。

幸い、修平は三番目の出発者だ。まだ先に出発したのは害のなさそうな女子二人だけ。彼女達を追いかけたら、彼
の俊足ならあっという間に捕まるだろう。そして……。

「次、山本。出発だ」

教室後方にいた山本真理(女子十二番)もまた、悠々と部屋を歩いていた。その顔には、笑みが浮かんでいた。その
笑みに、ぞっとする。仮にも、今から人殺しの祭典が始まるというのに、どうしてそんな風に笑っていられるのか。

 あぁ、そうだ。彼女もまた、危険人物なんだった。

修平同様、何も言わずに黙って山本も出て行った。誰も、何も喋らない。
ただ、静かな、だが死という運命を突きつけられた生徒達の残された時間が、刻々と進んでいく。

「最初に戻るぞ。榎本、お前の番だ」

出席番号の最後まで進んだので、再び一番に戻って榎本達也(男子一番)が呼ばれた。榎本も、不機嫌な顔をして
老兵士からデイパックを受け取る。そして、そのまま教室を出て行こうとして、止まった。栄之助が、不審に思ったの
か声を掛ける。

「どうした、行かないのか」

 榎本は振り返ると、まだ部屋に残っている生徒をじっと眺めていた。
 力強い、眼をしていた。

「勘違いするな、俺はこんなの認めない。復讐だなんて変な考え、起こしてんじゃねーぞ」

 それだけ言い残すと、榎本は一目散に駆けて行く。
少しだけその意味を考えて、それはもしかして僕に対するメッセージなのかもしれないと思った。確かに、僕も修平と
同じように、厳しい顔つきになっていたのかもしれない。
だけど、そんなのは嘘だ。復讐をして、いったい何が悪いんだ。こんなチャンス、もう二度とないんだ。栄一郎を殺した
奴らを、親友の僕が殺す。なんて素晴らしい響きだ。ああ美しき親友愛、なんてね。
そんな綺麗事を言っているようだと、残念ながら榎本。君は生き残れるような生徒じゃないね。

 榎本は、やる気じゃない。
 即ちそれは、この状況では即座に死を意味する。

僕は、絶対に復讐を成し遂げてみせる。誰にも邪魔なんかさせない。絶対に、殺す。

「よし、二分だ。柏木、出発だ」

 名前を呼ばれて、柏木杏奈(女子一番)はゆっくりと立ち上がった。一瞬よろけそうになっていたが、倒れることも無
くなんとか持ちこたえていた。貧血だろうか、それともこの状況で精神的に参ってしまったのだろうか。
だが、柏木はふらふらと教室の前まで歩くと、そこに今もまだ在り続ける無残な松本の死体をまじまじと眺めていた。
そして、鼻でフンと笑うと、今度はしっかりとした足取りで、老兵士からデイパックを受け取っていた。

 彼女は、一体何がしたかったのだろうか。

少しだけ、彼女を恐ろしいと思った。彼女も松本や佐野を嫌っていたのは知っている。だが、流石にあの死体を見て
笑うのは僕でも無理だ。僕だって、目を背けてしまうだろう。
僕にもあるように、彼女にも彼女なりの考えがあるのかもしれない。

「では次。河原」

僕は名前を呼ばれて立ち上がる。残されたみんなの視線が、僕に集中する。
怖くないといえば嘘になる。仮にもこれは殺し合いだ。一方的な復讐劇では済まされない。僕が死んでしまう可能性
だって、あるんだ。

 だけど、僕は死ぬわけには行かない。あいつらを殺すまでは、決して。

僕は前へと進み出る。老兵士から、デイパックを渡された。ずしりと来る、重たい感触。この中に、人殺しの武器が入
っているのだ。それは、間違いなく命綱。
負けるわけにはいかない。僕は、絶対に達成してみせる。

 廊下に出ると、ひんやりとした風が吹きぬけた。薄暗くて、突き当りまでが確認できない。
とりあえず順路に従えば外には出られる筈だ。そう思って突き進むと、程なくして右手に玄関が現れた。人の気配は
まったくない。誰も……待ってなんかいないわけだ。
そう思って、進もうとしたときだ。下駄箱に横たわる、『何か』がそこにあった。
最初はゴミだと思った。だけど、ゴミにしては大きい。血の臭いがした。教室から漂ってきているのだと思ったけれど、
どうやらその『何か』から発せられているようだった。

 バカな。校舎内では、まだプログラムは始まっていない筈。
 あぁ、でも栄之助さん。藤田をあの場所で殺していいとか言っていたっけ。

そこに横たわるのは、間違いなく『死体』だった。
そこで血を流してうつぶせになっているのは、間違いなくクラスメイト、それも女子だ。次々と出発していった女子の姿
が浮かぶ。藤田、真木、山本、そして柏木。
意を決して、その死体を仰向けにする。血の臭いが、むわっと強くなった。


「…………!」


 その死体は。

 一番、ありえないと思っていた人物、山本真理のものだった。



  女子十二番 山本 真理  死亡



 【残り22人】





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