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 榎本達也。

 彼とあたしとの距離は約三メートルほど。あたしが北村晴香を撃ち殺すのに容易だった距離とほぼ同じ。
 つまり、彼は殺そうと思えばいつでもあたしを撃ち殺すことが出来るわけだ。なのに、どうして。

「銃を下ろせ」

 榎本は、はっきりとそう言った。いつもの彼とは違う、確固とした声だ。
 どうしようか。勢いよく振り向いて撃てば、撃たれる前に彼を殺せるだろうか。
 しかし失敗すれば死ぬ。危険な賭けだ。

「早く下ろすんだ。お前を、殺したくはない」

「はぁ? あんたなに言ってんの?」


  パァンッ!


 反射的に振り返ろうとした瞬間。背後から、銃声が聴こえた。
頬のすぐ脇を風が吹きぬけたような感じがして、あたしは思わず全身の力が抜けてしまった。腰を抜かしてしまいそう
になったが、なんとか持ちこたえる。それでも、指先が勝手に開いてしまい、折角手に入れたブローニングを落として
しまった。雪原に現れた黒い塊。軽い音を立てて、それは雪に突き刺さった。
体が震えている。一瞬だったが、本当に間近に、“死”を感じた瞬間だった。


  ―― こいつ、本当に撃ちやがった……!


「よし、そうだ……それでいい」

「あ……え、榎本、あんた……今、撃ったわね……!」

「あぁ撃ったさ。お前だって、北村を撃ち殺しただろう? ついでに確認したい。河原を殺したのもお前なのか?」

 こちらが動揺しているというのに、対照的に彼は冷静だった。
 いつもなら、その立場は逆の筈だったのに。それが妙に悔しい。

「あんた、それで勝ち誇ったつもりなの?」

「いいから質問に答えろ。そこに転がっている河原を、お前……殺したな?」

 妙に悔しくて、妙にむかついて。
 あたしは、振り向いて言ってやった。

「……そうよ、あたしが殺したの。なんか文句あんの?」

 そして気がついた。
 榎本は、とても悲しそうな顔をしていたのだ。今にも泣きそうな顔。

「……言った筈だ。俺はこのゲームには乗らないって。認めたくないって」

「だからなに? あんたなにが言いたいの?」

「それなのに、お前はもう二人も殺している。放っておいたら、お前はこれからもずっとクラスメイトを殺し続けていくん
 だろう? なら、俺はお前を止めなきゃならない」

「だからあたしを殺すって? それ、あんたのポリシーに反してない?」

 彼は黙る。その矛盾は、彼だってわかっているのだろう。
 あたしを殺せば、それで救われる生徒がいるのかもしれない。だけど、それをしてしまったら、もう彼は戻れない。


  ―― あぁ、わかった。だからあんた、そんな顔してんだ。


「答えてくれ。どうして……そんなに簡単に人を殺せるんだ?」

 不利だと悟ったのか、彼は質問を変えてきた。

「仮にもこの間までは同じ教室で一緒に勉強しあっていた関係じゃないか。……なのに、どうして?」

「別に……あたしは誰でもかれでも殺そうと思っているわけじゃないわ。ただ、たまたま河原君と北村さんが殺すべき
 対象だった、それだけのことよ」

「殺すべき、対象……?」

「そう。北村さんはわかるよね。覚醒剤の常習犯だもん。そ、あたしね、これだけは絶対に許すつもりないんだ。だか
 ら藤田さんも殺すし、佐野だって殺す。出来れば加藤も殺したいけれど、それは優勝しないと無理だから多分あたし
 には駄目かなぁ」

「お前……やっぱり復讐のために……」

「やっぱり? あんたにはわかってんの? そうやってわかってるふりしても無駄よ。他の誰があいつらを許したとして
 も、あたしは絶対に許さない。たとえ神様が許したって、あたしは絶対に認めないんだから」

 相変わらず、ベレッタの銃口はこちらを向いていた。
 逃げることはおろか、動くことも出来ずに、あたしはただ喋ることしか出来ない。それがとてももどかしくて。

「じゃあ……どうして河原を殺したんだ。あいつだって、多分……」

「多分、なによ?」

「お前と同じだ。あいつも、木下の仇を取るために……きっと、やる気になっていただろうな。目的が同じだから、お前
 とチームを組んだかもしれないのに。なのにどうして、わざわざ殺す必要があった? あいつはどうしてお前の殺人
 の対象になっちまったんだ?」

 雪が降り続いている。あたしの髪に、白い結晶がちらついていた。
あたしはただ、黙って彼を見ていた。あたしは自分のことで精一杯で、河原を見ている余裕なんてこれっぽっちもなか
った。だから河原が復讐を決意していただの、そんなことは全く知らない。興味もない。
別にこの復讐劇を誰かと一緒にやる気なんてさらさらない。あたしはあたしの力だけで成し遂げたいのだ。誰の力も
借りる気はない。

「あたしが、河原君を殺した理由、ねぇ。そうね、彼が……拳銃を持っていたから、かな」

「……なんだと?」

「あたしの武器ね、とてもじゃないけど人殺しには向かない武器だったんだ。それじゃああいつらに復讐できないじゃ
 ない。だから拳銃が欲しかった。そしたらたまたま無防備な河原君がいたから、殺した」

「なんてことを……お前は、たったそれだけの理由で河原を殺したのか」

「たったそれだけ? 充分じゃない、どんな手を使ってでもあたしは復讐を成し遂げる。そのためには、利用できる人
 間はとことん利用してやるの。ねぇ、あたし、間違ってるかな?」

 そこまで言って、気がついた。
 彼の眼は、よりいっそう悲しみを増していたのだ。それは、諦めの色だ。

「……そっか。よくわかったよ、柏木」

 そして、その瞳に力が込められていくのを。

「お前は、生かしておけない」

 なにもかもが遅すぎた。あたしは完全に反応が遅れてしまった。
 彼があたしをいつでも撃ち殺せるということを、すっかり忘れていたのだ。

 そして、彼の握る引き金に力が込められようとした、その時だった。

「……榎本、くん?」

「…………?!」

 あたしの背後から、女子の声が聴こえた。勿論その声の主は決まっている。
 二分間のインターバルが過ぎて、次の生徒が出発したのだ。そう、工藤聡美(女子三番)が。

 このチャンスを逃さない手はない。あたしは、一気に腰を低くすると、彼との間合を詰めた。下に落ちているブローニ
ングを取る暇はなかったが、制服のポケットに手を入れるくらいの余裕はあった。そう、あたしに支給された、使えな
いだろうと思っていたその武器を取り出すだけの、余裕。

「柏木……くそっ!」

背後に突然現れた工藤に完全に気を取られていた彼の目元に向けて、あたしはその武器、携帯用催涙スプレーを思
い切り噴射した。即効性のそれは、彼の目を潰すのには充分すぎるほどの威力を持っていた。

「うわぁぁ、ち……ちくしょう! 待て、柏木……待てぇぇ!!」


  パァンッ、パァンッ!


あたしはとにかく走り続けた。一刻も早く、あの男から遠ざからなければならなかったのだ。
目を潰された状態で彼は銃をこちらに向けて撃ってきていたが、当然見えない状態で撃ったって当たる筈がない。背
後で彼が怒鳴っていたが、あたしは耳も貸さずに逃げ続けた。

 とにかく、少しでも遠くへ。
 雪原に残されたあたしの足跡は、そのまま住宅街の中へと、消えていった。



 【残り20人】





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