12



 雪が降っているのに、ぼんやりと朧月が見える。そんな、不思議な、世界。
 月光は雪に反射して、淡く白い光を放っている。時刻は、午前三時半。

 誰もいない住宅街を、ただただあたしは走り続けた。
 いったいここはどこなんだろう。地図を見ようとして、荷物は全て置いてきてしまったことに気付いた。

「……ふぅ」

 落ち着け、自分。
まずは命が助かっただけでもありがたく思わないと。もしもあそこで榎本にあっさり殺されたら、洒落にならない。そう
だ、あたしには殺さなきゃならない奴がいる。その目的の為には、どんな手段だって。
武器の確保が必要だった。榎本に使った催涙スプレーは携帯用ということもあって、その量はせいぜい一回が限度
だった。河原を殺したサバイバルナイフはまだ彼のおなかの中だ。ブローニングも、榎本と工藤が回収してしまってい
るだろう。つまり、あたしはまったくの丸腰だ。
武器になるもの。コンビニかなんかが近くにあればいいのだが、この閑静な住宅街にはそんなものはないだろう。ブ
ロック塀に囲まれた閉鎖的なその道には、相変わらずしんしんと雪が降り積もっていた。歩くたびに、サクサクという
音がする。まぁ、こればかりは仕方ない。
これだけ沢山家があるのだから、どれか一軒くらい鍵の開いた家があるのではないか。そう思って二、三軒玄関まで
足を伸ばしたが、当然そのようなうまい話がある筈もなく、その扉は強固に閉ざされたままだった。家の中になら、包
丁だのロープだのがあると思うのだが。
適当に道なりに進んでいると、十字路に差し掛かった。前方は相変わらず閑静な住宅街が続いている。後方には人
影はまったくない。左の方もこれまた地味な通りになっている。右の方はというと、どうやら少し行った先に公園があ
るらしい。なんとなく、開けている場所があった。そこなら、なにか落ちているかもしれない。そう思って、歩き始めて間
もない時だ。

 誰かの、声が聴こえた。

「……そうだったの」

「うん……」

 それは女子同士の対話。あたしより先に出発した女子は三人。そのうち山本真理(女子十二番)は既に出発地点
の玄関先で殺されていたから、残された真木沙織(女子十一番)と、それから藤田 恵(女子十番)になるのだろう。
まさか真っ直ぐ歩いていたあたしを追い抜いた女子がいるとは思えない。
藤田。あたしの候補の一人。あたしは、あいつを殺さなければならない。なぜならそれは、使命なのだから。
あたしはゆっくりと、だがわざと足音を立てて公園へと近付いていく。すると気がついたのだろう、急に話し声がやみ、
再びあたりには静寂が漂っていた。
やはりそこは公園だった。あたしがそっと公園の中を覗くと、茂みの手前にちょこんと置かれたベンチに、真木と藤田
が二人並んで座っていた。じっと、こちらの様子を伺っている。特に藤田は、怯えたような眼つきであたしを見ていた。
それが妙に癪に障った。

「杏奈」

「柏木……さん」

あたしは、少しの間だけ二人と眼を合わせていると、ふぅと深呼吸して二人の下へと歩み寄った。藤田が若干震えた
が、真木は全く動じなかった。少なくとも、真木はあたしのことを信頼しているようだ。

「や、お久しぶり。なにしてんの、こんなとこで?」

あたしは、何食わぬ顔で二人に近付いた。勿論武器なんか持ってないから、丸腰の状態で。

「なにって、ちょっと恵とお喋り。ね」

「…………」

藤田は、黙って頷いている。ベンチの傍らには無造作に置かれたデイパックが二つ。藤田の側に置かれていたそれ
を、あたしは見逃さなかった。

「ねぇ、沙織。ちょっと聞きたいんだけどさ。ここ、エリアでいうと何処かわかる?」

「え? あ、地図ね。……あれ? 杏奈、荷物はどうしたの? まさか落とした?」

沙織は簡単に気付いてくれた。あたしが、デイパックを持っていないことに。
あたしは予め用意していた答えを、ぬけぬけと言った。

「あぁ……出発地点で、榎本君に銃を突きつけられちゃってね。全部取られちゃった」

「えぇ? 榎本君が? え……なに、つまり……彼、このゲームに?」

「……それはわからないけど、玄関に真理の死体があった。うん、ひどかったよ」

嘘は言ってない。だから、沙織を騙してなんかいない。
沙織は簡単に信じてくれた。それが、沙織のいいところだ。

「うそ……真理が、死んでたの?」

「うん。あの校舎の下駄箱のところに、転がってた。沙織は知らないのね?」

沙織は、大袈裟に首を縦に振る。その横で、藤田はじっとあたしの顔を見ていた。
その視線が、気に入らない。まるで、全てを見透かされているみたいで、嫌だった。

「そっか……じゃあ、村田君か榎本君が、真理を殺したってことになるんだね」

「……信じたくないけれど、きっとそうなんだろうね」

「うん。まぁ武器はもう取ってたから、奪われないだけマシだったけどね」

「武器? 支給されたやつ?」

あたしは、ポケットの中からほぼ中身が空になったそれを取り出した。
沙織に投げ渡す。沙織はそれを眺め、そして振った。音はしない筈だ。

「そ、携帯用の催涙スプレー。榎本に使っちゃったからもうほとんど残ってないけど」

「あぁ、これで彼から逃げてきたんだね」

「ねぇ、地図ない? ……そこのバッグん中?」

あたしは、首でそれを促した。沙織が、はっと気付いて言った。

「あ、うん。いーよ、見て。……あ、それとね」

「なに?」

「私の武器も教えとくね。これこれ」

そう言うと、沙織はポケットの中から小さな黒い長方形型の塊を取り出した。それがなんなのかは、一見では判断で
きなかった。

スタンガンだって。杏奈と同じ、護身道具だね」

なるほど、スタンガンか。確かに、そんなものじゃ人は殺せない。そいつはいい事を聞いた。
あたしは了承を得たので、藤田の脇に置いてあるデイパックを開けた。その上に安置されているのは、鞘に収められ
ているブッシュナイフだった。これはラッキーだった。藤田は、まだ自分の武器を確認していなかったのだろう。あたし
はそれをゆっくりと、取り出した地図の陰に隠した。

「えーと……ここは、“金成公園”だよね。てことは、G=5だ。なんだ、あまり学校から離れていない場所なんだね」

「へぇー、よく簡単に地図読めるね。私、方向音痴だから地図とかよくわからなくて……ねぇ、見せて見せて」

あたしは、ベンチの後ろ側から沙織に地図を渡した。沙織はふむふむと地図をじっくりと眺めている。完全に、こちらが
何をしようとしているか気づいていない。

 チャンスは、今しかなかった。

「……ねぇ、藤田さん」

あたしは、藤田の耳元で囁いた。藤田がびくん、と肩を震わせた。
その蒼白な顔は雪が降っているというのに汗だくで、明らかに『異常』だった。

「どんな理由があるにしろね。麻薬に染まるなんて」

 あたしは、鞘からナイフを取り出すと、一気にそれを背後から首元に当てた。


「最低だよ」


藤田の目が見開いた。その刹那。
シュ、と擦るような音がした。直後、藤田の前の白い地面が、みるみる紅く染まっていく。まるで噴水のように噴出し
ている血は、留まるところを知らなかった。やがて、藤田は力を失い、冷たい地面に伏す形となる。
隣で呑気に地図を読んでいた沙織がその事態に気づいたときには、既に藤田はぐったりと倒れていた。

「……え? め、恵! 恵?!」

慌てて地図を放り出して、既に事切れている藤田を沙織は抱きかかえた。沙織の制服も瞬く間に真っ赤な血で染ま
っていくが、全く気にしていないみたいだった。そして、沙織はあたしを震えながら見ていた。

「あ……杏奈! あんたなにやってんのよ!」

「粛清」

「……粛清?」

「藤田恵は覚醒剤の常習者だった。どんな理由があったにせよ、それは決して許されない。だから殺した、それだけ」

淡々とあたしは喋った。人を殺したというのに、自分でも驚くほどあたしは冷静だった。
沙織はそんなあたしが理解できないらしい。唇をわなわなと震わせて、あたしを見つめることしかできないようだった。

「これで残ったのは佐野進ただ一人。沙織は殺す理由がないから殺さない。さっさとどこかへ行きなさい」

そう、あたしには沙織を殺す理由がない。だから殺す必要もない。さっさとどこかへ逃げてくれたほうが、楽だった。
だが、沙織は逃げなかった。既に死亡している藤田の体を地面に置くと、ふらふらと立ち上がった。

「杏奈……私、杏奈が何を言っているのか全然わかんないよ……」

「……わからない?」

「恵が覚醒剤を使ってたから、殺したっていうの? たった、それだけの理由で?」

「それだけ……? 充分でしょ。麻薬に手を出す方が悪い」

「だって……恵は反省してた。苦しんでた。許されないって、わかってた。あのね、あれから私ね、色々と聞いたんだ
 よ。恵がどうして覚醒剤なんかに手を出してしまったのかとか、やめたいと思ったけど出来なかった話とか、全部恵
 が話してくれたんだよ。なのに……杏奈は、一切を聞かないで、殺した。そんなの、おかしいと思わない?」

涙をぽろぽろと流しながら、喚き続ける沙織。
どうしてそこまで、親友とはいえ覚醒剤の常習者なんかに肩入れできるのか、あたしには理解できなかった。

「……麻薬なんて、一回でもやってしまったらアウトなの。もう、あとは崩壊しか待ってない」

「そんなの、決まったわけじゃない! 悪いのは麻薬なの! 恵は悪くないんだから!」

罪を憎んで人を憎まず。そういえば小学校の頃、ことわざで習ったっけ。あぁ、なんて素晴らしい言葉なんだろう。こん
な状況下では、その素晴らしい言葉でさえ、ただの戯言に見えてしまうから不思議だ。
罪は憎まなければならない。それを行った人間なら尚のこと。精神的に弱かったからつけ込まれたのだ。それは本人
の責任。擁護なんて、する余地もない。

「沙織って、本当にお人よしなんだね」

「……うるさい……うるさいうるさい! 黙れこの人殺しっ!」

突然、沙織はスタンガンを構えてこちらへと突っ込んできた。

 本当に突然のことだったので。
 あたしは咄嗟に、ブッシュナイフを沙織の腹部に突き刺した。

「かっ……はぁぁ……」

沙織は目を見開いた。あたしの右手はみるみる紅く染まり、沙織の右手からは力なくスタンガンが零れ落ちた。やが
て沙織自身も力を失い、まるでそれでも藤田を庇うかのごとく、その死体の上へと折り重なった。
あたしが握り締めていたナイフは、真っ赤に染まっていた。あたしはそれを持っているのが怖くなって。


「あ……あぁぁ……!」


 殺すつもりなんかなかったのに。
 沙織を殺す必要なんか、なかったのに。

 どうして、あたしは殺してしまったんだ。


「あぁぁぁぁ……!!」


 あたしはわけがわからなくなって。
 ただ、頭を抱えて、死体達の前にへたり込むしかなかった。



  女子十番  藤田 恵
    十一番  真木 沙織  死亡



 【残り18人】





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