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「……萩野」

 俺はそっと、奴の名前を呟いた。その僅かな音の振動にも、奴はびくっと肩を震わせた。
真一文字に結んだ口。だが、その眼は明らかに動揺していた。中峰同様、何が起きたのか一度には理解できていな
いのだろう。

「萩野」

今度ははっきりと、奴の名を言う。ようやく自分が呼ばれていることに気がついたのだろう、萩野ははっとして、慌てて
構えを元に戻した。

「……村田、説明してもらおうか。なにがどうで、どうなったのかを」

「お前はどこから見ていたんだ」

萩野とまともにやりあえば、確実に俺は負ける。向こうは元バスケ部副キャプテン、体格にも恵まれている。かくいう
俺は元野球部の四番バッター、身長は大して高くはない。180センチを超える巨体に比べたら、赤子のような体格差
だ。運動神経、反射神経、動体視力、その全てが、萩野のほうが優れていると考えたっていいくらいだろう。もしも彼
が、最初から中峰や成海と手を結ばず、俺みたいに一人で狂気に走っていたのだとしたら。そう考えるだけで、ぞっと
した。だが、そうでないからこそ、俺は今ここに生きているのだ。それは紛れもなく現実。俺にだけ与えられた、強運
なのだ。
だから俺は、萩野だけは敵にまわさないようにしていた。いや、正確に言えば、萩野と菅井の二人は敵にはまわした
くなかった。あの二人が、実質このクラスの中ではトップクラスの運動神経を誇っている。今回のプログラムであの二
人が狂気に走らなかったことを、幸運に思わなくてはならないだろう。
だが、既に俺は菅井を敵にまわしてしまった。そして、なんとかその誤解(いや、別に誤解ではないのだが)をうまく
説き伏せて、なんとか殺害に成功している。だが、そんな手はこいつには通用しないだろう。こいつは菅井とは違い、
自分にとても素直な男だ。制止役がいなければ、何処までも暴走する機関車のような男。だから、今は俺がこいつを
抑えなければならない。決して、火をつけてはならないのだ。

「どこから、見てた」

「……さぁな。今しがたここに着いたばかりだ。しかしいったいこりゃなんだ? どうして中峰が死んで、城間が死んで
 いる?」

最早それがその二人の死体だとわからないくらい、その顔は原形をとどめてはいなかったが、まぁよく考えれば放送
の時点で生き残っていた女子はこの二人だけだったのだ。あとは消去法でわかるだろう。どうやら、例の一部始終は
目撃されてはいなかったらしい。

「俺が殺した。……あぁ、勘違いするな、正当防衛だ。俺がここに着いたら、城間がいてな。色々とお喋りしていたら、
 突然手榴弾で無理心中をしようとしてきた。だから殺した」

「無理心中を? ……あぁ、なるほどね。そういうことか」

くっくっく、と忍び笑いをする萩野。それがとても嫌な笑みに見えた。なるほど、とはつまり。こいつは城間とはバスケ
部でそれなりに親密な仲にはなっていたはずだ。となると、大方城間から恋の話でも聞かされていたのだろう。

「お前は、知っていたんだな。城間のこと」

「あぁ見えて結構メルヘンな奴だったからな。お前と一緒に逝くのが美徳だとでも思っていたんじゃないか?」

 違う。なにかが違う。
 お前は、いったい誰だ。いつもの萩野なら、こんな不謹慎なことは言わないだろう?

「……で、中峰はついでに殺したのか?」

「中峰? あぁ、俺が城間を殺した瞬間を見られてな。突然騒ぎ出して、俺が渡した成海のマシンガンで俺を殺そうと
 したから、ついカッとなって殺っちまった」

「ふーん、そうか」

 明らかに違う。どうすればこんな短時間に、ここまで豹変できるんだ、お前は。
 ふと、成海が死ぬ間際に俺に言い残した言葉が、脳裏を過ぎった。中峰と萩野に、気をつけろと。

「随分とあっさりしているんだな。仲間が二人も殺されたんだぞ」

 それはつまり、こういうことだったのだ。今まで、中峰と萩野の豹変を抑えていたのは紛れもなくその統率役を務め
ていた成海佑也本人だったのだ。その抑止がなくなって、そして現実を改めて突きつけられて、ようやくこいつらは目
覚めたのだろう。自分自身の、本心に。なにがしたいかに。

「で、菅井と転校生もお前が殺したのか?」

「まさか。あの銃撃戦はお前にも聴こえていただろう? 転校生は倒せなかった。なんとかあいつから逃げるだけで
 精一杯だった。そして……菅井は死んだ」

「そーか、殺せなかったか。残念だったな。お前らが殺せなかったってことは、やっぱり相当強いんだな、あいつは」

そういえば、萩野と成海も転校生と対峙していたとか言っていたんだっけ。とにもかくにも、まずはあいつを倒さないこ
とには優勝は難しいだろう。それだけは、間違いない。
だが、菅井が死んだことにも大して萩野は反応を示さなかった。背筋が、凍った。

「さて、ということは……最早グループの生き残りは俺と村田の二人だけ。完全に崩壊したな」

「……よし、萩野。ちょっと話をしようか」

 俺はどうしても知りたくなって。こいつから垣間見えた本性が、どうしても気になって。
 開けてはいけないパンドラの箱を、少しだけ覗いてみたくなって。


「お前さ……本当は優勝する気まんまんなんだろ?」


 その言葉を言った瞬間、萩野はきょとんと目を丸くしていた。
 そして、突然腹を抱えて大笑いを始めだした。俺はどうすることも出来ずに、ただ黙って見つめることしか出来ない。

「くっくっく……なんだ村田、突然なにを言うかと思えば」

「お前は本当はやる気なんだ。そうだろ? だから成海を利用した。自分では補えないものを、成海に頼った。そし
 て、武器を手に入れた。邪魔になると思える奴は容赦なく排除しようとした。お前は本当なら、この矛盾だらけの物
 語に水を注すことだって出来る立場にいた。だけどしなかった。そうやって、徐々に間接的にクラスメイトを消してい
 った、そうだろう」

 萩野は黙って聞いている。だが、その眼は笑ってはいなかった。ただ、口元だけを吊り上げていた。

「……佑也は気付いていたかもしれないけどな。まぁ、あいつのお陰で俺がここまで生き延びられたのは間違いない
 わな。ただ、あいつだって中峰だって、心の奥底では優勝を考えていることくらい、俺でもわかったよ。だからこそあ
 のグループで行動していたときは互いには干渉しなかったし、ただ純粋に生き延びることだけを考えられた。俺も純
 粋に自分だけは生き延びられるように、これでも一応考えて行動していたんだぜ」

「成海が俺に打ち明けてくれたよ。もう演じるのは疲れたって」

「あー……やっぱりバレていたか。でもま、あいつが死んだせいで中峰も壊れたんだろうしな。あとはお前が始末して
 くれて、俺的には嬉しいぜ。ま、もともと栄一郎が死んでいた時点であいつに優勝の目はなかっただろうがな」

 やっぱりだ。こいつも、『ペルソナ』の一味だったわけだ。
 萩野亮太、中峰美加、成海佑也、菅井高志、藤田恵、北村晴香、山本真理……このクラスはどうかしてるよ。
 普通だと思っていた。当たり前の日常だと思っていた。それが、プログラムで全部曝け出された。

「お前……最悪な奴だな」

「まぁお前ほどではないだろうがな。あのさ、ついでだから俺も聞くけど」

 萩野が、限界だと思われていた口元をさらに歪めた。


「お前は、もう何人殺しているんだ?」


 萩野の右手がすっと持ち上がる。グロッグ33の銃口が、こちらに向いているのを確認するや否や、俺は横へ跳ん
だ。直後銃声が鳴り響き、柱か床かに命中する音が聴こえてきた。
俺は境内の柱の陰に身を潜める。声高らかに笑う萩野が、少しだけこちらを覗きこんでいた。

「全部知ってんだよ! お前が成海を殺すのだってわかってた! だから俺はあえて黙って行かせた! そろそろあ
 いつにも消えてもらおうと思ってなぁ! そしたら案の定だ、俺は迷わずにあそこから飛び出したね! あえて遠回
 りをして、やっと集合場所に着いてみたらこの有様だ! ホント、お前って奴はわかりやすい奴だよ! あれだろ?
 菅井も殺したのはお前なんだろ? どうなんだ? え? 言ってみろよ!」

ついに狂ったか。俺は少しだけ落胆した。
結局は、あいつだって成海に制御されていた操り人形に過ぎないのだ。成海という抑止役がいなくなり、勝手に暴走
初めて自爆した、それだけだ。残念だが萩野、お前は自分に陶酔しているだけで、何もわかっちゃいない。お前は、
結局成海以下なんだよ。

 これで、七人目か。思えば随分と殺してきたものだ。
俺はもう考えることなく、ソーコムを笑っている萩野に向けて構えた。瞬間、反射的に萩野は銃を乱射してくるが、標
準の定まっていないそれは、全く見当はずれな場所へと飛んでいく。冷静じゃないお前なんか、怖くはないよ。そりゃ
確かにバスケの試合は激しく燃えていたほうがいいだろう。だが、ピストルの弾はバスケの玉よりも断然小さいんだ
な、残念なことに。
俺は引き金を二回引いた。吐き出された鉛の弾は、一発目が萩野の右手に命中し、握っていたグロッグを弾き飛ば
した。二発目が、今度はふとももに当たり、萩野を跪かせる結果となる。

「ぐっ、がぁぁああっ!」

「萩野、お前の負けだよ。お前がいくら自慢したからって、それで俺に勝てるわけじゃない」

「ふっ、ふざけるなっ! 俺は強い! 俺が優勝するべきなんだ!」

生き残っている左手でグロッグを掴もうとするそれを、俺は三発目で抑えた。両腕が使えなくなった萩野には、もうバ
スケなんて出来ないだろう。まぁ、そもそもここにはコートもゴールもボールもないのだが。

「……なぁ萩野。お前は成海には勝てないんだよ。どうしてだかわかるか?」

「うっ……うっ……うあああああっ!」

両腕を封じられ、片足をも使えなくなったというのに、萩野は最期の力で俺を押し倒そうとしてきた。しかしそれも、四
発目の弾によって抑えられてしまう。その弾は、完璧に彼の命をもぎ取っていた。
今度こそ動かなくなって地面に突っ伏したその死体を、俺はつま先でつつく。どうも癖になってしまったらしい。

「……お前は、人を殺していない。だから弱いんだよ」

 人を直接殺していない人間には、その苦しみは決してわからない。
 だからこそ、成海は苦悩し、あそこまで強くなれたのだ。

 姑息な手で環境だけで殺人をしていたお前には、決してわからないだろうがな。


 しかしまぁ、そういう点ではお前も……強運の持ち主だったのかもしれない。


  男子十番  萩野 亮太  死亡



 【残り4人】





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