20.約束を果たすとき


 4月17日、河田中学校跡地。
 昨日の快晴とは裏腹に、今日の天気は雨模様だ。

 男は、立入禁止と書かれた看板を無視して、のそりと敷地内へ入る。特に施錠されているわけでもないから、誰でも容易に侵入することは可能だ。
つい一昨日の朝までは、生徒たちで賑わっていたこの建物も、今ではすっかりと風変りな廃墟に成り果てた。来月からはさっそく解体工事が始まり、早ければ年末にはここは都市が計画した道路へと変わる。生徒たちの賑わいから、都会の喧騒へと移り変わるのだ。

ここで、3年A組の生徒24名が殺し合いをした。
昨日の夜の地元のニュース番組で、早くもこの試合結果の特番が組まれていた。優勝した生徒の名前こそ公開はされなかったが、自分には、その情報は入ってきた。もちろん、優勝した彼が、誰をどのような方法で殺害したのか、その時系列もすべて、詳細にだ。

 男は傘を差しながら、校舎の周りをぐるりと一周した。元放送室のあたりが、粉々に砕け散っている。昔はよくここから、全校朝礼の景色をのんびりと眺めたものだ。校長の長い話を退屈そうに立ちながら聞く生徒たちを、この放送室の椅子に座ってのんびりと聞き流すだけの、そんな優雅な日々も送った。その思い出の場所は、もう残されてはいないのかと、少しだけ憂いを帯びた表情で、佇む。この時期の雨は、まだ少し肌寒い。
ここから校舎の中へと入ってもよかったが、もう少しだけ外を周ろうと思った。やがて、校門付近の床にうっすらと残る、紅い染みに気が付く。そう、ここは戦場。今日の雨で少しは洗い流されればいいが、ここで、まだ15歳にも満たない若い命がいくつも散ったという事実は、こうして傷痕としてまだ残されている。校門だけでなく、水飲み場あたりにも染みは残されていた。もちろん、染みを生み出した張本人たちは、国の用意した特殊清掃員辺りが既に合同葬儀会場へと運んでしまったのだろう。日取りは確か、今夜だったはずだ。家に戻ったら、礼服でも探してやらないとな。

体育館。今回の戦いで、一番の被害を受けたのは間違いなくこの施設だ。倒壊した建物は、屋上部分が微妙に傾いで、今もなお、辺りを他の場所よりも一掃水浸しにしている。屋上にあるプールの水が、一気に溢れ出てしまったのだろう。当時、ガスや電気の供給は止められていて、ボイラーが稼働していなかったおかげで、なんとか火事だけは避けられたらしい。だが、それでもこの倒壊具合は、普通の解体工事に比べたら余程手間暇がかかるのではないかと思われた。
この場所に関しては、完全に瓦礫を撤去しない限りは掘り起こすのは不可能だ。もしかすると、この中には、まだ発見されていない生徒の死体が、眠っているのかもしれない。だが、これをたかが人ひとりで除去しつつ、遺体を探すなんて芸当ができるわけないし、下手をすればさらに倒壊した瓦礫の下敷きになって、死ぬ必要のない自分まで巻き添えになってしまう可能性は非常に高い。それだけは、嫌でも避けたかった。

 倒壊した体育館の脇から、校舎の中へと侵入する。そのまま脇にある階段で、一気に4階まで上がった。途中で、既に踊り場やら手摺やらに紅い染みはいくつも見かけた。戦いの痕跡は、校舎の中にもしっかりと残されていた。臭いだけは風化していたが、それでも、見ているだけで痛々しい。
傘を畳み、ゆっくりと歩を進める。この校舎にはもう敵はいない。誰かが突然襲い掛かってくることもない。試合中とは、わけが違うのだ。
視聴覚室と書かれた扉を開け、中に入る。すべては、ここから始まった。ここで24名の生徒は眠らされて、そして試合の開始を迎えた。ここにも、紅い染みはうっすらと残っている。試合を始めることすら叶わなかった生徒は2人いたと聞かされている。なるほど、既にこの教室でも、戦いは起きていたのか。

3階や2階の廊下にも、紅い染みは残されていた。教室の中も、一部屋ずつ確認する。多目的室や、トイレの個室、教室と、随所で戦った跡が残されている。中には、床が殴られたように抉られている箇所や、まだ壁に銃弾がめり込んでいる箇所もあった。これも、校舎を解体する時に一緒に片付けられてしまうのだろう。こうして、生徒たちが戦った証拠は、すべてなくなってしまう。デジカメでも持って来ればよかっただろうか。しかしそれでも、撮影する気にはなれなかった。
1階は戦闘が多かったのか、紅い染みはこれまでよりも断然多かった。職員室はそこまで荒らされた形跡もなく、先生方の資料もそのまま残されていた。これも来週には残存資料の回収と称して、新しい赴任先が決まっている先生が引っ越しの準備にやってくるはずだ。
中でも保健室の紅さは群を抜いていた。もともと白を基調とした部屋だったから、なおさら紅さは目立っている。その生々しさは、試合を終えた今でも、くっきりと残されていた。
そして、校長室。すべての決着がついた、この場所の扉を開ける。

 ゆったりとした応接ソファに、深々と腰かけて目を瞑っている者がいた。
 私の存在に気が付いたのか、その少年は、ゆっくりと目を開ける。その瞳は、穏やかだ。

「しばらくぶり、というわけでもないか」

 私は少年に話しかける。なんとなく、ここで会うような気は、していた。
 少年は、じっくりと瞳をこちらに向け、笑った。


「お待ちしてましたよ、溝部先生」


   *  *  *

 波崎蓮(千葉県水沢市立河田中学校3年A組16番)は、校長室のゆったりとした応接ソファに、深々と座っていた。今の時間は朝の7時30分、すぐ外の道を、足取りの重そうなスーツ姿の男や、新卒の社会人一年生だろうか、まだリクルートスーツ姿の女性が、ぱらぱらと駅へ続く道を歩いている。
今日も、いつもと変わらない平日が始まり、いつもと変わらない日々を過ごす人たちが、いる。その世界から、少しだけ離れてしまった空間に、自分はいた。

元担任の溝部は、傘を床に横にして、自分の対面に同じく深々と座った。コンビニの袋から、缶コーヒーを2本出して、応接机の上に並べる。差し入れのようだった。

「約束しただろう、缶コーヒーを奢るって。遅くなってすまなかったな」

あの日の朝、出席を取ることと視聴覚室への移動を依頼された報酬で、自分がつい調子に乗ってお願いした缶コーヒー。こういうところを律儀に守るところは、義理堅い教師だった。
せっかくだから、未開封の微糖のコーヒーを開けて、一口含む。えらく、美味しく感じた。

「びっくりしましたよ、いきなり携帯に先生からメールが来るんですもん。僕、一応入院中の身なんですからね。抜け出すのにすごく苦労したんですよ」
「はは、悪かったね。でもまぁ、人目を忍んで会うには、この場所が最適かと思ってね。ほら、来月にはここも取り壊しが始まるから、最後くらいはここで可愛い教え子と対面したいじゃないか」
「ムチャクチャだ」

辺りをきょろきょろと見廻す溝部。知っている。もう、あらかた戦闘実験の舞台となったこの校舎は見廻ってきたのだろう。つまりは、見ているはずだ。自分たちが戦ってきた舞台と、そしてその傷跡を。

「あの加納って男から聞いたよ。なんでも大活躍だったらしいじゃないか」
「……まぁ」
「気分を害したのならすまない。ただ、まぁ。おまえらの担任として、な。先生だって拒否権なんてものはさすがにない。黙って教え子たちが戦うのを、見守るというか、結果を待つしかできなかったんだ」

当然だ。溝部にだって、戦闘実験を拒否することはできない。この国に逆らうことは、つまり粛清、死を意味するほかならない。

「全部、知っているんですよね?」
「知ってるよ。先生の残した資料を活用したことも」

資料。
あの時、マスターキーを印刷室横のキーボックスから拝借したついでに、溝部先生の机も念のため漁った時にたまたま見つけた、資料。ご丁寧にも一番上の引き出しに、他の資料を全部別の場所に移動したうえで、それだけしっかりと見つけられるように細工してあった、生徒支給武器一覧

「あれ、よかったんですか?」
「まぁ、生徒に見せるなとも持ち帰って処分しろとも言われなかったからね。そこは加納さんだって責めることはできないよ。私はたまたま自分の机にしまって、たまたまそのまま校舎を後にしたに過ぎないのだから。まさか、先生の机の中を戦闘実験中に調べる生徒なんていないと思った、てことだな」

なかなかの狸っぷりに、思わず苦笑いが出る。
こういう笑いなら、すぐにでもリハビリで治るだろうに。

「戦術としては、見事だったと思うぞ。マスターキーの存在を知っているのは放送部の連中くらいだと思うし、さらに先生の引き出しを粗探しするような奴は、少なくとも今の教え子の中では一人くらいしか思いつかなかったね」
「……僕のことですか」
「まぁな。でも、その結果、君は立派に最後まで勝ち残った。そして、今、先生とこうして話をしてくれている。嬉しいことだよ。統計的には、優勝した中学生の半数は精神面に異常が見られて、しばらくは面会も難しくなるって話だからね」

突然日常生活から、親しいクラスメイトとの殺し合いを強要されて、それでいて精神面に支障が出ない生徒の方が珍しいだろう。

「僕も、さすがにそのままってわけじゃないですよ。全然、笑えないです」
「そんなの当然だ。先生だって、普通の生活を送っていてもストレスで食欲がなくなったりすることは当然ある。むしろ、変わらない方がおかしい。君は、それでいいんだよ。きっと、いつかはよくなるから」
「……そういうもんですかね」
「むしろ安心したよ。君は、まぎれもなく人間だ。心が傷つくし、楽しくありたいとも思っている。感情をなくした人形じゃないんだよ。でなかったら、そもそも私の誘いなんか無視して、こんなところには来ないだろう?」

 溝部は、最後まで僕の教師であろうとした。
 そして、立派に教師となっていた。

 君は、まぎれもなく人間だ。
 改めて言われると、少しだけ、恥ずかしい気もする。

 ただの殺人鬼、ジェノサイダーだと思っていた自分。それでも、人間なんだ。

 過ちもする、許されないようなこともしてきた。だけど、きっといつか許される。
 それがいつかはわからないけど。でも、人間だから、変わられる。人間だから、成長できる。

 前へ、進める。


 空っぽになった缶コーヒーを、応接机へと戻す。

「先生。僕は、この先どうなりますかね」
「知らんよ。君次第だろう? まぁ、とにかくやってみることだ。前に進むしか、ないだろう?」
「……それも、そうですね」

 溝部も、缶コーヒーを応接机に戻した。
 そして、大きく伸びをして、立ち上がる。

「波崎。お前、少し遠いところに転校するんだってな」
「……えぇ、父親の意識が戻りまして、その療養も兼ねて」
「そっか。この街とはもうお別れか。まぁ、居づらいだろうしな」
「そうですね。今日のクラスメイトの合同葬儀も、参加はやめておきます」
「それがいい。君は今、なにをしても悪としかみなされない。今は黙って、耐えるしかない。……つらいな」
「まぁ、自分がしてきたことですから。仕方ありません」

 今は、耐えよう。
 きっといつか、返り咲くときはきっと来る。その時はまた、別のアプローチで。

 きっと自分から離れていく人もたくさんいるだろう。
 だけどそれでも、自分を理解してくれる人がいて。そして、受け入れてくれる人がいるなら。

 その時は、きちんとその期待に応えなくちゃいけない。 
 それが、自分の、生きる、意味なのだから。


 結局、自分のしたことは正しかったのか。正しくなかったのか。
 そんなことは、今の段階ではわからない。わからなくて、当然だ。

 わからないからこそ、答えを見つけようとする。だけど、見つけちゃいけない答えもあるだろうし、知らない方がいいことも、たくさんある。わざわざパンドラの箱を開ける必要も、ないだろう。
自分は、今、ここに在る。その事実だけで、いいんだ。

「どうする? もう少し、ここに残るか?」

 溝部が、訪ねてくる。
 僕は、立ち上がった。

「いえ、僕も、いきます。またいつか、戻ってこれから、その時はよろしくお願いします」

 溝部は、薄く笑った。
 僕も、笑った。


「よし、その心意気だ」


 外は、相変わらずの雨模様だ。
 しばらくは、やみそうもない。


 いつの日か、リベンジ。

 その時が、来るまで。僕は。


 生き続ける。


【process.5 終了/完】