トゥルルルル……



 10月半ば過ぎ、小さなマンションの一室。
 電話が、鳴っていた。


 風呂上りだったのだろう。一人の女性がバスタオルを体に巻きつけたまま、いそいそと受話器を持ち上げた。

「はい、もしもし」

幸い電話は子機も備わっていたので、女性はそれを握ったまま、再び脱衣所のほうへ歩いていった。
そこには勿論着替えが置いてあったし、女性も湯冷めする事を恐れたのだろう、着替えながら器用に電話で話してい
た。

「うん、うん……あ、そうかぁ。ついにできたのねぇ、おめでとう。……で、やっぱり相手は彼なのね?」

下着を身に着け、上着とスカートを着て、そそくさとリビングの方へ移動する。そこに用意されていた皮製のソファに、
女性は深々と座り込んだ。
半ばねっころがるような姿勢で、続けて話す。

「冗談よ。ふぅん、やっぱりね。蒔田君もまだまだ捨てた物じゃないわねぇ。で、どうするの、次のプログラム?」

その女性、道澤 静は、政府関係者の中でも今では有名な地位に上り詰めていた。
通称プログラムという名を持つ正式名称戦闘実験第68番プログラムの担当教官を務めていた彼女は、担当教官とし
ては珍しい成績をたたき出していた。
何が珍しいかというと、誰も殺さないのだ。数多くの担当教官は、必ずといっていいほど見せしめに騒ぎ出した生徒を
何らかの方法で殺害している。例えばそれはナイフなど、身近な刃物で殺害する事もあれば、手っ取り早く愛用の銃
を取り出して射殺する事も多い。あるいは政府謹製の爆弾入りの首輪の性能を、他の生徒に見せしめる為に爆発さ
せる教官も少なくない。
もっとも、実験参加に反対したクラスの担任の死体でも晒しだせば、大抵の生徒はおとなしくなってしまうのだが。

「あら、そう。いいわ、私が代わりにやってあげる。……いや、いいのよ。頑張って赤ん坊生みなさい。産休とってさ」

しかし中には物分りのいい教師もいる。そういう場合、生徒はいまいちプログラムに巻き込まれたという実感が無い
まま戦闘を始める。そうなると、簡単には戦闘実験は進行しない。従って、ある程度の恐怖心を植え付けておく事が
大切なのだ。例えばそれは洗脳という手もあるし、生徒を殺してしまう方法もある。
だが、彼女は違った。冷静な判断力、どのようにすれば生徒は現実を凝視してくれるか、全て感覚でわかっていた。
加えて、彼女はもともと少し吊り目がちで、一度睨まれると恐ろしいほどに体が竦んでしまうのだ。容姿風貌はいいも
のの、下手をしたら噛まれる。通称“毒蛇”、これがこの10年間の間に彼女につけられた、あだ名だった。

「でさ、今日説明会だったんでしょ、増美。どんなクラスなの?」

そんな彼女の一年後輩の教官、それが門並増美であった。いや、今は結婚したから蒔田増美であるが、そんなこと
はどうでもよかった。彼女は何故プログラムの担当教官なんかになったのか、それはずばり、一種の敵討ちだった。

 1999年第42号プログラム。その対象クラスの中に、増美の妹、麗がいた。麗の記録は素晴らしいものだった。殺
害数は7人、容赦なくクラスメイトを、まるで吹っ切ったかのように殺害していった。だが、そんな彼女も、その年のキ
ルスコアNo.1の生徒、外都川一には敵わなかったのだ。彼の殺害数は、24人。申し分なかった。
だから彼女はこのゲームを理解すべく、担当教官となった。妹が経験した事を感じ取る為か、まるで罪を償うかのよう
に一生懸命頑張っていた。もっとも、最初のプログラムでは妹の仇の弟が骨折していた為、怨恨で殺害し、結局出発
前に3人の生徒を殺してしまったのは流石にどうかと思い、しかったのだが。

「……なんだって? 68人もいるの?」

その増美が、信じられない事を口にした。今度の対象クラス、東京都のある学校の生徒数が、なんと68人もいるとい
うのだ。異常な数だった。今まで、こんな大所帯を受け持った事など、勿論無い。
政府が数十年前に、少子化対策として打ち出した法案。その影響が人口の多い首都東京では凄まじい事になってし
まったのだろう、丁度第3次ベビーブームの世代なのかもしれないが……とにかく凄かった。たしかに今年のデータ
では、以前担当した島根県でのプログラムの人数12人に対し、今年の島根県は46人もいたし、青森の方でも30名
は軽々越えていた。
とにかく、東京は異常なのだ。つい最近まで廃校が問題になっていたのに、今では学校が足りないなどとマスコミが
騒ぎ出している。もしかすると一学年500人は既に当たり前なのだろうか?

「でも、そんなにいたんじゃ時間がかかりそうねぇ……トトカルチョで上位に上がった生徒は?」

そういうときに重要なのは、トトカルチョ、いわゆる賭博で上位にランクインした生徒に注目しておかなければならない
ということだ。これだけの生徒を一度に見守るのは難しい。これだけいるのだから、大概は並外れの能力を持った生
徒もいるのだろう、そういった生徒は、必ずといっていいほど順位は上なのだ。
もっとも、自分は賭け事などは大の苦手だったし、むしろ嫌いだったから、そんな催し物に参加した覚えなど一回も無
いのだけれども。

「1位が……男子8番 唐津洋介ね。全ての面において優秀、勉学は学年トップ、運動神経もいい、か。臨機応変な
タイプなのね、きっと。わかるわね」

 通常プログラムで優勝する為には、剛よりも柔が必要とされている。ここで言う剛とは力でとにかく相手を押し倒す
方法、柔とは相手の流れにあえて逆らわず、むしろそれを利用して攻撃する方法を指す。比較的臨機応変なタイプ
は、頭がいい事が絶対条件、そしてそれに似合うだけの動作ができる運動神経も必要となってくる。

「2位は、同じタイプね。女子18番の長谷美奈子。いわゆるギャル系のリーダー格で、女子の中では一番俊足。ま
ぁ、性格の面でも大丈夫なわけか。3位の男子32番 望月道弘も男子不良系のグループのリーダー格で、なるほ
ど。結構いい感じのメンツが揃っているのね」

また、グループにしろ何にしろリーダー格は統率力がある。それは頭がよくなければならないわけだし、臨機応変さも
なければとてもリーダーなどに納まることなど不可能なのだ。さらに重要なのがゲームに乗るという性格。いくらなん
でもやる事は人殺しだ。並大抵の覚悟だけでは駄目だろう。勿論、精神崩壊を起こした生徒は並以下でも平気だ
が、過去にそのような生徒が優勝したという記録は全く無い。

「4位は女子11番 辻 正美、剣道部で地域大会準優勝の成績か。5位の男子1番 秋吉快斗は居合道で有段者
なのね。体育界系もトップクラスなのか、さてはそのクラス、あまり目立った人がいないのね?」

次に重要なのは、運動部である。殊更プログラムでは体力を消費する。運動部は総じて体力が高めの傾向にあるか
ら、とにかく一般生徒よりも疲れない。とくに戦闘能力の高めなクラブに入っているものは、武器によっては最強にな
りうることもあるのだ。

「6位が男子7番の粕谷 司ね、唐津をライバル視するも、いつも僅差で及ばず、か。7位は委員長を務めている女子
21番の保坂直美、ふんふん。8位がパソコンオタクの女子23番 米原秋奈……と、この辺か」

ライバル視しているものは、努力家だ。なんに対しても必至にやり遂げる精神があるのはいい。それに1位の唐津と
常に僅差という事は、運動神経のほうもいいのだろう。意外とこういう人物は生き残る。それから次に頭脳派。頭がい
いというよりも、委員長として健在という事は人徳があるということだ。本人がもしもやる気であったのなら、人徳を利
用して罠にはめる事などたやすくなっている。それから近年注目されてきているのがパソコンオタクだ。あの人種、ど
うも理解しがたいのだが一つの事にかけては素晴らしく長けている事が多い。勉学の方もなかなかいいらしいし、こ
の順位は納得できるものだった。

「ま、こんなところね。あとはあまりでてこなかった? あーそう、わかった。じゃあ、詳しい事は私から理事長に伝え
ておくから、絶対に安静にしてなさいよ。わかったね? ……へ? 蒔田君が教官補佐? わかったわよ、適当にか
らかっておいてあげる。……あー嘘嘘。すーぐひっかかるんだからぁ。じゃあ、お大事にね」

別れの言葉と共に、電源ボタンを押す。体を起こそうとして、ちょっと長めの髪の毛がソファに絡まっていた事に気付き
再び倒れこむ。頭皮が少し引っ張られて痛かった。

久々の担当教官、それも68人と大所帯だ。精一杯、努めよう。


そう思いながら、相変わらず引っ張ってもとれない髪の毛を、静は懸命に外す作業をしていた。





   【残り68人】



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