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 森 彩子という生徒は、不思議な少女だった。
 そう、それは普段からあまり話したことのない恵美でも、はっきりとわかるくらい。

「ねぇ、湾条さん。これって……さ、夢なのかな?」

彩子は、妄想癖が凄かった。噂によると、ある時彩子は有名なオンラインゲームソフトなるものを買ったらしい。それ
は大東亜ネットの中でも有名なソフトウェアらしく、自分自身がリアルタイムで他のプレイヤーと仲良くなれるという、
冒険物のソフトだそうで。
勿論恵美にはそのゲームの何処がいいのかわからなかった。だが、確実に彩子が不思議ちゃんになっていったのは
その頃だということはわかった。
どうも徹夜でゲームをすることが多くなったらしく、授業中に居眠りをすることが多くなった彩子。出席番号が近いこと
もあって、そんな彩子の姿は鮮明だった。さらには、時折意味不明な言葉を呟いたりもしていた。自分を何かと勘違
いしているらしく、それから彩子の妄想癖というイメージは定着した。
ある時、恵美は自宅のテレビで、あるニュースを見た。それはオンラインゲームについて特集を組んだ番組で、現実と
ゲームの世界がごちゃごちゃになってどちらが本物かわからなくなってしまった少年Aについて編集されていた。そし
てオンラインゲームをするにあたっての注意点や、これが原因で学校に来なくなってしまったという本当に人間性を疑
うような子供まで追いかけるといったものが、最後に流されていたという記憶がある。
もしかすると、彩子もそうなのかもしれない。もっとも、彩子は皆勤賞だったし、居眠りや意味不明な言動が多くなった
だけで、そんなにおかしいとは思うことはなかった。だけど、やはり、どこか人と違う一面が、時折垣間見れた。

 それはおそらくそうだったのだろう。

 不安は、的中した。

「これ……夢だよね。きっと、夢だよね。何かの、間違いだよね」



 現実が見えていない。

 信じなくてはならない現実。それが信じられない。きっと何かの夢だ。



 まさしく、自分の操る画面の中のプレイヤー。



「夢じゃない。これは、現実。私達は、殺し合いをさせられてるの」

「うふふ……冗談でしょ? だって、まだイベントは発生しないはずじゃない……キーがないよ!」



 イベント? キー?

 なんだそりゃ?



「彩子……ゴメン。何言ってんのか理解できない」

「殺しあうというイベント。そうね……このシーンから脱出する為には、誰かを殺さなきゃ駄目なのね……」

「何言ってんの?! これは現実、ゲームの世界なんかじゃないんだよ!!」

「うるさいザコ敵ね……、ちょうどいいわ。経験値だけ貰っていく」

そう言うや否や、彩子は手に持っていたデザインカッターを振りかぶってきた。
正直、彩子の話にはついていけなかった。何を言っているのか理解できないし、理解したくもない。だけど、自分は死
ぬわけにはいかなかったから、なんとかして説得しなくてはならない。

 さて……果たして、説得できるのだろうか。

彩子の振るったカッター。恵美は咄嗟に肩から吊っていたデイパックを前に差し出した。それは勢いよく振り落とされ
たカッターと正面からぶつかり、そして袋が裂ける音がした。そりゃそうだ。デザインカッターは彫刻用としても使用で
きる、まさしくアートの為の鋭い刃物なのだから。
デイパックの中身がぼとぼとと音を立てて落ちる。それを見て、恵美はぞっとした。
並じゃない、この切れ味は。このいかにも丈夫な繊維で出来ているデイパックを、一瞬で断ち切ってしまう。もしもこれ
が自分の体に突き刺さっていたら。そう考えると、ぞっとした。

 それは、死への恐怖。


 彩子が今も尚握り締めているデザインカッターが怖い。

 その血走った逝っている2つの眼球が怖い。



 そして、死が怖い。





 死ねない。

 快斗に会うまでは、あたしは、死ねない。



「あたしは……」

「しぶとい敵ね! さっさとくたばれ、ひゃはは!」

「あ……あたしは……!」

 狂気の人物を前に、呆然と佇む恵美。

その恵美が、唐突に地面にしゃがんだ。次の瞬間、恵美がいた部分を、鋭い刃が薙ぎ払った。だがその間に、恵美
は千切れたデイパックから転がり出ている、護身用として持ってきた包丁、そう、快斗が福本五月(女子19番)を殺
害したそれをぐっと握り締めた。

「ひゃははは! 死ね、死ねぇぇ〜!」



 そして。



「あたしは……絶対に死ねない!!」

ズブリと、鈍い音を立てて刃が体に突き刺さる。確実にそれは胸の辺りに刺さっていて、だがまだ押し込み続けた。
ぐりぐりと抉るように、そして、刃は体を貫通して、背中の方へ突き出た。顔を上げると、そこには。
がはっ、と激しく彩子が咳き込んだ。その口からは血が流れている。咳き込んで、同時に出てきた血が恵美に降りか
かったが、それでも恵美は執拗に包丁を抉りこませた。

「あ……ああ…………!」

そのなんとも言えない、苦痛の雄叫びが、森 彩子という生徒の最期の言葉となった。
右手で振りかぶっていたデザインカッターが滑り落ちる。数秒後、体は力を失い、そしてゆっくりと崩れ落ちた。






 ふと我に返ると、そこには一つの死体があった。
包丁が心臓部分に突き刺さっていて、柄の部分も半分めり込んでいた。刃は背中から突き出ていて、その口からは
大量の紅い血が流れ出ている。

そして、鮮血で染まっている自分の両手。



唐突に胸の奥から込み上げてくる吐き気。
それは何度も何度も襲い掛かってきて、そしてその度に、彩子の死体に胃の中身をぶちまけた。だがやがてそれも
なくなり、あとにはつんとした胃液の嫌な匂いが残るのみだった。
恵美はその場に跪くと、彩子の支給武器であるデザインカッターを拾い上げた。そして彩子の持っていたデイパックの
中に荷物を移すと、それを担ぎ上げて、歩き始めた。



「絶対、快斗に会うんだ―― 」



 そして……今ここに、一人の毅い女が、誕生した。





 女子30番 森 彩子  死亡







   【残り46人】



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