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 それは、見てはいけなかったもの。
 決して覗いてはならない、パンドラの箱。


 利島千春(女子12番)は、半ば逃げるように走っていた。幸い走っている場所はアスファルトの上だったので、然し
たる音も出さずに逃げることが出来た。
そう、銃声に引き寄せられるように、ふらふらと小学校の近くまで行ったのがいけなかった。家の壁に身を隠しながら
そっと覗いたあの光景。遠くて誰かまでは確認できなかったが、男子だということは理解できた。その男子が、女子
に容赦なく撃ち殺されるその瞬間を、ばっちりとこの目は捉えてしまったのだ。
悲鳴をあげないように、両手で口を塞いだ。だが逆に、絶句した。今まで見かけておきながらやり過ごしたクラスメイト
はかなりいたが、その中でも初めてだった。本当に、殺し合いが行われているシーンを見るのは。

千春は、引っ込み思案だった。自分の意見を、上手く伝えることが出来なかった。だからいつも授業中に突然答えを
聞かれても、頭が空回りして上手く答えることができなかった。
そんな千春を、ソフトボール部に誘ってくれたのは曽根美鈴(女子9番)だった。確かに自分の意見を伝えるのが下手
でも、ソフトボールならプレイで伝えることが出来た。いつしか、ソフトボールは千春の唯一自分が曝け出せる場所と
なっていたのだ(まぁ、良い肩を持っているといわれたけれど、その分悪送球が多くて結局ベンチ入りだったが)。

美鈴に会いたい。きっと美鈴なら、自分のこの怖くてたまらない気持ちを理解してくれる。
だから、同じ部だった牧野涼子(女子24番)に会ったって声を掛けることはしなかったし、またもう一人、辻 正美(女
子11番)も見かけたけど、怖かったからその場でじっとしてやり過ごしたのだ。
一度美鈴に会うと決めたら、今度はなかなか他のクラスメイトに合流を持ちかけることは出来なくなった。中学校の玄
関で死んでいた坂本理沙(女子7番)や、噴水で溺死していた橋本康子(女子17番)の死体等を含めれば、全部で9
人に遭遇していることになる。随分とチャンスを逃したことになるのかはたまた。
とにかく、千春は美鈴を探していた。人がいるとわかったらそこには極力様子を見に行っていたし(但し、爆発音の時
は怖くて見にいけなかった。行くのは銃声がしたときだけだ)、いないとわかったら早々に引き上げた。
実はもう既に美鈴はこの世にはいなかったのだが、千春はその事実を知らないし、また爆発のあった場所には行か
ないと決め付けている以上、絶対に彼女の死体を見つけることは不可能といえた。

大分走った。もともと持久力はあるほうだ。振り返っても、もうあの集団は見えない。
今頃はどうなっているだろうか。あれ以降銃声はしていないから、もしかすると合流したのかもしれない。人殺しと? 
いや、多分グルだったのだろう。それなら納得できる。
街道の終わりまで来てしまったらしい。道が途切れていたが、また向こう側には家が見えていた。どうしようか、あそ
こまで行ってみようか。でも、あっちの方には最初の頃、爆発があったはずだ。
だが、随分と前の話であるし、もう流石に大丈夫だろうと高をくくり、道なき道を、千春は歩き始めた。
その時だ。

「利島さん……だよね?」

誰もいなかった筈の背後から、人の声がした。はっと気が付いて振り返ると、そこには長谷美奈子(女子18番)が体
一つで立っていた。デイパックは何処にも見当たらない。それに何処にいたのだ?
と、街道が途切れているところに、一軒家があったのを思い出した。多分、長谷はそこに隠れていたのだ。そして、多
分自分の姿を確認する為に、出てきたということだろう。

「その家に、居たの?」

「うん、そうだよ。利島さんはどうしたの? 特別ルールが試行されたから、誰か獲物を探してるの?」

どうやら、思っていることは長谷は大分違っているらしかった。
特別ルール、勿論知っている。自分は誰も殺していなかったから、4時間後の正午にはこの首輪が爆発することにな
っているのだ。それは怖いといえば怖かったけれども、なに、どうせ早いか遅いかの問題だ。別に誰かを殺したとして
も、自分が正午まで生きていられるという保証も無い。
だが、長谷は。もしかして、自分を殺す為に、わざわざ家から出てきたというのだろうか。

「特別ルール? あぁ……あれか。いいや、誰も殺すつもりは無いよ。殺したって、生きてられるかどうかはわからな
いしね」

頭の中でそんなことを考えながら、そっとそう言った。なるべく、刺激しないように。
すると、なんだ。長谷が、笑い始めたのだ。

「何がおかしい?」

「いや、だってさ。これは殺し合いがルールなんだよ? なのに殺しあう気はないって……変じゃない」

くすくすと笑っている長谷を見て、直感的にやばいと思った。逃げなければならないと思った。
だが、足が竦んでいた。目の前にいる狂人を見たら、体が硬直してしまった。お前はメデューサか。

「でもね、あたしはやる気だからぁ、悪いけど、死んでもらいまーす」

その笑みを一掃深めて、いつもの悪魔の笑顔に変わった。そうだ、彼女はいつも、あくどい事を考えるときにああいっ
た顔をしていた。さも、楽しそうに。
そこで初めて、思い出した。長谷は不良なのだと。朝見由美(女子1番)や成田玲子(女子13番)と、いつも一緒につ
るんでいたのだと。

「ねぇ、利島さん。利島さんは、どうだった?」

「……え?」

一歩ずつ近付いてくる長谷。自分の顔が強張っているのがわかった。

「どうだった? 人生、楽しかった?」

「な……何を、言ってるの??」

長谷が、スカートに差していた折畳式ナイフを抜き出した。チャキッ、と刃を出す音が、閑散としたこの場に響く。
後退りをしようとして、草の根に足をとられ、後ろ向きに転倒してしまった。それをチャンスと見たのか、長谷が一気に
刃をこちらへ向けて繰り出してきた。
そして、何も出来ないまま、ズブリと、刃が吸い込まれるように自分の胸元に刺さっていた。

「あたしはね……」

「長谷…………さん……」

不思議な光景だった。
自分の胸にナイフが衝き立てられているのに、それを冷静に捉えている自分がいた。
体が急激に熱くなって、だけど一方で体が冷え切っている、不思議な感触を呑み込んでいる自分がいた。
そして、長谷がナイフを握ったまま、耳元でささやく。

「あたしは、楽しくなかったよ」

そう言うと、一気にナイフを抜いた。血が、あふれ出す。
不思議と、痛みは感じなかった。いや、もう痛みを感じる神経がいかれてしまったのかもしれない。


 ただ、薄れ行く意識の中で、自分は思った。

 ああ、私は殺されたんだ。
 やっぱり、運命の時まで生きるなんて、無理だったんだ、と。




  女子12番  利島 千春  死亡



   【残り34人 / 爆破対象者24人】



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