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 青い空、白い雲。
まるで恋愛物語か何かのようなシチュエーションの中で、恋愛とはおおよそ無関係な出来事が繰り広げられているこ
の島で、また一つ、儚く散ろうとしている命があった。

「お前……こんなとこで何してんだよ」

司は、目の前で放心したように寝転がっている小沢拓史に向けて、そう言った。

信じられなかった。
一体、この男は、何を考えてこのような行為をしているのか。
それは戦闘放棄であり、そして無防備であった。何か抵抗をするわけでもなく、また何か行動を起こそうというわけで
もなく、ただ単に生きる、その行為をどぶに捨てた行為であった。

 小沢拓史。出席番号で唐津と同じく連続しているもう一人の男。もともと色素が少なく生まれてきたらしく、その髪
は淡く茶色をしていた。事情を知らない教師が彼の髪を指導しようとして何度も担任の中村が、そのたびにあちこちを
駆け回っていた記憶もまだ新しい。
彼は温厚だったが、無口だった。誰と会話をするわけでもなく、授業が終わればさっさと帰ってしまうし、たとえそれが
班行動であろうとも、必要なとき以外は全く喋ることがなかった。いつも淡く笑んでいて、密かに慕っている女子もい
たらしいが、それも真偽は定かではない。
ただ一つ言えるのは、司は彼と一緒のクラスになって2年目だったが、大した会話は一度もしたことが無い。それだ
けだった。それが、今、プログラムという状況下で、初めて対話をすることとなる。

小沢は腹筋の力で起き上がると、海をぼーっと眺めていた。
司はソーコム・ピストルを未だに小沢に向けて構えていたが、引き金を引くことはなかった。彼が何の為にこのような
行為をしているかが、非常に気になったからだ。

「……殺さないの?」

やがて、いつまでも銃声が鳴り響かないことに疑問を抱いたのか、小沢は首から上だけ振り向いた。流し目で、彼と
目が合った。澄んだ、眼をしていた。今の自分とは、おそらく全く逆の。
恐らく彼は誰も殺していないのだろう。一体、いつからこの場所で寝転がっていたのだろうか。

「何……してんだよ」

再び、質問を繰り返した。
今、自分が引き金を引いてしまえばそれで全ては済む。だが、それではいけないと、何故か思った。

「何、とは?」

吸い込まれそうな目だった。どこまでも、澄んでいた。

「いや、ほら。僕等、殺し合いを強要されてる。なのに、どうしてそんなに大胆なんだよ。現に、今だって―― 」

今だって、牧野涼子に殺されかけていたじゃないか。そう続けようとして、止めた。
そんなことは、言ったって無駄なのだ。あんなに遠くからでも牧野が何をしようとしているのかがわかったのだ。当事
者が、そのことに気付いていないはずがないのだ。
しかし、わからなかった。殺されることに戸惑いを感じていないのに、何故自殺はしないのか。

「粕谷君は面白いね。やる気なのに、僕をまだ生かしてる」

 ぞわ。

一瞬だけ、体が身震いするのを感じた。何か、全てを読まれているような感じがした。
静か過ぎた。彼の周りは、不自然に静止していた。それはまるで魔法のように幻影的で、神秘的だった。

「それがどうしたんだよ。大体、質問に答えてないじゃないか」

自然な流れではぐらかされそうになっていることに気付き、慌てて元へと戻す。駄目だ、相手に流されるようでは、駄
目なんだ。主導権を握らないと。

「綺麗な、空だ」

今度は、小沢は青く澄み渡る空を見上げた。風が吹き、草花は揺れ、磯の香が崖の上にまで漂ってきた。
白い雲はまだらに浮かび、その気になればその上にふわふわと浮かぶことも出来そうな感覚さえ覚えた。

「ちっぽけ、だよな」

そしてそれを真正面から受け止めている小沢からは、とても今まさに死を受け入れようとしているとは思えなかった。
むしろ逆だった。生を受け止めて、聖を感じている。死など、何処にもない。

「人間の体は、1年間で90%の組織が入れ替わっている……だったっけな。人間はね、粕谷君。自然と、一体化し
ているんだよ」

銃口を、そっと下ろした。
それに気が付いているのかいないのか、小沢は気にも留めず続ける。

「生きていたものは自然の中へと溶け込んで、そして自然からまた新たな自分が作り出されるんだ。たとえ肉体が滅
びようとも、精神だけは滅びない。そう、僕は思うんだ」

「精神論か。人間は死ぬと、何グラムか減るんだっけな」

「よく知ってるね。そう、人間は死ぬと21グラム軽くなるって言われてるんだ。これは魂の重さだとか言われている」

「だけどそれがどうしたんだよ。お前は……死をなんとも感じないのか」

風が、今度は強く吹いた。
だがやがてそれも絶えると、再び小沢はこちらを振り向いた。

「怖いよ」

「じゃあ……じゃあ、どうしてお前はそんなに無防備なんだ?」

「どうしてだろうね。僕には生きる意欲が、ないのかな。わからない」

その言葉を聞いた瞬間、司は再び銃口を上げた。そして間髪いれず、迷わず、躊躇せずに、その引き金を引いた。
小気味良い銃声が鳴り響いた後に、ゆっくりと小沢の体が崩れていく。バランスを失って、そのまま崖の向こうへと姿
を消したが、波の音で飛沫は聴こえなかったし、また下を確認する気にもなれなかった。
残されたデイパックを漁ると、中からガムテープが出てきた。それや食料・水などを自分のデイパックに移すと、残さ
れた袋ごと崖下へと再び放り投げる。

「ふざけるな……生きようとしたってなぁ、生きられない奴がいるんだよ……!」

 その目に涙を浮かべたが、ぐいと袖で拭うと、司は再び歩き出した。
 そして、長針は、10の文字盤を、指し示したのだった。



  男子6番  小沢 拓史  死亡




   【残り12人 / 爆破対象者1人】



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