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 C=4、大竹診療所。

 これだけ立派な建物だ。恐らく既に誰かが潜入しているに違いないと思っていたそこは、意外と綺麗だった。
 もしかすると、逆に目立ちすぎていて、誰も立ち入らなかったのかもしれなかった。


「……辺見、今何時かわかるか」

「えと……4時過ぎ」


 辺見 彩(女子20番)の掠れたような声が、静まり返った建物の中に響き渡る。
 それを聞いて、峰村厚志(男子31番)は彼女が疲れていることをはっきりと感じた。

  ……4時、か。

 長い間行動を共にした永野優治(男子22番)と別れてから、既に2時間。もしも、優治がさっさと戦闘を済ませたの
なら、とっくにこちらに着いていておかしくはない時間。
そう、それが即ちどういったことを示唆しているのか。薄々と、厚志はわかっていた。だが……それを口に出すのは、
あまりにも酷すぎる内容だった。

 結局、話を切り出すことも出来ず、ただ黙って時は流れていくのみ。
 こんなんじゃ駄目だ、そう思っていても、この雰囲気には、打ち勝てそうもない。

「……峰村君」

 そんな沈黙を破ったのは、辺見だった。まぁ、こうなることはわかってはいたが。

「……なんだよ」

「私ね、好きな人……いたんだよ」

「はぁ?」

 唐突に出た話題は、まるで修学旅行の夜の定番のような話。いわゆる、恋の話だった。
 それにしてもあまりにも場違いにも程がある。だが、今は黙って聞くことに専念する。

「その人はね、いつもぼーっとしてるんだけど、いざというときにはしっかりとしてくれる、とても頼りになる人だったの。
 一度だけね、どうしても困ったことがあってね。で、クラスメイトの女の子に用事を替わって欲しかったんだけど、みん
 な駄目だったの。そんなときに、彼が替わってくれた。とても、嬉しかったの」

 何故……過去形なんだ。

「彼とは全く話したことなかったんだよ。だから……嬉しかった。それから、私は彼と積極的に話すようになった。番号
 が近かったからグループ分けの時も結構一緒になったりしてね、いつのまにか、彼が好きになってたの。ホントに、
 些細なことなんだよ。だけど、私の憧れ、だったの」

「……それが、永野なのか?」

 辺見の顔を見ずに、優治は応えた。彼女の顔を、直視できなかった。

「てっきり、俺は粕谷だと思ってたよ。仲、よかっただろ」

「司は……ただの幼馴染。確かに、好きだよ。でも、それとは……違う。司は、友達……なんだ」

 粕谷 司(男子7番)。彼はまだ、生き残っている。
あいつは、やる気ではないだろう。このゲームに乗る意思が理解できなかった。だが、現時点では生き残っている。
彼は、一体誰を殺したのだろう。

「永野が、好きか」

「うん……だから、会えた時、とても嬉しかった」

 ようやく、理解できた。何故、あんなにも他人との接触を拒んだ優治が、辺見を素直に受け入れたかを。
 彼も、彼女の事をよく理解していたのだ。そして、共に行動する決意をしたのだ。

 もしかしたら、優治も辺見の事を。

「優治も……嬉しそうだったぞ。あいつ、照れてなかなか顔に出さないけど」

「そう、なんだ。ねぇ、あのさ……峰村君」


 ……あぁ、駄目だ。言うな、辺見。
 言っちゃ、駄目だ。



「永野君は……生きてる、よね?」



 俺は、黙る。それしか、なかった。


「きっと、辻さんを黙らせて……今は、朝見さんの手当てをしてるんだよね。そして、それに必死になりすぎて、私達と
 の合流場所を忘れちゃって、今必死に思い出していて」

「辺見」


 でも、無理だった。聞いて、られなかった。
 これ以上放っておくと、彼女まで、壊れてしまいそうで。


「現実から、逃げちゃ駄目だ」


 そう、全てはわかっていること。
 永野優治は帰ってこなかった。つまり、辻に負けて、そして死んだんだ。

 そう、もう二度とあいつはここにはこない。あの平原には、あいつの死体があるだけ。


 ただ、それだけのことなんだ。


「あー……あぁぁぁー……!!」

 辺見が、呻く。そっと見ると、蹲っていた。

「あぁー!! バカ、バカ、バカァァ!! なんでよ、なんでなの?! どうして永野君が!! ねぇ?! どうして!」

 床を、両手でドンドンと激しく叩く。髪を振り払い、何度も何度も、叫びながら。
 彼女が、崩壊してしまう前に、止めなければならなかった。

 だから、彼女を、後から抱きしめた。無理矢理にでも、止めなければならなかった。

「落ち着け、落ち着くんだ! 辺見、駄目だ。逃げちゃ駄目なんだ……チクショウ……!!」

「嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁぁっっ!!」

 振りほどこうとする彼女の両手を、もぎ取る。
 そして、力強く、抱きしめた。やがて、疲れ果てたのか、辺見は静かになる。

 気がつけば、俺の顔も辺見と同様、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「……ごめん」

「…………」


 厚志は、立ち上がる。荷物をまとめて、持ち上げる。
 辺見も、立ち上がり、裾にまとわりついた埃を掃った。

 そして、互いに顔を上げる。その眼は、凍てついていた。


「永野は、もう来ない。ここにいても、無駄なだけだ」

「……。辻さんを、殺すの?」

「……これ以上、犠牲者を増やしたくない。そうなる前に」

「手遅れに、なる前に……殺す」


 2人なら、きっと殺せる。
 相手がどんな奴であろうとも、きっと殺せる。

 きっと、仇が、討てる。


「……行こう」

「うん」



 そして、2人は診療所を、飛び出した。


 午後4時30分。
 峰村厚志、辺見彩、始動。




  【残り8人】





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