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 居酒屋を出ると、すっかり夜も更けていた。
 どうやら随分と長い間あの店にはいたらしい。遅くなってすまなかったねと、蒔田は笑いながら言った。そして、また
機会があったら会おうと言い残すと、俺はまだ行くところがあるからと言って、早々に何処かへと行ってしまったのだ
った。色々と忙しいのだろう。

 帰りの電車の中で、快斗は蒔田に言われた言葉を思い直した。


  ―― 教師にならないか、秋吉。


 教師。子供達をあずかって、きちんとした大人にする為の大切な役割を担った職業。そんな奴になれだなんて、考
えてもいなかった。本当に意外だったけれど、確かに……近いものはあった。
死体となって目の前に現れたミヤビ先生を思い出す。あの時は、最前列であのようなものを見せ付けられて衝撃的だ
ったけれど、きっと我が子のように可愛がっていた生徒が殺し合いに巻き込まれると知ったときのミヤビ先生ほど苦し
いものは無かったのだろう。そして……ミヤビ先生はそれに必死に抵抗して、殺されたのだ。
今となって考えてみると、本当に立派な先生だった。クラスの生徒の為に、自分の命を潔く投げ出せるというその行
為が、素晴らしいと思えた。だけど、それが本当に立派なのかどうか、それはわからない。

 蒔田はこうも言っていた。



「まぁ……確かにな、俺たちに反抗して、暴れだす先生もいる。それはきっと生徒を手放したくなくて、見捨てたくなく
 て必死なんだと思う。それを否定はしないさ。だけど……結局は無駄な行為なんだよ。どんなに嫌だと言ったって、
 決まっちまったことはもうどうしようとも揺るがない、それがこの国の実態だ。だから、そこは大人の対応をして欲し
 かったなぁ。殺すほうも殺されるほうも後味が悪いんだからね」

「そういうもんなんですか? 俺は、素晴らしいことだと思えるけど。少なくとも、見捨てられなかったって思って嬉しく
 なるとは思う」

「だがそれだけだ。撃ち殺されて、おしまいだ。生徒の事を一番知っているのは先生とか親なんだよ。殺されたら、ど
 うやってそいつらが生きていたって証を誰かに伝え残すんだよ? だから、俺個人の意見としては、先生……あと
 親もそうだけど、無駄に命を投げないで欲しいんだ。……あと、これは本当は秘密なんだけどな」

「……なんですか」

「その……うちの道澤教官ね、あれ結構温厚な方なんだよ。滅多に自分で他人を手にかけることなんかしないんだ。
 だから、そっちの中村先生を殺したのは実は道澤教官じゃない。側近の兵士なんだ」

「……そうだったんですか」

「だけど、凄かったよあの中村先生とやらも。嫌だと叫んで、挙句の果てに机から刃物を取り出して道澤教官に突き
 つけようとしたんだから。道澤教官はそれでも動じずに説得してたけど、側近の兵士が……まぁ危険を感じて守ろう
 としたんだな、撃っちゃったんだよ。ほんと、すまないことをした」

「ミヤビ先生が……暴れだしたんですか」

「あぁ。別にあの先生くらいになれとまではいかないけど……秋吉、お前にはそのくらいの意思を持った教師になって
 ほしい。そして、こちら側からの視点以外で、生徒達を見守ってやって欲しいんだ」

「……考えておきます」



 帰りの電車の中は混んでいた。
 会社帰りのサラリーマンが、途中で同期と飲んできたのだろう、頬を高揚させて、だらしなく寝ている。きっと疲れて
いるのだろう。いつかは俺も、あのような大人になるのかもしれない。
窓に反射して映る自分の顔を見る。なんだか少しだけにやけているような気がして、眼を背ける。そして、ふぅと溜息
をついた。今日は色々な出来事があった。そのいずれもが、充実していた。

 実際、蒔田に無理を言って会ってもらって本当によかったと思う。
 俺はその全てを理解したわけじゃないけれど、いつかきっとわかるときが来る、そう信じてる。


  ―― 生きるか、死ぬか。


 あの時の司の言葉が、ようやく理解できた気がする。
 司は、俺を信じてくれたのだと。俺に、生きて欲しいのだと。そして、生きた証を、伝えて欲しいのだと。

 ……いやはや、自分で言っていて恥ずかしくなるな。


 色々なことがあった。
 本当に、決して忘れることのないであろう三日間だった。

 沢山の生徒に会い、その全てが消えた。
 沢山の命があり、俺以外は全部失われた。

 生きた証……67人分の生きた証を、俺は背負わなくてはならないのだろう。
 それはとてつもなく重く、俺に圧しかかってくるに違いない。だけど……俺はそれを全て受け止めなければならない
のだ。それこそが、ただ一人、生き残った者の宿命なのだから。
 はじめは、何をすればいいのかわからなかった。どうやって背負っていけばいいのか、何もわからなかった。

 だけど、今ははっきりと道が見えた。
 あとは……目標に向けて走るだけなんだ。


 兵士蒔田との出会い。
 それは……あの惨劇の中での、唯一の奇跡だったのかもしれない。










 そして、電車はゆっくりと。
 夜の闇の中へ紛れて、消え去っていった。










 …………終焉。





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