04.殺してください
「今日はこれから、ちょっと殺し合いをしてもらう」
加納と名乗った男から放たれたその言葉は、視聴覚室にいたクラスメイト24名を固まらせるには十分すぎる威力を持っていた。
波崎蓮(16番)は、締め付けられるような胸の苦しみのあまり、息をすることを忘れていた。やがて酸素が足りなくなった身体が、本能的に肺から古い空気を押し出す。そこでようやく呼吸が再開する程度には、その空間は停止状態にあった。
「ころしあい……」
誰かが、ポツリとつぶやく。ようやくそこで、加納は動きを再開した。その場の時が、動き出した。
加納は大きく頷くと、さらに続ける。
「そう、殺し合い。今は10時を少しまわったところだね。このあと、12時ちょうどから試合開始になるから、それまでに簡単なルール説明をする。きちんと聴いておくように」
手元にある時計をチラリと見る。先程全員を目覚めさせたチャイムは、10時ぴったりのものだ。おそらく9時から始まった1時間目の途中、教育委員会のビデオ学習をしている時、睡眠ガス的なものが撒かれたのだろう。そこから先の記憶は、自分にはない。
加納の後ろのスクリーンに映し出されている『戦闘実験第68番プログラム』の文字は、この国の中学3年生であれば誰もが知っている単語だ。この国唯一の徴兵制度といっても過言ではない。今の時代、徴兵制度を採用している国はあまりない。ましてや、これはあくまで生身の人間を用いた戦闘実験であり、非実用的かつ人道に反するとして、世界中から批判されている制度でもある。だが、この国ではなおも根強く残る『風習』として、この徴兵制度は残されている。古いしきたりみたいなものだとあきらめるしかないのだろう。伝統ある制度をそう簡単に変えられるとは、自分だって思ってはいない。
この戦闘実験というのは、ものすごく雑に説明すると、全国の中学3年生を毎年任意に50クラス選出し、生徒同士で最後の一人になるまで戦わせて、そのデータを収集するといったものだ。もっと雑に説明すると、仲のいいクラスメイトを殺し合わせるサバイバルゲームとでも言えばいいのだろうか。
年に数度、地元のメディアで臨時ニュースとしてこの戦闘実験の様子が紹介されているのを見てきた。ある時はヘリから、ある時は船から、両脇を兵士に固められて優勝した生徒が紹介される。さすがはサバイバルゲームといったところか、全身傷だらけ、血まみれ、服もボロボロであることが多い。願わくば、自分たちのクラスは選ばれませんようにと、何度も願った結果が、今のこの状況だと思うとなんとも情けない。
「あの」
二つ隣の最後尾の席から、木島雄太(8番)がおずおずと手をあげていた。加納はそれに気が付くと、顔色ひとつ変えずにそちらを向いた。
「君は木島くんだね。なにか質問かな」
「新しい担任と先程仰られてましたが、その、溝部先生は今はどちらに」
そうだ、先生がいた。先程ビデオ学習の場にはいなかった溝部先生。朝から臨時の職員会議があるとか言っていたけれど、そうか、このプログラムの件で打ち合わせがあったから忙しそうにしていたのか。
「溝部先生ならもう学外に避難してもらった。ここにいてもらっても危ないんでね」
「あ……そう、ですか」
「うん。一応、彼からの言伝は賜っているので俺からの口で代えさせていただく。『この度は戦闘実験への参加、おめでとうございます。先生からは君たちの戦いを、遠くから見守ることしかできませんが、最期まで頑張って戦い抜いてください』とのことだ。みんな、溝部先生の言う通り、頑張ってくれることを望む」
加納が口調だけを変えて、淡々と読み上げる。暗記でもしていたのだろうか。
普段のおっとりとした溝部先生の言葉だけに、そのギャップはこんな状況であれだけれども、少しおかしかった。そして、溝部先生の残したセリフも、いかにもこの加納をはじめとする兵士たちに無理やり言わされたような、そんな強制的な圧力を感じるところが、あの素直な先生らしいと言えばらしかった。
もっとも、そんな悠長なことを考えているのは自分だけらしい。周りの生徒たちはみんな項垂れていて、門前晃(22番)なんて拳を机の下で握りしめてプルプルと震えている。やがて我慢できなくなったのだろう、拳を机に叩きつけた。ガン、という小気味の良い音が、静まり返った視聴覚室内に響き渡る。
「門前くん、試合前に大事な拳を傷つけるような行為はおすすめできないな」
「……はい」
しかし、そんな門前も加納にぴしゃりと注意をされて、大人しくなる。門前の前の席に座る森澤昭人(21番)も、同じようにしゅんとしていた。同じようなことをしようとしていたのだろうか。
この二人は同じ野球部所属で、身長も体つきもだいたい一緒、出席番号も名前もほとんど一緒という、なんというか似た者同士だった。二人ともいつも一緒にいたし、馬も合うのだろう。仲はとても良いのだが、なにもこんな場所でまで似なくともいいのに。
やっぱり、自分はどこか冷めている部分があるんだろうなと、そう感じた。
つい先日から、実の父親が死にかけている。今までわりと遠くにあった死という存在が、一気に身近にまで迫っていた。そしてそれが、突然プログラムに巻き込まれるという事態で一気に最寄りまで来た。でも、最初は時が止まっていたにも関わらず、時間が経つにつれ、周りが焦り始めるにつれ、自身は次第に冷静になっていく。自分だって蚊帳の外ではない、巻き込まれた張本人だ。こんなんじゃいけない。周りにある程度流れを合わせなくちゃ。
「それではルール説明を行う。前のスクリーンを見てくれ」
加納はそういうと、手元のリモコンを操作する。映写機が、次のスライドを映し出した。どうやらこの学校の図面らしい。
「まずは今回の試合会場だ。みんなも普段から通っているこの学校が、そのまま今回の会場になる。ただし、試合中はすべての電気・水道・ガスは止める。電灯は非常灯だけがついている状態だ。今は昼間だから問題ないが、夜はかなり暗くなる。気を付けて行動するように。もちろん携帯やスマートホンはいっさい使えない状態だ」
なじみのこの学校が、そのまま殺し合いの会場になるらしい。普段から校舎案内図とかで全体を把握している分、どこになにがあるかはわかっている。鍵はかかっていたりするのだろうか。そして、やはりというべきか、携帯で外に助けを求めることは当然できないらしい。
「もちろん、隣の体育館や校庭、裏庭で戦うのも自由だ。ただし、敷地外に出ることは禁止とする。あくまでも、校内で戦うこと。それから、立ち入りに制限のある場所はないが、鍵のかかっている部屋とかは十分考えられる。そのあたりを留意して活動すること、いいね」
おそらく、朝普通に登校していた生徒や先生は、先程強制的に退去させられたのだろう。そのままの状態にしてあるから、あくまでもそのまま戦えということなのだろう。ほんの少し前までは、この会場にも人のぬくもりがあったはずなのだ。
次のスライドへと移る。支給品の画像と文字が、一覧となって表示されていた。
「続いて、開始時点で全員に配るものを紹介する。スライドを見てもらえばわかるが、まずは先程見せたこの校舎の簡単な図面だ。脇には君たちのクラス名簿もつけているから、うまく活用して欲しい」
地図と、名簿。名簿はおそらく、今誰が生き残っていて、誰が死んだかを把握するために添えているのだろう。
「それから筆記具、懐中電灯。水と食料は2日分入れてある」
画像を見る限り、水はただのペットボトルの天然水、食料はカロリーメイトだ。最低限のものしかないのだろう。確か職員室に災害時用の備蓄品があったはずだけど、そういうのはそのまま置かれているのだろうか。早めに確保しておかなくちゃいけないな。
「最後に武器だ。これは一人ひとり違うものをランダムに支給する。当然アタリもあればハズレもある。用途も攻撃・防御・補助と様々だ。適宜うまく活用してもらいたい。もちろん、校内にある備品も自由に使っていいので、そこもよろしく頼む」
スライドの画像には拳銃、包丁、毒薬の入ったビンが映し出されていた。確かに、拳銃がアタリかもしれないが、狭い校舎の中だと意外と刃物の方が有利なのかもしれない。毒薬は、まぁほら。察しはついた。
さらにスライドは続く。禁止エリアという文字が見えた。
「続いて禁止エリアの説明。試合はこのあと12時から始まるが、試合が始まってから7時間後、つまり19時から1時間毎に少しずつ、立入禁止の区域を指示していく。時間までに必ず退去すること。さもないと、大変なことになる」
要するに、会場は時間が経てば徐々に狭くなるということだ。当然一ヶ所に留まり続けることも厳しくなる。誰かが動けば誰かと接触し、そして戦闘がおこる。非常に合理的なシステムだ。
次のスライドへと移る。今度は、首輪システムという文字だ。それは、つまり。
「続いて首輪の説明。君たちは既に気付いていると思うが、少し寝てもらった間に首輪をつけさせてもらった。それは常に脈拍を測定し、君たちがどこでなにをしているのかをデータとして収集する役目を担っている。試合が終わるまで、外すことはできない」
間宮由佳里(19番)が、渋い顔をして横を向く。そういえば先程も首輪に対して難色を示していた。
「あと、その首輪は爆弾を搭載していて、禁止エリアに入った者や、会場の外に出た者の首輪はこちらから遠隔で爆発させるので気を付けてもらいたい」
さらっと加納が言った言葉は、再度全員を凍りつかせた。
首輪を触っていた面々が、一斉に手を放す。加納はゆっくりと頷くと、さらに続ける。
「当然、死ぬ。気を付けてもらいたい」
思わず、笑いそうになった。首元で爆弾が爆発して、生きていられるなんて当然思っていない。確かに、これは戦闘実験だ。身近に死が、迫ってきている。だけど、加納の口から、初めて『死』という言葉が出た。心のどこかでは、期待していたのだろう、きっとこれはドッキリかなにかだと。だけど、もうその可能性は、なかった。
「最後に誰かが死んでから24時間経っても誰も死ななかった場合は、全員の首輪が爆発して、そこで試合は終了とする。それがこの試合の唯一のタイムリミットだと思ってもらいたい」
つまり、タイムリミットなんてものが設けられている以上は、本当に殺し合いをするしかないのだろう。殺し合いが起きないイコール、データを収集する価値なし、ということだ。まさしく、戦闘実験の名に相応しい。
スライドは次へ移る。定時連絡という文言だ。
「禁止エリアの予告と、試合経過の報告は、毎回0時と6時の日に4回、校内放送を用いて行う。試合の運営本部自体は校外にあるので、君たちは俺たちに遠慮せず、全力で試合に臨んで欲しい。頑張れよ」
スライドが移り、終わり、の文字が見える。これで説明はすべてなのだろう。
加納は、リモコンを教卓に置くと、改めて室内を一瞥する。
「なにか、質問は」
おそらく、これで質問がなかったら、このまま12時から試合は始まるのだろう。
今のうちになにか聞いておいた方がいいことはあるのだろうか。
「あの」
おずおずと手を挙げたのは、意外にも先程まで渋い顔をしていた間宮由佳里だった。
「間宮くんか。質問だね、どうぞ」
女子にも君付けで呼ぶ加納は、そのまま促す。話を聞く意思はあるらしい。
「このプログラムって、強制なんですか……? その、辞退するとかって、できないんですか……?」
だが、その口から出てきた言葉は情けないものだった。
加納はため息をつくと、首を横に振る。
「これは強制参加だ。辞退はできない」
「じゃ、じゃあ! もちろん勝ち残ったら、家には帰れるんですよね……!」
続けざまに、間宮は質問をぶつける。
「もちろん、帰ることはできる。実験に協力していただいたお礼に、生涯保証金も出る」
「じゃあ! じゃあ! もうひとつ質問なんですけれど!」
加納の手が、すっと胸元に入る。そんな気が、した。
「そこにいるの! 山瀬じゃないですか! あいつ今日は欠席だったはずなのに! わざわざここに来てるってことは! やっぱり殺し合いに積極的になってるってことですか?!」
急に名前を出されて、山瀬陽太郎(23番)が間宮の方へと振り返った。
次の瞬間、パシュッという乾いた音と共に、立ち上がっていた間宮の身体が、ぐらりと床に倒れる。
「あああああああああああああああ!!!」
間宮の叫び声と共に、椅子やら机やらが倒れる音が室内に響き渡る。倒れた間宮の右足から、どくどくと血がにじみ出ていた。白いハイソックスが、瞬く間に紅く染まっていく。
クラス全体が、一瞬だけ悲鳴をあげた。全員が、間宮の机から離れようとした。
「静かに。みんな動かないで」
凛とした声で、加納がつぶやいた。急に、室内が静まり返る。
その手には、胸元から出したのだろう、拳銃(ワルサーPPK)が握られていた。
「痛い! 痛い!! 痛いっ!!!」
間宮の悲鳴だけが、室内を満たしていく。
自分にもよくわからなかった。間宮が、加納に対して質問を連投した。それだけで、加納は拳銃で間宮の右足を撃ったのだ。たった、それだけの理由で。
加納は、つかつかと間宮のもとへと歩く。誰も、止めることなんてできなかった。
「間宮くん。いいことを教えてあげよう。この戦闘実験では、まず君みたいな参加に消極的な生徒はまず生き残れない」
「あっ……あっ……!」
「次に、他の生徒は基本みんなやる気になっていると考えた方がいい。油断して近づいたら、こんな風に痛い目を見る」
「あぁっ……あああっ!!」
短くカットされた制服のスカートから覗く生足は、すっかり肌色の部分が消えていた。辺りの床面も、見事なまでに朱色に染まっていた。
間宮はあまりの痛さに、声が両手から漏れている。その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「それから、間宮くん。きみ、教育委員会からのお達しで、要注意人物って御触書が出ているんだ。だから、残念だけど」
「な、なによ! なんなのよ! なにすんのよ!!」
慌てて間宮が加納から離れようともがく。だが、右足のダメージが酷いのだろう、思うように足が動かない。
そして、加納は間宮から顔をそらして、室内をぐるりと見回すと。
やがて。自分に向けて。
拳銃を、差し出した。
「波崎くん」
「……はい」
「こいつ、殺してください」
* * *
生まれてこの方、自分は殺人というものはやったことがなかった。当然だ。
誰かが誰かを殺したなんていう事件は、それこそ連日のようにマスコミが報道していたし、どこで誰かが自殺をしたなんてことも、その自殺方法まで添えてご丁寧に解説が加えられている。だけどそれは、あくまでテレビやインターネットの中のできごとであって、自分には関係ないものだと思っていた。
つい、今までは。
「はい、これ。ワルサーPPK。マグナム式で、7発まで装填できる代物だ。撃鉄はもう起こしてあるから、あとは引き金を引けば弾が出る。両手でしっかりと握って、目標にしっかりと照準を合わせれば、簡単だ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
矢継ぎ早に説明されても、頭が追い付かない。これはいったいなんだ。
加納がいきなり、自分に目の前で倒れている女子を撃ち殺せと言ってきた。そして銃の扱い方を教えてくれた。それだけだ。
「もちろん、みんなに配る武器にも銃器類はある。今から実演で見せるから、きちんと覚えておくように。さ、波崎くん」
「ですから! あの、どうして僕なんですか!」
クラスメイトの顔が、引きつっている。自分にだってわかっている。おそらく、ここで拒み続けたら、今度は自分が間宮由佳里と同じように撃たれるのだろう。覚悟をしなければならないのだろうが、急に言われて覚悟が据わるほど人間完成していない。
「波崎くん。君はたしかつい先日に父親を亡くしているね」
加納は、急に銃を下げると、語りだした。
「……まだ、死んでません。意識はありませんけど」
「あぁ、それは失礼した。実は、今朝方警察から連絡があってね。君の父親に暴行を加えた容疑とかで、この近所の高校生が補導されたとのことだ」
「……補導? それは、いったい」
この加納という男は、どこまで知っているのか。しかし、この状況でわざわざ嘘をつく理由はない。
そして、父親が暴行を受けたというのを聞いて、やっぱりとも思った。確か、頭に打撲痕があるとは聞いていたが。
「なに、一昔前のオヤジ狩りみたいなものだ。酔っぱらったサラリーマンに適当に難癖つけて、痛めつけて財布から金だけ抜き取る、ケチな犯罪だ」
「父は、それの被害に……?」
「目撃者がいてな。ご丁寧にも熱心に警察に協力していただいたみたいで、あっという間とはいかなかったが、春休みが終わって再びそいつらが動き出したから、簡単に足がついたらしい」
なるほど。しかし、疑問も残る。
「ですが、それとこれとでなんの関係が」
そして、悟った。
間宮由佳里が、視線を下に落としているのを、見た。
「……まさか、間宮、おまえ……?」
「ち、違うんだ! 波崎、あたしはなんもやってない! たまたまあの日は仲良かった年上の連中が、なんか遊びとか度胸試しとかそんな感じでやってて……そしたらあのおっさん! ちょっと突き飛ばしただけで簡単にこけやがって! 運悪く頭打っちゃって! あたしはそれを見てただけで! なにもしてない! 怖くてすぐ逃げた! だいたい! あのおっさんが波崎の親父さんだったなんて、知らなかったし!!」
よく、わかった。
「波崎くん。拳銃は意外と重たい。しっかり握らないと、安定しない」
「おい! 波崎!」
加納から、拳銃を渡される。たしかに、ずっしりと重たかった。
「みんなも覚えておくといい。これから戦うのは、生きている人間だ。確実にしとめるには、まず相手の動きを止めること。そして、とどめは心臓か頭だ」
「やめてよ! 波崎、そんなやつに言われるがままに撃つんじゃないわよ!」
心臓か、頭。ここはまぁ、初めてだし、頭かな。
「殺すときは躊躇わずに殺すこと。でないと、殺される。心しておくように」
「いやだ! いやだ!! なんでもするから! なんでもするから殺さないで! 波崎!」
そして、自分は。
躊躇わずに、引き金を、引いた。
「やめて! なみざ」
パシュッという、サイレンサーのついた拳銃独特の静かな音がする。
そして、慈愛を懇願していた傷ついた女子の言葉は、そこで途切れた。
「はい、よくできました」
次の瞬間、クラス中が、怒号と悲鳴が混ざり合うように喧騒に巻き込まれた。ある者はその場から逃げようと扉を開けようとし、ある者は窓から逃げようとし、またある者は別の生徒とぶつかり転げた。机は蹴飛ばされ、椅子は投げ飛ばされ、だがどこにも逃げ場がないのだと悟ると、やがて室内は静まり返った。
そんな中、自分と加納だけは微動だにしなかった。すべての生徒の動きが遅く見えた。はじめての、人殺し。なのに、自分はこんなにも冷静だった。
木島雄太が、自分を哀れな目つきで見ていた。
平坂麻衣子(17番)が、部屋の隅でカタカタと震えながら、自分を怖がるように見ていた。
そして、加納は、満足そうに頷くと、初めてにっこりと笑顔を見せていた。
間宮由佳里は、死んだ。
自分がこの手で、殺した。
「えーっと、じゃあ教育委員会から御触書が出ているもう一人も、今ここで片付けるか」
「もう、一人……?」
ひぃ! という、小さな悲鳴が聞こえた。副田紗耶香(11番)が、扉の近くで蹲っていた。まるで子犬のように小さい。
「副田くん、君もあの場にいた連中とつるんでいた一人だったね」
「ちょ、ちょっと待てよ! コラ!」
副田紗耶香を中央の舞台に引きずり出そうとした兵士たちに向かって、静止をかけるように、突然一人の男子が出てきた。先程拳で机を叩いた、門前晃だった。
副田を庇うように、ディフェンスをしている姿は、野球部所属のそれというよりは、この学校にはないバスケ部のそれに近い。
「また門前くんか。今度はなんの文句があるんだい」
「あのよ! さっきから聞いてたら、なんだよ! 教育委員会って! あれか? そこに目ぇ付けられてたらそもそも戦闘実験に参加する資格すらねぇってことなのかよ! みすみす目の前でクラスメイトが殺されるのを、黙って指くわえて見てろってことかよ!」
一気に門前はまくしたてた。
加納という男に意見を通し過ぎると、間宮由佳里のように撃たれてしまう可能性があるのに、だ。これは勇気なのだろうか、それともただの無茶か。
「そうだよ」
そして、加納はあっさりとその発言すべてを認めた。
加納はさらに続ける。
「問題のある生徒はね、若いうちに確実に芽をつぶさなくちゃダメなんだよ。そうやって勘違いして大人になって、社会に害成すものになったやつら、おまえらもテレビでよく見てるだろ」
「は、犯罪者のことか? でも、それでも刑務所で更生させるだろ」
「一部はね。でも、この国では悲しいかな、一度やらかした奴らへの態度は厳しいものでね。やがてはまたレールを踏み外して、今度はもっととんでもないことをするかもしれない。そういう危険因子を持つやつらは、早めに芽を摘むのが一番なんだって、教育委員長のありがたいご高説を俺は聞いてきたぞ」
門前は黙る。反論はできない。
「でも。でも。だって。だって。若者は夢を持つのが仕事だよね。理想論を掲げるのは大いに結構。だけど、現実は厳しいってことも、そのうち知る。それが早いか遅いかの差でしかない。いいよ、ルールの中でなら、どんなに自由にやったってね」
門前は、拳を握りしめる。
「ところでね、門前くん。ここで君が副田くんを庇うのは構わないけど、そうなると俺は波崎くんを処罰しないとならなくなる。賢い君ならわかると思う。波崎くんと副田くん。死ぬべきなのは、どっちだと思う?」
兵士が、門前の背後から副田を引きずり出す。顔面蒼白になった副田は、されるがままに自分の前へと差し出された。まるで、哀れないけにえだ。
門前は、なにか言いたげだったが、結局はなにも言えなかった。
「門前くん。結局君は、副田くんを見捨てたんだ」
ガンッ。門前が、扉を拳で叩く。すっかり親しみの出たその音が、自分に撃鉄を起こさせる合図となった。
「あっ……あっ……」
「ごめん、副田さん。一発で、楽にしてあげるから」
クラスメイトが、周りを囲む。少し内側に、門前。中央に、加納と自分。
そして、副田。
「いや……いや……! いやあああああああ!!!」
突然、副田が立ち上がって、こちら側へ突進してきた。
窮鼠猫を噛むとは言ったものの、向こうは丸腰、こちらは拳銃だ。結果は、言うまでもない。
こちらが放った銃弾は、本来なら座ったままの頭の位置、つまりは腹部に命中した。そして、そのまま副田は力なく蹲り、腹を押さえながらもだえる。
「はっ……はっ……!」
床に、血だまりができていく。
肺に穴でも空いたのだろうか。もう、副田はなにもできない。
「ごめん」
「なみ……ざ……っ」
「一発で、楽にできなかった」
今度は、確実に。
副田のこめかみに銃口を押し当てて、引き金を、絞った。
パシュッという音と共に、今度こそ副田は、床に崩れ落ちて。
そして、動かなくなる。
「終わりました」
ワルサーPPKを、加納に返す。加納は満足げに頷くと、それを再び懐へと仕舞い込んだ。
「よくできました。みんなも、波崎くんがやったように、本番でも頑張るんだよ」
もう、誰も悲鳴はあげなかった。
誰の目にも、涙は浮かんでいなかった。
「波崎、てめぇ……」
「門前」
「てめぇ、それでホントに……よかったのかよ……!」
自分にも、よくはわからなかった。
父の件は、あくまで都合のいい理由づけにしかならないだろう。ただ、加納にやれと言われたから、やっただけだ。もしやっていなかったら、処罰を受けていたのは自分なのだから。
「……わりぃ」
「いいよ、別に」
門前は、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。
自分も、ゆっくりとその場にしゃがみ込む。
ほんの数分で、視聴覚室内には2つの死体が仕上がった。
ひとつだけわかったことがある。この血の臭いは、慣れそうにもない。
11番 副田紗耶香
19番 間宮由佳里 死亡
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