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 寺井晴信(男子11番)は、すっかり日も落ちて暗くなった中、慎重に歩を進めていた。
 その右手には、バッグの中に入れられていたアイスピックが、しっかりと握られている。

 すっかり雨はやみあがっていたが、空はまだ曇天模様のようだった。そのせいか、月の光の欠片も感じることは出
来なかった。微かに辺りが見渡せるのは、きっとどこからか光が漏れているのだろう。そんな光源は、本部以外には
考えられなかった。
辺りはどうやら水田らしく、どこからかチロチロと水のせせらぐ音が聞こえてきている。この状況が状況でなければ、な
んとものどかな田園風景だと言えよう。しかし、今、首には爆弾が取り付けられていて、クラスメイト同士の殺し合いを
強要されている中、そんな余裕は少しも無かった。

 出発直後のことだった。少し歩き始めてから、やっぱり誰かを入り口で待つのが得策だと、晴信は考えた。浜田篤
(男子18番)の言うとおり、もしかするとみんなが力を合わせる、なんてこともありえるのかもしれなかった。ただ、もし
そうだとするのならば、彼以前に出発したクラスメイトもどこそこに隠れている必要があったのだが、そこまで楽観的に
考えることも、彼には出来なかった。だが、誰もやらないのであれば、それを誰かがやらなければならないのであった
し、やるからには人数が多いほうが得策だと考えることも出来た。そして、その役目を果たすだけの人付き合いは、
自身に備わっているはずだと、晴信はそう信じていた。
比較的晴信はクラス内でもおとなしい部類だったが、かといって無口で人付き合いが少なかったというわけでもなか
った。浜田篤や芳田妙子(女子21番)のように、派手にクラスを掻き乱す存在ではなかったけれど、特に嫌いなクラ
スメイトもいなかったし、それなりに満遍なくおしゃべりはする方だった。男女関係無く付き合っていたと思うし、担任
の戸田とも良い付き合いを続けていた。誰も、敵なんかいない。教室の中は常に笑いで満ち溢れていて、彼自身もそ
の輪の中に自然と溶け込むことが出来ていた。教室の中は、彼にとってとても住み心地がよく、それはまるで花園の
ような場所だった。
そう、それは錯覚だというのはわかっている。知らないふりをしていたけれども、少なからず陰険な罵倒はあった。互
いに互いを憎しみあい、罵り合っていることを彼は知っていた。だが、それは決して表に出されることは無く、本人同
士も偽りの友情を続けていたらしいから、それに関してとやかく言うべきではない。彼ら、あるいは彼女ら自身がそう
望んでいるのだから、それはそれで仕方のないことなのだ。
それを抜きにしても、住み心地がいい。というよりは、彼の家族が余程酷かったと言うべきなのだろうか。別に暴力が
蔓延しているわけじゃない。とにかく、家の中には常に重苦しい雰囲気が立ち込めていて、とてもじゃないが居心地
がいいとはいえなかったのだ。そもそもの原因は、プログラムにあった。
晴信には、兄がいた。兄もクラスの中では中立的な存在らしく、可もなく不可もなくといった、少し出来のいい存在だ
ったという。石川県の専門男子校に通うその姿は、両親からしても立派な風体だったに違いない。そんな兄が、中学
三年生になってまもなく、プログラムに選ばれた。
最初は、落胆していた。兄が優勝なんか出来るはずがないと、諦めきっていた。晴信も、もう二度と帰ってくることの
無い兄の部屋に忍び込んで、懐かしき思い出に浸っていたのだった。だが、その翌日に、早々に優勝者が決まった。
ニュースの速報でビデオに映し出されていた優勝者の少年の姿は、まさに兄のものだった。
やがて、プログラムの結果資料を見て、愕然とした。兄は、クラスメイトの1/4以上を殺害していた。ただでさえ人を
殺して生き延びてきたのだ。地域の目は、冷ややかだった。兄は転校を余儀なくされたので、家族全員で岐阜へと
逃げ込むように引っ越した。新しい土地、新しい小学校で、晴信は必死に頑張った。家族は節目がちになり、兄も居
場所がないかのように帰ってくるのが遅くなり、晴信も耐え切れなくて安息の地を学校に求めた。それが功を規した
のかどうかはわからないが、それは自宅なんかよりもはるかに過ごしやすい環境になっていた。晴信は喜んで、家族
よりも学校を選ぶようになった。
兄は中学を卒業すると、黙ってどこかへと出掛けたきり帰ってこなくなった。家出、というわけではないのだが、都会
に出て働くので独立します、ということを家族には告げたらしい。どこに就職したのかはわからないが、毎年年賀状だ
けは届けてくれたので、どこかで死んだ、というわけでもないようで晴信は安心した。だが、兄が消えたところで、家
族が明るくなる要因は、もはやどこにも残されてなどいなかった。

 そして、プログラムだ。兄が巻き込まれたというプログラムに、彼もまた巻き込まれてしまった。
兄はこの試合に参戦した。そして、見事に優勝をつかみとって帰ってきた。だが、晴信は決して試合に参加しようとは
思わなかった。彼が兄とは違うからというのもあったのかもしれない。あるいは、そんな兄を見たからこそ、兄が優勝
して帰ってきた結果、家族が崩壊したことを知っているからこそ、彼は参加できなかったのかもしれない。
参加しない。それが何を意味するかなんてことは、とうに知っていた。なにもしないまま、なにも出来ないまま死ぬ。
それはそれで構わないと思った。最後の一人になる資格なんか自分にはない、そう自然に考えることが出来た。誰
かに殺されるなんてことはゴメンだったが、誰かを殺すこと。それだけは、やりたくなかった。なんとも都合のいい話だ
と、晴信は苦笑する。
だから、ショックだった。出発地点へ戻る途中、その方角から爆音が轟いてきた。急いで走って戻ると、まさに玄関前
で、土門英幸(男子12番)が仁科明日香(女子12番)をナイフでとどめをさす瞬間を目撃してしまったのだった。気が
ついたら、彼は無我夢中で走っていた。既に追っ手はいなくなっているというのに、必死で走った。ようやく落ち着い
たころには、中学校は大分遠くに見えた。地図で確認すると、E=5。山中川の股に挟まれている、いわば天然の袋
小路のようなところまで、どうやら晴信は来てしまっていたらしかった。
戻ろう、そう思って、彼は歩みを進める。舗装された道を、淡々と歩き続けていく。曇天の雲が、少しずつ晴れていく。
朧気に月が出始めて、ようやく辺りの様子も見て取れることが出来るようになった。

 それが、全ての始まりだったのかもしれない。

少し前に、誰かが横たわっているのが見えた。咄嗟に、脳裏に死体、という二文字が浮かぶ。転がっていたとして
も、おかしくはないのだ。実際、六時の放送では既に何人かの名前が読み上げられている。その中には、もっとも信
頼できるであろう人物、浜田篤の名前もあったのだ。彼が消えた以上、他のまとめ役が必要なのは、当然だった。と
にかく、既に死亡したとわかっている者であって欲しい。これ以上、犠牲者は増えないであって欲しかった。
そして、見た。瞬間、へなへなと力が抜けていって、しりもちをついてしまう。腰が抜ける、ということを、初めてしたよ
うな感覚だった。

「あ……あぁぁ……!」

それは、佐原夏海(女子7番)の死体だった。確か、放送では名前を呼ばれていたはず。新たな死者なわけではない
のだ。だが、その様子は惨すぎた。
首と胴体が、なにやら鋭利な刃物で切断されたかのように、パックリと分かれていた。人目で見て、それが死亡原因
なのだとわかる。こんなことをするだなんて、人間のやることじゃない。殺すなら、心臓でも一突きにして殺せばいいじ
ゃないか。それを、わざわざ切断までするなんて、正気の沙汰とは思えなかった。
死体を見るのは初めてだった。もしかしたら、他の死体だって、これ以上に惨たらしいものなのかもしれなかった。そ
んなことは、耐え切れない。もう、誰にも会いたくない。誰とも、触れたくない。

 だが、それは少々都合が良すぎたみたいだ。

前方から、誰かが歩いてくる音が聞こえる。その音は、次第に大きくなっていく。舗装されているとはいえ、雨が降っ
てぬかるんでいた道だ。足音なんて、消すことも出来ない。その足音は、だんだんと大きくなっていく。思わず晴信
は、しりもちをついたままアイスピックを構えた。
そして、月明かりの元、その人物の顔が、はっきりと見えた。

 岡本翔平(男子3番)。
 彼は、まっすぐにこちらを見下ろしていて。そして、笑っていた。





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