031



 午後8時。
 エリアD=5、民家。

 寺井晴信は、血に染まった両手をじっと見る。机の上に吊り下げられている懐中電灯の光が、その紅い色をはっき
りと照らし出していた。向かい側の椅子では、岡本翔平が、同じように血塗られた手で銀のわっかを興味深く観察し
ていた。
そう、やはりあれは、とんでもない出来事だったに違いない。


 水田地帯で岡本が現れたとき、晴信は咄嗟に殺されるのだと思った。だが、岡本はいくら経っても攻撃してくる様子
などを一切見せずに、晴信を見下しているだけだった。いや、正確に言えば、晴信の前に横たわっている、佐原夏海
の死体を見ていた、というのが正しいか。
当初は岡本がなにをしようとしているのかなんて到底考えられなかったし、自分のことで手一杯だったからそもそも余
裕自体なかった。初めての死体、そして、立て続けに現れた岡本。どうすればいいのかは、結局岡本が決めてくれた
のだった。

「……これ、佐原だよな」

唐突に、岡本がしゃべりかけてきた。晴信は突然の出来事にうまく対応できず、口をパクパクとさせるだけで精一杯
だった。岡本がため息をつきつつ、もう一度同じ問いをかけてくる。

「これは、佐原の死体だよな」

「……あ、うん。そうだと、思う」

「殺したのは、お前か?」

岡本の目が、一瞬だけ鋭くなった。
普段から岡本という男は、なにか一心不乱に打ち込んでいる、という印象があった。なんにでも興味を持ちやすく、そ
して飽きやすい、といったところか。晴信から見ればそれは損な生き方だなと思っていたのだが、どうやらこの男、ま
さか殺人や死体にまで興味を持ったというのか。
そんなことはないだろうと、否定できる根拠は無い。既に、プログラムでは何が起きてもおかしくないのだということ
は、とっくに晴信自身が身をもって体験しているのだ。

「ち、違う。僕じゃない。僕もたった今、たまたまここに来ただけなんだ」

必死になってその言葉を否定する。だが、それだけで信じてもらえるとは思っていない。案の定、岡本は晴信の目
を、奥深くまで覗き込むように見つめてきた。やがて視線が逸らされると、ようやく解放されたかのように、晴信は大き
く息を吐いた。

「嘘をついてる、て感じじゃないな。まぁ、寺井がやる気になるとはもともと思っちゃいないが」

岡本はそう吐き捨てると、佐原の死体の観察を始めていた。よくもまぁ、ああまでしてまじまじと見入ることが出来るも
のだ。少しだけ、晴信は吐き気がした。

「うわー……こりゃまたヒデェな。玄関先の浜田の死体とはまた違ったものを感じるぜ」

浜田、という単語が出てきた。察するに、あの男は玄関先、つまり出発早々に殺されていたということか。

「んーなになに、死因は失血死、だろな。首まで切断されてら。……ま、ちょうどよかった、好都合だ」

今、好都合という単語が聞こえてきたような気がするが、それは気のせいだと割り切った。人が死んでて好都合なん
てことが、あるわけないからだ。
だが、岡本の言葉は、そして行為は残酷だった。

「寺井。ちょっとこっち来て手伝え」

「な、なんだよ」

岡本が手招きをする。言われるがままに従って近くまで寄ったら、いきなり両手を掴まれて、血まみれの胴体部分を
掴まされた。岡本は、満足げな顔をする。

「なっ、ななななな?!」

「よーし、寺井。じっとそのまま体押さえてろよ?」

恐怖のあまり、体が動かなかった。死体に触れるだなんて、初めての行為だ。ぬめっとした感触、手が血で濡れてい
くのが、はっきりとわかった。
岡本はというと、佐原の切断された首を掴みあげると、歩道の脇へとそっと置いた。そして、血溜まりだらけで何も見
えない中から、何かを掴むと、それを半ば体から引き剥がすように、強引に引っ張った。両手が揺さぶられる。だが、
それもあっという間の出来事だった。

「おーし、もういいぞ。ご苦労さん」

言われるがままに、晴信は両手を離す。佐原の体が少しだけ浮いていたらしく、ドスンという音を立てて再び胴体部
分が地面に転がった。気持ち悪くなって、晴信はこみ上げてくる吐き気をなんとか堪えるのに必死になっていた。

「悪かったな、いきなりこんなことさせちまって」

「な……なんだよ、いきなり!」

「あー、これこれ。俺はこいつが欲しかったの」

そう言って岡本が右手でつまんでいるもの。それは、首元に巻きつけられているはずのあの首輪だった。誇らしげ
に、それを目の前でヒラヒラとさせている。

「首輪……?」

「あぁ、首輪。ほら、放送で何人か死んでるのがわかったから、ちょいとその死体を捜しに出てきたんだよ。こいつを奪
 いにな。本当はのこぎりで切断するつもりだったんだけど、その手間も省けて好都合だったよ」

そういう岡本は、荷物を全く持っていなかった。傍らに放置されたのこぎりが、彼の支給武器なのだろうか。それを尋
ねると、岡本は笑いながら手を振った。

「ちゃうちゃう。俺の武器はなんの変哲も無いスパナだったよ。のこぎりは、学校近くの民家で見つけたの。他の荷物
 もそこに放置してんだけどさ。あ、そうだ寺井。うちに来ない?」

突然の勧誘に、晴信は少しだけ拍子抜けした。まさか、こんなところで仲間が出来てしまうとは思わなかったからだ。
自分なんかでいいのかと、そっと晴信は尋ねてみる。

「いいよいいって、構わない。一人で作業を進めるのも退屈だろうからさ。それに、人手はいくらあっても足りないと思
 うし」

 そんなわけで、晴信は言われるがままに、岡本のあとをついていったのだった。
 そして到着したのがここ、本当に中学校が近い、民家だった。

「ねぇ、ところでさ」

「ん? なんだ寺井」

「さっきからそうやって首輪をじろじろと見てるけどさ。いったいなにが面白いの?」

 先程から岡本は、戦利品の首輪をただじっと眺めているだけだった。退屈になるとかいいながら、全く会話をしない
でだ。むしろ、こっちが退屈なくらいだ。この血まみれの手を洗い流したかったが、残念ながら水道は止められている
し、かといって安易にペットボトルの水を使うわけにもいかなかった。

「んー? 面白いわけじゃない。結構これでもマジで真剣に見てるぜ」

「なぁ、教えてくれよ。その首輪で、なにをどうしたいんだ?」

「あぁ、そういえばなんも言ってなかったな、俺。すまんすまん」

 岡本は首輪を机の上にそっと置くと、両肘を机について話し始めた。

「俺さ、この首輪をどうにかして取ろうかなって考えているんだ」

「首輪を?」

「そ、首輪を。こいつさえなくなったら、ぶっちゃけると俺たちは自由の身だ。あとは試合が終わるのを悠々と待って、
 そして頃合を見て逃げ出せばいい。あとはまぁ、なるようになるさ」

「そんな無茶な」

「まぁ、なにをするにしてもこの首輪が邪魔なんだから、まずはこいつを外せるかどうかを判断するのが先決だろ? 
 外せてからでいいよ、あとのことを考えるのはさ」

 岡本の目は、自信に満ちていた。
 なるほど、こいつは殺人に興味があったわけでも、死体に興味があったわけでもない。

 ただ単に、首輪に興味を示していただけなのだ。
 そして、この岡本という男は、飽きない限りは、とことん、どんな手を使ってでも追求する男だった。

 もしかしたら。もしかして。
 少しだけ期待した晴信は、やがて、それがとんでもないことにつながる羽目になるとは、まだ知らなかった。





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