038



 C=7、11時5分。
 先ほどまで立ち込めていた暗雲は大分掠れてきて、今は真っ白な月が、堤孝子(女子10番)を照らし出している。


  ―― いい月だ。


 あたしは少しだけ、叙情にふける。雲と雲との狭間にぼうっと浮かび上がるその新円は、すばらしかった。
 すぐに顔を振る。柄じゃない。少しだけ苦笑いを浮かべて、あたしは道沿いにゆっくりと歩き続けた。

 古城有里(女子5番)。
不思議な、生徒だった。普段から話したことは皆無だったけれど、まるで今までにもこう、何度か親しく話をしていたよ
うな錯覚にとらわれてしまった。彼女はやる気になるかどうかを迷っていると言っていたが、恐らく今のままでは彼女
はそうやる気にはならないだろう。なにか、そう、些細なことでもいい、切欠さえあれば。
なにを考えているんだ、あたしは。この殺し合いを強いられている環境下で、よくもまぁそんなことを考えられたもの
だ。よく考えてみろ、もしかしたら古城有里はやる気になるかもしれない。そしてあたしを殺しにくるかもしれないの
だ。可能性はゼロじゃない。もしもあたしが順当に生き残り続けて、また彼女も同じように生き残り続けたら、いつか
は出会ってしまう。殺し合いが始まってしまう。そんなことは、嫌だった。彼女を殺したくは無い。だが、彼女に殺され
るのも受け入れられない。
あぁ、くそ。こんなことなら迂闊に話しかけるんじゃなかった。なるべく感情は殺さなければならない。そういった感情
から生まれる油断が、この戦いでは死を意味するのだ。

 あたしはやる気じゃない。自分から積極的に殺しまわるつもりはない。
 だけど、容赦はしない。そう、思っていたのに。

ふと、近くで足音がしたような気がした。
気のせいじゃない、感覚はいつもよりかなり繊細に研ぎ澄ましているつもりだ。どんな些細な変化も、あたしは逃して
はならない。
右手にもったスミスアンドウエソンの引き金に、そっと人差し指をかける。そして、振り返った。

「…………!」

反射的に、体が横へと跳んでいた。それは本能か、はたまた。
次の瞬間、軽い破裂音と共に、地面が一部、チュンという音を立てて弾ける。

 迫川裕(男子17番)。
 Cz75を構えた彼が、ゆっくりとそこに立っていた。

「迫川……?」

 月光に晒されたその姿は、それはそれは醜かった。
 顔は極度に引き攣っていて、両手で銃を構えるその姿も、なんかたどたどしい。

「迫川……!」

 少しだけ遅れて、あたしは状況を把握した。そして、肩から吊り下げていたバッグを、そっと地面の上に置く。
あたしは迫川に撃たれたのだ。その、つまり……殺されそうになったということだ。……殺される、そうだった、こいつ
はそういえばクラスメイトとの殺し合いだったんだっけ。
えーと、つまりなんだその。この迫川とかいう男は、呑気に歩いていたあたしを撃ち殺そうとして、近づいてきたわけ
だ。勿論あたしはこいつと日常生活の中で喋ったことはない。むしろこいつは自分からあたしを避けているといった印
象だった。あぁ、くそ。むかつくな、こいつ。なんでそんな奴に、襲われなくちゃならないんだよ。

「くそっ!」

迫川は再び銃を構えなおす。奴とあたしの間は軽く見積もって5メートル程度か。こんな至近距離では、こんどこそ避
けるのは困難かもしれない。
あたしは、右手に握っていた銃を、迫川に向ける。すると、迫川は少しだけ仰け反った。

「……な、なんだよ! そんなもん持ってたのかよ!」

あたしも銃で撃たれたのは初めてだったが、間違いなくわかる。銃ってのは、最強の武器だ。どんなに元気な人間で
も、一発で致命傷を負わすことが出来る。最悪の場合は、死に至らしめることが出来る。
迫川はそれを知っている。身をもって知っている。だから、仰け反る。だから、逃げ腰になる。

 いける。

「覚悟は、いいね?」

あたしは、語気を強めてそう言う。銃を構えなおすと、ますます迫川は後ずさりを始めた。
既にその構えている銃の行き先は明後日の方向へと向いている。もう、これではまず当たらない。なんだこいつ、プ
レッシャーに弱かったのか。

「あたしに向けて銃をぶっ放したんだ。死んでもいいって覚悟は、あったんだよね?」

さらに、低い声を出す。ここで引き金を引けば、あたしは死体を一つ作り出すことになるのかもしれない。だけど、それ
はまた仕方の無いことだ。あたしは、容赦はしないと決めたのだから。
引き金を引くその瞬間、あたしは本能的に、腕が滑るように動くのを感じた。そして、破裂音。

「ああぁぁぁ!」

あたしが放った鉛の玉は、迫川の命を奪うことは無かった。左の脇に命中したらしく、そこから紅い染みが広がってい
く。たったそれだけだったのに、迫川は苦しそうな悲鳴を上げている。痛みに、慣れていないのだ。

「警告だ。次は心臓を撃ち抜く。いいね?」

そして、さらに追い討ちをかけるように、言葉を紡ぐ。その刹那、迫川は踵を返して反対方向へと駆けていった。相手
の背中を狙うような卑怯なまねをしたくは無かったので、あたしはそこで銃を取り下げる。やがて、迫川の姿は見えな
くなった。
それから、五分。本当にいなくなったのだと、あたしはようやく認識する。陰から狙うようなこともないらしい。やはり、
逃走したと考えるのが妥当だろう。あたしは、敵を追い払ったということだ。

 ……しかし、なんだな。

 引き金を引く瞬間に、本能が殺人を拒絶した。
 やはりあたしは、人殺しには向いていない人種らしかった。





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