039



 人に、馬鹿にされるのが大嫌いだった。
 人に、見下されるのが大嫌いだった。

 迫川裕(男子17番)は、必死に月明かりの下を走っていた。

  ―― くそっ、あの女!

 あの女、堤孝子(女子10番)に撃たれた傷は決して深いものではなかったが、じんじんと突きつけてくる痛みは、
日常の生活ではありえないレベルだった。当たり前だ、体に風穴が空くなんて事態は、そう簡単には起こらない。こ
んな殺し合いという異常な環境下だけの話だ。なんだこれは、戦争かなにかなのか?
始めは、銃を撃つ気なんてなかった。ただ、どうすればいいのかわからなくて、たまたま見つけた女子を、誰なのか知
りたくって、あとをつけた。それだけだったのに。
振り返った瞬間、その顔が月明かりにさらされた。それが堤だと判断した瞬間、反射的に銃を構えて引き金を絞って
しまったのだ。どうしてなのかはわからない。だけど、これだけは言える。俺は、堤は絶対にやる気になると思ってい
た。だから、殺される前に殺してしまおうと思った。今考えたら、そういうことだったのかもしれない。

「くっそー……痛ぇぞアノヤロ」

あいつも俺の殺意を汲み取ったのだろうか、驚くほどの俊敏さを、俺に見せ付けてきた。あんな近場で撃ったのに、そ
れを堂々と避けて俺に対して銃を向けるだと? 反則だろ。
なんであんな奴にも銃が支給されているんだよ。そういうのは、ほら、俺みたいに大した能力も持ち合わせていない
ような奴がそういった強い奴にも勝てるようにっていう親切設計じゃないのかよ。そりゃまぁ、武器はランダムとは言っ
ていたけれども、それでも無茶だよ。あんな強い奴に強い武器なんか支給したら、誰にも敵わないんじゃないのか
よ。あー、なんて不公平なんだ。
そして、あの女は俺を挑発してきた。脅してきた。そして、挙句の果てにこっちが銃口を下げたらバン、だ。なにが覚
悟は出来てるだ、こっちの事情も知らないで、俺を見下しやがって。そんな変な言い回しなんかして、お前は中二病
かなにかかっつの。
俺は逃走して間違っていなかったと思う。もしもあのままあの場にいたら、次は本気であいつに殺されていたかもしれ
ない。いや、間違いなく殺されていただろう。命があるだけでも良しとしなければならない。それに結局銃はまだ俺が
所持しているのだから、俺こそ見事と言うべきだろう。まぁ、撃たれたのは論外だったが、それでも走ったりするのに
支障はない。利き腕でもないし。最善とは言えないが、まぁ及第点であの場は通過できたと考えたほうが気が楽だ。
俺は足を止める。分かれ道に差し掛かった。右へ行くか、左へ行くか。そういえばさっきもそんな選択肢をして、堤な
んかに遭遇してしまったんだっけ。となれば、今度は逆側の道へ行くか。あぁ、その前にここがどこなのか位は把握し
ておこう。俺は近くの民家の敷地内へと入り込む。塀の裏側に入ってしまえば、誰にも見つかることはない。そこで、
ゆっくりと地図を開いた。先程までの暗雲の立ち込めた状態のときよりも、ずっと見やすくなっているのはありがたか
った。そして、ここがエリアC=6であることを知る。
どうしようか。こんな傷を負った状態なら、本当はあまり動かないほうがいいのかもしれない……が。また雨でも降っ
たら厄介だ。今回は出発地点の中学校にあった置き傘をパクることで事なきを得たが、それは雨が上がったときに捨
ててしまった。次降ったら、間違いなくこの傷に沁みてしまうだろう。くそ、あの女め。とりあえずは、屋根のある場所を
探さなければならないらしかった。
屋根、か。しかし軒並み民家は鍵がかかっているのを確認したし、なにより11時過ぎだ。既に誰かしらは建物に進
入していると考えたほうがいい。あんな死角だらけの要塞に、誰がのこのこと入り込むかっつの。
屋根があればいい、か。そういえば、行きにバス停があったな。屋根つきの。そこに行ってみよう。ベンチもあったは
ずだし、くつろげるかもしれない。

 俺は、再び移動を始めた。
歩くのに支障はないと思っていたが、どうやら勘違いだったらしい。少し立ち止まって休憩したせいか、今度は体を動
かすごとに傷口が傷む。本当なら止血とか消毒とかをしなければならないのだろうが、あいにく自分はそんな術は持
ち合わせていない。どうしようもないのだ。ただただ、この傷が治るのを、祈るしか。
かさぶたが出来て、痛みがなくなるまでの辛抱、か。きっと、一週間くらいかかるんだろうな。しかし、治るまで俺が生
き残っていると考えられるわけがない。つまりこの痛みはもう残りの人生にずっとつきまとってくるわけだ。次第に、再
び堤に対する苛立ちが、ふつふつと湧き始めた。
もう、動きたくない。早く、休もう。邪魔をする奴は誰でも構わない。全て、除けてやる。

 バス停に、到着する。そして、俺は唖然とした。
 誰だかわからないが、一人の女子が、堂々とそこを占有していたのだ。

 俺の、場所が。俺の、場所……そこは俺のだ。お前のじゃないんだ。

 ……そうか、邪魔をする奴は。
 除けてしまえばいいのか。

 俺は、そっとその女子に向けて。

 銃口を構えて。


 そして。

 ……引き金を、絞った。





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