それは、いつもの光景。いつもの、平和な時間。 僕、君島栄助(男子5番)はいつも通り、みんなとわいわい教室で話をしていた。話といっても、受験生よろしく勉強 の話なんかではない。昨日の深夜にやっていたお笑い番組について、あーだこーだ思い出しながら友人たちと話して いただけだ。それが果たして学生の本分に則しているのかと聞かれても、僕にはイエスともノーとも答えることは出来 ない。これは恐らく、生きていくうえで必要なこと。日頃の生活の中で蓄積されていく鬱憤、ストレスを、発散させるた めの行為。 こんな論理的なことを頭の中で考えているだなんてことがバレたら、きっとバカにされるのだろう。お前は本当にクソ 真面目な奴なんだな、とか言われて、笑いものにされるに違いない。……だけどまぁ、それも悪くはない。僕の立ち 位置はまさにそれ。笑いを取らなければならないポジションでもなく、突っ込みを入れなければならないポジションで もない。僕はただその場にいて、一緒に笑って、そして笑われる存在。いい、それでいい。それなら僕は変に気を遣う 必要なんかない。それが、僕にとって至福の時、安息の場なのだから。 ……そう。 願わくば、この安息が半永遠に続くことを祈るのみだった。 「……おい、栄助。栄助ってば」 僕は、海底の奥底から浮上するような感覚を覚えた。誰かが僕を呼んでいる。あぁ、これはあいつの声だ。呼ばれ ているということは、僕は返事を出さなくてはならないのだろう。僕は口を開けようとした。だが、どういうことかそれが 叶わない。声が出ない。……あぁ、そうか。僕は眠っていたのか。いつの間に眠っていたのかはわからないけれど、 とにかく現実の世界では僕はまだ眠っている。声は聴こえているけれど反応できない。いわゆる半覚醒ってやつだ。 なんとも形容しにくく、居心地の悪いその空間から僕は抜け出すべく、さらなる浮上を試みた。上がれ、上がれ。とに かく、早く起きるんだ。 「……あ、目が開いた。おはよ、栄助」 目をゆっくりと開ける。眼前に、そいつの顔があった。思わず僕は目を見開く。一発で眠気が覚めた。 「ななな、なんだよ?! そっちの方向に興味はないからな?!」 考えるよりも先に、僕の口から言葉が流れ出た。それを聞いたそいつ、浜田篤(男子18番)は、目をキョトンとさせ、 やがて大笑いを始める。それは、本当にいつもと同じ光景だった。 「あっはっはっ、バカだなー栄助。期待に添えなくて悪いけど、俺もBLってのには全く興味がないんだよなー。いやー ……残念残念ー」 「BLだかSLだか知らんがな、起こすなら普通に起こせ、普通に! いきなりそんな寝起きのキッスをしようだなんて、 誤解されてもしょうがないだろうが!」 「まーまーまー。そんなことより栄助ちゃん……寝顔、可愛かったよ」 「バカはお前だっ!」 僕はそのままの勢いで浜田を押し倒す。そこで、ようやく気がついた。自分が、教室の床で眠りこけていたことに。い ったい、いつ? なんで? そう思って辺りを見回すと、この部屋にはそもそも机と椅子が存在していないことに気付 いたのだった。 「……おいおい、二人とも。バカやるのはいいとしても、ちーとばかし状況を見ておけよ、な?」 そして、二人でもみくちゃになっている自分達のすぐ傍にあぐらを掻いていた男、上田健治(男子2番)が声をかけてく る。浜田のボケ、上田のツッコミ。恐らくクラス内では最高の漫才コンビだ。この二人とはいつも行動が一緒だった。 ふざけあうのも一緒だったし、学校の行き帰りも一緒。ただそこにいるだけで、凄く楽になれる雰囲気を作り出してく れるから、僕は二人が大好きだった。 そんな上田が、珍しく真面目な顔をして周囲に気を張っている。それを見た浜田も、にっこりと浮かべていた笑みを鎮 めると、大きく深呼吸をした。 「あぁ。ちょいとこいつは……流石に笑えない状況かもしれねぇわな」 「……あのさ。僕、まだ状況がよく飲めてないんだけど」 浜田も柄にもなく真面目な顔をしている。僕は全く状況がわからず、仕方なく聞くしかなかった。上田が、そのボサボ サ頭に手をやりながら答えた。 「んー……オレ自身、まだあまり確証も持ててはいないんだがなぁ。とりあえず今言えることは、この部屋にはうちの クラスの面子が全員いるってことだ」 「うちのクラス全員が?」 僕は周囲を見渡す。薄暗い蛍光灯がたまに点滅するような部屋の中で、僕は何人かがまだ床に突っ伏して眠りこけ ているのと、そして自分達と同じように何人かは既に起きていて、ぼーっと座っていたり、またひそひそと話していた りするのが確認できた。 今は、いったい何時なんだろうか。腕時計を持っていないのでよくはわからなかったが、窓の方から微かに太陽光が 差し込んでいることから、昼間であるのは間違いないらしい。ただ、窓の外には鉄板のようなものが打ち付けられて いて、太陽光もまばらだった。どうしてこんな風にしているのだろうか。 「……なんか、牢屋みたいだね」 「なんだ栄助、今頃気がついたのか? さっき確かめたけど入口のドアも鍵を閉められていて開かなかった。窓からも 脱出できない。つまりオレ達は、この部屋に閉じ込められているってことだよ」 「……じゃあ、集団誘拐かなにかかい?」 「さぁな。まぁどちらにしろうちらを拉致った奴らからなんらかの説明はあるはずだ。とりあえずそれまでは、あたふた 慌てても仕方ねぇんじゃねぇのか?」 慌てても仕方ない、か。上田は変なところで冷めている。だが、お陰で僕もあまり動揺しなくて済んだ。思えば先程の 浜田の行動も、僕を落ち着かせるための彼なりの配慮だったのかもしれない。この二人、頭こそ悪いものの、感情を 操る能力についてはかなり長けているからなぁ。一応、二人ともクラスの中ではかなり目立っているし、僕以外にもよ く頼りにされていることくらい知っている。 「そっか……。あれ? 舞やたいもいるのかい?」 「うーっす。うちもここにおるよー。なに? やっと栄助も起きたん?」 その名前を出した瞬間、角元舞(男子11番)が手を上げてこちらへとにじり寄ってきた。相変わらずの地獄耳だ。これ でも上田とは仲良く付き合っているらしく、よく二人で映画を見たり遊びに行っているらしかった。クラスの中では結構 有名なカップルであり、またそれに対して誰も咎めはしていない。僕からすれば、どうしてこの二人は付き合いだした のか、不思議で仕方なかったのだが。 同じようなカップルで、実は浜田にも彼女はいる。……正確には彼女と呼べるのかどうかはわからないが、浜田自身 はそうは思っていないのかもしれない。意外と鈍感だから、その積極的なアピールにも気がついていないだけなのか もしれなかったが。 「あー。やっほー、えーすけー。この寝ぼすけさんめー!」 「あ、バカやめろ! いきなり跳び蹴りすんなっ! 僕は丈夫じゃないって何度言ったら……イタタタ!」 女子一番の問題児、芳田妙子(女子21番)、通称たい。彼女がどうしてこんなあだ名なのかは知らないが、とりあえ ずクラスの全員も、担任の戸田先生も、彼女のことはあだ名で呼んでいる。というより、あだ名で呼ばないと彼女はい きなり不機嫌になるのだ。自分の名前にコンプレックスでも抱いているのだろうか。その理由は尋ねてはいけないよ うな気がして、聞いてはいないのだが。 たいは、一年の時から浜田にべったりとくっついていた。初めて知り合ったというその日から打ち解けていたみたい で、とても初対面とは思えないやり取りをしていたのは印象に残っている。てっきり付き合っているのかと思ったが、 浜田に言わせれば、なんかいつもドタバタしている関係、とのこと。なんとも謎である。とにかくこいつは元気がいい。 むしろ有り余りすぎだ。思う存分浜田で発散しててくれ。いいから僕にあたるな、痛いから。 「あーもう。少しは空気読めよ、たい。ほら、周りのみんながキョトーンとしてるぞ?」 浜田が横槍を入れる。たいはすかさず浜田に向かって突進をしていた。その顔はにんまりと笑っていて、とても嬉しそ うだった。何処からどう見てもただのバカップルにしか見えないのだが。 「空気読めってなにさー。あっちーん、あたしはもうね、静かなのが大ッ嫌いなのさー。わかるでしょー?」 「あっちん言うなや。あー……それにな、確かにたいはやかましい方が好きだけどさぁ。ちと今はあまり騒げるような 雰囲気でもないんじゃないか?」 ちなみにあっちんというのは浜田のあだ名である。……が、こちらはあまりクラス内には浸透していない。それもその はず、そう呼んでいるのはたいと舞くらいなのだから。しかし、まぁ。あだ名で呼び合う仲というのは若干ではあるけ れど羨ましい。 そんな二人を見てか、眠っていた者は徐々に起きだし、起きていた者はその光景を見て次々に声を発し始めた。や がて微かだが笑いが生まれ、室内の雰囲気はそれなりによくなってきた。 「ほーらあっちん。やっぱし誰かが口火を切らないと雰囲気は変わんないんだよ?」 「おまえなぁ……少しは状況でも読んだらどうなんだい?」 返す言葉も見つからず、浜田は呆れ顔をしていた。しかしまぁ、そこまで落胆的な顔でもない。少なくとも二人のやり 取りがこの重苦しい雰囲気をぶち壊したのは確かだし、そういう点では評価に値するのかもしれなかった。そう、だか ら僕は流れに便乗して、同じく苦笑いを浮かべている上田に話しかけようとした、まさにそのときだった。 勢いよく扉が開いた。その音に、一気に場の雰囲気が凍てつく。 二人が変えた流れを、その音が瞬時に戻してしまった。 「……ぁあ?」 浜田が、ふてくされて声を上げる。 その先には、一人の女性が立ち尽くしていた。
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