004



 外は小雨だった。夏だというのに、それなりに高所に位置する山村だからか、若干冷える。
 ワイパーを動かしながら、バスが学園の前に止まる。やがてその扉が開き、中から門並教官が出てきた。

「門並センセ、お疲れ様っす。傘使います?」

「あら蒔田くん、そっちもお疲れ様。んー……小雨だしこのくらいなら大丈夫じゃないかな。うん、平気。ありがと」

 先に外に出ていた蒔田が、気さくに話しかける。それに対して、門並はにっこりと微笑んでいた。
……前々から思っていたのだが、あの二人はどうも親密な仲にあるようだった。俺がこのチームに配属されたときか
ら、というよりは、既に俺がプログラムに参加していたときから既にそういった間柄になっていたのかもしれない。そん
なことを考えていると、門並もこちらへと近付いてきた。

「こんにちは、寺井くん。そろそろこの現場にも慣れてきたかしら?」

「……えと、その。はい、大丈夫です」

「そう、大丈夫なのね。……大丈夫、かぁ」

門並はふふふと笑みを浮かべる。なんだか全てを見透かされているようでいい気分ではない。正直に、全てを打ち明
けた方がいいのだろうか。……いや、ダメだ。これは仕事なんだ。俺は、俺の任務を遂行するだけだ。

「おーい、寺井ぃ。早く運ぶの手伝ってくれよー」

「あ、はい。ただいま」

「あぁ、そっか。仕事がまだあるんだった。ゴメンゴメン。じゃ、またあとでね」

門並はそれだけ言い残すと、白一色のロングフレアスカートの裾を翻して、すたすたと校舎の中へ歩いていった。そ
れを見届けると、俺は急いで停車中のバスへと向かう。他の兵士達も、わらわらと他の生徒を運び出していた。俺も
その中へと加わる。ぐったりと昏睡状態に陥っている生徒は意外と重たい。俺はちゃっかりと手前にいた軽そうな女
子生徒をひょいと持ち上げると、雨に晒されないように軽快な足取りで校舎へと向かった。そして、他の生徒同様、ひ
とまず廊下に並べておく。これから、生徒達はこの場で首輪を取り付けられるのだ。生存状態を把握する為の、そし
て脱出を阻止し、反抗者に対して制裁を加えるための、爆弾入りの首輪を。
五往復くらいしたところで、ようやく生徒は運び終えた。役割を終えたバスは、一回だけクラクションを鳴らすと、雨の
中へと消えていった。俺は次第に強くなってきた雨脚から逃れようと、急いで校舎の中へと潜りこむ。中では、蒔田が
所定の首輪を出席番号順に順番に取り付けていた。相変わらずの手際の良さだ。他の兵士は、プログラムを始める
ためのコンピュータのセットアップを行いに、再び職員室へと戻り始めていた。俺も戻ろうとしたところで、蒔田に呼び
止められる。

「どうだ、寺井。首輪、つけてみるか?」

「……俺がですか?」

「いつかはやるんだ。今のうちから覚えておいて問題はないだろう。さ、まずはこいつを持て」

「あ、はい。えーと、これは誰のですか?」

 蒔田は、急に真剣な眼差しへとうつる。

「お前の弟さんの首輪だよ」

 俺は、急に静かになった周りに少しだけ驚いた。
 世界の全てが沈黙の海へと沈んでしまったかのような、不思議な世界。首輪を持つ手が、震えている。

「いいか? ここを、こうやって……こうだ」

 カチンという音と共に、首輪が蒔田の目の前の女子の首に装着される。これで、あとはもう所定の手順を踏まない
限り首輪の拘束を解除することは出来ない。無理に外そうとすれば、爆発するだけだ。なんとも簡単な手順だった。
そう、命がかかわっているというのに、驚くほど単純に。

「さぁ、やってみろ。しっかりとな」

俺の目の前には、ご無沙汰となる弟が眠りこけていた。まだ、自分達がなにに巻き込まれたのかをよく理解していな
いその無垢な顔。こうして生きて会えるのも、これが最後なのかもしれない。会話をすることも出来ない。ただ、命を
縛り付ける兵器を取り付けることしか、出来ない。
それは、覚悟。俺は決断しなければならないのだ。全てに、決着をつけなくてはならないのだ。

 首輪を、弟の首へとそっと近づける。ぐるりと廻して……。
 手が、動かない。最後の一歩が、踏み出せない。あと一工程だけ。ロックをかけてしまえば、それで終わり。

「……寺井」

「…………」

「……辛いか」

「…………っ」

「……私が、やるか?」

「…………っ!」


 カチン。

 なんとも呆気ない。情けない音がして、弟は拘束された。
 俺がやらなければならないのだ。俺が、責任を持ってやらなければ。

「そうだ。それでいい」

「……はい」

「まだまだ辛いことはたくさんあるぞ? こんなことが、比にならないくらいにな」

「……はい」

「辛いなら、逃げ出したっていい。誰も責めはしないよ。……さて、どうしようか?」

「……やります。やらせていただきます」

「そうか……。本当に、大丈夫なのか?」

「大丈夫です。最後まで見届けます」

「……わかった。その言葉、信じてみよう。……聞きましたね、門並センセ」

 俺ははっとする。気がつけば、背後に門並が立っていた。相変わらず、微笑を浮かべている。

「寺井くん。……今回だけは特別ね。貴方は、弟さんの行動だけに専念していてもいいわ」

「……でも、そんな」

「いいの。わかってるから。どっちにしても、今のままじゃあまり集中出来なさそうだもの。私たちだって人間だもの。
 そこまで非情に徹することも出来ないしね。だから、今回だけは特別。そゆこと、わかった?」

「……ありがとうございます。すみません」

「いいのよ。その分蒔田くんが二人分働いてくれるから。ね?」

「ね、てそりゃないですよ門並さん……まったく」

 蒔田は、突然の門並の振りに対して間髪入れずに突っ込む。どうやら噂は間違いではないようだ。
 俺は少しだけ落ち着かされると、大きく深呼吸をした。

「じゃ、早めに生徒たちを教室に運び入れましょう。そろそろ麻酔もきれてくるはず。急がないとね」

「んじゃあ、センセは早めに資料の準備していてください。ここはうちらでやっときますんで」

「はーい。じゃ、またあとでね、蒔田くん」

 門並は微笑んだまま、いそいそと廊下を歩いていく。取り残された俺たちは、生徒を教室へと運ぶ工程へと入った。


 大丈夫。まだ、終わっちゃいない。ましてや始まってもいない。
 今からくじけていちゃいけない。俺は……最期まで見届けなければならないのだから。


 時刻は、午後一時。
 雨脚は、徐々に酷くなりつつあった。






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