009



「好きです。僕とつきあってください」


 あれは、中学二年生の終業式の時だった。
 僕は、顔を真っ赤にしながらも、なんとかカンペに書き込んできたことを、口に出して言えたんだった。

 近本絵里奈(女子9番)。僕が、ずっとずっと大好きだった女の子。彼女のいったいなにがよかったんだろうか。今と
なっては思い出すこともできないし、思い出したくもなかった。とにかく、当時の僕は彼女に完璧にほれ込んでいたん
だ。それは、まだ幼さが抜けていなかったからなのかもしれない。ただの、憧れがあったのかもしれない。
僕は囲碁部に所属していた。といっても、とりあえず帰宅部にはなりたくなかっただけで、かといって一生懸命汗水た
らして青春を謳歌する気もなく、結局その辺で勧誘された囲碁部に入った、それだけだった。最初の半年くらいはまぁ
まぁ部活にも参加していたけれど、次第にそれさえも面倒になってきて、やがて僕は幽霊部員になった。もともと部員
数もそんなに多くはなかったし、本当に囲碁をやりたい奴しか部活には参加していなかったらしいから、もとよりやる
気のなかった僕を部活に連れ出そうとする奴なんて誰もいなかった。

「鈴木君」

ある日、僕は彼女と二人で、放課後に日誌を書いていた。当時の彼女はまだ純粋で、きちんと課された仕事をこな
す、優等生だった。僕はそんな彼女とまさに出席番号が同じだったから、正直面倒だな、と思いながらも、彼女の仕
事に付き合っていたんだった。

「……なんだい?」

「今日さ、誰が遅刻したっけ?」

日誌には、その日の欠席者、遅刻者、早退者を名前付きで書く欄がある。それは流石にきちんと書かないと、担任に
バレてやり直しを喰らってしまう。月に一度しか廻ってこない日直、少しでもその存在を忘れてしまうと、痛い目を見て
しまうのだ。

「えっと、中嶋が学校休みだろ? あと、仙道と目黒が遅刻だったはず」

だから、僕は早目に区切りをつけるため、それだけは忘れないように心掛けていた。その言葉を聞いて、目の前に座
る彼女はせっせとその名前を欄に書き込んでいく。

「鈴木君、よく覚えてるね。あたしなんてもう忘れちゃったよ」

「ん? いや、別に。日直ン時だけだよ、こんなん覚えてるのは」

「でも、日直ってことをすっかり忘れないだけ凄いさー」

「……あー、もう書き終わったでしょ? ほら、さっさと先生に出して。僕は早く帰りたいんだから」

早く帰ったところで、特に僕がすることと言えば、兄貴の本棚から漫画を何冊か借りて、読みふけることしかなかっ
た。兄貴は大の漫画好きで、高校では漫画研究会に所属して漫画を描いているらしい。毎月何冊も新刊を買ってき
ては、本棚の上に積み上げていく猛者だった。高校の授業が終わると、漫画を買う為に連日コンビニでバイトをしてい
るのだとか。全く、趣味の為には手段を選ばない、ある意味尊敬できる兄ではあった。
僕はと言えば、特にそんな趣味といった趣味はない。うちにはゲーム機もないし、パソコンだってない。強いて言えば
たまに休日に料理をする。男のくせに、とか言われそうだが、料理はなかなか楽しい。今だって、毎日夕飯の手伝い
はかかさない。

「近本さんは、このあと部活?」

「うん、そーなんだ。鈴木君は今日もサボりなんだね?」

「……うっさいよ」

彼女は、弓道部に所属していた。ほとんど女子しか存在しない部だったが、人数はそれなりに多い。彼女がその中
でどの程度の位置についているのか、そんなことは知る由もなかったが、まぁとにかく彼女は真面目に部活に通って
はいた。だから、それなりに実力もあったのだと思う。

 実際、彼女とこうやって二人でまともに話をするのは日直の時くらいだった。それも、二年生の夏休み前まで。二学
期になって、彼女はすっかり見違えていた。淡くではあるが、化粧をするようになっていた。部活動にはまぁまぁ参加
しているみたいだったけれど、サボって仙道美香(女子8番)や隣のクラスの佐原夏海(女子7番)あたりとどっかへ遊
びに行くこともちょくちょくあったみたいだ。成績もだんだんさがってきているみたいで、それに伴い彼女から次第に笑
みも消えていった。
夏休みに彼女の身に何があったのかはわからない。だけど、以前の彼女を知っているだけに、僕は今の彼女を直視
することが出来なかった。彼女は、苦しんでいた。原因はわからない。だけど、これだけはわかったんだ。彼女、近本
絵里奈は、苦しんでいるのだと。
その時僕は、初めて気がついた。僕自身も、そんな彼女を見て、苦しいということに。苦しい、胸がはちきれそうにな
るくらい、苦しい。以前の笑顔を見せて欲しかった。また、二人きりで日直を楽しくやりたかった。もう、僕が一人で
黙々と欠席者に君の名前を書くのは嫌なんだ。
僕は、君が心配なんだ。君が、大好きなんだ。僕は、君に……笑って欲しいんだ。

 だから、二年生の終わりに、僕は彼女に想いを告げた。
 全て。僕が苦しいこと。彼女を、どれだけ想っているかを、全て。


「……バッカじゃないの」

「え……?」

「いい迷惑だってんの。勝手にそんな妄想たてるなよ。私は誰からも心配される筋合いなんかないし、誰からもそんな
 心配されたくない。あぁもう、面倒だな。私はあんたのことなんかなんとも思っちゃいないよ。私のことは私でちゃん
 とケリをつけるんだから。あんたには関係ないことだよ」

「な、なに言ってるんだよ。君は苦しんでいるじゃないか! あんなに一緒に笑い合っていたのに、どうして!」

「……うるさいな。だからあんたにゃ関係ないの。わかったらさっさと消えな。……目障りなんだよ」

 だからこそ。その言葉は、一言一言が、ずしんずしんと心に圧し掛かってきて。
 僕は、振り返って歩き始めた彼女の後ろ姿を、黙って見ることしか出来なかった。

「最後に一つだけ言っとくけどね。あんたなんか、私ン中では最初から友達でもなんでもなかったよ」

 そして、彼女が最後に一度だけ振り返って言ったその言葉。
 それは。それは……。


 僕を、全部壊したんだ。


 プログラム。人を殺したって、決して罪に問われることはない。
 僕は三番目に出発する。そして、彼女が出発するのは、それからさらに三番後。

 僕は、この半年、ずっと苦しんできた。なにがダメだったんだろう。なにが、彼女をそうしてしまったんだろう。
 この苦しみからは、もう。彼女を殺すことでしか、解放されない。

 楽に、なるために。僕は。


 鈴木努(男子8番)は、教室の反対側に座る近本絵里奈を睨みながら、自分の番を、待っていた。
 じっと、じっと。辛抱強く。






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