教室。 その銃声が聴こえてきたのは、まさに浜田が出て行った直後のことだった。 襲われているのは、もしかしたら浜田なのかもしれない。そう思うと、次に出発を控えていた本村泰子(女子18番)の 心の中は恐怖の二文字で埋め尽くされてしまった。 ……無理だ。 私は殺し合いになんか参加できない。絶対に無理だ。 自然と唇が震え始める。手も止まらない。息が荒くなり、気分も悪くなる。出発前からこんなことじゃいけないとわかっ ていても、体がそれを拒絶する。 ここまでは生かされている。無事に、どうにかして。だけど、ここから一歩外に踏み出してしまえば、そこは戦場。命の やり取りをする野蛮な場所だ。そんな無法地帯に、はいそうですかと足を踏み出すわけにはいかない。だけど、そうし なくてはならないのだ。そうしなければ、始まる前に終わってしまうのだ。 終わり。それは即ち、死。死なんて、考えたこともなかったのに。当たり前のように大人になって、就職して、結婚し て、子供つくって。本来なら、死とはまだまだ先の話なのだ。それなのにどうして。どうしてここまでなんだ。私たちの 人生は、なんでこんなところで終わりを遂げてしまうのだ。 嫌だ、死にたくない。 まだ私は、死にたくなんかない。 頭を抱えていると、突然頭にそっと手をやられた。顔を上げると、上田健治(男子2番)がぎこちなく笑っていた。 「上田くん……?」 「心配すんな、泰子。きっと浜田がなんとかすっさ」 「…………」 「だから、安心していって来い」 ポンと頭を叩かれて、私は思わず頷いた。 上田はよし、とでもいいたげな顔をすると、前を向いて門並に舌を出していた。門並は呆れたような顔をして溜息をつ くと、私の名前を呼んだ。 私は立ち上がると、前へ進んで荷物を受け取る。不思議と、先程までの不安な気持ちは払拭されていた。上田のあ の一言のお陰だろうか。 少なくとも上田はやる気にはならない。私はそう確信すると、結局残されたクラスメイトたちを一度も振り返って見るこ となく、教室を飛び出した。 実は、私はある人物とこっそり約束をしていた。 私より少しだけ先に出発した友人の、三崎玲(女子16番)。彼女が出発する際に手渡してくれた、一枚の紙片。そこ には、書きなぐったかのように十字架のマークが描かれていた。だが、それは教会という意味ではないだろう。これは 地図記号。つまり病院を示唆している。恐らく玲は、病院で落ち合おうと私に伝言してくれたのだ。 私にはするべきことがある。まずは、無事に生き延びて病院まで辿り着くこと。そして、うまく玲と合流することだ。玲 は、私を選んでくれた。私と生きようと選んでくれた。だから私は、その気持ちにこたえなくちゃならないんだ。 ポケットの中で丸められている紙片を意識しながら、私は廊下を突き進む。 ……誰だ? 玄関に差し掛かったとき。私は、そこに誰かが転がっているのを見た。昼下がりの太陽に照らされて、そこに横たわっ ているものは、どうみても人だった。それが本当に人間だったものだと認識したとき、私の中で、なにかがストンと落 ちるような感覚に捉われる。 ―― 死体! 次の瞬間。反射的に私は下駄箱の陰に隠れていた。 見てはいけないものを見てしまったような気がして、私は慌てて本能的に隠れてしまったのかもしれない。 だが結果的に、その行為が私の命を救ったこととなる。 ズドォンッ! まるで大砲のような銃声。先程まで私がいた位置を、散弾が完璧に貫いていた。もしもあの場に留まり続けていた ら、間違いなく文字通り、私は『蜂の巣』にされていたことだろう。 私は叫びそうになった口を、両手で必死に押さえる。ぽろぽろと、自然に涙が瞳から零れ落ちる。 これは、殺し合い。だから、ここで起きていることは当たり前のこと。 なのにどうしてだろう。私は今の今まで、これがなにか現実ではないような気がしていたんだ。 嘘だと思いながら。やめておけばいいのに。私はまた下駄箱から、少しだけ顔を覗かせた。 その瞳に映ったのは、横たわる男女の死体。男子の方は顔を潰されていて、それが誰なのかもわからない。女子の 方も、これまた同じく酷い有様になっていた。そして、その傍らに立つ者。ショットガンを両手で握る、目黒幸美(女子 17番)。 彼女と、眼が合ってしまった。 突然、彼女が大声で笑い出す。 「あっははははは! ……本村ちゃん、見ーっけ!」 ズドォンッ! 彼女が叫んだ瞬間、勢いよく構えて次の弾を私へと向けて放ってきた。 私は慌てて首を引っ込める。近くの壁やら棚やらが、ピシピシと音を立てて崩れていた。 あんなの、一発でも喰らったらおしまいじゃないか。 「なーに、本村ちゃん。かくれんぼするのー? いいよ、見つけ出してあげるよー……あっははははは!!」 彼女が、ゆっくりと足音を響かせてこちらへとやってくる。その音は、次第に大きくなっていく。 そうだ。武器を出さなければ。抵抗しなければ。そう思い、支給されたバッグを開けようとするが、手が震えてなかな かチャックを開けられない。焦れば焦るほど、空回りをしていた。 近くで鳴り響いていた足音が止まる。私は、影が落ちるのを感じて、顔を上げた。そこには、散弾銃を構えた彼女の 笑みが、あった。 「ほーら、見つけたぁ!」 私は一目散に駆け出した。直後、彼女が後方で銃を放ったが、私は気にせずに駆け出した。しかし流石は散弾銃、 たった一発で、右腕、右わき腹に被弾した。その偏った痛みに、思わず私は転げてしまう。下腹部に触れると、ぬめ っとした感触。触れた手を見てみると、それは真っ赤に染まっていた。 振り返ると、相変わらずの引き攣った笑みを浮かべる彼女がいた。すぐには殺さないつもりなのだろうか、ニヤニヤと 笑って、黙ってこちらを見下ろしている。 「助けて……」 自然と、口から言葉が洩れた。また、唇が震えている。手も震えている。全身が、震えている。 「お願い……助けて…………」 命乞いだ。それも、クラスメイトに対して。 なんとも、情けないったらありゃしないだろう。 カツッ! それは、唐突だった。突然音がしたかと思うと、私と彼女の間の床に、なにかが突き刺さっていた。よくよく見ると、 それがどうやら弓矢の類であるらしいことがわかる。 私は、その矢が向いている方向へと顔をやる。そこには、一人の男子が突っ立っていた。 「なにしてんだ! いいから今のうちにさっさと逃げろ、本村!」 それは、ボウガンを構えた藤村光明(男子19番)だった。 私は慌てて立ち上がると、一気に玄関から外へ出る。呆気にとられていた彼女はというと、まだ一歩も動いていなか った。恐らく私なんかよりも、彼を相手にしたほうが楽しいとでも思ったのかもしれない。とにかく私は、少しでも早くこ こを離れよう。そう思って、走り続けた。 全身が、だるかった。右上半身に、うまく力が入らない。 だけど、どうにかして私は出発できた。もう、追ってくるものはいないと判断して、私はようやく走るのをやめた。藤村 がどうなったのかはわからない。だけど、私はまだ生きている。それだけは、確かだった。 生きている、喜び。 15歳にもなって。ようやく私は、それを実感できたのだった。
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