寺井晴行は、はっと顔を上げた。 慌てて辺りを見渡す。そして、少しだけ胸を撫で下ろす。よかった、誰にも見られてないみたいだ。 今しがた、盗聴器を通じて流れてきた音声。弟の、そして行動を共にしている岡本という生徒の音声。それは、やっ てはならない禁忌の手段だった。すなわち、首輪を解体するという偉業を成し遂げようとする、反逆者。 もしもこれが他の兵士にも聞かれていたとしたら。まず間違いなく責任者の門並のもとへ駆け寄るだろう。そして、様 子を見て、そのまま然るべき処置をするはずだ。だが、そこまで慌てた様子の兵士の姿は見受けられない。どうや ら、今の会話を聞いていたのは自分だけらしかった。 これは……果たしてどのように処理をするべきなのか。まさかこちらから不穏な行動をとるのはやめろというわけにも いかないだろう。それが、いくらここから歩いてすぐのところにある民家だとはいえだ。 問題ない。首輪の拘束を、たかだか中学三年生に解けるわけが無い。寺井自身も、かつては首輪の構造を把握し ようとしたことはある。だが、その資料は複雑な情報がちりばめられていて、とてもじゃないが中卒の自分に理解でき るものではなかった。自分にはどうしようも出来ないが、万が一という可能性もある。現に、過去にはそういった事例 もあったのだと、就任する際にこっそりと蒔田から忠告を受けたりはしていたのだ。 さて……どうしようか。 「どうした寺井。悩み事か?」 唐突に、背後から声を掛けられた。噂をすれば、だ。蒔田が、満面の笑みでこちらに話しかけていた。 「どうした、また弟のことか?」 「ま、まぁ。そんなとこです」 下手に嘘はつかないほうがいい。この男は、勘が冴えすぎている。 なんとかして、この場は切り抜けるべきだと、本能がそう訴えていた。 「えーと……あらま。弟さん、岡本と一緒に立て篭もってるのか。まぁ、岡本自体やる気になるとは判断されてないか らな。大丈夫だろ」 「……そうですね。会話を聞く限りだと、積極的になろうとは思ってはいないみたいですが」 「そっか。……なぁ、寺井」 蒔田が、トーンを落とす。まさか、バレたのか? いや、そんなはずは無い。蒔田だってさっきの会話は聞いてはいな かっただろう。 「は、はい」 「今の立場とかそういうのは一切抜きにして、だ。もしも可能なら」 「はい……」 「弟、救いたいか?」 唐突にそう告げられた。寺井は思わず、口をパクパクしてしまう。 どういう意味なんだ? 突然そんなことを言い出して、やはり蒔田は、あの会話を盗聴していたのか? 「……なんてな。気にするな、寺井。ただなんとなく、聞いてみただけだ」 「は、はぁ……」 「仕事中邪魔して悪かった。引き続き、集中してくれや」 蒔田は手を振りながら、遠ざかろうとする。咄嗟に、口が開いた。 「あの」 「……なんだ?」 「その、今の立場とか抜きにしてなら……」 大丈夫だ。この会話も、周りには聞こえないはずだ。 「一人の兄としてなら。晴信は救い出したいですよ」 その言葉を聴いた蒔田は、少しだけ微笑む。そして、ゆっくりと頷いた。 その姿を見て、寺井は思う。そうだ、自分は蒔田のこれに憧れて。この世界に足を踏み入れたんだった。 「そうか。お前がそうなら、俺はそれで構わないよ。ただ、これだけは先輩として忠告しとく」 「はい」 「覚悟は、しとけよ」 蒔田はそれだけ言うと、奥のほうへ引っ込んでしまった。 恐らくはまた、門並教官のもとへと向かうのだろう。仲のいいことだ。 覚悟は、しとけ……か。 このときはまだ。 この言葉の本当の意味は、自分では理解していなかったんだろう。 【残り36人】
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