035



 中嶋豊。
別段、特に話した記憶はない。迫川裕(男子17番)や南雲至(男子15番)あたりといつもつるんでいたような気はし
たが、今はどうやら一人で行動しているらしい。というより、鼻歌をうたっているのだが。

「……なんだありゃ?」

上田は、怪訝そうな顔をする。
僕にも意味がわからなかった。どうして、こんな状況でうたっていられるのか。確かに彼は音楽の合唱会では指揮者
を務めていたり、また昼休みによく音楽室に出向いてピアノを弾いたりしていた。無類の音楽好きという印象は強かっ
たけれど、それにしてもわざわざこんな状況で。いくら、音楽好きだからといって。

「よくはわからないけれども、誰かと待ち合わせしてるんじゃないかな」

「待ち合わせ、か。それにしても普通歌うか?」

「……きっと、癖かなにかだよ」

彼がぼーっとあんなところにとどまる理由。恐らく、待ち合わせというのが妥当な考えだろう。ぼーっと待っていたらつ
い癖が出てしまうのも頷ける。それにしても、緊張感が無いようにしか思えないが。
やれやれ、仕方ないな。

「わかったよ。歌、やめさせてくる」

「栄助……マジかよ、大丈夫か?」

無論、相手がこのゲームに参加する気があるのなら、自分の命は当然ながら危機に晒されることになる……が、そ
れはないだろう。ゲームに参加したのなら、こんなところで油なんか売らないはずだ。それに、いざというときは自分に
は拳銃だってある。

「平気だよ。ちょっとだけだし」

「……俺も行こうか?」

「いや、二人で行って警戒されても困るからいいよ。僕一人で行く」

「わかった。油断はすんなよ」


 僕は、歩き出した。次第に鼻歌が大きくなる。
 目的は、彼が誰と待ち合わせているのかを聞くこと。今はとにかく、少しでも情報が欲しかった。

 唐突に、鼻歌がやむ。中嶋は、僕の目をまっすぐと見ているようだった。
 暗くて、その瞳は覗けなかったが。

「君島……か?」

「そうだよ」

「一人……か?」

「そうだけど」

 淡々とした会話。
 中嶋は、ふらふらと立ち上がる。その足取りは、おぼつかない。

「おいおい、大丈夫か中嶋? しっかりしろよ」

「平気なわけ……ないだろ。だって、これは……殺し合いだぞ?」

「まぁまぁ、落ち着け。この殺し合いの状況下で、君はのんきに歌ってた。それは事実だよね」

「……歌?」

 どうやら、本当に無意識だったらしい。

「まぁ、いいや。ところでさ、ここで誰を待ってたの?」

「……待ってた?」

 おや? 違ったか?

「だって、ほら。こんなところでぼけーっと座っててさ。誰かを待っていたんじゃ」

「君島」

 突然、話をさえぎられる。
 するりと冷たい風が背中を吹き抜けたのは、気のせいだったのだろうか。

「殺し合いなんだ、こいつは」

 重たい雲の下、ただでさえ暗がりが続くのに、彼の顔はさらに闇がかっている。
 彼は、一歩ずつ、今度はしっかりとした足取りで、僕のほうへと迫ってきた。

「こいつは……殺し合いなんだ、君島」

「それが、なんだよ。まさか乗ったわけじゃないだろう?」

「……君島」

 気がついたときには、彼の手が背後にまわっていた。
 そこから鈍く光る刃が見えたと思った時には、既に彼の一閃が僕の目の前を通過していた。手斧だった。

「…………!」

「目の前に現れた奴は消す。それが、この試合のルールだ」

 なんだなんだなんだ?
 殺し合い? うそだ、冗談だろう? 乗った奴ってのは、もっとこう……積極的にくるもんだろう?
 あれか? お前は本当はやる気で、それで僕が目の前に現れたから消すって寸法か、賢いなちくしょう。

「おい! 危ないって! マジ死ぬって!」

 当たり前だ。相手はマジに殺しにかかってきているのだから。何を言っているんだ僕は。バカか。

「殺すことでしか生き残れないんだろう? なら、殺す。当たり前のことじゃないか」

 一気に、本性を露わにした中嶋が詰め寄ってくる。
 だけど、僕は背中を見せるわけにはいかなかった。後ろから切りつけられたら、それこそおしまいだ。

「なにやってんだ、この馬鹿がっ!」

 ガン! と鈍い音がする。中嶋の手斧が、はじかれた。
 僕と中嶋の間に割って入った上田が、罵声を浴びせた。さて、どちらに向けて発せられた言葉だろうか。

「……おい、栄助! 見てねぇで援護しろ、馬鹿!」

 歯を食いしばって、鉄棒で手斧を封じ込めている上田が吼えた。なるほど、上田は僕に罵声を浴びせていたのか。
確かに、彼がこの殺し合いに乗っていることを見抜けずにぬけぬけと話しかけたのは自分だ。非は自分にある。

「邪魔をするな。お前なんか嫌いだ」

「うっせぇなぁ! てめぇは黙ってろ!」

中嶋が舌打ちをする。確かに、あちらからすれば上田が参戦することなんか想定外だろう。上田は運動神経が高い。
単なる肉弾戦なら、彼には敵わないはずだ。
援護しろ、か。僕の頭の中で、熱が一気に冷めていく感じがする。集中している証拠だ。

「上田、離れてくれ」

 僕は言う。上田は言われたとおり、中嶋の手斧をはじき返して飛び退いた。中嶋の体が、フリーになる。
 その体、目掛けて。

 僕は、カジュアル2000の引き金に力を込めた。

 乾いた銃声が辺りに響き渡る。中嶋の体が仰け反ったが、倒れるまでには至らなかった。だがそれでも、彼のワイ
シャツの左肩口には血が滲み始めていた。

「う……うぉぉ……!」

手斧が、力なく地面に転がる。僕は上田の手をつかんで、走り出した。

「よし、逃げよう」

「……お、おぅ!」

 唖然として一部始終を見ていた上田は、少しだけ戸惑いながらも走り出した。銃声は予想以上に大きかった。恐ら
く、それこそ容赦の無い連中が音を聞きつけてやってくるはずだ。そんな危険な場所に長居するわけにはいかない。
とにかく、今度こそ寄り道せずに病院に行かなくては。

「上田……ごめん」

 走りながら、僕は上田に謝る。

「気にするな。命が残っただけラッキーだと思えばいいさ」

 拳銃を撃った感覚。
 それが、僕の手に、びりびりと残っていた。

 正直に言おう。少しだけ、怖かった。
 クラスメイトを躊躇せずに撃ってしまった自分が、怖かった。





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