10.阻  止



 例えば、目の前で望まない殺人が行われようとしていたら。
 もしその対象が、自分の親しい友達だったとしたら。

 その時、貴方なら、どうしますか?




「おい、あそこに誰かいないか?」

 突然目の前を歩く巨体が足を止めた。高橋 恵(女子2番)は息を大きく吐くと、腰を下ろした。それを見たペアの
田健人(男子2番)が軽くなじる。

「……ておい、もう疲れちまったのかよ?」

「仕方ないじゃん。こんな山、舗装もされていないところなんかそんな速さで歩けないよ。……それにしても知らんかっ
たよ。クマって、そんなに体力あったん?」

「……ほっとけ」

3年生の中ではいつも三島幸正(男子6番)とつるんで遊んでいた問題児である熊田は、女子の間では怖がられてい
たので、あまり交流は無かった。ただ一人、恵を除いてだ。

 恵は、小さい頃から人見知りが激しかった。見知らぬ土地を歩くことなんてもってのほかだ。だから、当然の如く、友
達を作ることも苦手だった。唯一の友達とも言えた原田真奈(女子3番)は学区が違って、小学校へ進学する際別に
なった。だから、小学校の頃は大抵一人で読書をしていた。運動神経はほとんど皆無だったし、当然体育の授業で
はみんなから邪魔者扱いされてきた。
そして、一人で孤独でいる恵をからかう連中も出てきた。いじめというほど酷い仕打ちではなかったが、罵声を浴びせ
られることなんて日常茶飯事だった。そんな時だ。同じ学年の、最も大きな体つきの熊田が、恵に近づいてくるように
なったのは。
熊田健人という生徒の名前は聞いたことがある。小学生の割に大きな体つきはみんなの恰好の対象となり、また走
るのも遅かった為、ウスノロと罵られていたので有名だった。もっとも、当人に知られたらただでは済まされないので、
案外熊田本人は自分がそう呼ばれていることなど知らないのかもしれない。
熊田は強かった。理不尽に恵に対して危害を加えたり罵声を浴びせようものなら、力尽くで打ちのめした。とはいえ、
彼の剛力は学年中で有名だったので、そこまで抵抗するような者はいなかったのだが。
ある日、恵はいつも自分を助けてくれる熊田に尋ねたことがある。何故、自分なんかを助けるのか、と。
その時熊田はこう言った。

「俺ってさ、どっちかっていうといじめる側なのよ。でもな、マサに止められてからは守る側になったわけ」

「マサ……って?」

「ん? あぁ、マサ、知らないのな。うちのクラスの三島幸正って奴だ。こいつ、滅茶苦茶喧嘩強いぜ」

これをきっかけに、2人の仲は親密になっていった。愛し合うといった類ではなく、ごく普通に挨拶を交わし、ごく普通
に冗談を言い合い、ごく普通に席を並べた。それだけだ。
だが、中学校になって、また次第に同級生も引っ越したり私立の中学校に入ったりして、遂に学年生徒数が12人に
なって、偶然恵は熊田と同じ出席番号になった。席は隣同士、会話数も多くなった。熊田は少し照れているのかどう
かは不明だったが、中学の後半はほとんど校内では会話が少なくなった。校外で出会ったりするとまた冗談を言い
合ったりするのだが、最近は受験もあったし、そのような出来事はなかった。

 そう、プログラムに巻き込まれるという事態に出くわして、まさか再び話し合うというイベントが起きるなんて、予想も
出来なかった。まさか、そんな。
仲の良かった原田真奈が死に、学級委員の篠塚晴輝(男子3番)も殺された。
そう、これは紛いもない、現実だった。

「あれは……ヤスと、松岡だな」

一人ばてている恵の傍らで、熊田は目を薄めてそう言った。恵みも眼を凝らし、だが案外近くにいることに気が付いた
……とはいえ、こちらは丘陵で少し高い位置にいる。向こう側からは、こちらの姿は確認できないだろう。
恵でも確認できたその2人の人物とは、東雲泰史(男子4番)と松岡圭子(女子4番)のカップルだ。どうも幼馴染らし
く、恵が2人を知ったときには既に親密な仲になっていた。2人は辺りをキョロキョロと見回しながら、とぼとぼと歩いて
いる。どうしたらよいのかわからないのだろう。
その時だ。隣で、チャキン、という音が聴こえたのは。

「クマ……?」

すぐ隣で、身を屈めたまま、熊田は手元で作業をしていた。
それは初めて見る光景だったが、今の恵にはすんなりと何をしているのかが受け取れた。この状況のせいでもあるだ
ろう。そう、熊田のしている作業とは。

「なに……するつもり?」

「……撃つんだ。2人ともじゃない、1人だけだ。そしたら後は時間が経てば」

「本当にやるつもりなん?」

「やりたくない。だけど……誰かがやらなきゃ、殺し合いは終わらねぇんだ」

弾を、込めていた。彼のデイパックから出てきたのは、チーフススペシャルという拳銃だ。銃に関して生憎銃器に関して
は乏しい知識しか持ち合わせていなかったが、ただその引き金を引くだけで、弾が出てくるのだということはわかる。

だけど。




 ねぇ、本当に……いいの?
 殺すしか、方法はないの?


 いや、違う。あるはずだ。
 きっと、もっと……他の、何かが。

 殺人を犯すという最悪の方法以外に、何かが。




「駄目だよ」

「お前には見せない。お前を、巻き込みたくは無い」

「駄目だって」

「黙ってろ。すぐに……終わらせる」

熊田が、チーフススペシャルを両手で握った。そして、未だにこちらに気がついていない2人に向けて、銃口を向ける。
何かが、頭の中ではじけた。ただ、守らなければならないという意識が、働いた。

「駄目ぇぇっっ!!」



 ダァァンッッ!!



撃つか撃たないかの間際。
恵は、熊田に体当たりをした。恵の体当たりごときで転倒するような体ではなかったが、それでも銃口の先を変えるこ
とだけは出来た。そして、弾が跳んで行った方向は。

「う……あぁぁっっ!!」

「あ……」

「くそ、高橋! 何しやがる?!」

東雲泰史の右腕から血が流れ出ていた。弾は完全に逸れたわけではなかったのだ。
そして、咄嗟に叫んでしまった熊田の声に、気が付いた2人は。いや、東雲はそれどころではなかった。もう1人が、
こちらをぎっ、と睨むと、右肩から吊り下げていた『それ』をこちらに向けて構えた。

そして。



 ぱぱぱぱぱぱ……!!



「ぎぃぃっ!」

途端、隣に立っていた熊田の体が不気味なワルツを踊り、地面に伏した。奇声を、あげて。
その体を覗いた瞬間、吐き気がした。全身に、いや、主に上半身に穴が空いていた。そのうちの1発は顔面を貫通し
ていて、見るも無残な形となっていた。
要するに、こんなにも呆気なく、熊田健人は死んだのだ。多分本人も、何が起きたのかわからないまま。

「あ……ぁぁ…………!」

そして、この後の自分の運命をも。

「ぁぁぁああああああっっっっ!!!」

恵は立ち上がる。自分に支給された折り畳み式ナイフはスカートのポケットの中に仕舞ってあった。だが、それを出す
ことも無く。
熊田の死体からチーフススペシャルをもぎ取ると、走った。自分の意思に反して、いや、自分の生存本能に全てを委ね
て、恵は走った。そうでないと、そうでないと、5分以内にケリをつけないと、自分は。
急斜面を滑り落ちる。傾斜はかなりある。当然上手く滑り落ちることなんて出来ない。恵は、そのまま、落ちた。
床に叩きつけられても、どんなに痛くても、恵は立ち上がった。そう、生きる為に。ルールに従って。ただ、ペアである
熊田健人を殺した松岡圭子を殺す為だけに。
立ち上がり、目の前で起きた事態がうまく飲み込めないのだろう、震えている2人に向けて、恵はチーフススペシャルを
構えた。そして、引き金を絞った。



 ぱぱぱ……!!



そう、絞ったのだ。確かに自分は、引き金を絞ったのだ。
だが、人差し指を絞るという感覚は既に無かった。松岡圭子の手元にある小銃、ウージー9ミリ・サブマシンガンから
吐き出された炎が、恵の銃を握る右手ごと引きちぎったのだから。

「う……うぁぁぁああああっっ!! 指、指、ゆびぃぃぃぃぃ?!」

どんなに気が狂っても、どんなに酷い痛みが襲ってきても、恵は耐えた。
だが。右手を失い、その尋常じゃない痛みは、恵を覚醒させるのには十分だった。
我に返った恵は、ぼろぼろと涙を流し始める。

「うぅ、圭子ぉぉ……痛いよぉ……! どうしよぉ、クマ、死んじゃったよぉ……!!」

痛みに耐え切れずに跪いた恵は、へたりと座り込んで泣きながら言った。
千切れたというよりも、潰れた右手は、すぐその傍に落ちていた。チーフススペシャルを、それでも持ち続けて。

「どーしよぉぉ……、死んじゃうよぉ。真奈みたいに……死んじゃうよぉ……!!」

「あ……あんたが悪いんでしょ?! うちのヤス君を撃ったりするからぁ!!」

圭子が喚く。彼女も、自分がとんでもないことをしてしまったということに気付いたのだろう。声が震えていた。
そして、その東雲泰史はというと、木陰に力なく垂れている。出血量が酷かった。まぁ……恵ほどではないのだが。

不思議と頭の働きは冷静だった。
熱かった感情に、冷たい理性が吹き込んできて、一気に冷めた感じだ。

「ひどい……ひどいよぉ!! ねぇ、圭子……助けてよぉ!!」

「あ、あたしは知らないわよ!! 知ったこっちゃないわ!!」

ふらふらと、力を込めて立ち上がる。失った右手の付け根が、じくじくと鈍い痛みを放つ。
よろよろと、力を込めて歩き出す。おぼつかない足取りで、圭子のもとへ。

「な……何よ?! こないでっっ!!」

「嫌だ……死にたくないの。助けて、圭子。お願い、助けて……」



 ピ……、ピ……。



熊田健人が死んでから、時間はあっという間に過ぎた。
恵の首輪が爆発するまで、残り60秒。

「あ……ぁぁぁぁあああっっっ!!」

その電子音が、再び全ての記憶を甦らせた。原田真奈が死んだときの、それを。



 ピ、ピ、ピ、ピ。



「クビ……クビワがぁ!! 鳴ってる、鳴ってる、爆発しちゃゥゥゥゥ!!!」

「来ないで!! お願い、お願いだから来ないでぇぇっっ!!」

最早圭子の声など聴こえない。
先程よりも、恵は狂っていた。ただ、助けて欲しくて。一生懸命頼めば、なんとかなると、そう、信じて。



 ピピピピピピ。



「助けて圭子ぉ!! お願い、死にたくないぃ!! 圭子、圭子、圭子ぉぉぉっっっ!!」

電子音が早まる。時間はあっという間に過ぎていく。
でも、信じたかった。なんとかなると、信じたかった。叶うはずのない希望に、しがみつきたかった。

「来るな……来るな来るな来るな!!」

「やだよぉ! なんとかしてよぉ! 助けてよぉ!! 圭子ぉぉっっ!!」

「来るなぁぁぁぁぁああああああっっっっ!!!」



 ぱぱぱぱぱ……!!



そしてまた、助けを求めた相手は、遂に恐怖に打ち負け、ウージーの引き金を絞った。
銃口から吐き出された弾は、恵の腹を滅茶苦茶に引きちぎった。強烈な痛みが恵を襲った。だけど、それだけの衝撃
でも、最早恵が覚醒することは無かった。
唯一つ、『死』を恐れて。



 ピ――――。



「圭子……圭子ぉぉ……」

「……恵……めぐみぃ!!」

「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!」














  ドバァァァァンッッ!!












鮮血を撒き散らしながら、恵は両手を天に突き出していた。
まるで、天の恵みを請うかのように。


だが、その手も、ほどなくして地に落ちる。


願いは、叶わなかった。












 悪いのは、自分。きっかけを作ってしまったのは、自分。
 仕方が無かったんだ。自分でそうしてしまったんだから。


 だけど。




 うち、死にたくないよ。
 まだ、生きたい。





















 生きたい。



















  男子2番  熊田 健人
  女子2番  高橋 恵    死亡



【残り7人】





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