序 章 プロローグ − 1 2005年、1月28日。 共和国戦闘実験第68番プログラム第50号試行プログラム考察会議室。 この日、再び政府の官僚の中でもエリートの役人が、総勢20名ほど集まった。その中には、専守防衛軍開発主任 や防衛軍一等兵士など、蒼々たる顔ぶれもあった。 午前十時を廻った頃、壇上に一人の男が立っていた。司会者である。司会者はまだ会議も始まっていないのに緊張 のせいか、はたまた照明が照り付けているせいなのかはわからないが脂汗を浮かべ、それを慌ててハンカチで拭い ていた。マイクの電源を入れ、指先でトントンと叩く。無事スイッチが入っていることを確認し、司会者は手に取ったレ ポート用紙を捲った。 「本日は、わざわざお集まりいただき真にありがとうございます。今回集まっていただいた事については、既に各々に 配られている冊子を見ていただければわかると思いますが、本年度の戦闘実験第68番プログラムの第50号に関し ての考察会議という名目であります」 司会者の男は所々引っ掛かりながらも、なんとか声を振り絞っている。まぁ、毎年のことだ。下手な敬語は使わない ほうが良いというが、別にいらつくことも無い。 年相応のしわを刻み込んだ恰幅のいい男は、手元にある資料をパラパラと捲りながらそのようなことを考えていた。 今回の実験では、前回のような失敗は許されない。絶対に成功させなくてはならないのだ。そうでないと、国民の反 感を買うことになってしまう。ただでさえ反対論が多数を占めている(勿論表立った反対運動などはなかったが)プロ グラムの存続のために、折角本来の生存枠を一人から二人に増やしたのだ。それが前回の試行プログラムの結果、 バグが発生して生徒全員が死亡ということになり、週刊誌でもそのことが大々的に報じられてしまった。 「ええ、まず始めに、今回の試行プログラムについて専守防衛軍開発主任の田嶋氏から説明があります」 司会者がそう述べると、恰幅のいい男のはす向かいに座っている眼鏡をかけた痩せ気味の男が立ち上がった。 「ええ、開発主任の田嶋です。まず、今回のプログラムのルールは前回行った通称『連動プログラム』の改良型であ ります。前回の連動のルールは、二人一組のペアをつくり、ペアバトルというルールになっていたのはご存知かと思 われます。その際、ペアが死亡した場合はもう一方の生徒の首輪も連動して爆発するというものでしたが、回避方法 は二つありました。一つは自分のペアを殺せば、連動という枷から逃れられるという方法。もう一つは自分のペアを殺 害した生徒を、首輪が爆発するまでの五分間の間に殺害するという方法です。しかし結果的に、前回のプログラムで は最終的に生き残った一人の生徒の連動が解除されず、爆発してしまい優勝者無しということになってしまったので す」 そこまで一気に開発主任が読み上げると、吊り目で茶髪の三十代程の男が手を上げた。彼は一体誰だったか。恰幅 のいい男にはわからなかった。大方今年度昇進したエリートのうちの誰かなのであろう。 その男は、司会者に指名されてもいないのに立ち上がり、開発主任に尋ねた。 「どうして連動が解除されなかったのか教えてもらえないかな? 参考にしたいんでね」 礼儀作法も知らないのか、この男は。いくら自分の立場が偉くとも、開発主任はこの場の絶対的な存在であるという ことをわかっているのか。同様に態度が気に食わなかったのか、だが開発主任はきちんと応対した。 「問題点は、最後の一人になったときに強制的に首輪を無効化する処理がなかったことです。そのときの詳細を挙げ ますと、優勝するはずの生徒のペアが別のペアの一人に殺されました。しかしその連動解除のために殺すべき生徒 が、自殺してしまったのです。そのため連動は解除されることなく、最後の一人になったのにもかかわらず首輪が爆 発してしまった、これが一年前のプログラムなのです」 「ふぅん。じゃ、今年の試行プログラム……いうなれば『連動2』は最後の一人になったら強制的に首輪を無効化する んだな」 「いや、それだけでなく、ペアを殺した生徒を殺さなくてはならないというルールは、誰でも殺せばいいというルールに 改定します。その代わり、ペアを殺してはいけないということになりましたが」 「何故だ? この試行プログラムの目的は、生徒同士が戦わなければならないはずなのに一部の生徒しか殺し合い をしていないという効率の悪さを改善するために連動解除というボーナスを与えたのだろう?」 「いや、それだともう一つの影の目的である、プログラム反対派を納得させるための二人生還の可能性が減ってしま うので、少しでも緩和させようと色々と考えた次第で……」 「そうかそうか、わかったよ。もういい」 なんて態度だ。身分の差をわきまえようともしていない。一体彼は何様のつもりなんだ。 開発主任も流石に嫌気がさしたのか、もう何も言わずに淡々と説明を続けている。今回も偶然にも少人数のクラスが 第50号プログラムに当選し、さらに偶数ということだった。男女八名ずつの合計16人。特に偏りが出るということもな さそうだ。前回の担当教官である道澤静先生が指摘していた、首輪の爆発力が強すぎるという点に関しても修正は 行った。これで、もう前回のような悪夢はなくなるはずだ。どこを探してもミスなど見当たらない。まさに完璧な計画。 週刊誌に叩かれて肩身の狭い思いをすることだってもう無いだろう。 開発主任の説明が終わると、再び司会者が手にハンカチを握り汗を拭きつつレポート用紙を捲った。そして、言った。 「それでは、今回このクラスを担当していただく先生を紹介させていただきます。先ほどからそちらに座られているの が、今までもこのクラスの担任をしておられた稲葉康之先生でございます」 その先ほどから態度がよくない茶髪の男。 彼が担当教官だと? さらに、今までも担任を務めていた? 「ちょっといいかね?」 恰幅のいい男は、手を挙げつつ立ち上がった。ざわついていた会議室内が、一瞬にして静まる。だがそれに気に留 めることもなく、司会者に質問した。 「この稲葉という男は、今までもその対象クラスの担任をしていたといったね。教官経験はあるのかね?」 その質問を受けて、司会者は汗を流しながら慌ててレポート用紙を捲り、おずおずと喋り出した。 「ええと……ですね。ないですね。ただ、稲葉先生の担当クラスがプログラムに選ばれたと告げた瞬間、自分に担当 させてくれと言い出して聞かなかったんですね。こちらとしてはそのようなケースは初めてだったもので、もともと担当 教官になってもらうはずだったそちらの水島恵子先生には、一応補佐という形でついてもらうことになりました」 稲葉という男の隣に座っている背の小さな女性が、ゆっくりと立ち上がって周囲に一礼をした。彼女の方がまだ作法 がいい。 「ふぅん、なるほどねぇ。なんで担当教官を受け持ちたかったのかね、稲葉君?」 稲葉は、即座に立ち上がって喋り出した。 「理由なんか、決まっているだろ。自分達のクラスの生徒がかわいかったら、こんな仕事を引き受けるはず無い」 ということはつまり。 「君は、何かあのクラスに不満でもあったのかね?」 「不満も何も、俺はあのクラスが大嫌いだ。あいつらがなんでこの世に生きているのか理解できない。あいつらなんて 死んだっていい、そんぐらいに考えている。だから、あいつらが死に逝く様を眺めさせてもらいたかったのさ」 なるほど、このところ多い点綴的な子供教師的発想ということか。最近の教師達はどうも甘やかされて育ってきてい るからなぁ、わがままが通じない子供達に対して簡単に暴力を振るうんだろう。もっとも、放任主義よりはましかもしれ ないが。 「なるほど、わかった。それだけこのプログラムに肯定的なら、当座問題は無いだろう。よろしい、やってみてくれたま え」 「どもども。ありがとうございます」 プログラムを管理するのがどれだけ大変なことかを、この男は理解していない。少しくらい痛い目にあってもらえば、こ の教師もまともな人間に戻るかもしれない。戦闘実験を行いつつ、堕落した教師を更生させる。まさに一石二鳥。 「というわけなんだ、水島君。この男のことを、よろしく頼むぞ」 「……わかりました、頑張ってみます」 担当教官になるはずだった水島恵子は、不承不承頷いた。この恰幅のいい男に逆らおうものならば、自分の命が危 うくなることくらい、百も承知だからだ。 「それでは、続けさせていただきます」 司会者が再びマイクを手に取り会を進行させていく。 続けていくといっても、特に大したことは話し合うことは無い。実際、会議の後半では生徒達の資料を基に誰が生き 残るかなどという賭け事を行っていたし、そもそも今回もきちんとプログラムが終了するのかという点にも論議が向け られた。勿論、開発主任は今度こそ大丈夫だと突っぱねていたが。 恰幅のいい男は、一時間ほど続いた会議が終わると、欠伸をしながら立ち上がり、早々に出て行こうとした。と、そこ に防衛軍一等兵士が駆けつけてくる。 「総統。本当に、あの男を担当教官にしてよろしいんですか?」 総統と呼ばれた恰幅のいい男は、だが笑みを浮かべながら一等兵士の肩に手を置いた。 「構わない。水島君が補佐してくれるはずだ。それに、多分あの男は出発前に誰かを殺すよ。自分の嫌いな奴をね。 ちょうど首輪の性能を確かめるのにいいじゃないか」 「あの話を信じているのですか? 嘘かもしれませんよ、あの男はそういう目をしてました」 「それならそれでいい。水島君にあの男を見張っていてもらう。何か変な挙動を見せたら、始末しても構わない。あの 男にはまず、礼儀作法を教えなくてはな」 あっはっは、と笑いながら、総統は会議室を出て行った。そして、周りに誰もいなくなるのを確認すると、そっと持ち出 してきた資料を読み返した。 稲葉康之、駄目な大人の代表だな。 プログラム終了後に、私の正体を知ったら、彼は一体どう反応するのだろうか。ああ、楽しみだな。 ふと無性に風に当たりたくなって、総統はバルコニーへ出て行った。 一月の風は、まだまだ寒い。 実施日の三月は、もう桜が咲いている頃だろうか。 その晩。 水島恵子は、ワンルームマンションの2階の隅の部屋に帰宅した。そのまま靴を脱いであがりこんで、引きっぱなし の布団にダイビングする。スーツに皺がついても別によかった。とにかく、疲れたのだ。 ああもう、意味わからないよ。なんであたしがあんな男の補佐にならなきゃならないのよ。なんだ、稲葉とか言ったっ け? あいつなんか絶対に信用できない。あの手の性格の人間って、絶対に他人に仕事を押し付けるタイプなんだ。 なんであいつの下に立たなきゃならないんだ。絶対間違ってる。ありえないって。 彼女は今年の二月に成人になる。高校を卒業後、すぐに政府の重要ポストに就くことが出来た超エリートである彼 女にとって、何よりも自分が従わなければならない男が、自分よりも格下であることは許せなかった。それは彼女自 身のプライドを傷つけるものであったし、あの男に何かしらの不安を覚えていたからでもある。 水島家は、代々政府の役人になっていた。そう、それはお家柄というのもあるし、彼女自身それは十二分に理解して いた。勿論、それで傲慢知己に振舞うということもなく、あくまで水島家の令嬢らしくおしとやかな女性を演じ続けてき た。だから高校でも学年トップを維持し続けても誰も何も言わなかったし、その容姿端麗さでもいじめなどという下劣 な行為は行われなかった。誰に対しても平等に付き合っていたし、華奢な体の割にその細めの腕にはしっかりと筋 力がついていたので、喧嘩も手馴れたものだった(だから学校の不良たちとも仲良くなれたのだ)。つまり、誰からも 尊敬されている存在。スター的存在だった。 だからというべきなのか、彼女は人を見極める能力に長けていた。十人十色と言うが、その大半の人格を平等に上 から見下ろし続けていたから、少し話しただけでその人物がどのような人格の持ち主なのかおおよそ理解することが 出来た。当然それに併せて付き合っていくことも多かったので、誰からも恨まれるようなことはしていない。実によく出 来た人間、それが水島恵子だった。 高校を卒業後、ほぼ大半の人間がなんとなく通っている大学になんて行かなかった。そのようなことをしなくとも、簡 単に政府の中に入り込むのは簡単なことであったし、そのまま重要ポストに就くことも他愛ない。ここでも『完璧な自 分』を演じていれば、簡単に昇進することが出来た。 彼女はずっと思っていたのだ。もっと沢山の人間を見たい。もっと沢山の人格を見たい、と。 そして、それだけでなくその者の本心さえ手に取るようにわかってしまう夢のような職業。それこそが、『プログラム担 当教官』なのだ。ここ大東亜共和国で行われている戦闘実験第68番プログラム。毎年任意の全国の中学三年生の クラス50組を選出し、最後の一人になるまで殺し合わせる実験。一体このような実験に何の効果がもたらされている のかと思えば、それは曖昧なものであろう。ただ、昔の風習が今も尚続いているのと同じことだ。そして、近年は(今 までもそうだったが)廃止運動が強まってきている。別に廃止なら廃止でもかまわなかったのだが、どうやらお偉い方 の考えは、共和国にはむかう国民を少なくするために行っているとかいうことで、廃止する気は毛頭ないらしい。 まぁ、どうでもいいことだ。彼女は人間の表面を見ることは出来ても、中身を覗くことだけはできない。だが、このプロ グラムなら、ほぼ全員の参加生徒の本心を知ることが出来る。それだけが、楽しかったのだ。何故なら、それは人間 が最も知りたがっている物だからである。 今回のプログラムはこれで三度目。別に殺し合いそのものには興味はないので、出発前に怖がっている生徒は適 当に言葉で捻じ伏せて出発させた。誰も殺さなかった。もし誰かが私の命を狙ってきたら。それはその時だ。幼い頃 からなんとなく続けている射撃演習が役に立つときも、今に来るのかもしれない。できればそんなこと、永遠にこない 方が正直いいのだが。 だが、今回は話が別だ。何の因縁か知らないが、稲葉は自分の生徒達が大変お気に召さないらしい。私怨で出発 前に生徒を殺さないように、気をつけなければならない。何故なら、それだけ本心が覗き込める生徒が減っていってし まうからだ。それが一番心配だった。 そう思いながら、持って帰ってきた資料を捲る。後半の方には今回参加する生徒達の詳細が書き込まれていた。つ まり、家庭事情や学園生活の様子など。それらは簡潔にまとめられていたが、家庭事情は他の生徒達は知らない者 が多い。たしか最初に勤めたプログラムの時、石黒という生徒が殺し合いに参加した理由も家庭内の事情が原因だ った。大工の父親が交通事故で足を複雑骨折して、仕事が出来ずに家計が苦しくなって、幼い弟・妹が内緒でアル バイトしている自分を必要としているから、だったかな。結局四人殺したところで別の生徒に殺されてしまったが。 今回のプログラムにもそのような事情を持つ生徒はいるだろうか。簡単に捲ってみたが、見たところそのような事情 を持つ生徒はいない。受験しない生徒なら一人いる。町田宏(男子八番)だ。彼は素行が悪く、他校の生徒とたびた び問題を起こしているらしい。父親が幼い頃に離婚し、母親が水商売で生計を立てているとか。町田という生徒自 身、卒業後は大工になって働くと言っていることから、母親に楽をさせてやりたいという理由で殺し合いに参加する可 能性はある。 だが、今回のプログラムは気の毒だがペアバトルだ。町田とペアを組む相手は、若本千夏(女子八番)。病弱で身体 的にも精神的にも弱いところがある、と書かれている。飼育委員で、学校で飼っている兎の世話をしているとか。心優 しい彼女を、殺し合いに参加させることが出来るのだろうか。 恵子は、トトカルチョに興味はなかったものの、まるで競馬の予想をするかのように、資料を読み漁っていた。どのペ アが一番強いか、それを確かめるために。なんせ稲葉は仮にもこのクラスの担任だ。私よりもずっとこのクラスとは付 き合いが長いのだ。この三年生がたった十六人しかいない唯一のクラスを受け持っている。その男に、自分は負ける わけには行かないのだ。あの男に負けることだけは嫌だ。 どうやら、一番強いペアは七番ペアのようだ。町田宏と付き合いの長い、相方的存在の平山正志(男子七番)。女子 の中では不良の位置に立っている吉村美香(女子七番)。お互いに悪さをすることには慣れているというし、もしも殺 し合いに参加する気ならば、躊躇せずに参加してくれるだろう。 それにしても、このクラスは悪が多いな。性格に問題があるものも結構いる。こんなクラスなら、あの自己中心的で 我侭な稲葉という男は殺意なんて簡単に覚えるだろう。 学校内最強の問題児、町田宏と相棒の平山正志。あとは他人を無視してばかりいる浅野雅晴(男子一番)と、気が 弱いくせに勉強が出来ることを自慢して歩き回る近藤悠一(男子三番)。女子はつるんで後輩にかつ上げをしたこと がばれ、停学処分を受けた小島奈美(女子三番)と矢島依子(女子六番)。そして吉村美香。ほぼクラスの半分の人 間が素行の悪い生徒だ。大分イラつくのもわかる。大体担任の稲葉は何をしていたのだろうか。こういう生徒を正すと いう行動は取ったのだろうか。面倒だからやらなかったということはないだろうか。 大体、あの手の教師は本当に対処が面倒くさい。生徒を自分の子分だとでも思っているのだろうか。まるで身分が 格下の奴隷を扱うかのように、そして自分自身は王様気分でいる。最近はこういう教師が多いのだ。教師は勉強さえ 教えれば良いと思っている。本当はそうじゃない。教師は勉強だけでなく、本来なら生活に関しても教えなくてはなら ない存在のはずなのだ。だが、多分この教師もそうなのだろう。常識を知らない人間に違いない。だからああいう本 来なら敬意を払うべき会議室内でも、傍若無人に振舞っていたのだ。 問題のある生徒に、同じく問題のある教師。 まったく、このクラスを受け持つことになるなんて(しかも三回目なのにだ)、私も苦労性だなぁ。 ふぅ、今回は生徒だけでなく担任も中身を覗かなければならないようね。がんばろうっと。 このプログラムが無事終了すれば、総統自らが考えた特別ルールが実際に通常のプログラムでも採用されること になるかもしれない。そうなれば、自分の知名度も上がるのだろう。 知名や身分にはさして興味は無かったが、いくら趣味でやっているとはいえ、担当教官をやっているからには有名に なりたいものなのだ。別にこれがおかしいとは考えない。 受験が終わったばかりで浮かれている生徒達がプログラムという不幸のどん底に叩き落されたときの彼等の顔。そ れを観察することが、今の彼女の、危険な趣味へとなっていたのだった。 プログラム開催日まで、あと二ヶ月の日だった。 戻る / 目次 / 進む |