第三章 稲葉先生 − 11 放送まで、もう時間がなかった。 太陽が沈みかけていて、鮮やかな斜陽を見せている。安全のために校舎中の窓に打ち付けられた鉄板の隙間から こぼれて入ってくる紅い残光が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。 恵子は、稲葉のデスクの上にさりげなく矢島依子の死亡報告書を置いておいた。自分もあの騒動のせいで客観的 な意見しか書けなかったものの、まぁまぁの出来だと自負していた。 だが、肝心の稲葉がまだ来ていない。何処に行ってしまったのだろうか。現在は特に目立った進行もなく、矢島を殺 害することに成功した七番ペアもじっとしている。きっと放送時刻を待っているのだ。 このまま稲葉が来なかった場合、立場上補佐であるあたしが放送をしなければならない。だが、それは稲葉に何ら かの原因がなければならないのであって、寝坊したなどという理由など言語道断。始末書ものなのだった。なんて考 えていたら、いきなり職員室の扉が開いて、稲葉が入ってきた。目が合ったが、無視した。向こうも何も言わない。険 悪な雰囲気だった。 稲葉は矢島の死亡報告書を掴み取って見ると、すぐにポイッとデスクの上に放り投げてしまった。そして、放送用の マイクを掴み取り、時計をじっと見つめていた。 午後六時。 会場中に、クラシックメロディーが流れ始めた。それを聴いている生徒が曲名を言ったりするのが盗聴できたが、別に それはどうでもよかった。規定時間の30秒を過ぎたので、ボリュームを下げる。稲葉が、喋り始めた。 「午後六時になったから、今から二回目の放送をする。まずは死者の発表だ。この六時間で死んだ生徒は全部で三 人。四番ペアの杉本高志、都築優子、そして女子六番、矢島依子」 妙に淡々としていた。なんとなく、嫌な予感がした。 「続いて禁止エリア。七時からD=1、九時からA=3、十一時からはD=4がそれぞれ禁止エリアになる」 今回も、禁止エリアに指定されたのは会場の端ばかりだった。 禁止エリアは、メインコンピュータが勝手に決める。だが、実際には教官が気まぐれで作為的に決めてしまうことも多 い。例えば、いつまでも隠れ潜んでいる生徒をあぶりだす為にそのエリアを禁止エリアにしたりということだ。 だが今回の場合、担当がその事実を知らないために完全にランダムとなっている。基本的にはランダムとはいうけれ ども、実は優先順位は決まっているのだ。今回のようにエリア数が少ない場合は、会場分断がなるべく起こらないよ うに周りから禁止エリアに指定されるようになっている。勿論、真ん中を分断するとは限らない。小さな区画だけ切り 取られる可能性もあるのだ。そういう事態になってしまった場合は、作為的にこちらからその区画を禁止エリアにす る。そうすれば、時間切れという事態は発生しないのだ。 そして、稲葉は続けた。 「さて、今回は六時間なのにたった三人しか死んでいない。一体どういうことだ? お前ら、やる気あんのか? そん なへんちくりんなやる気だとな、俺の隣にいるバカみたくなっちまうぞ? さっさと殺し合いをしろって」 「へ……へんちくりん?」 「ああそうだ、貴様はもう使えない。これからこのプログラムは俺が全部仕切る! 文句はないよな?」 駄目だ。文句は大有りだ。 「あー、そうそう。さっき確認したんだけれども、誰か出発地点の教室に入った奴、いるか? なんだかな、確認しに行 ったんだけれど、説明の時に使ったデイパックの中に、ソーコムが入ってなかったんだよなぁ。おかしいな、水島」 背筋が凍るのを感じた。この男、バカだと思っていたが、実はかなり知恵が働く部類のバカのようだ。なんで、あた しが教室に寄ったことを知っているの? 「それは……」 「あん? 生徒がこのエリアに入れるわけがねぇ。兵士だって仕事で大忙しだ。そして、犯人は俺じゃあない。ってぇ ことは」 石田が、村崎が、反応するよりも早く、稲葉は懐から取り出した。 「お前しかいねぇだろ」 次の瞬間、恵子は危険を察知して右へ跳んだ。直後、稲葉が護身用として受け持ったデザートイーグルを撃ち、恵 子のいた場所を弾が通過していった。後ろの棚に弾が当たり、本がバラバラと崩れ落ちる。 「いいかぁ! よく聞いとけよ! この女はな、俺にもお前らと一緒に殺し合いでもしてろって言いやがったんだ! 上 等だ、俺も参加してやろうじゃねぇか! まずはこの女を殺す! そしてお前らも全員殺してやるからな! 覚悟しと けぇ!」 マイクを握ったまま、稲葉が喚く。その間に恵子は、指摘されたとおりソーコム・ピストルを抜き出した。射撃訓練の成 果、見せてやる。 タァン、と気持ちのいい乾いた音が響く。引き金を引いた瞬間、反動が来て仰け反る形となったが、久々に撃った銃 の感覚は衰えていない。むしろ、好調だった。 真っ直ぐ稲葉に突き進んでいった弾は、そのまま稲葉の肩辺りに直撃した。そのまま稲葉が後ろに吹っ飛ぶ。 「こ、この女ぁっ!」 だが執念というものなのか、稲葉がその無理な体勢のままデザートイーグルを二発撃った。反動が酷い銃だというの に、なかなかの筋力だ。その弾が運悪く自分の方に飛んできたものの、恵子は腰を屈めて難なくかわした。下手に 避けるよりも、こういう時は当たる面積を小さくした方が避けやすいのだ。 「さよなら、稲葉先生」 タァン、と再び銃が火を噴いた。今度こそその弾は稲葉の腹部を貫通した。苦しみ悶える稲葉を見て、何故か恵子は 満足した。痛みでデザートイーグルを落とした稲葉に近寄り、思いっきり銃を蹴飛ばした。 「貴方は、なんとも思わないのですか?」 稲葉に向かって、あたしはそう言った。同情なんか、する気も起きなかった。心底、稲葉には呆れ果てたのだ。 「ぐぅぅ……」 「何も考えていないようですね」 怒りに身を任せて、思い切り腹を蹴飛ばした。稲葉の叫び声が聴こえて、同時に傷口から大量の血液が流れ出て いた。ああ、愉快だ。こんなにも憎い男を、自分の手にかけることが出来るなんて。 「苦しんでください。今までに貴方の受け持った生徒達の苦しみを、味わって下さい」 「うぅ、この女ぁ……畜生……畜生!」 突然稲葉があたしの足を掴んだ。凄い握力だ。だが、そんなもの、苦痛でもなんでもなかった。すぐに撃鉄を起こし なおして、稲葉の手に向けて発砲する。 「うぎゃぁぁっっ!」 タァン、という小気味のいい音と共に、稲葉の指が弾け跳んだ。同時に奇声があたしの耳を通り抜けていった。ああ、 気色悪い。 力を失った稲葉の右手を振り払うと、あたしは今度こそ稲葉を仕留めるべく、ソーコムを頭に向ける。 「会った時から、嫌いでした。さよなら」 稲葉の目が、見開いた。あたしが引き金にかけた指に力を込めようとした時だった。タタタンッと、別のタイプライタ ーを連続して弾くような音が、聴こえた。 同時に、稲葉の頭が、顔が、首が、全てが弾け跳んだ。 バカな、あたしはまだ撃っちゃいない。誰だ? 一体、誰が? 「水島教官、もう終わりにして下さい」 後ろからそう響く声に、あたしは咄嗟に振り向いた。そこには別に驚くべき人物はいなかった。ただ、兵士の村崎が、 小銃を抱えて立っていた。小銃からは、煙が出ていた。 「村崎君……!」 「終わりにして下さい」 その小銃が自分に向いているのを確認して、あたしは咄嗟にソーコムを村崎に向けた。その瞬間、タタンッ、と再び音 がして、握っていたソーコムが弾き跳ばされた。 「あ……」 あっという間だった。村崎が勢いよくあたしの方に突っ込んできた。そして、小銃をあたしの方に振りかぶった。 あたしは、何も出来なかった。 次の瞬間、あたしは頭にガンッ、という衝撃を受けた。同時に、意識が途絶えた。ただ、それだけだった。 兵士村崎は、床に倒れて動かない水島恵子を一瞥して、稲葉の握っていたマイクを掴みとった。そして、こう言った。 「では、引き続き、頑張って殺しあってくれ」 【残り6人】 ふと目覚めると、そこは見慣れた部屋だった。 「あ、気がつきましたか?」 重たい首を隣に傾ける。緑色のビニールのカバーで覆われている椅子に座って、その男、石田はお絞りを絞ってい た。滴る水が水滴となって落ち、洗面器に溜まっている水とぶつかり音を立てる。 「……ガンガンする」 そこはつい先ほど自分が訪れた場所。保健室だった。そして、今横たわっているのは、恐らくあの白いベッドだろう。 「村崎が、錯乱していたので無理矢理止めたんですよ。あのままだったら、私達の命も危なかったですからね、ちょっ と強引だったかもしれませんが、わかって下さい、水島教官」 そう言って、石田はあたしに新しいお絞りをおでこに乗せた。先ほどの記憶が、どんどん甦っていくのが、わかった。 「それで……あの男は……」 そう尋ねると、石田が絞っていた濡れタオルを洗面器に再び落とし、あたしの方を真っ直ぐ見つめた。真剣な目つき だった。 「稲葉は、死にました。全身に銃弾を食らって、即死です」 「そう……やっぱり、ね」 「殺したのは村崎です。教官は、何もしていません。全責任は、村崎と私が負います。教官は、何も知らなかったの です」 その言葉に、あたしはショックを受けた。 あたしは、自分の身勝手で、あの男を殺そうとした。だが、実際にあたしはあの男を殺すことはなかった。殺したのが 村崎なら、その責任も村崎にあるのだ。 村崎、そして石田が、あたしを庇ってくれたのだ。 「本当に……それで、いいの?」 「教官に、罪はありません。罰を受けるのは、私達です」 胸が、痛んだ。屈辱感とは違う、何か別の感情が、あたしの涙腺を緩めた。自然と、涙がこぼれ出てきた。 「ごめんなさい……! あたしのせいで……!」 混乱していた。いきなり信頼していた村崎に殴られて、本当に撃たれたものだと思って、そして事実を知って。 「泣かないで下さい、教官」 「石田君、石田君……!」 あたしは、彼に抱きついた。そして、泣いた。村崎に殴られた後頭部が酷く腫れているのがわかった。でも、あたしの せいだ。全部、あたしの責任なんだ。 「泣かないで下さい。全ては、あの男が悪かったんです」 そう言って、彼はそっとあたしを抱き返してくれた。嬉しかった。慰めてくれる彼が、そしてこの場にはいないけれど錯 乱していたあたしを無理矢理止めてくれた村崎が、嬉しかった。 しばらく溜まっていた感情を、全てあたしは吐き出した。心の中に溜まっていた屈辱感、そして鬱憤を、全て涙にし て流した。しばらくして落ち着くと、そっとあたしは彼から離れた。見ると、彼の迷彩服が涙で染みになっている。 「……ごめんなさい」 「気にしないで下さい。それよりも、そろそろ放送の時間です」 その言葉を聞いた瞬間、あたしは今がプログラムの最中なのだと再確認した。そうだ、今は泣いている場合なんじ ゃない。今自分が何をするべきなのか、それを把握するべきなのだ。 「石田君、今、何時? 死んだ生徒は?」 一気にあたしは質問を投げかけた。彼は、その意味を少しずつ理解したようで、一つずつ、回答していった。 「今、午前六時十分前です」 「午前……六時?」 確か、あの男と戦闘になったのは午後六時の筈だ。となると、あたしは実に12時間も意識を失っていたことになる のか。待て、間の深夜零時の放送は、どうしたのだろうか。 「あの……深夜の、放送は?」 「村崎が行いました。新たに禁止エリアに指定されたのは、午前一時から順にB=5、C=5、E=3です」 村崎が、全てやってくれたのだ。ほっとした。放送をしないなんて、それこそ始末書ものだからだ。 「それで、死者は……」 「現時点では、あれからはまだ一人も死んでいません」 「……一人も?」 「はい。例の四人組はすっかり安心しきって、あの場所で平山達をずっと待っています。平山達も、他に敵はいないと 安心して、別の場所で仮眠を取っていたようです。動きはありません」 「じゃあ、タイムリミットまで、あと十時間程ね」 「はい。そうです」 唖然とした。同時に、安心もした。先ほど(時間的には随分と前になるのだが)のように、矢島依子の死亡報告書を 書くのにてこずったように、自分が死ぬ瞬間を確認していない生徒の死亡報告書を書き上げるのは至難の業だ。そ れだけに、誰も死んでいないというのは幸いだった。 だが、逆に不安でもあった。最初の放送以来、だんだんペースが落ちてきている。このままだと、本当に時間切れに なってしまう可能性もある。なんせ、七番ペアがそう簡単に四人組を見つけられるとは限らないからだ。 頭がクラクラしてきたので、再びベッドに横たわる。 「大丈夫ですか? 何なら、次の放送も、私達が……」 「いえ、大丈夫よ。あたしがやらなきゃならないの」 「そうですか……それでは、無理をなさらぬように」 そう言い残して、彼は突然部屋を出て行った。恐らく、あたしの意識が戻ったことを村崎に伝えに行ったのだろう。い くらあたしの身を案じたからと言って、立場が上のあたしを殴り倒してしまったのだ。それは相当覚悟がいるものだっ たに違いない。同時に、相当あたしのことを不安に思っていたのだろう。後で、お礼を言わなければ。 「さて……と」 大分落ち着いてきた。あたしはゆっくりと腰を上げると、まだ幾分腫れている頭をさすった。チリッと痛みがはしった が、仕事に異常が出るほどではない。気にせずそのまま立ち上がって、ゆっくりと保健室の扉を開けた。朝の太陽の 日差しが、鉄板を打ちつけた窓の隙間からこぼれている。 職員室に戻ると、村崎があたしの方に駆け寄ってきた。そして、すぐさま頭を下げた。 「本当に、申し訳ありませんでした!」 直立不動の姿勢でいる村崎の頭を、あたしはそっと撫でた。村崎が、顔を上げる。あたしは、淡い笑みを浮かべて、 言った。 「気にすることないの。あたしが悪かったんだから。深夜の放送、ありがとね」 「はっ……どうもです。頭の具合はどうですか?」 「ううん、心配ない。支障はないから大丈夫。あの男の死体は?」 「出発した教室に放置しておきました」 淡々とした声を聴くと、あたしは本当に村崎はあの男に対して何の感情も抱いていないんだなと感じられた。その気 持ちに気が付いているのかどうかは知らないものの、村崎は自分のデスクに戻り、一枚の紙片を持ってきて、あたし に手渡した。 「次回の放送の時に発表する、禁止エリアの進行予定表です」 「ああ、ありがとう、村崎君」 本当に、村崎はいい仕事をしてくれる。別にあの男がいなくとも、村崎ならそつなく業務をこなしていただろう。それほ どまでに、あの男の存在はどうでも良かったのだ。 放送時刻まで残り一分であることに気が付き、あたしは慌てて資料を確認した。死亡者が出ていないことを再確認 し、片手に禁止エリア進行予定表を持ち、ゆっくりとあたしのデスクの上に置かれているマイクの電源を入れた。 午前六時。 静かなピアノ曲が、爽やかな朝の空気の間を流れてゆく。気持ち安らぐそのクラシックは、生徒達にどのような反応を 示させるのだろうか。あたしはそっとマイクを持ち上げて、口元に寄せた。 きっかり30秒が経過して、ボリュームが絞られてゆく。これは夢でもなんでもない、まぎれもない現実だ。あの男が 使っていたこのマイクを、今はあたしが握っている。 あの男は、死んだんだ。 「おはようございます。教官の補佐を勤めていた、水島です。皆さん、覚えていてくれたでしょうか?」 決して返事の来ない質問をあたしは未だ生き残っている生徒達になげかけた。反応は、少ない。 「皆さんに、朗報かありますから、よく聞いて下さい」 もう、後悔はしない。 あたしは、一度大きく息を吸って、その言葉を吐き出した。 「稲葉先生は、死にました」 【残り6人】 戻る / 目次 / 進む |