終 章 エピローグ − 16 小高い丘の上に立っている、幾つもの墓地。 この中に眠っている者は、どんなことを考えているのだろうか。 河内市にある唯一の寺、宮台寺は、小高い丘の上に立地している。そこから見える風景は大変美しく、墓参りが目 的でない者もしばしば散歩に来ている程、見晴らしが良かった。 ここに眠っている人達も、あの世からこの景色を眺めているのだろうか。あの、忌々しい出来事のせいで散っていった クラスメイトも。 高松昭平(男子五番)は、一つの墓の前に立っていた。立派な墓石には、それなりに立派な文字で『前田家』と彫 られていた。あの、自分とずっと行動を共にした、運命共同体の前田綾香(女子五番)は、ここに眠っている。 それだけではない。あのプログラムで死亡した生徒15人の墓は、全てここにあるのだ。これは、偶然だったのだろう か。 その中で、昭平は一番初めにここに来た。多分、ここにはこないだろうと決めていたのに。きっと、後悔するからと思っ ていたのに。それでも、来てしまった。 それは、あのプログラムが終わってから、一ヶ月もの月日が経ってからの話だった。 それも随分前の話だ。プログラムから帰ってきて、一週間後のこと。犠牲者の合同葬儀が、一斉に行われた。だ が、昭平は参加しなかった。参加したところで、クラスメイトの死体を見るだけなのだから。あの、忌々しい、思い出し たくもない記憶を、ただ思い出してしまうだけなのだから……。 「前田。遅れて、すまなかったよ」 墓石に向かって、昭平はそう言った。勿論、返事は返ってこない。 神社の前にある花屋で買ってきた千円の花。値段こそ低いものの、黄色くて綺麗な花だった。これを、クラス15人に 均等に分けると、相当寂しい花束になってしまったが、まぁ構わないだろう。 その花を、水を入れた筒にそっと挿す。 「もう、あっちでは有名なんだろな。俺さ……一人だけ、取り残されちゃったんだ」 墓地の入口にあった蛇口から汲んできた水を、柄杓ですくって、そっと墓石に撒いた。パシパシッ、と水がはねて、ズ ボンの裾が少しだけ濡れた。 「本当に、すまないと思ってるんだ。俺だけが生き残ってさ、どうして俺だけが生き残ってしまったんだろうかって…… ずっと考えたけれども、結局答えは見つからなかった」 家の仏壇から失敬してきた深緑色の線香を取り出して、ポケットに入れておいたライターで火をつける。やがて線香 から煙が出始めて、独特の香りが、辺りに漂い始めた。あの、会場内を絞めていた血の匂いとは打って変わって、本 当に良い香りだった。 「あのさ……俺、引っ越すんだ。だから、折角受かったけれども、東高校は諦めることになった。政府が手配してくれ て、群馬県の高校に通うことになったんだよ」 線香を挿し込んで、その場にしゃがみこんだ。両手を合わせて、目を瞑る。一分ほどそうして目を開けて、続けた。 「結局……どうしてお前が東高校受けたのか、聞きそびれちゃったな」 プログラムが始まる前に聞こうと思っていたこと。だが、聞く前にプログラムに選ばれて、それどころではなくなってし まった。少しだけ落ち着いて、プログラム中だけれど思い切って聞こうとした時だって、結局邪魔が入って聞きそびれ てしまった。そして、前田綾香は死んでしまった。 「ずっと、気になっていたんだけれどな」 そう言って、立ち上がった。最後にもう一度だけ墓石を見て、その光景を目に焼き付けた。二度と、もうここには戻って こないだろうと、そう思って。 それから昭平は、他の生徒の墓にも参っていた。 少しだけ可愛いなと、少し気になっていた若本千夏(女子八番)。 プログラムが始まってから、初めて見つけた死体の、近藤悠一(男子三番)。そして、小島奈美(女子三番)。この二 人の墓は隣同士だった。そのはす向かいに位置して、あまり喋ってはいなかったけど、プログラム中にお互いに命を 感じあった、吉村美香(女子七番)。 前田の親友で、そして付き合いが一番長かった委員長、伊藤早紀(女子一番)。そのペアで無口だった浅野雅晴(男 子一番)。 少し怖い感じがしたけど、実は正義感が強くあって、凄く良い奴だった、町田宏(男子八番)。そして、ずっと仲が良く て、信頼しあってた平山正志(男子七番)。 とても気が強くて、そして……浅野と伊藤を殺した、矢島依子(女子六番)。それに、殺す気で襲ってきた、元バスケ 部で、仲間だった、杉本高志(男子四番)。便乗した都築優子(女子四番)。 礼儀正しく、優等生だった中野智樹(男子六番)。その優等生と付き合っていた、全く正反対の殺人鬼、栗田真帆 (女子二番)。 そして、唯一無二の親友、大原祐介(男子二番)。 みんな……みんな死んでしまったのだ。もう、この世には存在しないのだ。自分以外は、みんな。 祐介の墓に手を合わせて、初めて涙が出てきた。 引越しを明日に控え、最後に一度だけでも、と決意して訪れたここ、宮台寺。だが、それはあまりにも辛かった。辛 過ぎた。一人だけ生き残っているという罪悪感が、辛かった。 みんな……みんなは本当は、もっともっと生きたかった筈なのだ。平凡な人生を送る奴もいれば、芸能活動をするよう な奴もいた筈だ。その一人ひとりの未来を、プログラムが奪ってしまったのだ。 拳がフルフルと震えている。悔しくて、ただ、悔しくて。 『悲しみの連鎖は、もうコリゴリなんだ』 優勝直前に、祐介が自分に対して言い放ったその言葉。 悲しみの連鎖という、非常に切ない言葉。 「何が、僕で終わりにする、だよ……。残った俺はどうなるんだよ、そこまで考えてなかったのかよ? そりゃないよ、 祐介」 そう。本当は、自分だって死にたくなかったのだ。ところがどうだ、今、自分は死んでない。死んでないのに、何故こ んなに悲しいのだ? 答えは簡単だ。生きているから、悲しいのだ。 生きることは悲しいことだ。他の生命を奪ってまでも、生き物は必死に生きようとしている。その中で見出せるささや かな楽しみこそが、生きる意味なのではないか。 もう先に楽しみがないなら、死ぬしかないのか? 「俺さ……生き残った意味、考えるよ。ちょっと、時間かかるかもしんないけれどさ……答え、探してみる」 そんなことはない。楽しいことなんて、いくらでもある。いくらでも転がっている。いくらでも、見出せる。 昭平は立ち上がった。『大原家』と彫られた墓石を見て、そして唇をかみ締めて振り返った。 『走るんだ!』 祐介の、最期の言葉。昭平は、走り出した。 その時だ。来た時には誰もいなかった宮台寺に、一人の人間が立っていた。目元を隠しているような深いフードを被 っていて、それなりの年をした女性のようだった。 そして、その中年の女性は、前田綾香の眠る墓の前に、まるで存在していないかのような状態で、立っていた。ひど く、静かなオーラをまとっているような雰囲気だった。 走っちゃまずいな、と思い、目配せしながらその脇を通り抜けた。そして、二メートル程離れた時だ。 「高松……昭平さんですね?」 突然、背後からそんな声が聴こえた。 冷や汗が、全身から噴出しているのがわかった。全身に、鳥肌が立っている。 「あの……貴女は」 そう言いながら、振り返る。目元が見えないその女性の口元が、笑みを浮かべていた。その淡いルージュをひいた 口が、そっと動く。 「前田……幸江。綾香の母親です」 不気味だった。淡々と述べられたその口調に、何故か不安を感じていた。額からにじみ出た汗が、ポトリと一滴地面 に落ちた。 「前田の……お母さんですか?」 「そうです」 困った。本当に、困ったことになった。 祐介の言葉が甦る。 『悲しみの連鎖なんだよ。今度は、優勝した君を、誰かの親が殺すのかい?』 バカな。そんな筈がない。 『親は、子供のためなら、時に信じられないことをするものなんだよ』 祐介が、自分の頭の中にいる祐介が、そう言っていた。 畜生、畜生、頭が混乱しそうだ。少し、黙っててくれよ。 「あの……」 この状況に耐えられなくて、昭平は声を出した。別に何かを話そうとしたわけではない。今更謝ったって意味はない し、第一自分は合同葬儀にも出席していないのだ。一体どうしろと? 迷っていると、前田幸江は両手で何かを差し出した。 その手の先に握られているものは、刃物でも武器でもなんでもない。 「え……? これは……」 「受け取って下さい」 それは、一枚の手紙であった。 「綾香の机の上に置いてありました。あの朝、持っていくのを忘れてしまったのでしょう。貴方宛です。読んでくださ い」 「は、はぁ……。わかりました」 「では、私はこれで」 手紙を両手で受け取るや否や、前田幸江はそそくさと歩いてしまっていた。何処へも立ち寄らず、真っ直ぐに出て行 こうとしている。 「あの!」 昭平は、呼び止めた。同時に前田幸江も立ち止まる。 これだけは、伝えておかなくてはならなかった。 「俺……答え、探しますから! 絶対に、探しますから!」 それだけ言うと、振り返った。始めてみるその目は、なんだかとても冷たくて、でも、その中には光があった。なんと も、言い難い眼をしていた。 そして、そのまま再び歩き始めて、境内の影に消えてしまった。 後には、昭平とその手に握れている手紙が残されているのみ。再び辺りには、静けさが舞い戻ってきた。 「……前田の手紙、か」 そこから見える景色は、大変素晴らしくて、本当に飲み込まれそうになるくらい、美しかった。 寒くなってきたな、と昭平は思い、彼自身もまた、そそくさと墓地を後にしたのだった。 今頃、家では引越しの準備で忙しいだろう。 四月なのに、まだ、気候は肌寒い。 戻る / 目次 / 進む |