終 章 エピローグ − 16


28


 小高い丘の上に立っている、幾つもの墓地。
 この中に眠っている者は、どんなことを考えているのだろうか。


 河内市にある唯一の寺、宮台寺は、小高い丘の上に立地している。そこから見える風景は大変美しく、墓参りが目
的でない者もしばしば散歩に来ている程、見晴らしが良かった。
ここに眠っている人達も、あの世からこの景色を眺めているのだろうか。あの、忌々しい出来事のせいで散っていった
クラスメイトも。

 高松昭平(男子五番)は、一つの墓の前に立っていた。立派な墓石には、それなりに立派な文字で『前田家』と彫
られていた。あの、自分とずっと行動を共にした、運命共同体の前田綾香(女子五番)は、ここに眠っている。
それだけではない。あのプログラムで死亡した生徒15人の墓は、全てここにあるのだ。これは、偶然だったのだろう
か。
その中で、昭平は一番初めにここに来た。多分、ここにはこないだろうと決めていたのに。きっと、後悔するからと思っ
ていたのに。それでも、来てしまった。
それは、あのプログラムが終わってから、一ヶ月もの月日が経ってからの話だった。

 それも随分前の話だ。プログラムから帰ってきて、一週間後のこと。犠牲者の合同葬儀が、一斉に行われた。だ
が、昭平は参加しなかった。参加したところで、クラスメイトの死体を見るだけなのだから。あの、忌々しい、思い出し
たくもない記憶を、ただ思い出してしまうだけなのだから……。

「前田。遅れて、すまなかったよ」

 墓石に向かって、昭平はそう言った。勿論、返事は返ってこない。
神社の前にある花屋で買ってきた千円の花。値段こそ低いものの、黄色くて綺麗な花だった。これを、クラス15人に
均等に分けると、相当寂しい花束になってしまったが、まぁ構わないだろう。
その花を、水を入れた筒にそっと挿す。

「もう、あっちでは有名なんだろな。俺さ……一人だけ、取り残されちゃったんだ」

墓地の入口にあった蛇口から汲んできた水を、柄杓ですくって、そっと墓石に撒いた。パシパシッ、と水がはねて、ズ
ボンの裾が少しだけ濡れた。

「本当に、すまないと思ってるんだ。俺だけが生き残ってさ、どうして俺だけが生き残ってしまったんだろうかって……
ずっと考えたけれども、結局答えは見つからなかった」

家の仏壇から失敬してきた深緑色の線香を取り出して、ポケットに入れておいたライターで火をつける。やがて線香
から煙が出始めて、独特の香りが、辺りに漂い始めた。あの、会場内を絞めていた血の匂いとは打って変わって、本
当に良い香りだった。

「あのさ……俺、引っ越すんだ。だから、折角受かったけれども、東高校は諦めることになった。政府が手配してくれ
て、群馬県の高校に通うことになったんだよ」

線香を挿し込んで、その場にしゃがみこんだ。両手を合わせて、目を瞑る。一分ほどそうして目を開けて、続けた。

「結局……どうしてお前が東高校受けたのか、聞きそびれちゃったな」

プログラムが始まる前に聞こうと思っていたこと。だが、聞く前にプログラムに選ばれて、それどころではなくなってし
まった。少しだけ落ち着いて、プログラム中だけれど思い切って聞こうとした時だって、結局邪魔が入って聞きそびれ
てしまった。そして、前田綾香は死んでしまった。

「ずっと、気になっていたんだけれどな」

そう言って、立ち上がった。最後にもう一度だけ墓石を見て、その光景を目に焼き付けた。二度と、もうここには戻って
こないだろうと、そう思って。

 それから昭平は、他の生徒の墓にも参っていた。
少しだけ可愛いなと、少し気になっていた若本千夏(女子八番)。
プログラムが始まってから、初めて見つけた死体の、近藤悠一(男子三番)。そして、小島奈美(女子三番)。この二
人の墓は隣同士だった。そのはす向かいに位置して、あまり喋ってはいなかったけど、プログラム中にお互いに命を
感じあった、吉村美香(女子七番)。
前田の親友で、そして付き合いが一番長かった委員長、伊藤早紀(女子一番)。そのペアで無口だった浅野雅晴(男
子一番)。
少し怖い感じがしたけど、実は正義感が強くあって、凄く良い奴だった、町田宏(男子八番)。そして、ずっと仲が良く
て、信頼しあってた平山正志(男子七番)。
とても気が強くて、そして……浅野と伊藤を殺した、矢島依子(女子六番)。それに、殺す気で襲ってきた、元バスケ
部で、仲間だった、杉本高志(男子四番)。便乗した都築優子(女子四番)。
礼儀正しく、優等生だった中野智樹(男子六番)。その優等生と付き合っていた、全く正反対の殺人鬼、栗田真帆
(女子二番)。
そして、唯一無二の親友、大原祐介(男子二番)。

 みんな……みんな死んでしまったのだ。もう、この世には存在しないのだ。自分以外は、みんな。
 祐介の墓に手を合わせて、初めて涙が出てきた。

 引越しを明日に控え、最後に一度だけでも、と決意して訪れたここ、宮台寺。だが、それはあまりにも辛かった。辛
過ぎた。一人だけ生き残っているという罪悪感が、辛かった。
みんな……みんなは本当は、もっともっと生きたかった筈なのだ。平凡な人生を送る奴もいれば、芸能活動をするよう
な奴もいた筈だ。その一人ひとりの未来を、プログラムが奪ってしまったのだ。

 拳がフルフルと震えている。悔しくて、ただ、悔しくて。

『悲しみの連鎖は、もうコリゴリなんだ』

 優勝直前に、祐介が自分に対して言い放ったその言葉。
 悲しみの連鎖という、非常に切ない言葉。

「何が、僕で終わりにする、だよ……。残った俺はどうなるんだよ、そこまで考えてなかったのかよ? そりゃないよ、
祐介」

 そう。本当は、自分だって死にたくなかったのだ。ところがどうだ、今、自分は死んでない。死んでないのに、何故こ
んなに悲しいのだ?

 答えは簡単だ。生きているから、悲しいのだ。

生きることは悲しいことだ。他の生命を奪ってまでも、生き物は必死に生きようとしている。その中で見出せるささや
かな楽しみこそが、生きる意味なのではないか。

 もう先に楽しみがないなら、死ぬしかないのか?

「俺さ……生き残った意味、考えるよ。ちょっと、時間かかるかもしんないけれどさ……答え、探してみる」

 そんなことはない。楽しいことなんて、いくらでもある。いくらでも転がっている。いくらでも、見出せる。
 昭平は立ち上がった。『大原家』と彫られた墓石を見て、そして唇をかみ締めて振り返った。

『走るんだ!』

 祐介の、最期の言葉。昭平は、走り出した。

 その時だ。来た時には誰もいなかった宮台寺に、一人の人間が立っていた。目元を隠しているような深いフードを被
っていて、それなりの年をした女性のようだった。
そして、その中年の女性は、前田綾香の眠る墓の前に、まるで存在していないかのような状態で、立っていた。ひど
く、静かなオーラをまとっているような雰囲気だった。
走っちゃまずいな、と思い、目配せしながらその脇を通り抜けた。そして、二メートル程離れた時だ。

「高松……昭平さんですね?」

 突然、背後からそんな声が聴こえた。
 冷や汗が、全身から噴出しているのがわかった。全身に、鳥肌が立っている。

「あの……貴女は」

 そう言いながら、振り返る。目元が見えないその女性の口元が、笑みを浮かべていた。その淡いルージュをひいた
口が、そっと動く。

「前田……幸江。綾香の母親です」

不気味だった。淡々と述べられたその口調に、何故か不安を感じていた。額からにじみ出た汗が、ポトリと一滴地面
に落ちた。

「前田の……お母さんですか?」

「そうです」

 困った。本当に、困ったことになった。
 祐介の言葉が甦る。

『悲しみの連鎖なんだよ。今度は、優勝した君を、誰かの親が殺すのかい?』

 バカな。そんな筈がない。

『親は、子供のためなら、時に信じられないことをするものなんだよ』

 祐介が、自分の頭の中にいる祐介が、そう言っていた。
 畜生、畜生、頭が混乱しそうだ。少し、黙っててくれよ。

「あの……」

 この状況に耐えられなくて、昭平は声を出した。別に何かを話そうとしたわけではない。今更謝ったって意味はない
し、第一自分は合同葬儀にも出席していないのだ。一体どうしろと?
迷っていると、前田幸江は両手で何かを差し出した。
その手の先に握られているものは、刃物でも武器でもなんでもない。

「え……? これは……」

「受け取って下さい」

 それは、一枚の手紙であった。

「綾香の机の上に置いてありました。あの朝、持っていくのを忘れてしまったのでしょう。貴方宛です。読んでくださ
い」

「は、はぁ……。わかりました」

「では、私はこれで」

手紙を両手で受け取るや否や、前田幸江はそそくさと歩いてしまっていた。何処へも立ち寄らず、真っ直ぐに出て行
こうとしている。

「あの!」

 昭平は、呼び止めた。同時に前田幸江も立ち止まる。
 これだけは、伝えておかなくてはならなかった。

「俺……答え、探しますから! 絶対に、探しますから!」

 それだけ言うと、振り返った。始めてみるその目は、なんだかとても冷たくて、でも、その中には光があった。なんと
も、言い難い眼をしていた。
そして、そのまま再び歩き始めて、境内の影に消えてしまった。
後には、昭平とその手に握れている手紙が残されているのみ。再び辺りには、静けさが舞い戻ってきた。

「……前田の手紙、か」

 そこから見える景色は、大変素晴らしくて、本当に飲み込まれそうになるくらい、美しかった。

 寒くなってきたな、と昭平は思い、彼自身もまた、そそくさと墓地を後にしたのだった。
 今頃、家では引越しの準備で忙しいだろう。




 四月なのに、まだ、気候は肌寒い。






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