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「えー……だいぶ寒くなってきました。いよいよ、冬も本番を迎えようとしてます」

 壇上で、すっかり頭も冬を迎えている男が、ぐだぐだと喋っている。もうそこには春は訪れないであろうが、それでも
諦めきれないのか、必死に頭を擦っている。言っちゃ悪いが無意味だ。生徒達の間ではもうすっかり知れ渡っている
その男、校長の癖。今日も相変わらずやっているのだからおかしい。現に、隣に立っているB組の男子生徒は、噴出
しそうになっている口をなんとか抑えていた。
さて、その校長が始めた長い演説だが、そんなに大切なことは喋っていない。学生は勉強に勤しまなければならない
とか、冬休み中でもきちんと早寝早起きをしろだとか、正直どうでもいい。そんなことより早くこの寒々とした体育館か
ら全校生徒を解放して、温かい暖房の効いた教室へ戻してやったほうがよっぽど体にもいい。特に自分達中学三年
生は、間もなく受験本番を迎える身なのだ。体調管理をしっかりしろと言う前に、お前のその長話をどうにかしろ。

 木下栄一郎(男子三番)は、そんなことを思いながら、冷え冷えとした外の風景をぼんやりと眺めていた。
どんよりとした天気。湿り気を帯びた重たそうな雲。そういえば、今朝の天気予報では週末から週明けにかけて雪が
降るかもしれないって、予報士が言っていた気がする。その頃は確かクリスマスの筈。なるほど、ホワイトクリスマス
ってやつか。どうせならこんな時期にそんなシチュエーションにしなくたっていいのにな。どうせ自分は年齢と彼女い
ない暦は一緒なのだから、どうであろうと状況は変わらないのだけれども。

「ふぁぁ……」

その時だ。同じようにぼんやりと前に立っていた生徒が、眠そうな目を擦りながら小さく欠伸をしていた。丁度暇だっ
たし、ちょっとからかってやろうか。そう思って、背中をつんつんと刺す。

「おい、雄輝。また寝不足か?」

「あぁ……栄一郎。おはよう」

こいつはまだ寝惚けているのか、それとも普通に立ちながら居眠りでも出来る体質なのか、どちらなのかはわからな
かったが、それがこいつの良い所でもあり、悪い所でもあった。こいつの名前は、河原雄輝(男子二番)。クラスでも
群を抜いて、マイペースな奴だ。彼とは野球部でバッテリーを組んでいた。一応エースピッチャーだった男だ。確かに
腕はよくて、球速、変化球を自在に操ることが出来たが、如何せんプレッシャーに弱い。肝心な場面でキャッチャーだ
った俺に全てを任せてくるのだ。まぁ、それをしっかりサポートしてやるのが、キャッチャーの俺の役目なわけだが。何
だかんだ言って、結構面白いチームだった。初めて会ったときはあまり馬が合わない奴かと思ったが、話してみると
結構いじり甲斐があって、楽しかった。引退してからも、時々気分転換に放課後キャッチボールを続けている仲だ。そ
ういえば最近やってなかったな。今日は折角の終業式なんだし、誘ってみようか。

「……というわけで、中学三年生はいよいよ受験を迎えます。最後まで不断の努力を積み重ねて、是非とも第一志望
 の高校に合格していただきたい。では、各自充実した冬休みを過ごすように。以上」

そんなことを考えているうちに、ようやく校長の長ったらしい演説は終わった。続いて生活指導の教師が壇上に立っ
て、冬休み中の諸注意を述べ始めたが、まぁ校長の演説よりは短い時間だ。少しくらいは我慢してやろう。

「いやね、実は最近深夜ラジオが面白くってさ。ついつい聞き入っちゃうんだよねぇ」

「へぇー……雄輝も夜遅くまでよく頑張るなぁ。だけどそれで昼間の授業を寝てたら意味無いだろ?」

「だからその分を夜に頑張ってるんだよぉー」

なんとも矛盾している。さらに突っ込みを入れたくなったが、壇上の教師……実はうちのクラスの担任なのだが、そい
つが自分達のほうを睨んだような気がしたので、会話はやめることにした。あとで小言を言われても嫌だし。
まぁ、そんなこんなで寒い終業式も無事終わった。我先にと温かい教室へ向かおうとする生徒達。そんな波に流され
つつも、なんとかして雄輝と共に、A組の教室へと入り込んだ。うん、やっぱり教室が一番だ。

「あぁー……長かったなぁ、校長の演説。聞かされる身にもなれっつーの」

愚痴を言いながら席に座ろうとして、いつの間にかそこにいた男に気がついた。その存在に違和感を覚えると、その
男、村田修平(男子十二番)はニヤリと笑みを浮かべて、こちらへとやってきた。

「よ、長い講演会、お疲れさん」

「あれー? 修平、朝礼の時いたっけ?」

「……まさかお前、サボっただろ」

「あったりー。あんな寒い場所に拘束されるとわかっていながら行く奴があるかっての」

そう言って、笑いながら修平は肩を竦めた。何かあるとすぐ肩を竦めるのは、修平の癖だ。こいつも元野球部で、こん
な外見でも一応4番だった男だ。身長170cm弱と、決して高くない身長ではあるが、腕力がある。難しい球でも、無
理矢理ヒットにしてしまうのがこの男だ。そのくせ、監督に怒られるとすぐに肩を竦める。調子のいい男ではあったが、
そんな修平も、話していて楽しい奴だった。今日も相変わらず、ボサッとした髪を立てている。

「でも、サボったら流石にバレるんじゃないか?」

「ヘーキヘーキ、俺一番後ろじゃん? そこまでアズマは見てないよ」

アズマというのは、うちのクラスの担任の苗字である。下の名前は覚えてない。妙に淡々としていて、いつも事務的
な感じのする中年男性だ。あまり話したこともない。
そうこうしていると、いつの間にか修平と雄輝が談笑を始めていた。どうやら先程も話題に上がった昨晩の深夜ラジオ
の話題らしい。残念ながら自分は早寝型だし、完全に話題に乗り遅れた感があったので、立ち上がって教室の入口
付近に立っていた集団へと赴いた。
近付いてみると、どうやら話題の中心になっているのはクラスのマスコット的存在の成海佑也(男子九番)らしい。身
長は小さく童顔、女の子にもてる奴だ。運動神経はそんなに高くは無いが、代わりに彼には学力があった。今も、どう
やら受験の話で盛り上がっているらしい。近くで一緒に話しているのは、佑也と並べると一回りも二回りも大きい体格
萩野亮太(男子十番)や、同じく佑也よりも背丈がある中峰美加(女子九番)だ。どちらもかつてはバスケ部に所属
していた。もともとこの三人は家が近かったらしく、何かと一緒に行動することが多いような気がする。じっと眺めてい
ると、中峰が自分の存在に気付いたらしく、手を振り上げた。

「あ、木下くーん。ちょっと質問いーかな?」

「んー? なんだい?」

そして、中峰と自分はそれぞれこのクラスの学級委員を務めていたから、それなりによく話す関係だった。あまり女子
との付き合いが無い自分にとって、中峰という女子の存在は大きかった。それだけではない、佑也と中峰は、一部は
除くがクラスの大半の人物と親しいのだ。だから、何か知りたいことがあったらこの二人のどちらかに聞けば、必ず答
えが返ってくる、結構役に立つ二人だった。

「あたしさ、冬休み中に英単語をマスターしようって思ってんだけど、木下君は何をやってんの?」

「うん、それ気になるね。僕はCDがついた奴を使ってるんだけど、栄一郎はどうなのかな」

クリクリっとした眼をこうもダブルで受けるとなんだか眩しい。その様子を見て萩野が少し笑っている。黙ってないで助
け舟を出してくれ、萩野。

「えっとね……俺は切り外しが出来る単語帳を使ってるな。カードにして、ひとまとめにしておく。で、ちょっとした時間
 に手軽に見直せるようにしてるかな。で、覚えた単語からどんどん外していくんだ。やっぱり量で実感できた方が楽
 しいと思うし、どうかな」

「おぉー……なんか凄いな。よっしゃ、俺もそれに変えてみようかな」

「まぁ待て萩野。もうこの追い込みの時期だ。今から新しい単語帳をやるよりは、今まで使ってきて馴染んでいる本を
 一冊完璧にした方がいいと俺は思うけどね。中峰は、今までなんかやってた本はあるのか?」

「あはー……実は、全くやってなかったんだぁ」

てへへ、と笑いながらおでこに手をやる中峰。おいおい、ととりあえず突っ込んでおく。流石にこの時期から単語を始
めるのは……悪いけど遅いんじゃないかな。

「あ、でもさ。亮太はバスケの推薦が決まりそうなんでしょ?」

「おぅ、それなんだけど。どうも面接だけじゃなくて、やっぱり軽い試験みたいなのがあるんだってさ。そう簡単に運動
 バカなだけじゃ行けないって、アズマに言われちったよ」

「あっちゃー、そうなんだ。じゃ、頑張らないとね、亮太君」

体格に恵まれた萩野には、体育会系の高校から推薦の話が来ていたのは知っていた。本人も、折角だからとそこを
受験することにしたのだが、自身が自覚している通り、少し萩野は頭が足りない。だから、一生懸命頑張っているらし
い。中峰に至っては行きたい高校がかなりランクの高い場所だ。英語以外ならほとんどトップクラスなのだが、どうも
国語関連は苦手らしく、いつも赤点すれすれだったように気もする。まぁ、弱点がわかっているだけマシだろう。雄輝
なんか、何処がわからないのかわからないといったレベルなのだ。ちなみに、既に冬休み中に、自分は雄輝直属の
家庭教師を任されていたりもする。
ちなみに佑也はもうどの高校でも大丈夫だろう。学年二位の実力は半端じゃないことくらい、自分でもわかる。

「よーし、じゃあそろそろホームルームを始める。早く席に着きなさい」

 扉が開いて、アズマが入ってきた。ずっしりと両手に抱えられた紙の束は、もれなく全員に配られる通知簿だ。
全員が席に座ったことを確認すると、早速アズマはそいつを配り始めた。まずは榎本達也(男子一番)が呼ばれ、そ
のペラペラの紙を渡される。と同時に、勢いよく教室の扉が開いた。そこからのっそりと現れたのは、長身、痩せ型の
佐野 進(男子五番)と、黒縁眼鏡をかけた松本孝宏(男子十一番)。佑也や中峰にとって、“一部の例外”にあたる
奴等だ。遅刻のくせに悠々とした態度に、前で通知簿を受け取っている榎本が嫌な顔を浮かべる。榎本は嫌いな奴
はとことん嫌う奴だ。それを露骨に顔に出すのは、どうかと思うが。しかし、榎本だけではない。佑也や中峰もそうで
あるように、この二人はクラスの中でも浮いた存在だった。ちなみに、自分も少しだけ二人を睨みつけたことを告知し
ておこう。

「……佐野、松本。遅刻だぞ」

「悪かったな、ちぃと電車が遅れちってよ」

「ここに来るのに電車なんか使わないだろう……いいからさっさと席に着きなさい」

へぇい、と気のない返事をして、後ろの席に二人は座る。いつものことなのだ。逆に、よくまぁこういう日に来たものだ
とも言える。あまり学校に来ないくせに、終業式にだけはきっちりと顔を出す辺り、なにか裏があるのではないかと勘
ぐってしまう。

「……じゃ、次。柏木」

気を取り直して、というかのように咳払いをして、アズマは柏木杏奈(女子一番)を呼んだ。柏木は、そのセミロングの
髪をなびかせながら、無造作に通知簿を掴み取る。そして、黙って席へと戻った。なるほど、あの二人が来たからな
のか、かなり不機嫌になっているようだ。先程までは、笑いながら前の方で親友の霜月直子(女子四番)と話してい
たというのに。

 クラス内に、重たい雰囲気が立ち込めようとしていた。

「河原」

「はいはい、はぁーい♪」

……ような気もしたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。マイペースな雄輝の空気を全く読んでいない軽い返事で、
クラス内の重たいムードは一変した。ほぉ、と気が抜けて、肩の力が抜け落ちる。

「ぐぁー、やっべ。栄一郎、俺ブービーなんだけど。どうしよぉー」

 ……まぁ、これが雄輝の良い所でもあり、悪い所でも、ある。
 あとでキャッチボールに誘おう。そう、思った。





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