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 最近、こんな話をよく耳にする。
 小学生、中学生を売人とした、麻薬の違法取引だ。

 連日マスコミを賑わせているこの事件、もともとの発端はある事件がきっかけだった。
麻薬の運び屋をやっていた少年が、突然バスジャックをして、乗客数名を刺殺、自らも自殺したあの忌々しい事件。
その事実は瞬く間に全国に広がり、当時まだ中学二年生だった少年が麻薬(正確に言えば覚醒剤ということになる
のだが)に手を出していたというのは、全国民に衝撃を与えた。
やがて、マスコミの情報力によって現状の麻薬の闇世界が浮かび上がり、それが国家に繋がる……というところで、
急遽事件は闇に葬られた。誰も疑わなかった。これは、バックに国家権力が動いているのだと。
国は当初は、実験的に戦闘能力を高める薬を開発していたのだという。だが、それが極度の依存性を持ち合わせて
いたことがマウス実験によって発覚し、急遽開発を断念しようとしたらしいが、これを金になると踏んだ黒幕が、そっと
その実験薬を持ち出したのだという。それがやがて小中学生の間で密かに広がっていき、事件が起きたのだ。
その実験薬の存在自体が国家機密事項。だから、国はマスコミを規制して、自らの権力で暴走を始めた麻薬を止め
ようとしているのだ。

 ……それが、自分が父親から聞いた全て。

栄一郎の父親は、軍関係者だった。それも、詳しいことは知らないが、かなりの権限を持っているらしい。連日帰りは
遅かったし、たまに家に桃印(国のシンボルマークだ)の封筒が届けられていたのも知っている。そして、何故自分に
そのようなことをわざわざ伝えたのかということも。
現役の中学生である自分。大人が潜入操作をしにくい聖域である校内に、こうもあっさりと侵入できる自分。だからこ
そ、協力して欲しい。そう頼まれたのは、夏休みが明けてからだ。信じたくは無いが、うちの学校のある生徒が、いわ
ゆるバイヤーというものを担っているらしい。その事実を確認して欲しいと言われたのだ。
最初は嫌だと言った。自分はただの中学三年生だし、本来なら学業に専念しなければならない身だ。現に、自分は
何度か考査で学年一位を取っているし、このまま頑張り続けて、官僚クラスになれるいい高校へと進学したかった。
だが、そんななまじスパイなんかをしていたら、当然学業は疎かになるだろう。それに、いくらなんでも同学年の奴を
探るだなんて、受け入れがたかったのだ。
だが、事態は一変した。隣のB組の加藤兵吾という生徒が、校内暴力で停学処分を受けた。この生徒こそが、父親
にマークしろと言われた人物。あの松本孝宏(男子十一番)や、佐野 進(男子五番)と、頻繁にコンタクトを取ってい
た野郎だ。停学中も外を歩き回り、なにかと不自然な行動が多いらしい加藤。その暴力の理由は判明できていない
のも不可思議だ。暴力を受けた生徒が、断固として口を割らないのだという。なにかを、恐れている。そんな感じだっ
た。瞬間、確信した。

 加藤兵吾は、クロだと。

たまにしか学校に来ない松本と佐野。だが、その周期はいつも決まって一定だった。簡単じゃないか。それは、監視
の目が行き届かない学校という聖域の中で、“あること”をする為に来ているんじゃないか。
だからこそ、明日から暫く休みになってしまう今日。あの二人は来たのだ。恐らく、人気が無くなってから、何処か眼
の届かないところで、“あること”をする為に。
キャッチボールに雄輝を誘ったのもその為だ。騙したつもりは無いが、なるべく遅くまで学校に残る違和感の無い理
由が自分には必要だった。そして、この小さな校舎。人目の行きにくい場所といったら、それは校舎と体育館の間に
ある、倉庫の裏くらいしか考えられない。
ここまで辿り着くのも大変だった。“あること”をするのだとしたら、どの場所が最適なのか。生徒の目が行き届いてい
る校舎なんか論外だ。トイレの中だって定期巡回があるからおちおちやってもいられない。巡回コースから逸れた場
所となると、一部の特別教室か、あるいは体育館側の一部しかなかったのだ。
だから、校庭でキャッチボールをした。案の定、誰かが校舎裏に走っていった。誰か、なんてもう言う必要は無いな。
常習犯が、“あること”をする為に、取引現場へと赴いた、それだけだ。
勿論、自分は逮捕だー、なんて出来る権限はない。むしろ、ごまかされてしまうのがオチだろう。教師もあまり残って
いない時間帯だし、助けを求めることも出来ない。だからといって、仲間にこの事実を伝えるわけにもいかない。なん
てったって、これは国家機密なのだから。
だから、確実にしなければならない。つまり、物的証拠だ。その実験薬さえ手に入れてしまえば、こちら側の勝ちなの
だ。そして、ようやく麻薬ルートの一つを潰すことができる。なんとまぁ、面倒くさいことこの上ない。


「よし…………」


 そっと、校舎裏へとにじり寄る。こんな経験、初めてだ。冬だというのに、汗が額から、つ……と垂れる。
倉庫裏を覗き込むと、微かだが喋り声が聴こえてきた。男子達の笑う声。そして、なにやらガサガサと漁る音。やはり
思ったとおりだ。こいつら、ここで“密売”していやがった。

「はぁー、兵吾さん。ホントこれ、凄いっすねー」

「だろ、松本。本家本元から仕入れてるんだから、大切に扱えよ?」

「うぃーす。じゃ、兵吾さんこれ今月分ね」

あれは一体何枚だ? 松本がぞんざいに投げ渡した万札は、どう考えても五枚以上ある。ただの中学生が、いった
いどうやってあんな大金を手に入れているという?

「相変わらず金持ちだな、タカヒロ」

「うっせぇ佐野。その辺のゲーセンふらついてんの、一緒に掴まえただろが」

「あーあー、あん時の野郎のね。……ったく、仕事サボってゲーセンいるなんてとんでもない奴だったよな」

拳を知らぬ間に、ぎゅっと固く握り締めていた。
こいつら、自分がなにをしているのかわかってやっているのか?

 だが待て。あの袋さえ奪い取れば、それで全てが明らかになるんだ。
 行け、行くんだ栄一郎。さぁ、勇気を出して、行くんだ。


「木下……君? なに、してんの……?」


 はっとして振り返る。
 しまった、現場ばかりを見ていて、周りに注意を払っていなかった……!

 そこには、藤田 恵(女子十番)がいた。確か、音楽部の指導とかで学校に残っているとか言っていた。なら、なん
でわざわざこんな辺鄙な場所にお前はいるんだ。外の空気を吸いにきたって、もっとマシな場所があるだろう?

「誰だ?!」

藤田の声にいち早く反応したのは、紛れも無くドンの加藤だった。
やばい、完全にこちらの動向がバレてしまっている。そして、この藤田という女子。

 ……お前も、まさか。

迷っている暇はなかった。
一気に倉庫裏に飛び出すと、流石に驚いたのか、佐野が慌てて持っていたものを隠そうとした。だが、逆に中身をぶ
ちまけてしまう結果となる。

「あぁぁ?!」

「うぉぉぉっっ!!」

それを逃さなかった。勢いを込めて佐野に体当たりをする。自分より背が高いくせにひょろひょろの佐野は、いとも簡
単に吹っ飛んだ。事態を把握したのか、殴りかかってきた松本に対して、それを左手で抑えて右手で鳩尾にきつい一
発を入れる。完全に決まった。

「てめぇは……A組の木下……!」

加藤が、驚いた表情でこちらを眺めている。だが、それにも反応せずに、地面に落ちているその“物的証拠”を拾い上
げて、一目散に駆ける。どうしようかと突っ立っていた藤田が、それを見て悲鳴をあげた。それを跳ね除けて、とにかく
走る。

「くそっ……追え、追えぇ! 早く追うんだぁぁ!!」

背後から、加藤の怒号が聞こえてくる。あぁ、本当に面倒なことになってしまった。
残念ながら太り気味の自分はそんなに早くは走れない。まぁ、松本も自分と同じような体格だから問題ないとして、
敵となるのは佐野と加藤だ。こいつらを撒いて、なんとかして自宅まで戻らなければならない。


 走れ走れ走れ。追いつかれたら、間違いなく殺される。
 走れ走れ走れ。追いつけなければ、間違いなく殺される。


互いの気持ちが交錯しあう中、栄一郎は校門を抜けて、住宅街を走り回って、そして大通りへと出た。一瞬だけ振り
返ると、どうやら松本は消えたらしい。追ってきているのは、佐野と加藤だけだった。
うちへ帰るためにはあの歩道橋を越えなければならない。信号なんて悠長に待っていられる時間なんかないのだ。
一気に階段を二段飛ばしで駆け上がる。こんなに全力で走ったのは久々だ。とっくに限界は来ていた。だが、止まる
わけにはいかないのだ。なんとかして、こいつを持って帰らなくてはならないのだ。

 だが。
 歩道橋を上がって、向かい側に松本の姿が見えたとき、それは絶望へと変化した。

「……甘いぜ木下。お前が家に帰るためには……この歩道橋を渡らなきゃならないことくらいわかってんだよ」

へへ、と顔を笑みの形にゆがめる松本。やばい、こいつは、俺が撒いている間にここへ来て待ち伏せしていたのだ。
そう思って、踵を返そうとして、既に佐野と加藤が階段を上ってきているのを見た。
二人と一人。相手にするなら……当然そんなのはわかっている。

「うぉぉぉっっ!!」

松本に向かって、体当たりを仕掛ける。だが、既に何十分も走っていて、体力はほとんどなくなっていた栄一郎に対し
て、この場所で待ち伏せをしていて、息を整えていた松本。その結果は、明らかだった。

「ぐぁぁっ!」

「おらおら、どうしたぁ?! おめぇの目的がなんかは知らねぇけどよぉ、こいつだけは渡せねぇんだよ!」


 そして……松本は、栄一郎を蹴り上げた。
 栄一郎の体は、簡単に宙に浮かび上がり……。


 歩道橋の柵を、越えた。


 あれ? 俺、これって……。
 ……ヤバクね?


 次の瞬間、栄一郎は激しい衝撃と共に、コンクリートの上へと叩きつけられた。
 ゴボキッという、骨の砕ける嫌な音がする。直後、トラックの警笛が、辺りに響き渡った。




  ……グシャ。




 男子三番 木下栄一郎  死亡





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