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 いったい、何が起きたというのか。

 あたしはとにかく、冷静になるように自身に言った。こういうときは常に最悪のケースを考えた方がいい。誰かが言
っていた台詞だ。最悪のケース……ガラスが割れたことかせ推測できるなんらかのアクシデント。
勿論そんなものは一つに決まっている。誰かが、この図書館に侵入してきたということだ。恐らく、玄関扉が開いてい
るという事実を知らない人間が。しかし何故、どうしてわざわざ音を立てて進入してきたのか。中にいる人間に気付か
れたら、あっという間に撃退されてしまうだろう。
しかし、それをも覆せるほどの武器を所持していたとするならば。そして、それを使いこなせるだけの術があるとすれ
ば。そう無茶をする人間なのだ。よっぽど自信があるのか、あるいはただイカれているだけかのどっちかだ。

 ふと、ある人間があたしの脳裏を過ぎる。
それは、出発前の出来事。木下栄之助によって紹介された、あの謎の転校生だ。わざわざこの殺し合いに志願して
きた奴だ。積極的なのかどうなのか、事情は知らないにせよ危険人物であることには変わりない。きっと奴は、このプ
ログラムで優勝する自信があるからやってきたのだ。なんてこったい。もしも下のガラスを割ったのが奴だとすれば、
あたしも早いところここから逃げなければならないのかもしれない。しかし、今のあたしに満足に運動できるだけの体
力があるとも考えられない。

 逃げることが不可能ならば。
 もう、戦うしかないじゃないか。

「……くそっ」

あたしはグロッグの撃鉄をあげる。いつでも撃ち殺すことができるように、下の階に向けて標準をあわせておく。ちょっ
と距離があるかもしれないけれど、大丈夫。きっとあたしならできるはず。


「駄目だっ、逃げろ!」


 唐突に、下で菅井の怒号が聞こえた。よく聞けば、それに混じって何かが下で暴れている音がする。ドカン、だのバ
コン、だの、まるでバットか何かであたりを打ち砕いているかのような音だ。

 バット……その音が、あたしの記憶を呼び覚ます。
 駄目だ、それは思い出しちゃいけない。思い出しちゃいけない記憶なんだ……!

ドカン、バコン。ドゴ、バキ、ガコン。
襲撃者は菅井たちを滅茶苦茶に襲っている、もとい暴れているようだ。下のロビーに、菅井と城間の二人が飛び出し
てきた。どちらも真剣な表情をしている。勢いよく飛び出した二人は、あたしの目下を素晴らしいほどの俊足で駆け抜
け、そして入口へと向かう。そして、暫くしてバタン、という音。襲撃者から逃れる為に、図書館から脱出したのだろう
それは、即ちこの中に残っているのがあたしとその襲撃者だけであることを語っていた。
あの二人は襲撃者を撃退しようとは思わなかったのだろうか。ただ逃げただけだ。つまり、あまり強い武器を持ってい
なかったのかもしれない。
そして、その襲撃者はふらふらとした足取りでロビーに姿を現した。

 そう、佐野 進(男子五番)だ。

その姿を見た瞬間、あの時の記憶がフラッシュバックする。
佐野と同じく長身だったあの男の姿が。突然家に帰ってきて、バットで部屋中を殴打した時の、あのイカれた眼つきを
したあの男の姿が。麻薬なんかに手を染めて、そして挙句の果てに死んでしまった、兄であるあの男の姿が。

「ふーっ、ふーっ、ふーっ……くそ……くそくそくそくそぉぉ!!」

大きく息を静めたかと思うと、佐野は突然再びその手に持つ角材(そう、工事現場などに置いてあるようなあの角材
だ)を振り回して、ロビーにある椅子や机を滅茶苦茶に殴打し始めたのだ。

「だぁー! チキショウチキショウチキショォォッッ! どいつもこいつもうぜぇんだよぉぉっ!」

顔面を蒼白にして、ただひたすらに暴力を揮うその狂人は、まさしくあの時の兄と酷似していた。髪はぐちゃぐちゃの
ボサボサ、着ている服もよれよれ。まるで浮浪者かなにかだ。
あたしは、見てはいけないものをまた見てしまったような気分になって、どうしてだろうか、全く動くことができなかっ
た。あの時の自分と同じだ。あたしもあの時は、自宅のトイレにじっとこもって、ただやってきた嵐が治まるのを待つし
かなかった。トイレに鍵が掛かっていることに腹を立てたあの男が、ただひたすらに扉をなんどもなんども、耳を塞いで
も聴こえてくるあの忌々しい音を出してきた。

「あ……あぁ……」

ふーっ、ふーっ。
まるで猫のように威嚇する佐野を、あたしは黙ってみることしかできない。
これが、末路。麻薬を使ってしまったものが陥る、禁断症状だ。ろくに薬も打てなかったのだろう。そりゃそうだ。木下
栄一郎(男子三番)を殺してから、佐野はずっと警察に取り調べられ、そして直接ここに連れてこられるまでの間に、
薬なんか持っていられるはずなかったのだから。勿論それはプログラムが始まってからもそうだ。こんなところに麻薬
が転がっている筈がない。だから佐野は禁断症状によって、あんな惨めな形になってしまったのだ。
佐野は持っていた角材を思い切り床にたたきつける。ボキッ、という音がして、角材は真っ二つに折れた。それに満
足したのか、佐野はそれをぽいと床に放ると、大きく深呼吸をした。

「ふーっ、ふーっ…………ぁあ?」

そして、最悪の事態が発生した。
あろうことか、佐野はロビーから二階を見上げたのだ。当然、下を見下ろしていたあたしと眼が合う。

「……テンメェェ……なにじろじろ見てんだよぉっ!」

「あ……ぃゃ……」

情けなかった。あんなにも粛清を与えようとしていたのに、いざ目の前に現れても何も出来ない自分が憎かった。そ
の気迫に圧倒されて、動けない自分が憎かった。

「チキショウめ! くっそぉぉぉ……殺してやる殺してヤル殺シテヤル!」

ガァァァ、と雄叫びをあげながら、佐野は傍にあった通し階段を昇り始めた。
それが合図となり、あたしの体がはじけるように軽くなる。

 逃げなきゃ。
 どこでもいい、安全な場所へ……逃げなきゃ!

あたしは向かう。その、確立された場所へ。
かつての暴挙と化した兄から逃れることのできた空間、そこへ。

 女子トイレの一番奥の個室にあたしは立てこもる。鍵をかけて、じっと便座の上に息を殺して座っていた。ただ、グロ
ッグをぎゅっと力いっぱい握り締めて、その銃口を、扉に向けて。
かつてのあたしとは違う。あたしには武器がある。今度は、この手であいつを葬り去ることができる。優しかった兄、
化け物となってしまった兄、無残な死体となった兄。もう、これ以上誰も巻き込ませない。あたしが、この手でとめなく
ちゃならないんだ。そう、それこそがあたしが麻薬を最も忌むべきものとする理由。それこそが、あたしの使命。あたし
なりの正義。

「くぉらぁぁ! 出て来いこのアマァ!」

勿論あたしがこの部屋に逃げ込んだことは佐野にはバレバレだ。佐野は当然の如くそこに入ってくると、手前の扉か
らズドンと蹴りを飛ばしているようだった。どうやら半ばで折れた角材は持ってこなかったらしい。
ズドン。ズドン。ズドン。次第に音が近付いてくる。それは一種の恐怖だった。勢いよく扉が開いてそれが倒壊するよ
うな音がする度に、あたしの心臓はビクンと跳ね上がる。
ズドン。ズドン。ズドン。隣の壁が思い切り音を立てて、振動が今いる個室にまで響いてきた。もうすぐだ。もう少し
で、全てが終わる。やっと、静かになる。
ズドン。ガチャン。鍵が掛かっているから、この扉は開かない。即ちそれは、あたしがこの中に隠れているという確固
たる証拠に他ならない。佐野もいくらイカれているとはいえそのあたりはわかっているようだった。

「このヤロウ、手間かけさせやがってぇぇ!」

ズドン! ズドン! ズドン!
激しい音が目の前で起きている。耳を塞ぎたいほどの忌々しいその音。だが、あたしはじっとグロッグを構えた。この
向こう側にいる悪魔を撃ち殺してしまえば、やっと平穏が戻って来るんだ。やっと、元に戻れるんだ。

「あああああああぁぁぁっっ!!」

ズドォォン!
鍵が破壊されて、扉が開くと同時に、あたしは咆哮を挙げた。
目の前に立ちはだかる長身の男、佐野に向けて、グロッグの引き金を一気に絞った。


 ズダァンッ!


弾は一直線に佐野の腹部へと跳んで行き、そしてクリーンヒットした。
勢いで佐野が後方へと吹き飛ぶ。それはまるで、栄之助に腹を蹴りこまれたときのそれに似ていた。

「ぐぅぅ……テメェ!」

それでも尚、佐野は立ち上がろうとする。
駄目だ。早くこいつを殺さないと。早く! 早く! 早くっ!


 ズダァンッ! ズダァンッ! ズダァンッ!


あたしは、呻き声を上げている佐野に向けて、何度も引き金を絞った。
何度も何度も、動かなくなるまで、あたしは佐野を撃ち続けた。腹、胸、腿、腕、様々なところに弾は当たり、その度
に佐野は激しく揺れた。やがて、カチンという音がして、ようやく弾切れになったのだとあたしは悟った。
そして、見た。佐野を取り囲む紅い血を。口から血を流して、ぐったりとしている憎きこの悪魔の姿を。

 あたしは、勝ったのだ。
 この忌々しい悪魔に、勝ったのだ。

「ああああああぁぁぁぁっっ!!」

そして、あたしは咆えた。
どうしようもないこの歓喜の気持ちを表現したくて、咆えた。

 ここを出よう。早く、この忌々しい館から、脱出しよう。
 そう思って、佐野の死体をまたいだ時だ。



 がし。

 あたしの右足首が、誰かにぎゅっと掴まれたのは。



 【残り15人】





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