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 廊下はひんやりとしていて、静かだった。
 そこの扉をくぐれば仲間達がいる、そんなことさえ忘れさせてしまうような錯覚に捉われてしまうほどに。

「……話、だって?」

 そんな空間に佇むのは、僕と、そして妙に落ち着き払った村田。
村田は廊下を静かに歩き始めた。なるほど、トイレに行ってからということか。そう思いながら、後を同じように足音を
立てないようにそっと進む。菅井の言ったとおり、廊下の突き当たりを右に曲がると、男女別のトイレがあった。中に
入ると、小便器が二つ並んでいて、その奥に大用の個室がある。手前側には小窓があって、そこから外を観察するこ
とが出来た。小窓の大きさは三十センチ四方程度で、まぁ人間がここから入り込むのは不可能だろう。

 村田は奥のほうへと行く。僕も、その隣に並んだ。

「で、どう思うんだ?」

 前を見たまま、村田はそう言った。なにを、か。そんなことはわかりきっている。問題はどう答えるかだ。

「……まぁ、悪くはない作戦だとは思うよ」

「……そうか」

「ただ、僕個人の意見を言わせてもらえるのなら。僕は反対したい」

 個人的意見なら、反対だ。その答えに、村田は少しだけ口を開いた。

「ほぉ、なるほど。……それはお連れの方々に対する配慮、か?」

 そして、次に出てきた言葉は、逆に僕自身の口を開かせた。なるほど、この男、どうやら僕が思っていた以上に凄
い奴なのかもしれない。

「知ってたのか」

「いや……なんとなくだ。お前が、なんとなく普段と違うような気がしてな。いつもより肩が張ってる。普段はあんなに
 仲良くお喋りしているのに、今はお前、あの二人に異様に気を遣ってないか?」

観察眼に長けているのか、それともただ単に僕が演技できていなかっただけなのかはわからない。だがこれだけは
言える。僕がやっていることを、この男は全て見抜いているのだと。それがなんとなくであったとしてもだ。

「そんなに顕著だったかな」

「んー……わからんな。ただ付き合いが長いだろうから、バレてるかもしれねぇな。ま、もっとも気付いていたとしても、
 向こうもあえてそのことには突っ込まないだろうけれどな」

背筋が凍る。僕があの二人に対して演技をしていたように、あの二人もずっと気付かない振りをしていたのだとした
ら。僕はなんて、愚か者なんだろうか。二人を気遣っていたつもりなのに、逆に気を遣われていたなんて。

「……僕は、あの二人がいつもと違うのはすぐにわかったんだ。演技をしているわけじゃなくて……なんだろう、いつも
 とは違うんだ」

 違和感。この状況で、変な意味で落ち着いていたあの二人に対する、違和感。
 それが、全ての始まりだったのかもしれない。

「要するに、あの二人も菅井たちと同じなんだ。仲間同士、協力し合って生き残ろうって。だから、やる気の奴には容
 赦なく応対する。それが……僕たちが合流するまでにやってきたことだ」

「容赦なく……ねぇ」

 村田は含み笑いをしていた。
 言ってから、後悔した。それじゃあ、まるで僕たちが殺人集団だったみたいじゃないか。

「……駄目なんだよ、人殺しだけは。それをやってしまった瞬間に、最後のガタが外れてしまうんだ。そして、二度と
 元には戻れない。ずっと、壊れたままなんだ。僕はあの二人を、そうはさせたくないんだ」

「一度やったら戻れない……ふん、まるで麻薬だな。やがてはそれが快楽になり、そして堕落していき、最期には苦
 しみ、のた打ち回りながら息絶える。最悪だ」

 村田の顔が、強張る。今も尚生き残っている佐野の事を思い出したのだろうか。唯一の、麻薬常用者の生き残りで
ある、佐野 進(男子五番)を。きっと、この麻薬の存在しない会場内で、禁断症状で苦しんでいるに違いないであろ
う、愚かな殺人者を。

「お前はあの二人をそうさせたくはない。だから菅井の案には乗れない。そうだな?」

「……わからないんだ。僕は反対したい。だけど、それだとこの中から優勝者は出せないかもしれない。なら、少しで
 も可能性をあげる為に、乗ったほうがいいのかもしれない」

「優柔不断な奴だな。お前は嫌なんだろ? なら乗らなければいい、それだけの話だ」

 ここまではっきりとものが言える村田が、少しだけ羨ましかった。村田は強い、強いから一人であっても、生き残るこ
とは出来るだろう。だけど、僕は弱い。一人じゃ何も出来ないんだ。だから一人になることを恐れて、周りに合わせる
ことしか出来なくて、結局自分の意見も突き通せないわけで。

「村田は……乗らないつもりなのかい?」

「……そうだな、確かに俺もお前と同じ考えだ。作戦自体はとてもいい。だけどな」


 そして、僕は眼を見開いた。


「俺は、このゲームに乗ってるんだ」


 村田が右手に握るのは、紛れもなく拳銃、ソーコム・ピストル。人差し指は引き金にかかっていて、銃口は、間違い
なく僕の心臓を指し示していた。
ちょっと待ってくれよ。これはいったい何の冗談なんだ。

「嘘はついてない。乗り気じゃないし、意味もなく殺すこともしない。だけど、優勝は狙っている」

「……はじめから、こうするつもりだったのか」

「そうだな、流石に三対一じゃ勝てっこないしな。それに成海、お前に支給されたマシンガン、ありゃ間違いなくこのプ
 ログラムの中でナンバーワンの武器だ。あれをどうにかしなければならない、それが俺の考えだった」

そのマシンガン、ステアーTMPは会議室においてきてしまっていた。トイレに行くのに持っていくのは不自然だと、そ
う思っていたのに。村田は小型の拳銃だから、全然不自然ではないということだって、わかっていたのに。

「僕とマシンガンを切り離すこと、なかなかうまい手だね」

「だろ? お前もバカじゃないからさ、俺だって相当頭を使ったんだぜ。どうすれば殺せるかなって」

銃を突きつけられていながら、僕はどうしてか平静を保てていた。決して慣れるものではないのだけれども、次の瞬
間には死んでいるかもしれないのに、何故か僕は冷静だった。まるで、このまま舞台をいつもの教室に戻しても、全く
不自然ではないような、そんな間隔だった。

「だけど、これで僕を殺せたとしても、この先どうするつもりだい。亮太や菅井が黙っちゃいないよ」

「あぁ、だろうな。あいつら素手でも強いし、俺は敵わないと思う」

村田は、苦笑いをしていた。まるでこれからどうすればいいのかなんて、全く考えていないかのように。こうもあっさり
と言い切られてしまうと、僕としても対応のしようがない。

「まぁ安心しとけ……というのも変な話か。大丈夫、作戦は考えてある。それも、菅井のなんかよりももっと凄い奴だ
 よ。まぁ、俺にしか効果はないけれどな」

「ほぉー、それは楽しみだ。どこまで突き進めるかな」

 久々に出てきた、皮肉。まさかこの場面で出てくるとは。
 村田は少しだけ呆気に取られていたが、再び唇を歪める。今度は、少しだけ嬉しそうな顔をしていた。

「ついに地を出したな、成海。いい土産になったよ」

「ふん、この僕を殺すんだ。無駄死になんかしたら、七代先まで祟ってやるからな」

「死んだらそこで家系は絶えるだろうがよ」

 僕も、楽しかったのは事実だ。ここまで腹を割って話したのは久々だったし、まさかその相手が村田とは。もしもプロ
グラムに巻き込まれていなかったら、一生そのままだったのかもしれないと思うと、少しだけ、得をしたような気分に
なるから不思議だ。

「……さて、そろそろ戻らないと菅井に怪しまれるからな。じゃあな、成海。残念ながらここでお別れだ。お前は天国、
 俺は地獄。もう二度と会うこともないだろう」

 天国と地獄、か。
 果たしてそんなものがあるのかどうかはともかくとして。

「安心しろ、村田。僕も地獄行きだ」

「……は?」


「僕も、人殺しだからだよ」


 そして、告白した。自らも、人殺しであると。
 そう、まさに引き金を引いたあの瞬間。僕自身も、最後のガタが外れてしまったその刹那には。

「ほ……ほぉ、それはそれは。なるほどね」


 村田が笑う。
 僕も笑う。


「道理で、同じ臭いがしたわけだ」


 次の瞬間、僕は村田の手元から、激しい爆発音と共に何かが飛び出すのを見た。
 それを認識した時には、既にもう僕は。



 村田修平(男子十二番)は、息絶えた成海佑也(男子九番)の死体を見ると、大きく深呼吸をした。
 ゆっくりと唇を吊り上げ、屈む。物言わぬ死体の耳元で、そっと囁いた。

「あぁ、成海。上等だ、やってやるよ。地獄でよーく見てろよ、こんちくしょうめ」

 そして、トイレの扉を開けると、一目散に駆けていった。



  男子九番  成海 佑也  死亡



 【残り8人】





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