結局、私はクリスマスの当日の晩も、文枝に寂しい思いをさせてしまったことになる。 帰宅すると既に文枝は寝ていたので、私もシャワーだけ浴びるとすぐに床についた。 翌朝、私は休日を堪能しようと寝坊するつもりでいたのだが、酒を飲んだにもかかわらず変に眼が冴えてしまい、二 度寝は諦めて、食卓で新聞を読んでいた。すると、食器を洗い終えた文枝が、向かいの席に座った。 「あなた」 「……なんだい」 「今朝の新聞なんだけど……裏面、見てくださる?」 ふと顔を上げると、そこには真剣な眼差しをした文枝がいた。私はなんかあると直感で気付き、いそいそとテレビ欄の 裏側を見る。小さな見出しだが、そこには死亡記事が書かれていた。昨晩発生した火事で、中学生が死亡したとそこ には書かれている。地区は、この近所だった。 「近いな。知り合いか?」 「昨日の夕方なんだけどね、突然消防車のサイレンが聞こえたからなんだろうと思って、窓を開けたら少し離れたとこ ろから黒い煙が上がっていたのよ」 「そうか……うちも火の元には気をつけなきゃな」 私が肩を竦めると、文枝はそれに対して反応を示さず、じっと私の瞳を覗き込んでいた。 本題がそれではないことに気付き、私はもう一度新聞に眼を戻した。そして、眼を丸くした。 「この子は……」 「……あなた。天気もいいし、久々に散歩にでも出掛けない?」 昨日の曇天とはうってかわって、今日は雲ひとつない快晴だった。とはいえ、まだまだ冬としては充分な寒さだ。年 末である今日、少し窓が開いている家から、せっせと大掃除をする音と、笑い声が聴こえてきた。家族総動員で一年 分の埃を掃っているのだろう。そういえば、うちはまだやっていなかったな。高い窓の掃除は、毎年栄一郎に任せて いたのだが……さて、今年はどうしようか。 「年末。まだまだ慌しいみたいですね」 「……うちも、やらないとな。しっかり」 「そろそろ御節も作らないといけませんね」 「文枝が作る金団、おいしいからな。楽しみにしているよ」 こんな話をしていると、まるで自分達が老夫婦になってしまったかのようだ。後生を楽しむ、というわけではないのだ が、子供がもういない以上、こうなるのは仕方ないのかもしれない。いつの間にか、栄一郎が自分の中でとても大き くなってしまっていたことに、失ってから初めて、私は気付かされたのだ。 そんな話をしているうちに、河原に出た。そのまま土手沿いに歩いていると、橋があったので渡る。のんびりと歩いて はいたが、目的地は決まっていた。 「火事って、消防車が消火活動を始めるとすぐにわかるのね」 「……どういうことだい?」 「それまでは黒い煙があがっているのだけれど、消火が始まると次第に白くなっていくのよ」 「あぁ、そういうことか」 大通りに差し掛かると、文枝は近くにあった花屋で少しだけ花を買った。本当にそれは小さな花だったけれど、黄色く て可愛らしかった。私には知識がないのでその花がなんというのかは知らなかったが、栄一郎も黄色が大好きだった というのは知っていた。 やがて、死亡事故発生現場と書かれた看板が目に入ってきた。その看板の下には、まだいくつかの花が添えられて いた。枯れていないあたり、まだ置かれてそんなに時間は経っていないのだろうと思えた。文枝はその傍まで寄る と、同じように先程買った花を隣にそっと添えた。私も横に並ぶと、手を合わせる。 ここは、栄一郎が散った場所。うちのクラスの最初の犠牲者であり、そして唯一、葬式をクラスメイトに参加してもらっ た犠牲者だ。 私は目を開けると、そこに置かれているなにかが目に入ってきた。花が置かれている傍らに、手紙が置いてあったの だ。中身を見るのはいけないと思いながらも、栄一郎宛だとわかっていたので、中身を取り出した。可愛らしい丸文字 で書かれたそれは、やはり栄一郎宛のものだった。 『木下栄一郎君へ 大好きでした。ありがとう。そして、どうか安らかに眠って下さい。 中峰美加』 中峰美加、その名前は見覚えがあった。この間私が担当したプログラムで、あの村田に殺された最後の女子生徒 だ。息子のクラスメイトは残念ながら野球部関係しか知らなかったが、なるほど。あの栄一郎も、誰かに好かれてい たのだと思うと、親としては少しだけ嬉しかった。 もしも天国があるのだとしたら。中峰は、そこで栄一郎に会えたのだろうか。 私は手紙をそっと元の位置に戻すと、文枝と共にその場を去った。今日の散歩の目的地は、もう一箇所あるのだっ た。 歩道橋から路地に入って、商店街を抜けて住宅街に入って十分。私の目の前には、すっかり家とは言えなくなって しまったような建物があった。木造二階建ての一軒家。すっかり黒焦げになってしまったそこには、未だに黄色いテー プが張られていた。しかし、燃え残っているものは少なからずともあり、かつての家の様相は、なんとかそこから想像 は出来た。住む者がいなくなったというのに、むなしく表札だけは残っていた。 「出火の原因はわかっていないんだそうよ。もしかしたら放火かもしれないわね」 「……放火、か。恐ろしい世の中になったもんだ」 『加藤』と書かれた表札を、私は憎々しげに見つめた。栄一郎が通っていた中学校で、覚醒剤の下締めをしていた加 藤兵吾は、放火犯によって殺された。そう、河原や村田が、あんなにも頑張って生き残ろうとした理由は、こいつを殺 す為だというのに。こんなことで、あっさりと。 「ここの息子さん、死んだのか」 「父親は別居中、母親は水商売。いつも一人でいることが多かったとか」 「……だから、薬なんかに手を染めたんだな。暴力団にとっても都合がいいわけだ」 「きっとそうね。少なくとも、自分ひとりの時間が多いっていうのは、環境的にもいいのかもねぇ」 「だから、口封じをするのも簡単だった、と。本人を気絶させて燃やしてしまえば、あとは証拠も何も残らない」 「少しだけ哀れかもね。結局はこの子も、性質の悪い大人に利用されただけですもの」 「……だけど、許すことは出来ない。きちんと罪は償ってもらいたかったが」 加藤兵吾もまた、何者かに殺された。あるいは自身で家に火をつけて証拠隠滅と共に焼身自殺を図ったのかもしれ ないが、あの小童にそんな度胸があるとも思えない。これはまた、きっと殺人事件なのだろう。恐らくは、情報の流出 を恐れた過激な暴力団あたりの。 しかし、証拠は残っている筈。警察が手を出せなくても、軍は手を出せる。新薬流出ルートの末端を捉えるだけで、事 態は一気に進展することだってある。逆に考えれば、国が直接的に関係してくるからこそ、加藤もまた殺されたのだ。 尤も、本人にはその自覚はなかっただろうが。 私は、恐らく正月も文枝を一人ぼっちにさせてしまうと思った。だが、それでも私には、やらなければならないことがあ る。そんな気がしてならなかった。 「そろそろ……帰ろうか。やっぱり外は寒いし」 「コタツでミカンでも食べましょう。休日なんだし、ゆっくりと過ごしましょう」 「……それもいいな。じゃあ、帰ろう」 まだ、終わってはいない。 まだ、終わらせてはいけない。 なにかが、裏で起こっている以上は。
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