01. その日の朝


 この国には、不思議な法律がある。
全国の中学3年生のクラスから、毎年抽選で50組を選び、その生徒たちを最後の1人になるまで互いに戦わせる単純明快なゲーム、通称「プログラム」。
ここは極東の全体主義国家、大東亜共和国。かつては準鎖国体制を取っていたこの国も、今の国際化の流れでだいぶ規制は緩和されたものの、それでも唯一残る徴兵制度とでも言わんばかりに、この殺人ゲームだけは、なぜか時代の片隅に取り残されていたんだ。

西暦2013年、国際化が進み海外市場も拡大したにも関わらず、相変わらずこの国は不景気だ。米帝をはじめとする各国の不況の煽りを受けて、一向に回復の兆しがみられない経済、やはり国際化は間違いだったのではないかとテレビの前で熱弁するアナウンサー。
それでも軍事国家だから、権力というものは絶対だ。言論統制は一応撤廃されたことにはなっているが、それでもまだ粛清というものは陰ながら存在していたし、警察だって政府の犬である事実は変わらない。少し前までは反政府組織も活躍していたという噂があったが、結局は柔和政策によってなにもかもがうやむやな状態のままだ。
しかし、なかば強引とも取れる政策は悪いことばかりではない。少しの犠牲のもとに、たくさんの人々が満足した生活を与えられている。人々の幸せはある程度の制限を除けば十分に保障されている。こんな状況で今から多数の犠牲を伴う改革を実行するという思想を持つこと自体、まさしく世間から嫌われている反社会的思考そのものなのではないかと、道徳の時間で先生から教わった。なるほど、そうなのかもしれない。

 少しの犠牲のもとに、たくさんの人々は幸せになれる。
 たしかに、それは素敵な理想論かもしれなかった。

   *  *  *

 波崎蓮(千葉県水沢市立河田中学校3年A組16番)は、地元の小さな公園のベンチに座っていた。今の時間は朝の7時30分、目の前の道を、足取りの重そうなスーツ姿の男や、新卒の社会人一年生だろうか、まだリクルートスーツ姿の女性が、ぱらぱらと駅へ続く道を歩いている。
自分たちの中学校はここからすぐのところにある。1時間目が始まるのは朝の9時だ。本来ならまだ学校へ行くには早い時間帯だったし、可能なら素敵な二度寝の空間へ逃げ込んでもまだ許される。だが、今日は朝早く出発しなければならない理由があった。

「あ、蓮くん。なにしてんのさ、そんなとこで」

駅へ進む人々と逆行するように歩いていた、制服を着た女の子が、自分の存在に気が付いて近寄ってきた。軽く手をあげて苦笑いをする。まだ4月、朝のこの時間は、少し肌寒い。

「おはよ、麻衣子」
「うん、おはよー。蓮くん、今日もコンビニパン? 体によくないよー?」

平坂麻衣子(17番)、小学校の頃からの知り合いだ。昔から自分は声優になりたいとか言っていて、その関係で声を使うのがメインの放送部に入っている。実は自分も、半ば強引に麻衣子に放送部に連れ込まれたクチだ。といっても、喋るのは麻衣子、自分はあくまで音楽を流したりする専門だったけれども。

「うっせ。仕方ないだろ、うちは父親がアレな状態だし、母親は呑気に朝ごはんを作っている場合じゃないっての。それに、最近のコンビニパンって、なかなか悪くないぜ?」
「ごはんなら放送室で食べればいいじゃない、わざわざこんな寒いとこで食べなくたっていいの。ほら、行くよ、ほらほら」
「お、おいっ」

そして、今朝も半ば強引に麻衣子に左腕を掴まれて、一緒に学校へと向かう。顔は可愛い方なのに、この強引な性格がちょっと惜しい。あとその勝気なムフフ顔もちょっと惜しい。


 春休みの事だった。
4月から異動になる部下の壮行会があるから今夜は遅くなると言い残した父が、近所の路地裏で倒れているのが見つかったって、警察から連絡が来た。電話を受けた自分はよくわからないまま、とりあえず先に寝ていた母を起こした。夜中に救急搬送された父親をむかえに、タクシーで隣町の大病院へと向かう。手術中のランプが点灯する部屋の前に置かれた長椅子に座るシチュエーションなんて、ドラマの中のフィクションだけだと思っていたのにだ。
結局、手術は朝までかかったらしい。いつのまにか長椅子で寝ていたらしい自分の体に、毛布が掛けられていた。隣に座っていた母の姿はなく、どうやらいったん父の私物を取りに自宅へ戻ったらしいと、近くにいた看護師が教えてくれた。

父は病院の個室に入院することになった。意識はまだ戻らない。今はいろんなチューブが体に繋がっていて、あぁ、こういうのを植物人間って言うのかなって、ぼんやりと思った。
朝陽もすっかり昇りきった頃に戻ってきた母と一緒に、警察の担当者から話を聞いた。父は酒に酔った状態で地元駅まで戻ってきたあと、なんらかの原因で路地裏に行き、そこで足がもつれたのか転倒して、後頭部を酷く打ってしまったらしい。ただ、腹部に三発程殴られた跡があること、第一通報者が父を発見する直前に、路地裏から複数人の若者が走り出してきたのを目撃していることから、もしかすると事件性も疑われるかもしれないと、それだけ告げた。
確かに、駅から自宅までは路地裏なんて通らない。帰りに一人でもう一杯やるような人間でもない。謎は多かったが、肝心の父の意識が戻らないままだから、どうしようもない。担当者は念のため当時の状況を聴きこみだけすることと、父の意識が戻ったら改めて事情を伺いに来ることだけを告げると、席を外した。


「蓮くんのパパ、もう半月くらいだっけ? 入院してから」
「いや、来週でもう一ヶ月になるよ。相変わらず意識はない、点滴でなんとか生きてる感じ」

 母はあれから、可能な限りは父の傍にいる。自分も週に2回は顔を出す。会社の人も、何度か顔は見た。余程信頼されていた上司なのだろう、時々豪華なフルーツ盛りや花束がベッドの脇に増えていたりした。保険料もたんまりと入ってきて、今のところ生活水準に支障はない。だが、日に日に母の頬がこけていくのは、仕方ないのかもしれなかった。
そんな母の様子を傍らで見ているからこそ、自分は冷静になれたのかもしれない。一人っ子の自分がしっかりしないと、自分が母を支えてあげないと。そう思えたのかもしれない。
あいにく料理は得意ではなかったし、朝ごはんも寝不足の母に作らせるわけにはいかないから、少し早く学校に出て、行きのコンビニでパンとコーヒーを買う。それが3年生になってからの毎朝の日課だった。
2年生から3年生へのクラス替えはなかったから、いつもの見知った顔だ。既に高校受験モードに突入している奴もいれば、まだまだ部活動に専念している奴もいる。もっとも、自分は放送部だったから持ち回り制で毎朝の校内放送担当だ。自分たちA組には放送部員が3人いる。自分と、麻衣子。そして。

「お、やっと来たか。おはよ」

校舎の玄関脇にある放送室の中には、既に深々と椅子に座った木島雄太(8番)がいた。少しばかり小太りの雄太は、今日も呑気にガムをくっちゃくっちゃと噛みながら、mp3プレイヤーを耳から外す。

「雄太くん、おはよ」
「おはよ、雄太。また少し太ったか?」
「変わってねーよ!」

雄太はこう見えて、すっきりと通る声質を持っている。最近はなにやらインターネット上で個人的にラジオに似たようなこともしているらしく、一人で喋らせる分には申し分ない。頭の回転が速いんだろう、これで成績も学年上位なんだから侮れない。

「なんだよ蓮、今朝もコンビニ飯か。おまえさー、事情はわかるけどたまには家で食ってこいよー」
「そんなこと言ってもなぁ……」
「あれだぞ? ヨーグルトを器にぶち込んで、バナナを剥いて入れたってそれは立派な料理だし、なんならシリアルに牛乳をぶちこんだってそりゃあ立派な料理だぞ? 5分でできるさ」
「そのあと食器も洗わなくちゃならないだろ」

くだらない雑談をしている間に、麻衣子は隣のスタジオに入って朝の発声練習をしている。
自分もさっさと音響準備に入る。朝の放送はBGMが既に決まっているから選ぶ手間も省けて実に楽だ。CDをトレイにセットして、備え付けのミキサーの前のボリュームのつまみを確認する。こんなに大きなミキサーだけど、実際に使うのは一部分だけだ。
机の上に置かれている台本帳は、既に朝雄太が職員室で今日の予定をチェックして修正が加えられていた。

「お、サンキュ。……ふーん、今日はお偉いさんの校内査察があんのか」
「らしいよ。場合によっては午前中で早退になるかもしれないって、先生たちが話してたな」
「へぇ、午後半休か。そりゃいいね、帰りに父親んトコでも寄って行こうかな」

今日の予定と書かれた自由欄には、雄太の文字で『教育委員会/校内査察』と書きこまれていた。
最近は教育委員会もようやく教育そのものに本腰を入れてきていて、積極的に各地の学校の査察を行っては良い部分を全国に広めているんだとか。それは教育内容だけにとどまらず、学校の設備や制度においても例外なく良い部分を探しているらしい。逆に、悪い部分は徹底的に調べ上げて、社会の膿となる存在は排除する。そういった一部において容赦ない姿勢も、国民からすれば評判は高いみたいだった。
内申点よりもなによりも、お偉いさんの査察で弾かれる方が怖い。今日は大人しくしていた方がいいなと、少しだけ思った。
時計を確認して、スタジオ直通のマイクだけつまみをひねる。

「よーし、そろそろ8時だ。放送はじめるぞ。麻衣子、準備はいい?」
「いつでもオッケー!」
「では音響いれまーす。5秒前、4、3……」

ガラス越しの麻衣子に向けて、手の平で合図を出す。
爽やかな朝のBGMが流れ出して、それに麻衣子の明るい声が乗る。

『おはようございます。朝8時を過ぎました。本日は、4月15日、月曜日です。担当は、3年A組、平坂麻衣子と、同じく3年A組、木島雄太、波崎蓮です。本日も一日、よろしくお願いいたします』

   *  *  *

「はーい、お疲れさん。放送終了でーす」
「お疲れさまー!」

 朝の放送は時報と運動時間の始まりと終わりを知らせるだけなので、比較的楽だ。月初めの月曜日だと全校朝礼があったりして、放送部も少しは忙しくなるんだけど、たまにやる分には楽しい。
スタジオから麻衣子が出てくる。中は無音状態だし、若干蒸し暑い。麻衣子の額には、軽く汗が出ていた。

「お疲れ、麻衣子」
「あー、暑かったー。それにしてもさ、今日の、この校内査察ってやつ。ずいぶん朝早くから始めるんだね。ほら、窓から見えてるけど、あれ教育委員会の車だよね?」
「んー?」

スタジオから出てきた麻衣子に、雄太がタオルを投げる。額の汗を軽くたたきながら、麻衣子はガラスの外を促した。なるほど、確かにそれっぽい車が校庭に入ってきている。でも待てよ、駐車場は裏庭側に面しているはず。わざわざ正門側から車が入ってくる理由はなんだろうか。
まぁ、気にしてもしょうがない。飲みかけの缶コーヒーを一気に空けて、放送室の荷物を片付けて部屋を出ると、鍵をかける。

「じゃ、僕は職員室に鍵預けてくるから。ふたりは先に教室あがってて」
「おぅ、よろしく頼むな」

朝は雄太が既に放送室の鍵を開けてくれていたので、終わりは自分が鍵を返しに行く。というのは建前で、単に雄太と麻衣子を二人きりにしたかっただけだ。雄太が麻衣子を前々から気にしていることくらいはわかっていたし、麻衣子がまんざらでもないのも知っている。余計なことかもしれないが、まぁ少しくらいはいいだろう。

 職員室の扉を開けると、なにやら室内は変に静まり返っていた。なるほど、教育委員会の校内査察があるから緊張しているのだろう。こういう緊迫した雰囲気は苦手なので、さっさと用事を済ませてしまうことにする。

「あの、放送室の鍵を返しに来ました」
「お、波崎か。おはよ、今朝もご苦労さん。いいよ、適当にいつもの場所に戻しといて」

3年A組の担任であり、放送部の顧問でもある溝部先生。人のよさそうな中年のおじさんだ。最近頭頂部が薄くなってきたことが悩みの種らしいが、既婚者で夫婦仲は円満、よく愛娘の写真をスマホに入れていて、雑談の度に最近のベストショットを見せてくるのだから世話がない。
職員室から印刷室へと続く傍のキーボックスの中に、放送室の鍵を返す。これでも自分は信頼されているのだろう、その気になってここにある鍵のひとつを拝借してしまったら、とんでもないことになるんじゃないかとたまに思うけれども、まぁそれをするメリットもないので今はやめておく。

「返しましたよ」
「はいどーも。あ、そうそう。ごめんな波崎。今朝なんか臨時の職員会議が入っちゃってさ。ほら、例の教育委員会の件でね。だからはいこれ」

そういって、申し訳なさそうに顔の前で手を合わせながら謝罪のジェスチャーをすると、溝部先生は出席簿を自分に向けて差し出す。

「ほぅ、これは」
「先に出席だけ取っといて」

テヘペロと、舌を少しだけ出す40代のおじさんの顔は別に美しくもなんともない。深くため息だけつくと、出席簿を受け取って職員室を後にしようとする。

「あ、そうそう。波崎、もういっこ」
「……今度はなんですか」
「1時間目のホームルーム、4階の視聴覚室でビデオ学習するからさ。先にそっちにみんなを移動させておいてくれるとさらに助かる」
「今度缶コーヒー奢ってくださいよ!」
「あ、こら! 波崎!」

捨て台詞だけ言い残して、さっさと職員室の扉を閉める。よし、今度溝部先生に缶コーヒーをたかってやる。少しだけリッチなものをたかってやる。今から楽しみだ。
意識の戻らない父と近い年齢なのに、性格はまったく逆の溝部先生は嫌いじゃない。フランクに接してくれる優しい先生だ。こうして毎日くだらない日々を過ごすのも、楽しいと言えば楽しい。

「あ、いけね」

でも、そうだった。今日はそういえばお偉いさんの査察があるんだった。
廊下は走っちゃいけないし、溝部先生を困らせるようなことをしてもよくない。今日くらいは、大人しくしていてあげよう。そう言いながら、4階の3年A組の教室を開ける。

「みんな、おはよ」

 今日は、4月15日の月曜日。
 その日の、朝だった。


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