02. ホームルーム


 その日は、いつもよりも学校の雰囲気がぴりぴりとしていた気がする。
 登校した時、正門の前で竹刀を持って立っていた教育指導の先生の額には、珍しく汗が浮かんでいた。

「おはようございまーす」
「おう、おはよう」

 明石真由(2番)は、いつも通りの挨拶をする。返事は特に変わりない。きっと気のせいだろうと思い、さっさと校舎に入ろうとして、そこで違和感に気が付いた。車だ。校庭の隅に、2台……いや、3台程迷彩を施されたワンボックスカーが、でんと構えて停まっている。あれはなんだろう。

「よ。真由、おはよ」

校舎の入り口で佇んでいたら、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、同じく登校してきたのだろう、私と同じ吹奏楽部所属の神崎聖美(7番)が、にっこりと笑いながら見つめていた。

「どうしたん? こんな朝からぼーっとしててさ」
「あ、いや。うん。なんでもないよ」
「まーたお得意の考え事かい。なんでも黙って呑み込むなって、あたしとあんたの仲だろー?」

肩に腕を廻してくる聖美には逆らえない。私はため息をつくと、聖美の腕を払いのけた。

「聖美ちゃん。あそこに、車が3台停まってるじゃない。あれ、なんだろ?」
「あー、アレはあれだよ。教育委員会のヤツだよ」
「教育委員会……?」

聖美は私が指さした方角をサッと見ると、あっさりと答えを出した。馬鹿らしい、さっさと質問しておくべきだった。

「最近は行政もずいぶんと教育熱心になったもんだよねー、ずいぶんと力を入れちゃってさ。そっか、ついにあたしらの学校にも内偵が来るようになったかー」
「内偵?」
「そ。あれ? テレビとかで見なかった? 最近いじめとかで自殺する学生が増えたとかで、一時期マスコミが騒いでたじゃない。で、一向によくなる気配がないから、お国の連中が教育委員会を厳しく叱ったんだと。で、あんなゴッツイ車であちこちの学校に現れては、問題がないかどうかの調査をしに来ているのさー」

やれやれ、と聖美は肩を竦める。
そういえばニュースで見たことがある。いじめという名の校内暴力や恐喝といった類の若者による犯罪が、ここ数年で一気に増えたらしい。今では匿名掲示板でそれぞれの学校の悪口も言いたい放題なんだとか。残念ながら私はそういう場所があるという知識だけで、実際には覗いたことがないからわからないのだけれど、もしかするとこの学校にもそういった闇サイトなるものが存在するのかもしれない。なんだか怖いな。

「怖いよねぇ、怖いよねぇ。この内偵で、もしペケつけられたら、強制的に更生施設にぶち込まれて、真人間になるまで出してもらえなくなっちゃうって噂だよぉ?」
「でも、そんなのただの噂じゃない。実際にそんな目にあってたら、みんなが黙ってないよ」
「そう。これはあくまでも噂に過ぎないのだ。だけどまぁ、そんな噂があれば、みんなそこまで非行に走るようなこともしないよねぇ。恐怖政治ならぬ、恐怖委員会ってとこかなー」
「ば、バカなこと言ってないでもう行くよ」
「バカとはなんだ。だいたいこんなとこでぼけーっと突っ立っていたのは真由、お前じゃないか」
「うるさいバカ」

時計を見ると、間もなく1時間目が始まってしまう。
私は聖美と一緒に、急いで上履きに履き替えると、自分たちの教室へと急いだ。

 1時間目開始5分前の予鈴が鳴る。教室に入ると、黒板にチョークでなにかを書いている波崎蓮(16番)と目が合った。

「おはよう、明石さん」
「あ、はい! おはようございます! 波崎くん!」

物腰柔らかな挨拶をされて、思わず緊張してしまう。ダメだ、波崎くん相手だとどうも気が張ってしまう。はっと嫌な予感がして振り返ると、聖美がにやにやと私を見つめていた。

「おやおやぁ? 朝から真由はなにをそんなにテンパっているのかしらん?」
「神崎さんもおはよう」
「おはようレンレン、今日も朝からうちの真由がすまないねぇ」
「レンレンはよしてよ、参るなぁ」

彼は苦笑しながら、チョークを置く。
聖美はムフフと含み笑いをしながら、私の背中をぐいぐいと押した。そんな聖美が私は素直に羨ましかった。男女分け隔てなく付き合える聖美は、相手が誰であれいつも通り適当に話しかける。私は彼のことを『波崎くん』としか呼べないのにだ。ここまで距離が近いと、いっそどれだけ清々しいことか。
彼に限らず、私は基本的に男の子と話すのが少しだけ苦手だ。それは昔から私が背が小さくて、小学校の頃に男の子によくからかわれていたのもある。実際、今でもこのクラスの中では私が一番背が小さい。次に小さいのは平坂麻衣子(17番)がいたが、確か彼女は彼と同じ放送部でかつ彼の幼馴染だったはず。いいな、羨ましいな。それに比べて私なんか。

「あ、そうだ。ふたりとも、今日の1限はそこの視聴覚室でビデオ学習するみたいだから、移動の準備だけよろしくね」
「あ、はい! わかりました! 波崎くん!」

考え事をしていると、突然彼に話しかけられた。案の定、自然な返事ができない。悔しい。
そんな私を、彼は優しく笑うと肩をポンポンと叩いてくれた。そして、教卓の上に置いてあった出席簿を持って、教室の外へ出ていく。なるほど、恐らく溝部先生あたりに一任されていたのだろう。さすがだ。

「相変わらず真由は男子が苦手だねぇ」
「……ほっといてよ」

聖美が私を小突く。別に私だって好きでああなわけではない。むしろ彼と自然体でお話ができたらどれだけいいことか。
私は黒板に書かれた『1時間目は視聴覚室で行うので移動をしてください』という文字を見る。彼の丁寧な字をぼーっと見ていると、聖美が肩をポンポンと叩く。

「あんたは字がヘッタクソだからねぇ」
「……ほっといてよ」

ダメだ、私は彼にはなにも勝てない。情けなくて涙が出そうになった。
1時間目の開始を知らせるチャイムが鳴る。いけない、私は急いでカバンを自分の机に引っかけると、筆箱だけ持って教室を飛び出した。どうやら他のクラスメイトはとっくに移動をしたらしい。ああもう、聖美のせいだ。

 視聴覚室は3年A組の教室からすぐそこだ。私は急いで部屋に入る。
 彼が教卓の前で、出席簿を広げていた。

「遅かったね。それじゃ、出席を溝部先生の代わりに取るからね」

 あぁ、やめて。そんな笑顔で私を見ないで。
 確かに私は男の子が苦手だけれども。波崎くん、君のことは、嫌いじゃないんだよ。

   *  *  *

「じゃ、最後。和光さん」
「はい」

 一番右後ろの席で、和光美月(24番)が手をあげる。出席番号順に座らせられている関係で、彼女は一番後ろの席だった。眼鏡をかけてはいるものの度数があっていないんだろう、彼女の目つきはいつも鋭い。でも、背は女子の中では一番高かった。たしかバレー部所属だ。私もバレー部に入っていたらもしかすると身長はもう少し高かったのかもしれない。いや、さすがにそれはないか。

「山瀬くんは今日も休みかぁ。23人出席、と」

そして、クラスメイトは全部で24人。隣のB組は25人で、3年生全体の人数は合計49人だった。教室は4つあるけど、半分は少子化の影響で空き部屋になっている。これでも昔は1クラス40人でも全部の部屋が埋まっていたらしい。時代の流れは怖いものだ。
山瀬陽太郎(23番)、彼は不登校児だった。いつごろから姿を見ていないかはわからないけど、その容姿はすっかり私の記憶からは抜け落ちている。なにがきっかけで学校に来なくなったのかは知らないけど、先程の聖美の言葉が脳裏を過ぎる。問題のある生徒は、更生施設に入れられる。聖美によれば今日は内偵の日だ。そんなことを思い出した。
波崎くんが出席を取り終わったあたりで、担任の溝部先生がひょっこりと姿を現した。先生も今日の内偵を気にしているのだろう、いつもよりも緊張した顔つきをしている。

「や、みんな。おはよ」
「遅いですよー先生。もう出席取っておきましたからね」
「ありがと波崎。席に戻っていいぞ。みんなもすまんね、臨時の職員会議が入っちゃってね」

彼は正面一番後ろの席に座る。視線の途中にいた副田紗耶香(11番)は早くも寝る気満々の姿勢だ。机に突っ伏していた。先生もそれに気が付いたのだろう、彼女の傍に行き、肩を揺らす。

「んぁー、なんだよぉ……」
「副田ー、昨日寝てないのか? さすがにこの時間から居眠りされちゃうと、先生少し悲しいな」
「んー……ごめん。昨日夜遅くまで遊んでて……めっちゃ眠いっす……」

彼女は天文気象部に所属している。だが、それは本当にただ所属しているだけで、実際は幽霊部員らしい。同じく天文気象部所属の幽霊部員の間宮由佳里(19番)と夜の街をふらふらと出歩いては遊んでいるらしいということは、どこから情報を仕入れているのだろう、聖美からよく聴かされていた。
あんたもあの子たちくらい大胆に男子と遊びなさいよと茶化されたけど、その真意はよくわかっていない。間宮由佳里も、それとなくうつらうつらと今にも寝そうな感じだ。

「仕方ないなぁ。これからビデオ学習したいんだけど、顔でも洗ってきたらどうだ?」
「やだ、化粧落ちる」
「なら頑張って起きてなさい」

先生はあきれ顔で映写機の電源を入れた。教卓の脇のノートパソコンの画面が、背後のスクリーンに大きく映し出されている。DVD再生の待機画面だ。そうこうしているうちに、前に座る相田澄香(1番)からプリントを渡される。

「はーい。今日はこれから教育委員会の作ったビデオを観てもらいます。今配ったプリントはなんだ、その、感想文とやらを書かなくちゃならないみたいだから、ビデオ観ながら適当にメモくらいとっておくといいぞ」
「教育委員会のー?」
「そうだぞ副田。見ただろ、校庭脇の車。今日来てるんだよ、その関係でちょっと、な」
「うぇー、それ長いの? つまんない?」
「内容は知らない、これを流してくれってさっき校長に言われただけだからな。さらに言うと、まだ職員会議は終わってないのでまた席を外すよ」
「はー、なんか大変そうね。いってらっしゃー」

副田は机に頬を押し付けたままだるそうに先生と会話を続けている。聖美とはまた違う感じのこの気のおかない感じは、あまり見習いたくはない。
先生は再生ボタンだけクリックすると、そそくさと視聴覚室を出て行った。部屋は暗く、正面のスクリーンに映し出された映像だけがぼんやりと光っている。これは確かに、昨日夜更かししていなくても眠くなる環境だった。

 先生もいないことだし。
 私も少しだけ、寝てしまおうかな。

   *  *  *

 違和感に気が付いたのは、映像が始まってから5分後のことだった。
いや、正確には5分経っていたのかどうかすらわからない。私は寝ていたのだろう、頬杖をついていた肘が机から外れて、その衝撃で目が覚めた。酷く頭が重たかった。いけない、メモをまったくとっていない。今映像はどうなっているだろうか。私は正面のスクリーンを見た。

 そこには、映像なんて流れていなかった。何も映っていない真っ白な画面が、ただあるだけだった。

 なにかがおかしい。そう思って、辺りを見回すと、他のクラスメイト全員も、見事なまでに机に突っ伏している。いや、例外がいた。右最前列の席に座っていた、森澤昭人(21番)だ。ずるずると、床を這うように移動して、なんとかして視聴覚室の扉に手をかけた。ガタガタ、ガタガタと扉を揺らすも、鍵がかかっているのだろうか、扉はびくとも動かない。やがて彼も力なく床に突っ伏す。私も、それだけ見届けると、もう起きている余裕などなく、再び睡眠欲に任せて、夢の世界へと飛び込んだ。

 同時刻。
3年A組を除いたすべての全校生徒は、担任の指示で帰宅準備を始めていた。今日は都合により授業は中止、速やかに帰宅し、連絡網で登校許可が降りるまでは決して登校しないこと。それだけを告げられて、ある者はラッキーと、ある者は少しだけ不安な表情をしながら、帰路に着いた。

 校庭に停まっていた車から、教育委員会ではなく、専守防衛軍兵士の面々が次々と出てくる。
 ゲームの開始は、すぐそこまで迫っていた。


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