03. 欠番者
おまえってさ、なにが楽しくて生きてんの?
山瀬陽太郎(23番)は、顔を上げた。またあの夢か、今日も目覚めは最悪だ。
時計を見ると時刻は8時を回ったところだ。昨日の夜寝たのが3時過ぎだったから、まだ5時間しか経っていないことになる。
二度寝でもしようか、それとも起きてしまって、活動しようか。今日はなにをして時間を潰そうか。起き掛けの頭で、そんなことをぼんやりと考える。
陽太郎は、いわゆる「ひきこもり」だった。
今の時代、1クラスに1人はいてもおかしくないくらいに、登校拒否をする生徒は多いと聞く。自分もまたその大多数のうちの1人に過ぎない。別に珍しいことでもないし、親もそこまで無理やり自分を学校に連れて行こうとはしなかった。ただ、ちょっと盲腸にかかってしまって学校を半月程休んだあと、なんとなく行くのも面倒になってしまって、ずるずると休み続けている、そんな感じだ。体の調子自体はまったくもって問題ない。
本当に、ただ、なんとなく、行かなくなっただけだ。
中学校は悪いところではなかった。だけど、勉強自体はものすごく退屈でつまらなかった。もとより小柄な陽太郎は体力もなかったし、体育の成績もよくない。毎年秋に行われる体育祭は大嫌いだった。50mを走るのに10秒以上かかる自分はクラス対抗リレーでもお荷物の状態だったし、クラスのみんなは気にするなとは言ってくれたけど、内心見下しているのは目を見れば明らかだった。去年の運動会はたまたま盲腸で入院した時期とかぶったから、むしろ自分にとっては体育祭に行かずに済んでラッキーだったし、クラスメイトも余計なお荷物がいなくなってすっきりしただろう。
別に自分はあのクラスに必要とされていないし、自分もあのクラスに積極的に関わっていくつもりはない。それが、ただなんとなく、自分を学校に行かせなくした理由だった。
たぶん、前々から退屈なのは間違いなかった。だけど、決定的なきっかけは、ある生徒が言った一言なんだと思う。
おまえってさ、なにが楽しくて生きてんの?
その言葉を言った本人にとっては、悪気のない一言だったんだろう。なぜなら、そいつは完璧だったからだ。クラスのみんなと分け隔てなく付き合い、人当たりもいい。教師からも信頼されている。自分みたいな外れ者にも、気にせずに話しかけてくる。ちょっと図太い神経の持ち主だなと思ってはいたけれど、悪い奴じゃないんだ。
だからこそ、そいつが言ったその言葉は、重たかった。人生を全力で楽しんでいるようなそいつからすれば、自分みたいな生き様はよくわからなく見えただろうし、人望、人脈、信頼、既にいろんなものを手に入れているそいつからしたら、自分はとても劣って見えただろう。自分でも知ってる、自分自身の性格が歪んでいることも、そしてそれを直そうともしないことも。
あの日はただなんとなく面倒くさくて、任せられていた仕事をサボった。やる気がなかったんだから仕方ない。たまたま、そんな楽しくもないことよりも、その日発売だった新作ゲームをやりたかっただけなんだ。そこまでは許してくれた。だけど、悪いと思ってやってしまったことを素直に認めずに、屁理屈をこめて反論してしまった自分が悪いだけなんだ。
だから、怒られた。注意された。そして、その言葉を言われた。その瞬間、すべてが恥ずかしくなって、自分自身にはこの場所にいる価値なんてないんだと悟って、それで行き難くなってしまっただけなのかもしれない。程なくして入院した自分は、体育祭を仕方なく休み、そしてそのまま、仕方なく不登校になった、それだけだ。
不登校なのに外を出歩くのは気まずかった。近所でも噂されたら困る。自分にだってそのくらいのプライドはあった。高校からやり直そう、そう思って、親にお願いして、自宅でできる通信教育だけは行っていた。まだ、やり直すことはできる。ただ、外に出るのは今じゃない。チャンスはあとで、いくらでもある。だけど、今じゃない。
今でも、たまに学校に行こうと思うことはある。だけど、今さら学校に行ったところで、何しに来たのか、今までなにをしていたのか、それを会う人会う人に説明するのは面倒だったし、触れられたくない過去は嫌だった。このままじゃいけないってのは、わかっているんだ。だけど、その一歩を踏み出す勇気は、自分にはない。そもそもそんな勇気があったら、初めから引きこもりになんかなってない。
そんな自責の念が、今でも当時の夢を思い起こさせる要因なんだろう。別に誰が悪いわけでもない。悪いのは、自分自身なんだ。
外から、エンジンを蒸かす音が聞こえてきた。2階の自室から、外を見下ろす。家の前に、黒塗りの車が止まっていた。朝から客人だろうか。案の定、家のチャイムが鳴る。共働きの両親は、この時間は既に外出中だ。仕方なしに、陽太郎はインターホンの受話器を取った。
『おはようございます。山瀬さんのお宅でしょうか』
モニターには、長身の爽やかそうな男性が、少しだけ体を屈ませてカメラを覗き込むように映し出されていた。
「はい、そうですが。どちら様でしょうか?」
『あ、山瀬陽太郎くんだね。おはようございます。私たち、教育委員会の人間なんだけど、ちょっとお話いいかな』
「…………」
教育委員会、来たか。
話には聞いていた。最近はずいぶんと精力的に働いているらしいじゃないか。全国あちこちの登校拒否の生徒たちの家を訪れては、わりと無理やり学校へと復帰させているともっぱらの噂だ。そう、匿名掲示板の似たようなひきこもり仲間の奴らが言っていた。逆らうと、痛い目を見るらしい。どうやら、覚悟を決めるしかないみたいだった。
「わかりました。とりあえず、家にあがります? 玄関で立ち話もあれですし」
『構わないんですか?』
「大丈夫です。うちの両親共働きで、もう出払ってますから」
1階に降りて、玄関の扉を開ける。そこに立っていた男は、予想よりも大きい。あと、がっしりとした体つきをしている。もともとスポーツかなにかをしていたのだろうか。
「はじめまして、山瀬陽太郎くん。私、佐藤といいます」
「どうも」
男は玄関先で、自分に向けて名刺を差し出した。受け取って中身を見る。肩書は、青少年更生課となっていた。なるほど、更生。
「今日は急な話なんですが、山瀬くんを学校に連れて行くよう上司から報告受けまして。その、なにか話って伺ってます?」
あくまで佐藤と名乗る男は丁寧に話す。ネットで見たとおりだ。なお、ここで少しでも拒絶する素振りを見せたら、やばいらしい。
でも教育委員会に強制的に連れてこられるなんてみっともない。そんなことなら、自分から登校した方がまだプライド的にはマシだ。なんてこった。
「いえ、話はとくには。これ、アレですよね。僕はこれから学校に行かなくちゃならないんですよね」
「お話が早いようで。助かります」
男は満面の笑みを浮かべる。それはあれか、強制手段に訴えずに済みそうだから安堵でもしているのだろうか。
不思議と、拒絶する気力は湧かなかった。どんなきっかけであれ、学校へと行く口実ができたのなら、案外ひきこもりはあっさり直るのかもしれない。陽太郎は制服に着替えるので少しだけ待っていて欲しい旨だけ伝えると、自室へと戻った。
ラックにかけてある、しばらく着ていなかった制服に、久々に袖を通す。半年間着ない間に、少しだけ体が成長していることを望んだが、残念ながら腹回りがきつくなっただけだった。そりゃあ、そうか。
「お待たせしました」
「それじゃあ、行きましょうか。山瀬くん」
男は、笑みを浮かべ、玄関先に停車中の黒塗りの車へと促した。送迎付きか、なんとも大胆だ。先に乗るように言われて、陽太郎は後部座席に乗り込もうとした。
そして次の瞬間。
首筋に電撃のようなものが浴びせられ、陽太郎は意識を失った。
力なく後部座席に倒れた山瀬陽太郎を見届けて、男は携帯電話を取り出す。
もう一方の手には、スタンガンが握られていた。
「あー加納さん? 佐藤です。23番の生徒、確保しました。これからそっちに持っていきますんで、あとよろしくお願いしまーす」
* * *
チャイムが鳴り響く。頭が痛い。これはなんだ。
陽太郎は、頭を押さえながら顔だけを横へと向けた。どうやら、机に突っ伏して寝ていたらしい。机? どこの? 自分は車に乗り込んだはずだ。だけど、そこから先の記憶がない。
ぼんやりとした頭を無理やり覚醒させる。そうだ、佐藤だ。あの男にいきなり後ろからなんか変なものを押しあてられて、電気みたいなものがきて、それで意識を失ったんだ。ここはどこだ。
顔をあげる。体はひどく重たかったが、動けないほどではなかった。あたりは薄暗い。持っていたスマートフォンを起動する。時刻は10時ちょうどだ。スマホの明かりを頼りに見ると、どうやらそこは見覚えのある懐かしい場所だった。そうだ、ここは学校の視聴覚室だ。いつの間にここに来たんだ。
よく見ると、前にも後ろにも、横にも寝ている生徒がいた。大方、これはクラスメイトということになる。よくわからないけど、まずは電気をつけなくちゃ。電灯スイッチは確か入口脇だ。スマホの明かりを頼りに足元に気を付けながら歩を進める。あった。
スイッチを入れると、蛍光灯の光が室内を照らす。予想以上にまぶしい。暗闇に慣れていた分、目が痛かった。その衝撃だろうか、クラスメイトが次々と目覚めていく様子が、それとなく見えた。そうか、みんなここにいるんだ。
そして、足元に一人の生徒が転がっているのに気付く。
ドア付近だ、きっと出ようとしたところで力尽きたのだろう。とりあえず触ってみる、息はまだあるみたいだ。ほぼ丸坊主に近いこいつは、たしか野球部に所属していた森澤昭人(21番)だ。そういえば走るのも早くて、クラス対抗リレーでも期待されていたクチだった気がする。こいつめ。
とりあえず、生きているのだったら起こしてしまっても構わないだろう。陽太郎は何度か森澤の体を揺さぶった。やがて、その大きな身体は上体だけ起き上がる。
「うぅ……ここは?」
「よかった、森澤くん。気が付いたんだね」
まだ焦点の定まっていない目をキョロキョロとさせていた森澤の視点が、自分へと向く。そして、しばらくぼんやりと顔をじろじろと見られた後、目が見開いた。
「おまえ、山瀬か」
「うん。お久しぶり」
「しばらくぶりだなぁ、もう体は大丈夫なのか?」
森澤はすぐに笑顔に戻る。久々の顔を見て、嬉しくでもなったのだろうか。ずっと盲腸で入院していたとでも思っているのだろうか。最初に話したクラスメイトからこんな反応をされるとは、予想外だった。
「心配かけたね、盲腸はもう平気だよ」
「へへ、そいつぁなによりだ。だけどまぁ、この状況は普通じゃねぇっつーのはわかるべ」
「僕もよくわからない。登校する途中で意識を失って、気が付いたらここで寝ていたんだ」
「おまえもか、実は俺たちも似たような状況でな。ここでビデオ学習をしていたら、急に眠たくなってきて。たぶん、睡眠ガスみたいなものを撒かれたんだと思う。ドアを開けようとしたけど、鍵がかかっていて出られなかったんだ」
なるほど、それで扉の前で呑気に倒れていたわけだ。
状況は把握できた。自分というイレギュラーは直接この場に運び込まれた。そして、他のいつも通り登校していたクラスメイトは授業中に眠らされた。
これは、つまり。
「な、なによこれぇ……!」
自分の席の近くで寝ていた女子生徒が立ち上がって、首元に手を当てている。あいつは誰だったっけか。ずいぶんと化粧が濃い。
その首元には、キラリと光る輪っかがついていた。はっとして、森澤の首元を見る。森澤も同じことを考えていたのだろう、自分の首元をばっちりとみている。要するに、だ。
自分でも、首元を掴んでみる。確かに、そこには銀色の首輪が巻きつけられていた。
あぁ、これは、つまり。
「間宮さん」
ぞわっとした。この声の主を、自分は知っている。恐る恐る、その声の方向を向く。中央一番後ろの席で、腕を組んでその男は座っていた。真剣なまなざしで、不安そうに立ち上がっている生徒、間宮由佳里(19番)を黙らせた。
「波崎くん……」
「間宮さん、その首輪には触らない方がいい。おとなしく座るんだ」
波崎蓮(16番)の声が、視聴覚室の中に響き渡る。間宮は力なく椅子に座ると、再びあたりに静寂が訪れた。そして、波崎の目線は自分たちにも向けられる。
「そこの二人も、元の席に座ろう。じきに話は始まるよ。森澤くんと、山瀬くん?」
「お、おぅ」
山瀬、の単語が出た瞬間、既に起きていたクラスメイトの視線が、一斉にこちらへと向いた。ある者ははっとして、ある者は驚いて、ある者は思い出したのだろう、様々な反応を見せていた。
「おかえり、山瀬くん。元気してた?」
波崎は、笑顔でこちらに向かって話しかける。
そうだよ、その顔だよ。その顔で、おまえはあの言葉を言ったんだよな。
おまえってさ、なにが楽しくて生きてんの?
「波崎、お久しぶり」
陽太郎はそれだけ告げると、自分の席に戻る。
元気なものか。誰のせいだと。人生なんて、楽しくもなんともないよ。ただ、適当に生きてるだけだよ。意味なんて、ないんだよ。
波崎、君のことは嫌いじゃない。だけど、許さない。
「そろそろ、はじめてもいいかな」
扉の外から、声がする。鍵を開ける、音がする。
次の瞬間、引き戸は静かにカラカラと音を立てて開いた。最初にスーツ姿の長身の男がのっそりと入ってきて、教卓へと向かう。その後ろからは、迷彩服を着こんだ男たちが次々に視聴覚室の中へと入り込んできた。室内の熱気が一気にあがる。その中に、あの佐藤と名乗った男もいたのを、陽太郎は見逃さなかった。
「俺の名前は加納って言う。君たちの新しい担任だ。以後よろしく」
スーツ姿の男はそれだけ言うと、映写機のスイッチを入れた。手元のパソコンから、映像が出力される。画面には、シンプルなフォントで『戦闘実験第68番プログラム』とだけ書かれていた。
そう、だからこれは。
「今日はこれから、君たちに殺し合いをしてもらう」
プログラムだ。
【残り24人/process.1 終了】
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