12.関係ないの


 きゅい! きゅい!
 きゅい! きゅい!

 3階の廊下で、小鳥はさえずりを続ける。
 誰かが、止めるまで。いつまでも、いつまでも。


「なんだろうな、この音」

 境啓輔(10番)は、顔を上げた。今、自分たちがいるのは2階の生徒会室だ。多目的室が既に禁止エリアに指定されているものの、その隣の部屋にあたるここはまだこの6時間では指定されていない。身をひそめるには、絶好の場所だった。
伊藤敦(4番)を合金ばさみで滅多刺しにした明石真由(2番)は、虚ろな眼で啓輔を見ている。彼女は上で鳴り響いている騒音には、まるで興味がないかのようだった。

 ちょっと、こいつはヤバいかもな。

真由は、あれからなにも口にしていない。なにも自分からは喋らない。大丈夫ではないだろうと思いつつも、気遣いの言葉を投げかけたところで、ただ一言「あたしは大丈夫」と返ってくるだけだった。

 思えば、真由はクラスでも特に目立つことのない、どちらかというと部屋の隅で楽譜をふんふん読んでいるような、ちょっと独特の雰囲気をまとった女の子だった。間違っても、自分より大柄の男子生徒を滅多刺しするような女の子ではないことだけは、確かだった。
それもこれも、この戦闘実験という空気が、彼女のすべてを変えてしまったのだ。真由がなにを考えてこれまで行動していたかは知る限りではないが、少なくとも試合開始直後に谷村昌也(13番)に襲われた恐怖心は根強く残っていただろうし、もともと男子全員を彼女は苦手としていた節があったから、そういう意味では、助け出した流れとはいえ、彼女がまだ俺と行動を共にしてくれているという事実は意外だと思った。

 階段の上からは、何度も銃声が響いてきた。その直後に、この小鳥のさえずりだ。間違いなく、上の階ではなにかが起きている。いや、なにかなんて勿体付ける必要はない。上の階では、まさに今、殺し合いが起きているのだ。いや、起きていた、が正しいか。

「まぁ、ほっとくわけには……いかないよな」

真由に対して、そう呟いた。相変わらず、彼女はだんまりのままだ。このまま無理やり連れて行くわけにもいくまい。

「明石さん。俺はちょっと、上で鳴ってる音を止めてくるよ。なにがあったのか、見てくる。ここで大人しく待っててね」

 なにがあったのかを知りたい。同時に、まさにそこで誰かが誰かを殺そうとしているなら、あるいは、死にかけているクラスメイトがいたのなら、それを救いたい。その気持ちで、いっぱいだった。
目の前で、クラスメイトが死ぬ姿を見届けるのは、もう嫌なんだ。

 啓輔の言葉に、真由はゆっくりと頷いた。やはり、ついてくる気はないらしい。まぁ、仕方ないといえば仕方ない。今の状態でついてくると言われたら、間違いなく自分でも、やめとけ、と止めるだろう。

 生徒会室の扉をゆっくりと開けて、啓輔は廊下へと身を出した。血生臭い空気が、辺りを包み込んでいる。それもそのはず、すでにこの階でも、複数人の生徒が死んでいるのは確認済みだった。先程殺した伊藤の他にも、1年A組の教室で、天野祐一(3番)の死体を発見している。こちらも、銃殺された感じだった。
右手に握るブローニングM1910が、ずしりとのしかかる。先の戦闘で、明確な意思を持って放った銃弾は、大切な誰かを守ることはできなかった。誰かを守る為なら、クラスメイトを殺しても構わないのかといわれても、わからない。ただ、弱き者は助けたい。そんなちっぽけな正義心だけが、今の自分を支えているといってもいい。俺だって、狂ってしまえるのなら、狂いたかった。よくわからないまま死ねたら、どんだけ最高なんだろう。

 既に禁止エリアになっている多目的室の横を素通りして、今度は階段を昇っていく。小鳥のさえずりが、次第に大きくなっていく。この音のせいで、誰か別の人間がいたとしても、その気配を察知するのは不可能に近い。これは、おそらく防犯サイレンの類だ。止めない限りは、ずっとその音量をあげていくのだろう。方角はどっちだ、右か? 左か? なんとなく、びりびりと響いてくる小鳥の叫び声は、階段昇って左の方から聴こえてくるような気がした。そして、そちらの方角を向くと、やはり音に釣られて来たのだろう、女子生徒の後姿が、見えた。

 急に、辺りが静寂に包まれた。

耳がキーンと鳴っている。あれだけうるさい音を連続で聞いていたのだ。少しくらい耳がバカになったって、仕方がない。どうやら、音は先程の女子生徒が止めたらしい。女子にしては、やけに背が高い。耳を揉みながら、近づいていく。聴力もなんとなく回復してきた。それは相手だって同じだろう。自分の存在を察知したのか、ばっと振り返ると、警戒の構えになっていた。その手に握られているのは、遠目にもわかるシルエット、スパナだった。なんだろう、配管工でも始めたのだろうか。

「はいストーップ! 止まりなさい」

スパナを握った右手を前に差し出したポーズのまま、長身の女子生徒、相田澄香(1番)は声を出した。その名の通り、澄み切ったよく通る声の持ち主だ。さすがはバレー部の部長といったところか。

「ちょ、ちょっと! 止まれって言ってるのが聞こえないの?!」
「相田さん……ちょっと声でかい。他のみんなにも聞こえちゃうよ」

さらに近づくと、相田の足元には、男子生徒の遺体が転がっていた。撃ち殺されたというのはわかるが、頭部付近の血だまりが特に酷くて、誰かの判別がつかない。

「相田さんが、さっきまでの音を止めてくれたの?」

啓輔は優しく問いかける。相田は警戒した顔つきを少しだけ緩めると、溜息をついて、左手に握ったものをぶらつかせた。

「あーこれ? そーそー、うるさかったんだよね。防犯サイレン。これ、うちら小学校の時に学校から支給されたやつだよ、懐かしいね。ずっと昔、学校の近所に不審者が出るとかでPTAが持たせたらしいんだよね。よく遊んでたらうっかり発動させちゃって、慌てて踏んで壊して止めたこともあったっけ」
「あったねぇ、そんなエピソード。あとで相田さんが職員室に呼び出されて怒られたのも覚えてる」
「それは忘れてよ! まだ小学校の時の話じゃない!!」

 呆れ顔になったり、赤らめたり、忙しい女だった。これでも、小学校時代からの知り合いではあった。

「ま、境くんがそっちから来たってことは、あんたもこの死体とは無関係ってわけね」
「相田さんと同じく、音に釣られてやってきた夏の虫ですよ。で、誰なのさ、その死体は」
「顔がわからないから誰かはわからんね。まぁ、あまりマジマジとは見たくないからさ、勘弁してよ」

 そのわりには、平気そうな顔をしている相田。死体が鳴らしていた防犯サイレンを止めておきながら、それはないだろうとツッコみたかったが、その勢いで行動するところが彼女らしいといえばらしかったし、なにより直感的に相田はこの男子生徒を殺害していない気がしたので、ひとまずは信用できそうだった。

「で、相田さんは今までどこに」
「そういうの聞くときは、まず自分から、でしょ」

 むふー、と誇らしげに語る相田を見て、渋い顔をする。めんどくさい女だ。

「……まぁ、俺は2階の生徒会室から来たんだけどさ。それまでは転々と場所を移してたよ。今も拠点には明石さんが待機してるはずだ」
「あ、なんだ。境くんは真由ちゃんと一緒だったのか。憎いねこの」

 口元に手を当てる相田。いちいち仕草が大仰だ。

「やめてくれ。成り行きで一緒になっただけだ。そういう相田さんは、誰かと一緒なのかい」
「うん、高石くんとは会ったね。少し話だけして、今は別行動だけど。あの子でっかいくせに気はちっちゃいからさー、試合に参加するかしないかですんごく悩んでたんだよ。だからあたしゃ言ってやったね。大いに悩みなさいって。だって、悩みは人を大きくするもの」

 柔道部の高石遼(12番)。図体はでかいが、その気の小ささから試合では思いきりが足りずに万年負けっぱなしの大人しい男子だ。よくわからないけど、相田はそんな高石に対して、さらに無茶な回答を与えてしまったらしい。彼が答えを見出すのが先か、それとも誰かに殺されるのが先かは知らない。ただ、まだ名前は呼ばれていないのだから、今もどこかでまだ悩んでいる可能性はあった。

「あとは4階で遠目に昴ちゃんを見かけたかな。誰かと電話しているみたいだったから、話しかけないでほっといたけども」
「通話? 携帯使えるのか?」
「知らなーい、でも携帯みたいなので誰かと話してたのは確かだよ。あ、ちなみにあたしのスマホはダメだった。加納さんに、ズルしちゃダメだよって怒られちゃった」
「だろうな。となると、なにか武器でそういう通話できるものも支給されてるってことか?」
「あー、そういえば高石くんもなんかスマホみたいなの持ってた。聞いたらそれが支給武器なんだってさ。なにに使うかまでは聞かなかったけどね」

 情報を整理すると、物部昴(20番)は誰かと通話をしていた。だが携帯の電波は運営側に管理されているので、おそらくトランシーバーみたいな通信機器が支給された可能性が高い。そして、同じく高石遼に支給されたのは、スマホのようななんらかの端末だということだ。
冷静に考えたら、携帯の電波はすべて圏外にしてしまえば済む話なのに、わざわざ通信できる状態にしているということは、みんなに配られた武器の中になにかそういった電波を使うものがあるに違いない。そして、その武器は先の物部昴や高石遼に支給された可能性が高いということだ。

「それはいい情報を聞いたよ。ありがとう。こっちは……そうだな、生きている人間はほとんど見てない。だいたいが死んだ人間だ」

 こちら側の真実は、伏せた。好き好んで同じ部の同士を撃ったり、連れがクラスメイトを殺した話を打ち明ける必要は、デメリットしかないと判断して、やめた。相田は、目を覗き込むようにふーんと呟いていたが、詮索しない方がいいと判断したのだろう。そっか、と一歩離れる。

「すまんな、引き止めちまって」
「あー、いいのいいの。境くんともお話しできたし、あたし的にはオッケーだよ」

 結局、知りえた情報はたいしたものではなかった。わかったのは、誰かはわからないが新しい死体が防犯サイレンを鳴らしたことと、今対峙している自分と相田は、お互いのことには一切触れなかったという事実だけだ。実際、相田がやる気になっているのかどうかは知らないし、詮索する必要もないと思った。相田も、自分と同じく興味があっただけかもしれないし、その気になったら誰かを殺そうとするかもしれない。ただ、今右手に握っているスパナが武器だとして、それで誰かを簡単に殺せるとは思えなかったし、恐らく今後も相田は相変わらずのまま終わる気がした。

 気のせいだろうか、目の前で笑っていた相田の笑顔が、すぅっと引くような、そんな気が、した。
目線の先には、自分は映っていない。そう感じた瞬間、背後から悪寒を感じる。誰か、いる。思うや否や、振り向いて仰け反った。だが、後ろにいるそいつは間にいる自分など気にも留めないみたいだった。それはそれでなんだかハブられている感じがして嫌だったけれども。

「元気そうでなによりね、澄香」
「そちらこそ、美月」

 そこに立っていたのは、和光美月(24番)だった。
 彼女の眼は。それはそれは、楽しくなさそうな、眼をしていた。

   *  *  *

 相田澄香はバレー部の部長として、2年生の2学期から部を引っ張ってきた。持ち前の明るさと、少しばかりの図々しさを生かして、今年の春休みに行われた春季大会では、見事地区大会の準優勝を勝ち取った。
今まではあまりパッとした成績のなかったバレー部が、少しだけ注目を浴びた。注目を浴びることは嫌いではなかったし、むしろもっともっと強くなって、みんなと一緒に県予選を勝ち抜いて、さらに高みへ行こうと、そう信じて頑張った。目指すは、夏季大会だ。

 その夢は、あっさりと戦闘実験というもので打ち砕かれてしまった。まぁ、部員の大半はB組にいる。A組に在籍している部長のあたしと、エースの和光美月、そしてレシーバーの大貝玲子(5番)が抜ける穴は厳しいと思うけど、残されたメンバーには頑張ってもらいたいなと、真っ先にそう考えた。生き残るつもりは、初めからなかった。


「なかなか、試合を楽しんでいるみたいだけど? 美月」

 目の前に現れた美月の制服には、暗闇と非常灯という環境下であっても、血の跡が見えた。怪我をしているのか、それとも、誰かを、怪我させたのか。
美月は、足元に転がる身元不明の死体が気になるのか、そちらを少しだけ一瞥した。この男子生徒が握っていた防犯サイレン、きっと美月もその音に誘われてやってきたクチなのだろう。

「その死体は、澄香が?」
「まさか。来たときにはもう死んでた。あたしはただブザーを止めただけ」
「ふぅん」

 興味なさそうに、美月は言う。ここまでの試合でなにがあったのかは知らない。だけど、美月はとても楽しくなさそうな顔をしていた。もっとも、今のこの状況を楽しんでいたとしたら、間違いなくそいつは狂っているのだろうけれども。

「私が、玲子を殺した」

唐突に、美月の口から発せられた言葉の意味がわからなくて。
あたしは、聞き返した。

「いま、なんて?」
「私が、玲子を殺したの。澄香」

やけに血だらけだとは思っていたけど、なるほど。玲子を殺したのは、美月だったのか。わざわざ嘘をつく理由もないから、きっとこれは本当のことなのだろう。

「……玲子が望んだことなんだよ。でも今は、少しだけ、後悔してる。殺す以外にも、方法ってなかったのかなって」

話の全体像は見えてこないものの、なにかしらの理由があって、結果的に美月が玲子を殺したということらしい。そして、美月はおそらくそれが初の人殺しになったのだろう。だからこそ、こんなにも後悔しているし、楽しくなさそうな眼をしているのだ。

「私、話だけでも誰かに聞いてもらいたくって。それで、ここに来たの。ここにくれば、誰かいると思って」

 美月の口元が、少しだけ、笑みに代わる。

「よかった。会えたのが澄香で」
「相田さん! よけて!!」

 目元も、笑みの形に代わる。同時に、間に立っていた境啓輔が、叫んだ。
 その声を聞いて、反射的に、横へ跳ぶ。


「あんたなら、殺しても、後悔しない」


 直後、銃声が、静寂を切り裂いた。
 ニューナンブM60から放たれた弾は、澄香を僅かに逸れて、後ろの空間へと消え去った。

「境! 逃げるよ!」

 横へ跳びながら、右手に握ったスパナを美月に向けて投げつけた。スパナは回転しながら、美月の元へと吸い込まれた。美月の右腕にそれは見事に決まり、彼女の拳銃が床へと転がる。チャンスだ。
あたしは一気に美月の横をすり抜ける。境はそれを見届けると、先行して走り出した。さすがサッカー部の全力は早い、追いつけそうにない。こいつが先導してくれるのであれば、きっと明石さんの元へ連れて行ってくれるのかもしれない。


 あたしが腹部に違和感を感じたのは、そう期待した直後の話だった。


「相田さん!」
「バカ! 立ち止まるな! 先いってろ!!」

 足を止めた境に対して、あたしはハッパをかける。お前は、生きろよ。
 おなかのあたりから、温かいなにかが流れ出す感覚。ああ、これは、命だ。

「ねぇ、美月。その武器はなにさ」

 背後に立っている美月に、あたしは語りかける。美月が握っているのは、少し短めの九五式軍刀。その刃は、あたしの背中から入り込んで、腹から突き出ている状態だった。

「玲子が持ってた刀、よく斬れんだね」
「なるほど、玲子のね。はは」

美月の拳銃は叩き落とした。もう大丈夫だと思った。それが、油断につながったのだろう。
美月は玲子を殺したのだ。当然、玲子の所持していた武器は、美月の手へと渡る。射程も長い。要するに、あたしはこいつに貫かれた、それだけだ。
境と一緒に逃げるか、境だけ逃がして自分は戦うか。どちらが正解だったかは、わからない。ただ、結果はあまり変わらない気もした。

「私ね、もうどっちでもいいの。早くこの現実が、終わってしまえばいいなって」
「……なにいってんのさ、美月」
「こうやって、みんなを殺しまくっていたら。たぶん、誰かが私を終わらせてくれるのかなって、そう思った。澄香は終わらせてはくれなかったけどさ」
「……それは、すまなかったわね」

次第に、息苦しくなってきた。頭が、ぐるぐるとしてきた。
一気に血を失いすぎたのだ。あたしは立つこともままならなくなり、床に跪く。ずるりと軍刀が抜け落ちて、さらに血があふれ出てきた。あぁ、これはいよいよ、やばいのかもしれない。

「美月。あんたは……玲子も、そしてあたしも、殺した」
「…………」
「このクラスのバレー部は、これでもうおしまいね。あとは……まぁ、残ったみんなに任せましょ」
「……そうね」

 あはは、あたし、なにいってんだろ。
 まさに今、もう、死ぬのに。最期まで、他のことばっかり考えていて。

「あたしも……もう、わけわかんないや……はは」
「……憐れね」

 急速に、目の前が明るくなってきた。
 あぁ、死ぬってのは、こういうことなのかもしれない。
 意識を失って、そのまま、もう、目覚めないのだろう。

 寒気が、止まらない。


 凍えるように、寒い。



 程なくして、相田澄香は、蹲った姿勢のまま、こと切れた。
和光美月はそれを見届けると、軍刀を振り払い、鞘に納める。床に転がったニューナンブを拾い上げると、近くに落ちているスパナには目もくれず、その場を立ち去った。

 その顔は、相変わらず、楽しくなさそうだった。


 1番 相田 澄香  死亡

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