2009年、3月24日。 都内某所の、とある居酒屋にて。 指定された店。その扉を開けると、わいわいとしたにぎやかな雰囲気と、温かいおでんの匂いに、俺は包み込まれ た。こんな店、初めて入るぞ。未成年には少しばかり場違いなんじゃないか? ……と、そんなことを思っていると、カウンターの一番奥に、見覚えのある顔が座っていた。今回はどうやら一人のよ うなので、何故か少しだけ安心した。カジュアルな服に身をまとったその男、蒔田は軽くガラスのコップを持ち上げる と、こっちに来いというようなジェスチャーをしていた。迷わずに、その隣へと座った。 「久しぶりですね、蒔田さん」 「あぁ、そうだね。どうだい? 元気でやっているかい? ……あ、おじさん。この子未成年だからウーロン茶お願い」 間もなく、目の前になみなみと注がれたウーロン茶が登場する。今夜は俺のおごりだよ、と蒔田は笑うと、まぁ飲んで 飲んで、と薦めてきた。一口だけ飲んでみる。出来れば温かいお茶のほうが嬉しかったんだけれどなぁ。 「なんだか相変わらずなんですね」 「いや……そうでもないよ。増美……あぁ、妻ね。妻が陣痛で苦しんでいてね、今じゃ看病の身さ」 「……へぇ、奥さんがいたんですか」 「そんなに意外かい?」 にやりと笑う蒔田。どうも、随分とアルコールがまわっているらしい。 まじまじと顔を眺めてみる。なるほど、確かに30弱の男としては、なかなか整っている。きっと若い頃はもてていたん だろうな、とか考えてみる。 「……まぁいいや。今度子供が生まれるんでね。どうもはじめてだから落ち着かなくて……て、今日はそんなことを話 すために俺を呼んだわけじゃないんだろう?」 「はは、まぁ……そうですね。せっかく連絡先を教えていただいたわけですし、高校に上がる前に、一度くらいは会っ ておきたいなって思って」 「あぁー、そうか。もう秋吉君も高校生なんだね。どう? 推薦先の高校、俺が選んであげたんだよ? 可もなく不可も なく、秋吉の学力に見合った偏差値だと思うけどね」 「そりゃどうも。なかなかの中堅校なようで。蒔田さんがやってくれたんですか、ほんと、ありがたかったですよ」 「迷惑じゃなかったのかい?」 「いやいや、あんな出来事のあとに勉強なんか出来ませんよ。色々と大変だったんですからね」 それは本当の話だ。実際、一月の中旬というなんとも謎な時期に転校したお陰で、新しいクラスでは奇妙に思われて しまったし、まさに受験戦争の真っ只中というのに、推薦枠で高校が決まってしまっているのだ。推薦以外の一般入 試組の連中から見れば、うざいことこの上無しだろう。というわけで、細々ながら出来た友人は、大抵推薦でもう勉強 する必要のない数人の生徒だけだった。 推薦ということなら、さぞかし頭がいいのだろうと思われていたが、そうでもないのはこの俺自身が一番よく知ってい るのだ。というわけで、頭が悪いのに本番では実力以上の力を発揮する羨ましい奴、そんなことも言われた気がする が、まぁいい。悪いクラスではなかったのも確かだ。 「そうか、それはなにより。で、どうだい? 友達も出来たのかい?」 「まぁ……それなりには。その中に、エミって名前の奴もいるんですけど」 「エミ? ……あぁ、あの湾条と一緒の名前だから気になったわけだ。同じ名前なのかい?」 「いや……その子、スズキエミって名前で。鈴に城のさんずいの江、そして木の実の実って書くんです」 「へぇ、鈴城江実ねぇ。また珍しい苗字なんだね。読みは普通なのに」 「で、そいつも推薦で同じ高校に決まっていたんですよ。だからしつこく絡まれちゃって……このこと、知ってたんです か?」 「いやぁー、そこまでは知らなかったなぁ。でもまぁ、仲良くすればいいじゃないか。湾条恵美とは違う子なんだ。きち んと区別して付き合ってやればいいじゃないか」 そう、確かに江実は、恵美とは違う子だ。微妙に背の小さいところとか、生意気なところは似ているけれど、彼女は恵 美ではない。だけど、そう簡単に恵美を忘れられるわけ無いじゃないか。あんなにずっと付き合ってきた奴なんだぞ。 エミって名前を聞くたびに、彼女を意識してしまうのが辛いんだ。 それに、都合の悪いことに他にも『鈴木』姓がクラスに2人いたのだ。必然的に、クラスメイトは全員鈴城の事を『エミ』 と読んでいた。俺はその名前では呼びたくなかったから、漢字で区別して『スズシロ』と読んでいたのだが、間違った 名前で呼ばれるのは好きではないらしい。ひたすら『エミ』と呼んで欲しいといわれ、気が滅入っていたのだ。 そんなに簡単に恵美のことが忘れられるほど、俺は腐っちゃいないんだ。 「……そうか、難しいね。ただ、その鈴城って子は君の過去を知らないんだろう? それに、君自身もその過去を言う つもりなんかない……みりゃわかるよ。嫌な過去だからね。だからといって、その過去に捉われて君がその鈴城を 嫌いになるのは道理に合わない、そうじゃないか?」 「まぁ、そうですけど」 「辛いかもしれないけど、ここは抑えるしかないね。なに、3ヶ月でここまで元気になれたんだ。そのうち、気にならなく なる……とまでは言わないけれど、きっと慣れるさ。そう信じなきゃ」 「……はい」 やっぱり、蒔田は大人だった。第三者の視点とはいえ、物事を冷静に考えて、そして的確にアドバイスをしてくれる。 まだまだ俺も青いな、そう思った瞬間だった。 「ところで、今日はそれだけじゃないだろ。恐らく、そんな小さな話じゃなくて、もっともっと未来の話をしに来たんじゃな いのかい?」 やはり、この男は凄い奴だ。快斗はにやりと笑った。 「……なんでもお見通し、ってわけですか。えぇ、実は……進路先について相談があるんです」 「ほぉ、これから高校生だってのに、もうそんなことを考えているんだ。凄いね、感心感心」 「茶化さないで下さい、結構マジなんですから、俺」 真剣な眼差しで俺は言った。 その真意を読み取ったのか、酒の入ったコップをカウンターの上に置いて、蒔田は座りなおした。 「……よし、じゃあ真面目に聞こうじゃないか」 「俺……将来は蒔田さんみたいになりたい、そう思っているんです」 「ほぉ、俺みたいになりたい……ねぇ。やめとけやめとけ、女に尻にひかれるような男の真似は」 「そうじゃなくて……俺も、プログラムに巻き込まれるような中学生を、こう……見守って、心に刻んでいきたいなって ……思って」 「やめとけ」 突然、蒔田はぶっきらぼうに言った。 周りの雑音が、急にやんだような錯覚に捉われる。 「……は?」 「秋吉、お前にはこの仕事は無理だ」 「そんな、なんで……」 蒔田は、しばらく顔を下に向けて、頭を抱えていた。 だが、やがてふっと顔を上げると、再びこちらを向いて、言った。 「もう……言っても大丈夫だよな。秋吉、このことは極秘裏に頼む。わかったな?」 極秘裏? 政府側の機密情報か何かということだろうか。 よくわからないが、とりあえず頷いておいた。 「実は、あの特別ルールが試行されたのは、理由がある。まぁ、そこまではお前も感付いてはいただろう。なにしろ俺 がヒントを言ったんだからな」 「米原が……関与してるってこと、ですよね」 「あぁ、それだ。それから、あの本部の崩壊、それも大いに関係している」 米原秋奈(女子23番)、本部の崩壊、そして……蒔田の抱えていた、ノートパソコン。 この3つのヒントから、導き出せる答え。それは即ち。 「あいつ、まさか本部に攻撃でもしたんですか?」 「そのまさかだ。本部に爆弾入りのトラックを突っ込ませやがったんだ」 爆弾を? そんなまさか、あいつが? 「信じられない……マジですか?」 「あぁ、お陰でこっちの兵士も大半が死んだ。あの瓦礫の下には、俺たちが話をしている間も死体が沢山埋まってい たんだよ……言いたくないけどな」 ぞっとした。随分と軽い口調で言っているが、この男、下手をしたら死んでいたのだ。 なるほど、ようやくわかった。何故突然放送時に謎の爆音がしたのか、そして、謎のルールの追加が。 あれは要するにペナルティだったのだ。もしかしたら、全員の首輪を爆破も考えられていたのかもしれない。 そう思うと、恐怖を抱かずに入られなかった。本当に、命拾いをしたのだ。 「これが、お前を兵士にしたくない理由その1だ。常に死と隣り合わせなんだよ、この仕事は。せっかく助かったその 命をそんなことで失わせるわけにはいかない」 「でも、それでも……」 「まだ続きがある、よく聞け。その米原だって始めから爆弾の作り方を知っていたわけじゃない。あいつも、何者かに 操られていたんだよ」 「操られていた?」 「そう。俺がノートパソコンをわざわざ危険を犯してまで会場に出てきて手に入れたのはそのためだ。あのノートパソコ ンには、そういった危険物の作り方を書いたファイルがあったんだ。ついでに首輪の無効化の方法とかも書かれた やつがあってね」 「それは、米原のじゃないってことか?」 「あぁ、内通者がいたんだ。事前に米原秋奈がプログラムに巻き込まれることを知って、米原のパソコンにアクセスし て、脱出方法を教えたんだ。だが、結局は失敗に終わったけどな」 「でも、そんなことニュースでは一言も喋ってませんでしたよ」 「当たり前だ。政府の威信に関わる。それに、専門家がそのパソコンを調べたんだけどな。どうも、そのファイルを転送 した奴は、軍にあるパソコンを使ったらしい。色々と足跡が残っていたんだが、あいにく共用のパソコンだったから何 もそこから進まない。結局、犯人はわからないってことになった」 「だけど……軍のパソコンってことは、プログラムの関係者が妨害工作をしたってことですよね」 「そこが問題なんだ。だから、政府はこの事件を秘密裏に処理することにした。一番助かったのは道澤さんだね、あ の教官の。本当ならクビだったけど、軍関係が絡むことがわかって、やむを得ず、てことになった。減給ですんで本 当によかったよ」 「……心当たりは、あるんですか?」 「さぁな、無いとは言えないから困るんだ」 蒔田は、本当に困った顔をしていた。 仲間を疑わなければならないこの状況は、一種プログラムを連想させる。 「これがお前を兵士にしたくない理由その2だ。本当に、これから先、何が起こるかわからないんだよ。もしかしたら近 い将来、本当にプログラム自体がなくなるかもしれないからな」 「……なくなる?」 「そうだ。反政府組織みたいな奴は、結構この国の至るところにゴロゴロと転がっている。俺みたいな兵士は有名に なると表を歩けなくなるようになる。だから、お前には同じ目にあってほしくないんだ。わかってほしい」 「……そうですか」 言いたい事はよくわかった。 わかったけれど……なんだか悔しかった。 「お前を見ていると……あいつを思い出すな」 「あいつ?」 「あぁ。昔、同じようなことがあってね。こういう居酒屋で話をして、俺はそいつに兵士にならないかって話を持ち込ん だんだ。そして、そいつは本当に兵士になった。だけど、悲劇がそいつを襲った。自分の弟がプログラムに巻き込ま れて、不正行為を行ったもんだから、兄であるそいつが弟を直々に殺してしまったんだ。凄く悲しんでいてね、俺は 見ていられなかったよ」 「……そうなんですか」 「だから、以来俺は兵士を志す奴がいたら、絶対にプログラムには関わるなと釘を刺しているんだ。本当は兵士にも なってほしくはないんだけどね。ただ単に辛いだけだから。だから秋吉。お前には別のアドバイスをしよう」 「別の……?」 「お前、教師をやってみる気にはならないか?」 意外な単語だった。 そして、その単語が、後の俺の人生を変えることになるのも、このときの俺は、まだ……知らなかったのだった。 PREV / TOP / NEXT |