朝のホームルームを終えて、私は職員室の自席へと着いた。今日の一時間目は私は授業が入っていないので、 次の授業の準備がゆっくりと出来る。私は昨晩のうちに作っておいた授業で配るプリントの原本を鞄から取り出すと、 印刷室へ急ごうとした。そのときだった。 「……あぁ、丁度良かった。戸田先生、今呼ぼうと思っていたんですよ」 突然の呼びかけ。振り返ると、そこには校長が立っていた。 普段はあまり話したことがなかったので、思わず緊張してしまう。生徒の間からは気さくな校長として結構人気だった ようだが、今の表情は固く結ばれている。なにか、あったのだろうか。 「あの……私になにか用でしょうか」 「……いやね、客人がいるので、お会いしていただきたいなと。応接室にいます。行ってやって下さい」 「はぁ」 どうやら至急の用事らしい。まぁ、どうせ時間はとらないだろう。印刷はそれからでも遅くは無い。 私は校長に対して一礼をすると、いそいそと応接室へと赴いた。 部屋の中には、女性が一人。面識はない。 「ども、遅れました。戸田です」 私が挨拶をすると、その女性はすっと立ち上がり、名刺を差し出した。しまった、机の中に入れっぱなしだった。私は 苦笑いをしながら名刺を受け取る。門並増美、どうやらこれが女性の名前らしい。スーツなどではなく、まるで普段着 のような恰好をしている。赤のトレーナーに白のロングフレアスカート、まぁ私の恰好も茶色のセーターだったりするの でトントンだろう。 「はじめまして、門並です。えーっと……戸田一平先生、ですね」 「あ、はい。そうです。あの……まぁ立ちながらもアレですし、座りましょう」 「そうですね。では失礼します」 ゆったりとした動作で座る門並。顔を見るとまだ若い。十歳以上の年の差はあると思えた。 門並は持っていた鞄から書類を取り出すと、そのうちの一枚を私に差し出した。 「では、まずはこちらをお読みになって下さい」 「……はい」 嫌な記憶が、フラッシュバックする。 夢で見た記憶、どこかで覚えていた違和感。 まさか。 読みすすめていくうちに、私は顔がみるみる青ざめていくのを感じていた。 決して起こっては欲しくなかったこと。それが、目の前に突きつけられている。何故、どうして? ……いや、そんなこ とは言わなくてもわかっている。厳正なる抽選の結果なのだから。 「……確定事項なんですよね」 「はい、残念ながら」 「……いつから、なんですか?」 「恐らく、そろそろ全員が睡眠状態に陥っていることかと。確認し次第、こちらの者が会場先へと搬送します。私も、一 緒に」 「……そうですか」 門並は、憂いを帯びた表情を浮かべていた。あの時の男とは大違いで、感情が溢れ出ていた。桃色のバッヂが、そ の異質な雰囲気を悉く醸し出している。 「これは、厳正なる抽選に基づいています。ですから、決して何らかの作為があったわけではありません」 「わかっています」 「……本当に、わかっているんですか?」 「と、申しますと?」 私は、半ば呆けた状態で門並の顔を見つめた。二度目だが、決して慣れることではない。 「貴方の息子は、かつて石川県のプログラムに選ばれて亡くなられました」 「……どうして、それを」 「その時、同じプログラムに参戦していた生徒の中に、堤という生徒がいました。その妹が、現在貴方のクラスの生 徒をしています」 堤孝子(女子10番)。そういえば、兄がいるというのは知っていたが、彼がプログラムで死んだということは知らなか った。彼女はあまりクラスでは目立つ存在ではなかったのだが、そんな過去を持っていたのか。 「そして、もう一人。寺井という生徒も貴方のクラスにいますね。彼の兄は、その時のプログラムの優勝者です」 さらに、驚くべき事実。寺井晴信(男子11番)。大人しい性格で、あまり直接的に話したことはなかったのだが、そう いう兄がいたことに驚いた。別に兄がどうのこうのと言うつもりはないが、それにしては出来すぎている。 「最後に。その時のプログラムの担当教官……それは、私です」 「なっ……」 ようやく、理解した。どうしてこれが偶然だと固辞し続けていたのかが。あまりにも、こいつは出来すぎている。あの時 の石川県のプログラム、その関係者がどうしてここまで、それも岐阜なんかの学校に、それも同じクラスに所属してい たのか。これほどまでの偶然が、あっていいのか。 「……貴方は、私の子供と妻を消して、そして生徒たちまでをも奪うというんですか」 「申し訳ありません。正直私も、出来すぎているとしか思えません。ですが……」 「ですがじゃない……! こんなの、こんなの認めていいのか?! どうなんだよ!」 ダンと、机を叩いて私は立ち上がった。門並は、唇をかみ締めて、黙って私の眼を見つめている。 わかっているんだ。こんなことを言ったって、所詮は無駄なのだということを。ただ、あまりにも衝撃的な事実が多すぎ て、私にはなにをどうすればいいのかわからなかった、それだけだった。 「……はい。ですが、以上のことだけは、伝えたかったんです。貴方の、為にも」 「…………」 「私の口からは、詳しいことは言えません。ただ、これだけははっきりと言えます。貴方の息子さんは、最期まで友達 を裏切るようなことはしませんでした。それだけは、誇りに思って下さい」 「……そうか。わざわざ、すまない」 「……こちらに、署名していただけますか」 自然と、私の眼からは涙がこぼれ出ていた。先程、出欠をとって、浜田達とじゃれあって出てきた教室。あの教室 は、既に静まり返っているのだろう。あの面子とも、もう二度と生きて会うことも出来ないのだろう。 ボールペンを渡された手が震えている。だが、私はしっかりとここに署名しなくてはならないのだ。担任である私の最 後の責任として、やり遂げなくてはならないことがあるのだ。 「……ありがとうございます。では、私のほうからは以上です」 「あぁ……どうも」 「……なにか、生徒さんたちに伝えることは、ありませんか?」 私は顔を上げた。いけない、門並の顔が滲んで見える。私は眼を両手で拭うと、少しだけ微笑んだ。 「……なんでしょうね。頑張れって言うわけにもいきませんし、だからといって殺し合いをするなとも言えません。それ ぞれの子供たちにはその子なりの考えがあるのでしょうから。私の言葉なんて、もう聞く耳なんか持たないでしょう ね。じゃあ……各々悔いの残らないよに生きるよう、伝えていただけますか」 私は、迷った挙句。その言葉だけを、門並に託した。 門並はすっと立ち上がる。そして、深々と私に向けて頭を下げた。 「……承りました」 「ありがとうございます」 「……では、私はこれで。このあとが、まだありますから」 門並は応接室の扉を開けた。そして、出て行く際に、もう一度だけ振り返る。 「実は私も、プログラムで妹を亡くしているんです。戸田先生と同じ境遇とは言えないとは思いますけれど……先生の 気持ち、わからないこともないんですよ」 「…………」 「どうか、生徒たちのこと。忘れないでやって下さいね。……それでは」 バタン。 扉が、閉められる。私はひとり部屋に取り残された。 ……あぁ、そうだ。印刷をしなければならないんだったっけ。42人分、きちんと準備しなくちゃ。 そっか。 もう……必要ないのか。 あいつらにも、もう……会えないのか。 私はひとり部屋に取り残された。 だから。 だから……私は人知れず、泣き続けた。音も立てず、ただ、涙だけを流して。
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