それはまだ、俺が中学一年だった頃。 あの時の俺は、本当に惨めで、本当に情けなかった。 「それでは、次。寺井くん」 土門英幸(男子12番)は、顔を上げた。教室内は静まり返っていて、誰も一言も声を発しない。たった今名前を呼 ばれた寺井晴信(男子11番)が、おずおずと立ち上がると、全員の視線を浴びながら教室を出て行った。 寺井晴信。かつての俺のような、ひ弱な男。あういう奴は、早々に死んでしまうだろう、俺はふと、そう思った。もともと あいつとはあまり話したことがなかったし、また別に興味もなかったので、俺には関係のないことだったが。いや、そ れよりも。もともと俺には興味の持てる人間なんかいなかった。なんていえばいいのだろうか……そうだな、人との関 係を持つことを極端に恐れる、なんて言えば聞こえは悪いが妥当だろう。 正直に言う。俺は中学一年の時、イジメとまではいかないにしろ、酷い扱い方をされていた。もともと入学時には男子 の中で一番背が小さかったのが俺だ。周りはみんなデカイやつらばかりで、どうにもこうにも、なにをするにもかつて の俺は臆病だった。それが目に付いたんだろう、既に成長期を終えている女子や、成長期に入ってぐんぐんと背丈を 伸ばし始めた男子たちが、俺を見下し始めたのだった。 いくらなんでももう中学生、あからさまなイジメなんてものは存在しなかった。だが、言葉による暴力は、確実に俺の 心を閉ざしていった。ようやく俺の身長が伸び始めたのは中学二年生も後半になってからで、恐らく現在も成長過程 ではあるが、かつての140センチという情けない身長から、一気に160センチ代にまで伸ばすことに成功した。その うち、俺はとくに身長に対してどうのこうの言われることはなくなったのだけれど、それでもみんなが俺をいじっていた という事実は変わらない。 俺にとっての、一種のコンプレックス。それを踏みにじられ続けて、やがて俺は友達を作ろうというような努力はしなく なった。一人が、楽でいい。話し相手なんか、いらない。俺は俺で、勝手にやるほうが気楽でいいんだ。 そんな自分が、嫌だった。理想の俺は、クラスの人気者で、こんなひねくれたネクラな性格ではない。だが、そのポジ ションには既に浜田篤(男子18番)という大いなる存在があり、彼には誰も敵わなかった。 そして、ひねくれものの俺には、嫉妬心が芽生えていた。そしてそれはコンプレックスを揶揄し続けていたクラスメイト へと移り、そして最終的には特にいじり続けてきたクラスメイトの一部の女子へと狭まっていった。こいつらだけは、俺 は決して許さない。お門違いも甚だしいとは思うが、そうでも考えていなければ、こんなクソつまらない人生、やってい けるかってんだ。 「はーい、次。角元さん、出発ですよ」 門並とかいう胡散臭い女が、微笑を浮かべながら声を発する。なんとも気味の悪い。プログラム……殺し合いの戦 地へと送り出すような声ではなかった。 名前を呼ばれた角元舞(女子11番)は真っ青な顔をしていたが、力強く立ち上がると、周囲にいた面子の方をポンポ ンと叩いていた。芳田妙子(女子21番)や上田健治(男子2番)といった、いつもつるんでいる仲良しグループにたい しての儀礼らしい。大丈夫だとでも言うのだろうか、角元は無理矢理口元を引き攣らせて笑みの形を作ると、ぎこちな い動作でバッグを受け取っている。でも、無理だよ。そんな強がりなんか、通用しない。無理をしていたら、きっといつ かは形が外れる。そして、その後に待ち受けているのは、破滅……即ち、死、だけだ。 幸いにして、角元を含む浜田たちのグループは俺に対してあまり干渉はしてこなかった。もともと、あいつらとは三 年生になってから初めて一緒のクラスになったんだ。俺がそんなコンプレックスを抱いているという事実さえ、知らない のかもしれなかった。 俺は、脳内でリストを作ってみた。常日頃から、会うたびに俺を虐げてきた女子たちの名前を。本当に、俺が心に傷 付いたと思わせる要因を作った奴らの名前を。 ……そう、それは全部で七人。そのうち、このクラスにいるのは五人。まずは抹殺すべきは、こいつらだった。 プログラム。どんな犯罪も、許される世界。 だから、俺は。自ら進んで……復讐を、選んだ。 「はい次ー。えーと……ドモン、くんだね。出発して下さい」 いわれのない復讐劇かもしれない。理不尽なのかもしれない。 だけど、俺は決してやめない。そう……それこそが。俺が、この世界で生きるための方法なのだから。 俺は名前を呼ばれると、すぐに立ち上がった。そして、誰とも目を合わせることなく、前へと歩み出る。そして、黙っ てバッグを受け取ると、そのまま結局一度も振り返らずに、廊下へと出て行った。 ……さて。今の俺のこの行動に、残されたクラスメイトたちはどのように感じただろうか。流石に、不自然だったろう か。それとも、まるで俺のことなんか眼中になかったのかもしれない。まぁ、どうでもいい。俺は、俺の心に従うまでな のだから。誰の指図も受けない。誰にも邪魔は、させない。 頭の中にリストアップされている女子たちの、出席番号を思い浮かべる。そして、俺はほくそ微笑んだ。次に出発する のは、同じく12番。そう、仁科明日香(女子12番)、リストの中の、最下層に位置した生徒だった。彼女の、その幼さ の残るあどけない顔から発せられたその言葉。残酷だった。許せなかった。本人に悪気はなかったのだろうが、それ でも俺は、許すことは出来ない。 玄関へと出る。まだ昼間だったが、空は曇天、まさに雨が降り出しそうな気候だった。いや、なんとなくもうそろそろ降 り始める気がする、そんな臭いが、した。 俺はその場でバッグのファスナーを開ける。ペットボトルや懐中電灯を退けると、一番下に安置されていたのは、なに やら白い小さな箱だった。開けてみると、なにやら筒状のものとボタンのついた機械、そして紙切れが挟み込まれて いる。なんとなく予想はついたが、俺はその紙切れを掴み取ると、空にかざした。 やはりというべきか。それはこの武器の『取扱説明書』、小型遠隔爆弾のそれだった。中身はひとつしかなかった が、まぁいい。とりあえずは出来る限りのことをするべきだ。俺はその白い箱を通路のど真ん中に置くと、スイッチと思 われる機械をつまみ出して少し離れた花壇の陰へと隠れた。時間がない、急がなければならなかった。 取扱説明書は、いたってシンプルなものだった。ただ、このボタンを押せば、筒状の爆弾が爆発する、それだけだっ た。注意点はただひとつ、スイッチの無線が届くのは半径10メートル以内、それさえ注意すれば、充分だ。あの位置 からここまではどんなに見ても8メートル、余裕の圏内だった。 そして、インターバルはすぐに過ぎ去った。 玄関から小柄の女子がひょいと顔を覗かせた。その視線の先には、不自然におかれた白い小箱があった。 俺はそれが仁科明日香と確認すると同時に、手元の機械のボタンを、ぐいと押した。 瞬間、辺りにドンという、小気味よい音が、響き渡った。 辺り一面に、砂塵が舞っていた。 あぁ、眼鏡が汚れるな。俺はそんなことを考えながら、その煙の中へ入り込む。 「んー……うぅーっ!」 その中心で、言葉にもならない呻き声を上げている存在があった。なんともそれは人間のそれとは思えなくて、俺 は少しだけ気分が悪くなった。やがて埃も晴れて、その姿が曝け出される。それは、俺の想像の三段上をいってい た。そこに転がっていたのは、下半身をミンチにされた仁科の胴体。右手も半ばから砕け散っていて、辺りには肉片 が散らばっていた。 そう、それはいつぞやの礫死体に似ていた。たまたま居合わせたその現場、散らばる肉片、それをせっせと拾い集め る清掃員。俺は胃の中身が逆流してくるのをなんとか堪えると、その顔をまじまじと眺めた。 「あぅぁー……うぁーっ!」 引き千切れそうなくらいに唇を歪め、涙を流している仁科。顔には血肉が飛び散っていたが、それを本人が認知する ことはないだろう。彼女は突然起こったその事態に、対処できていなかった。ただ、その痛さに泣き喚いているだけだ った。 あんまりだ。俺は、こんなことをしてまで、彼女を苦しめたかったわけじゃない。それに、こんな姿になってまでも、まだ 彼女は生きているじゃないか。きっと、想像を絶するような痛みを伴っているのだろう。俺には、とてもじゃないが想像 なんてことは出来なかった。 傍らに放り出された彼女のデイパックが目に入った。そこから、半ば破けた口から覗かせているのは、ナイフの刃。俺 はそいつを取り出す。折畳式ナイフ、衝撃で刃が出た状態になっていたが、構わなかった。今の俺に出来ること、そ れは、彼女を一刻も早く楽にしてやること、それだけだった。 もともと自分から殺そうと思ってやったことだ。今更なに綺麗ごとを抜かしている、俺はそんな都合のいい自分自身に 苦笑しながら、ナイフの切っ先を彼女の喉元へと突きつける。しかし、それさえ彼女は気付かない。まぁいい、なにも わからないうちに死ぬ方が、楽だろう。 俺は、手に握ったナイフに、力を込めた。途端、まるで噴水のように、鮮血が流れ出てきた。瞬く間に、彼女の全てが 真っ赤に染まっていく。そして、俺自身も。それは、初めての、殺人。 ……気持ち悪い。 人を殺しておいて、俺はいったいなにを思っているのだろうか。こんな感想が真っ先に出てくるなんて、いよいよ俺は 廃人なのかもしれなかった。人として、失格なのかもしれなかった。勝手に恨んで、勝手に憎んで、勝手に決めて、 勝手に殺して。挙句の果てに、もった感想が、気持ち悪い。俺は最低な人間だな。 本当に、ここまでしなければならなかったのだろうか。彼女は、なにも知らずに、恐らく、どうして自分が殺されたのか も知らずに死んだ。それも、爆弾によって四肢をもがれ、首を掻っ切られるという残忍な方法で。 俺は、いったい、なにがしたかったんだろうか。 「ひ……ひぃぃっ!」 その背後からした叫び声に、俺ははっとして振り返る。 そこに立っていたのは、俺より前に出発した、寺井晴信だった。 「寺井……!」 「どどど、土門君……! キキ君は、い……いったいぃ!」 俺は、目の前が真っ白になった。 見られた。確実に、見られた。俺が殺人を犯すその瞬間を、確実に。 きっと爆音に吸い寄せられるように見に来てしまったのだろう、愚かにも、様子を見に。 ……そして。 殺すしか、ねぇよな。 振り向いて、一目散に駆け出す寺井を、俺は反射的に追いかけていた。 もう、なにがなんだかわからない。とにかく、見られたからには、殺すしかない。何故か俺は、そう考えた。 いつの間にか、小雨が振り出していた。
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