佐原夏海(女子7番)は、ただひたすらに走っていた。 背後から追ってくるものは誰も居ない。だが、彼女は確実になにかから逃げていた。 それは、恐怖。迫り来る死の、無機質な冷たさだった。 ―― まさか、ない。こんなこと、ありえない。 彼女は、完全に混乱していた。なにを、いったいどうすればいいのか。それさえもが、わからなかった。 二番目にあの教室を出発した彼女が最初にとった行動は、正門のそばに隠れることだった。塀の隅に身を隠し、誰 が出てくるのかを一望できるポジションを確保できた。そこで彼女は悠々と武器を確認しながら、目的の人物を待った のだった。 目的の人物、それは即ち悪友。幸いにして出席番号が連続して、仙道美香(女子8番)と近本絵里奈(女子9番)と いった面子が並んでいた。これを利用しない手はなかった。いつまで待っても、次に出発する筈の鈴木努(男子8番) が門へとやってこないことに気付いたが、そこでようやく彼女は出口が一つだけでないことに気付いた。慌てて地図を 取り出す。そこに記述されていたのは、裏門の存在。もしかしたら、鈴木も美香もこっちから外へ行ってしまったのか もしれない。 慌てて引き返そうとして、こちらへ悠々と歩いてくる美香を見て、彼女は少しだけ安堵した。そして、話しかけた。 「……美香」 しかし、美香はその呼びかけを無視して、黙ってその横を通り過ぎたのだった。彼女は少しだけむっとして、振り返っ て続ける。 「美香。聞こえてるんでしょ? ねぇってば」 「……うるせぇな。夏海、悪いけどあたしは一人でやってくんで。そこんとこ、ヨロシク」 彼女の呼びかけに対して、美香の反応は冷め切っていた。振り返りもせず、ただ右手を上げて横に振っただけのそ の態度に、少しだけ彼女はむっときた。 「なんで? 一緒に戦おうよ。ほら、絵里奈とかも誘ってさ。そのほうが、生き残る確率は高くなるじゃない」 「ただし寝首もかかれる危険性が高い。あたし、そこまで信じられるようなタマじゃないしさ」 「……え? なにそれ? つまり……仲間を信用できないってこと?」 彼女のその言葉に反応したのか、美香は振り返った。その手には、支給武器なのだろうか。いつの間にか金属バッ トが、かたく握られていた。 「……な、なにさ!」 「いいこと教えてあげる、夏海。これはゲームなの。最後の一人になるまで殺し合いを続ける、最悪の椅子取りゲー ムね。そんなものに仲間なんか必要ない。仲間なんかいても邪魔になるだけ。ただ、互いに互いの足を引っ張り続 けて、結局最終的にはどちらも消されてしまうだけの、ただの惨めな集団なの。わかる?」 「……うちらも、そうなるって?」 「そ。どうせ集まったって大したことはしないだろうね。ただ何も出来ずにどっか適当にふらついていて、誰かにまとめ て殺されるのが眼に見えているよ。それなら、そんな仲間はいらない。最初から一人で行動したほうが都合がいい じゃない。ほら、わかったでしょ? あんたはいらないの。絵里奈とも合流する気はない。わかったんだったら、さっさ とどこかへ行っちゃえよ」 美香は、すっと金属バットを持ち上げる。その眼は、冷めていた。 彼女は恐ろしくなって、振り返ると一目散に駆けていく。ただただ我武者羅に、走り続けた。 美香の言葉が頭に残る。仲間なんかいらない。そんなものは邪魔になるだけだ。 だから一人で行動を続けた。絵里奈との合流も諦めた。美香と同じように、一人で戦っていこう、そう思った。なぜな ら、自分に支給されたのはなんの変哲も無いスタンガンだったのだから。こんなものでは人は殺せない。もっと、もっ と殺傷能力の高い武器を手に入れないと。 武器はどうすれば手に入るか。そんなことは簡単だ。生きている他の人間から奪えばいいだけのこと。だから、気の 弱そうな奴を狙った。すれ違い様にスタンガンで相手に襲い掛かって、最悪武器だけでも持ち去ろうと思っていた。 なのになんだ。普段から弱々しかったあの内藤純(男子13番)に、見事にやられてしまったではないか。あんな奴も 倒せないでなにが殺し合いだ。笑わせてくれる。内藤は恐らくクラス内でも底辺に位置していたレベルだ。そいつに やられるようで、どうしてこの殺し合いに勝ち残れるというのだ。そんなの、どう考えたって無謀、無理じゃないか。 そう、このゲームに負ける。それは即ち、死を意味する。そんなこと、考えられなかった。当然のように自分は成人し て、適当な会社に就職でもして、結婚して、子供が出来る。そう、思っていたのにだ。どうしてこんなところで死ななく てはならないんだ。 死にたくない。生きたい。生きたいのに、生きられない。冗談じゃない。 やがて走る気力も無くなった。冷たい雨は、容赦なく彼女の体に降り注ぐ。 体中が濡れている。とても冷たい。ぴったりと張り付いた制服は、確実に彼女の体温を奪っていった。 ふと、彼女は顔を上げる。辺りを見回すと、そこにはいつの間にか田園風景が広がっていた。一面に広がる田んぼ。 緑が、雨に映えていた。そうだ、これは山村の会場。ただっぴろい山が広がっているだけで、逃げ場はない。逃げるこ となんて、出来ないんだ。 全てが脱力感に包まれる。目の前にある大岩の上に、誰かが座っていた。黒い制服に包まれて、そこから晒されて いる顔は、笑みの形を作っていた。 「あ……」 「やぁ、佐原さん。君からまさか来てくれるとは、思ってもみなかったよ」 いつからそこに座っていたのだろう。まるで彼女が来ることがわかっていたかのように、そこで待ち続けていた男。土 門英幸(男子12番)は、ふっと地面へと飛び降りると、折畳式ナイフを広げる。 「これで、三人目か。なんか、本当についてるな、俺」 笑みを浮かべたまま、土門はナイフをちらつかせて近付いてきた。彼女は恐怖のあまり、後退りを始める。だが、雨 でぬかるんだ土に足を滑らせて、情けなく尻餅をついてしまった。 逃げなければ。早く逃げなければ、確実に殺される。立て、早く立て。いくら言い聞かせても、全く体は動かなかっ た。恐怖に呑み込まれてしまって、最早指先一本動かすこともままならなかった。 死。 この一文字が脳裏を過ぎった次の瞬間。土門の持つナイフの切っ先は、彼女の首元へと吸い込まれるように入って いったのだった。 ほとばしる鮮血。ただ、彼女はそれを黙ってみることしか出来なかった。それが、自分の喉元から吹き出ていること や、それがなにを意味しているのかをなんとなく理解した時点で、彼女の思考回路は切断された。しかし、それでも 紅い噴水はとどまることを知らなかった。 やがて、ゴロンとぬかるんだ土に、大きな塊が転がる。首と胴を切断された彼女が、虚しくそこに残された。 「へ、ざまみろってんだ……!」 土門英幸はそう言い残すと、いそいそとその場から離れていった。 これで、彼の残る復讐は二人。仙道美香と、そして目黒幸美(女子17番)の二人だけ。 雨の勢いは、止まらない。 【残り38人】
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