017



 あんなに楽かった日々。
 いつか終わりが来ることがわかっていた、その幸せな日々。

 いつまでも続いて欲しいとは思っていなかった。きっとそれは、いつか飽きてしまうから。だから出来ることなら、どう
かその日が来る前に、終わりを。
それは贅沢な悩みだと思っていた。そんなことは、絶対に無理だと思っていた。

 だけど、その時はやってきた。
 それは唐突に。安寧の日々を、ぶち壊して。


 目黒幸美(女子17番)は、自分の名前が呼ばれたことを認識して立ち上がる。私のあとに出発を控えている15人
ほどの生徒の視線が、私へと降り注ぐ。いったい、どんな感情をぶつけてきているのだろう。憎悪か、哀愁か、慈愛
か、はたまた、別のなにかか。
どうして私達がプログラムなんかに選ばれてしまったのか、そんなことをくよくよ考えたって仕方のないことだ。大切な
のは、受け入れること。全てを現実として受け止めて、どのようにしてそれに対処していくか、どのように見つめれば
いいのかを認識すること。物事を否定して逃げるのは、卑怯でありまた弱さでもある。受け入れなきゃならないんだ。
プログラムに選ばれた今、どうすれば私は幸せになれるのか。
幸せ。そんなものは転がってはいない。こんな劣悪な環境の中で、そう簡単に手に入れられるはずがない。そう、そ
れはつまり、これまでにいかにクラスメイトと幸せの基盤を練りこんできたか、それだけだ。私が友達を信じなくちゃな
らないし、友達が私を信じなければ話にならない。その互いの関係を、いかに作りこんできたか。この殺人ゲームの
中で、そんな中でも互いを信用出来る関係を作りこんできたか。それが、きっとこのプログラムで幸せを掴むことが出
来るかどうかの最大の分かれ道なのだろう。
バッグを受け取る。ズシリと重量感を示したそれは、なんとか肩口に引っ掛けるだけで精一杯だった。引っ掛けたは
いいけれども、食い込んできて微妙に痛い。とりあえず私は一通り落ち着いてから、この中に入っているいらないもの
はさっさと捨てよう、そう考えた。まずは拠点を作ることだ。そこに荷物とかは置いておけばいい。この劣悪な環境の
中で、とりあえずマシな空間を作る。それもまた、幸せへの第一歩といったところだろうか。

 幸せになるための布石。
 私が作りこんできた、確固たる地盤。

仲のいいクラスメイトは沢山いた。だけど、この状況で互いに命を預けあえるパートナーという意味では、それは残念
ながら一人しかいない。いや、いいんだ。一人でもいればそれで充分なんだ。その一人は、私にとっての支えにな
る。大事な大事な、拠り所となる。いるといないだけで、随分とそれは違うんだ。
その親友とは、中学生になってから初めて出会った。入学式で隣同士の席になったからという、たったそれだけの関
係。だけどとても話が合って、さらには中学で初めて出来た友達ということも相まって、それは確固たるものとなった。
クラスこそ違ったけれども、何度も彼女の家には遊びに行った。彼女の飼っている小さな犬が、私に対してとても懐い
てきたのを覚えている。彼女は笑っていた。私も、いつも笑っていた。三年生になって、やっと同じクラスになれたこと
がとても嬉しかった。大抵、一緒に帰った。部活がなくなってからは、それこそ毎日一緒だった。決して話は尽きるこ
とがない。互いに互いの波長が見事に合致して、そしてそれは共振を起こしていた。
多分、そう思っているのは私たちだけじゃない。きっと他の子も同じような友達を見つけて、同じように思っているのだ
ろう。別に自分たちだけが特別な関係なわけじゃない。高校に行ってしまったら。毎日会わなくなったら。やがてそれ
は親友から友達になり、そして最終的には知り合いになる。そんなものだ。
だからこそ。この人生の中で、かけがえのない一瞬だからこそ。この輝きを、大切にしたい。この『今』を、じっとかみ
締めたい。
そう。だから私は、彼女を信じようとして。彼女と合流しようとして。


 そこに在ったのは。ただの、死体だった。


彼女、仁科明日香(女子12番)が、鮮血と肉片を撒き散らしながら、黙ってそこに転がっていた。
私の支えとなってくれるはずの、唯一の希望。唯一の信じあえる親友。この瞬間、私はなにもかも失ったのだ。大切
に築きあげてきた基盤を、いとも簡単に破壊されてしまったのだ。

「明日香……?」

 大切なのは、現実を受け入れること。逃避していては、なにも始まらない。
 大切なのは、現実を噛み締めること。非望していては、なにも始まらない。

「ねぇ、明日香……?」

 ……無理だ。
 受け入れられない。私には、信じられない。

 明日香が死んだなんて、嘘だ。そんなことはあってはならないんだ。
 私は明日香と一緒にいかなきゃならなかったんだ。それが、こんな結果で終わっていいはずがないんだ。
 そう、これはきっとなにかの間違い。悪夢だ、そうに違いない。これは虚構なんだ、そうに違いない。

「明日香……明日香……!」

 全部嘘。なにもかも嘘。だから、早く眼を覚まして。いいから、早く眼を覚まして。
 悪夢なら悪夢でいい。虚構なら虚構でいい。頼むから、早く現実を見せてよ。

「……明日香!」

 ……見せてくれないのね。いい、もういいよ、わかったから。
 見せてくれないなら、無理矢理こじ開けるまで。この腐れきった虚構の空間を、全てぶち壊すのみ。

 簡単だよ。みんな壊してしまえばいい。
 無理をしてまで嘘を受け入れる必要はないのだから。受け入れるものは、私が決めればいいのだから。
 そう、全部壊す。全部壊してしまえば、こんな世界には無用だ。もう、居る必要なんか感じられない。

 壊せるだけ壊して、さっさと眼を覚ます。
 それこそが……私の、幸せになるための方法。


「……あはははは。あっははははははっ!!」


 私は笑った。それは、覚悟だった。

 さぁ、なにもかもぶち壊してしまおう。
 私はズシリと重たいバッグを地面に落とす。そして、その中へと手を突っ込んだ。






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