024



 雨は降り続く。
 時刻は5時40分、太陽も傾きかけ、辺りはますます暗くなっていく。

 堤孝子(女子10番)は、ぐっしょりと湿ってしまったショートカットの髪に、そっと触れた。若干茶色がかったその髪
は、これまでにも何度か担任の戸田に注意されてきた。だけど、決して染めることはしなかったし、むしろ反抗してピ
アスまで開け始めた。注意するたびに少しずつ増えていく装飾品。いつしか、誰も彼女を注意することはなくなった。
それでいいのだと、ごく自然に孝子は考える。独りぼっちになりたいなら、徹底的に相手に嫌われることだ。誰とも話
したくなんかなかったし、誰の相手もしたくない。それが、自分のスタイルなのだから。


  ―― バカ兄。


そっと、口元で呟く。六年前に他界した兄の、呼び名。いつも家族に迷惑ばかりかけていて、連日遅くまで繁華街で
遊んできては悪友とつるんで悪さをしたりしていて、両親はほとほと困り果てていた。やがて父は息子をいないものと
して扱うようになり、教育の対象はあたしだけになった。しつこくて、しつこくて、とにかく面倒だった。兄だって一応英
才教育のようなものは受けてきたのだ。それこそ、あたしなんかよりもずっと素晴らしいものを。だけど、兄はそこから
逃げ出した。やっと自由を掴んだのだといわんばかりに、遊び始めた。そして、ずっとないがしろにされてきたあたし
が、兄の受けてきた教育を受けさせられている。なんて理不尽なんだろう。
兄は優しかった。それこそ、両親に嫌われる為にいわゆる『不良』というものになったのだろうけれど、あたしにだけは
優しくしてくれた。ピアスだって、つけもしないのにくれた。

「なぁ、孝子。お前も辛くなったら、逃げ出していいんだぞ」

兄はよくそう言った。満面の笑みを浮かべて。あたしの気持ちも知らずに。
あたしがグレてしまえば、両親のよりどころはなくなってしまう。子供を育てること、それこそが生甲斐のような人なの
だから。あたしは、逃げ出せない。あたしは、逃げ出しちゃいけないんだ。

 六年前の新年度が始まったばかりの頃だ。珍しく兄が、真面目に学校へ行くと聞いて、あたしは驚いたことを覚え
ている。なんでも社会科見学で銃の博物館に行くのだとか。兄はそういうのが大好きだから、納得は出来た。お土産
期待してろよ。それが、最期の兄の台詞だった。
兄は、プログラムに巻き込まれたのだった。悪友ともども、殺し合いの舞台に。
両親は冷めていた。やっと厄介払いが出来たとでも言わんばかりに、清々しい顔をしていた。あの二人にとっては、
兄は自らの地位を傷つけるものでしかなかったわけだ。確かに、町内では結構名の知れたワルだったとも聞いている
し、堤家は少なからずその影響を受けていたのだろう。
あたしだけが、兄と一緒に使っていた部屋で泣いた。兄と共用していた二段ベッドで泣いた。
まだ、死ぬと決まったわけじゃない。兄はきっと強い。今頃クラスメイトを殺しまくってなんとか優勝してやろうと躍起に
なっているに違いない。きっと、大丈夫。バカ兄は帰ってくる。
根拠のない自信。あたしは、なんとなくわかっていた。もう、兄は生きて帰ってこないだろうと。あの、厳しい環境の中
の、ささやかなひと時を提供してくれていた兄は、戻ってこないのだと。
プログラムは24時間と経たずに終わりを告げた。40人強のクラスだったというのに、これは驚異的な早さだと思っ
た。ブラウン管の中に映っている男子生徒は、やはり兄ではなかった。両親の、安堵したような笑顔。それを見た瞬
間、あたしの中でなにかがはじけた気がした。
後に成績表が政府から送られてきた。殺害数、7。残り4人時に死亡。中々の好成績だった。だが、両親はそれを認
めようとはしなかった。ついに息子は殺人まで犯してしまったかと、嘆いていた。
兄が死んでからも、その不良としての功績や影響は堤家に常に降りかかってきた。今までに兄から被害を受けたも
のが、家の塀に落書きをしたり、器物損害沙汰にまでなった事件もあった。間もなく両親はその街を捨て、今の街へ
と引っ越してきたのだった。これで、完全に兄との接点はなくなってしまったのだ。

 だから、あたしは両親を切った。

転入先の学校で、あたしは速攻で問題児となった。学校をサボったりもした。両親は悲しんだが、あたしにとってはい
い気味だった。やっと兄の呪縛から逃れたというのに、今度は娘が不良になった。上等じゃないか。あんた達は苦し
めばいい。子供達の叫びを浴びればいい。そして、気付いて欲しかった。今までやってきた自分達の行いが、いかに
愚かだったのかを。まぁ、期待はしていなかったけれど。
兄は、間違ってなんかいない。バカ兄がやってきたことは、決して無駄なんかじゃない。あたしが、それを証明してみ
せる。それが、バカ兄を両親に認めさせるための、唯一の手段。

 その、筈だったのに。

 プログラムだ。よりによって、兄を消した、プログラムにあたしも巻き込まれてしまった。しかも、なんの因果か、あい
つも一緒だ。兄を殺した身内も、一緒に参加している。普段は大人しい奴なのに、いざというときは冷酷非道に振舞
えるというのか。
作為的ななにかを感じた。両親は堤家の新たな汚点となったあたしが消えることに喜んでいることだろう。そして、あ
たしは今更そんな両親に抗うつもりもなかった。
兄は正しかった。正しかったけれど、負けた。生き残ることは、出来なかった。
兄は強かったし、ズル賢かった。あたしはそこまで非道には走れなかったし、まぁクラス内ではせいぜい孤高を貫い
ているだけだったから、そこまで知恵もまわらない。
結局、あたしはなにがしたかったのだろう。兄を追い続けて、ひたすら追い求めて、結局なにも変わらない。あたし
は、兄が死んだこのプログラムで、どうするべきなんだろう。

 もう、何度も銃声は聴こえている。あと少しで午後六時、その時に流れる放送で、何人かのクラスメイトは名前を呼
ばれるはずだ。そう、既にこの世から消え去っている、クラスメイトを。
あたしは、どうすればいい。なにをすればいい。訪れるであろう最期まで、いったいどうすれば。

「…………!」

地図で言えば、C=6にあたるその一本道を、あたしはとぼとぼと歩いていた。
その道路脇に、ポツンと佇む木組みの小屋。屋根の下にベンチがあるだけの、簡素な作りになっているそれは、どう
やらバス停らしかった。『山中村』と、寂れた看板にはそう書かれている。
そのベンチに、空を見上げながら一人ぼっちで座る少女が居た。小柄な体に、くりくりっとした眼。腰までもあるその
長い黒髪の持ち主は、さながらどこかの令嬢のような雰囲気を醸し出していた。その実体は、極道の一人娘というか
ら驚きだ。決して本人は暴力的ではないものの、あまりいい噂は聞かない。

 古城有里(女子5番)。

 話しかけるべきか、否か。
 あたしは、右手に納まっているスミスアンドウエソンを、ぎゅっと握り締めた。





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