松原亮と親しくなったのは、小学五年の時だった。 たまたま席替えで隣になったというだけの、単純な理由ではあったけれども、その当時からなんとなく、俺はこいつの 魅力に取り付かれていたんだと思う。 松原は、とにかく素直だった。自分の目標を事ある度に掲げては、それを達成しようと懸命に努力していた。俺はとい えば、たいして実直ではなかったといえる。楽が出来るのならとことん楽をしたい、そう思っていた。だから初めの内 は松原を見ても、なんと無駄なことをしているんだろうと思って、知らず知らずのうちに見下していたんだと思う。実 際、彼はあまり頭がいいとは言えず、掲げる目標もいささか無謀ではないかと感じていたのだ。しかしやがてその努 力が実ったのか、中学二年で再び同じクラスメイトとして再開した際に、松原は見違えるほど立派な人間になってい たんだと思う。どうやらドのつく真面目な生徒として、教師陣からも注目されていたようだ。 しかしまぁ、そうは言っても決して完璧な超人になっていたというわけではない。勉学自体は平均よりやや上程度、 運動神経も球技にいたってはてんで駄目だ。体を動かすこと自体は嫌いではないみたいだったが、どうにもやはり、 そちらの方面は不得意らしい。 だけど、反対に不真面目の烙印を押されてきた俺から見れば、人間としては完成しているんじゃないかと思えた。ま た中学二年になってから友人としての付き合いを始めたのだけれど、松原は俺を決して見下すようなことはしなかっ たし、あくまで一人のクラスメイトとして、対等に付き合ってくれていたんだと思う。俺自身も二年のクラスの中では何 人か話す人物はいたけれど、なんだかんだと松原と口を交わす回数が飛びぬけていたような気がしてならない。松 原と比べたら俺は勉学では劣っていたが、運動神経はこいつよりは上だと自負できた。だからこそ、自然と互いに互 いを補佐し、教えあう仲になっていった。最近は受験勉強もやらなければならないとして、俺は試験勉強をするときか らずっと松原と勉強ばかりしていた。まぁ、結果は大して動かなかったのだけれども。みんなも、同じように頑張ってい るということなんだろう。 人間として完成されている松原だからこそ。こいつにはある“うわさ”があった。 プログラムが始まっている中で、こいつにその真偽を尋ねるのはこれが最後のチャンスなのかもしれない。俺は自然 とそう考えて、目の前に立っている松原に、とりあえずこの管理小屋に入らないかと促した。松原も、それが当然だろ うという風に頷いて、俺の後ろにくっついてきた。 小屋は開放されているらしく、施錠はかかっていなかった。中に誰かいるかもしれないと警戒こそしたものの、大丈夫 だろうと松原はつかつかと中へ入っていく。慌てて引きとめようとしたが、中は大して広くなく、すぐに誰も潜んでいな いことがわかったので、ひとまず俺は安心して中に入った。 「おい、亮。お前少しは慎重になれよ。誰かいたらどうすんだよ」 そして、俺は松原に対して少しだけお咎めをする。だが松原は、振り返ると苦笑いを浮かべていた。 「平気だって。実は、さっき中入って誰もいねぇことを確認しといたんだ」 「さっき?」 「そ、さっき。実は山登りしようと思ったんだけどよ、少し進んだら意外と険しいなーって思って。んで、引き返してみた らなんか小屋の前に誰かいるなーと思って。そしたら清、お前だった」 「はっ、なるほどね」 どうやら頭が回らないのは俺のほうだったらしい。もっとも、俺自身も山に登ろうかと考えていて、この小屋を見つけ たわけだから、案外この松原と同じような行動をとっていたのかもしれない。そう考えると、なんだかとてもおかしくな る。自然と、笑いがこみ上げてきた。 「なんだか、似てるな」 「なにが?」 「いやさ、実は俺もおんなじこと考えててさ。険しかったらここに入ろーとか思ってたんだよ。ま、険しいってわかった以 上、俺はここから苦労はする必要がないわけだ。まったく、さまさまだぜ」 俺は笑う。松原も、笑みを浮かべていた。荷物を降ろして、部屋に安置されているソファに腰を下ろした。教室の固い 床だったり、地べただったり、あるいは交番のパイプ椅子だったりと、そんなものにばかり尻を預けていた俺にとって、 この柔らかな生地の感触はなんとも心地がよい。 松原も、ドラムバッグを自身の横に置くと、深々とソファに座った。俺は向かい側に掛けられている古びた振り子時計 を眺める。暫くネジがまわれていないのか、そいつはもう動いてはいなかった。全くの無音の部屋、辺りはすっかり暗 くなってしまっていて、対面する松原の顔もはっきりとは見ることが出来ないほどだった。外は、どうやら相変わらずの 曇天模様らしい。 手元の腕時計を確認する。そろそろ短針は七を指し示そうとしていた。 「あのさ、亮。少しだけ、気になるうわさがあんだけど」 松原は、話題を振ってこない。俺が喋りだすまでだんまりを決め込んでいるのかどうかは知らないが、不自然なほど にそれは不気味だった。なにか話題が必要だと、俺は慌てて話をする。しかし、咄嗟に出てきたその話題は、本来な らこの状況でするべきじゃなかったのかもしれない。 「うわさ? なんだい、そりゃ」 今更なにを怖気づいているんだ、俺は。もう、生きているうちに聞ける機会は、これしかないかもしれないんだぞ。俺 は意を決して、そっと松原に問いただした。 「あの……そのな。変なうわさなんだ。俺自身、そいつがホントかウソかなんてどうでもいいんだけど、やっぱり気にな るしさ……それにほら、この状況が状況だろ? 聞くなら、今しかないと、思って……さ」 「なんかまどろっこしいな。オレのうわさなんだろ? この際だし、そこまで言われたら気になるじゃんか。聞かせてく れよ」 言っていいものなのかどうか、俺には判断できなかった。だけど、松原は至極冷静に見受けられた。そうでなけれ ば、あの出発会場で、浜田が撃たれた後に堂々と質問を繰り出せることなんか、出来やしないだろう。 これは言うべきだ。俺はそう思って、そっと口を開いた。 「お前の父親、プログラムの仕事をしてるんだっつーやつなんだけど……それ、ホント?」 沈黙。 松原は、黙って俺の瞳を覗き込んでいた。なにかを探るような、そんな眼差し。 すっかり部屋は暗くなっているのに、輪郭の中に、松原の目だけが浮かび上がっているような錯覚。 「……それ、誰から聞いた?」 「いや、誰からということはない。でも、クラスの一部では囁かれてたみたいだ。俺は、確か中嶋が迫川あたりに喋っ ていたのを、盗み聞きしたわけなんだけどもな」 そう、それは本当に偶然だった。昼休みに、教室の片隅で中嶋豊(男子14番)が迫川裕(男子17番)に得意気に話 していたのを、たまたま居眠りを決め込んでいた俺が聞いてしまった、それだけの話だ。そういえば、他にもあの場所 には誰かいたような気がしてならない。その話も、他愛のないものだったが。 「そっか……」 「悪いな、気分を害したなら謝る。今、聞くべきじゃなかったのかもしれない」 「いや、構わねぇよ。だって、本当のことだしさ」 時が、止まったような気分だった。 動かないはずの振り子時計が、頭の中でコッコッコッと音を立て始める。 「ホント……だったのか」 「あぁ。親父は慄然とした軍の教官。聞いちゃいないけど、プログラムの担当教官もやってたなってことはおぼろげに 知ってる。息子でも曖昧なことを、どうしてクラスの連中が知ってるかな」 松原は苦笑する。さも当然のことのように、淡々と語っていた。 俺は、続けた。 「だとしたら……その、お前の父親は、今回お前がプログラムに参戦してること……知ってるんだよな」 「ん? 知らないよ。だって、親父はオレが小学生のときに死んだからさ」 そして、続けざまにさらりと、松原は語った。 それはそれは、とても重大な事実を。いとも、あっさりと。 「死んだ?」 「そ、交通事故でぽーんとね。メッチャ怖ぇ親父だったのに、逝く時はやけにあっさりとしてたよ」 「お前……仮にも父親だろ? そんな」 「あぁ、平気だよ。人並みにはきちんと泣いた。あれでも親だからな。今はまぁ、寂しいけど慣れた。もう平気だ」 そこで、俺はこいつのことを誤解していたと知る。 そして、気軽にクラスメイトをうわさしていたやつらに、少しだけ怒りを覚えた。 「まぁ、残念なことにオレはプログラムについて特に親父から情報を貰っていたなんてことはない。だから今回はオレ が自力で考えて行動しなきゃならないってことだ」 「自力で、なぁ……。さしづめ亮は、このプログラムでなにをしたいんだ? まさか優勝したいとか考えているのか?」 俺は、笑って答える。こいつはこいつなりに、父親について思うことがあるのだろう。自分から聞いておいてなんだ が、今は話題を変えるべきなのかもしれなかった。 松原は、少しだけ顎に手をやり、考えていた。そして、口を開く。 「死にたくは、ねぇなぁ。だけどそのときは、それはそれで仕方ないかもしれない」 「仕方ない、か。それで殺される側はたまったもんじゃねーけどな」 「……さてと。そこでだ、清。オレからもひとつ、聞きたいことがあるんだが」 それは、唐突だった。 松原は深々と座っていた腰を浅く正すと、いきなり本題に突入した。思わず俺は、のけぞる。 「な、なんだよいきなりかしこまって」 「いやさ。実は今、人探しをしててさ。情報を集めているところなんだよ」 「人探し? 誰か探してんのか?」 松原は、大きく深呼吸をする。 「古城さんを、見なかったかな」 古城有里(女子5番)。 こいつもある種“うわさ”が囁かれている人物だ。 「古城? いや、俺は一番の出発だったし、古城に限らず誰とも遭遇はしてないんだが……あいつは最後の方の出 発だろ? お前、外で待つとかしなかったのかよ?」 「それがさ、出掛けるくらいの時間に出発地点に戻ったんだけど、出てこなかったんだよ。君島と久保は出てきたんだ けどさ」 君島栄助(男子5番)と久保正明(男子6番)にはさまれて、彼女は出発するはず。だが、それがないということは。 「まさか」 「いや、そいつはない。出発前にその……殺されたんなら、さっきの放送で名前が呼ばれてるはずだ。多分、裏口と かがあって、そっから出てったんじゃないかな。まぁとにかく、会えなかったんだ」 「そっか……役に立てなくて悪かったな」 俺は、肩を竦める。松原は、慌てて手を振った。 「いやいや、清は悪くないよ。うん、お前は最高の……親友だった」 だった。 おいおい、過去形かよと。俺は指摘をしようとして、固まった。 「……ありがとう」 一発の、銃声が鳴り響く。 それが、俺が撃たれたと判断するときには、既に俺は床に突っ伏していた。 床が、生暖かい液体に侵食されていく。それが何色なのかは暗がりのせいでわからなかったけれど。 多分それは、鮮やかな紅色なんだろうと、思った。 「亮……?」 松原は、荷物をまとめると、そそくさと入り口から外へと出て行く。 後に残されたのは、俺だけだった。 なぜだろう、季節はすっかり夏だというのに。 なんだかとても、寒かった。 【残り36人】
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