041



 午前1時。
 E=3、街道。

 加藤明美(女子4番)は、ゆっくりと身を起こした。おぼろげに見える月が、はるか頭上に浮かんでいる。そうしてぼ
んやりとしながら、改めて頭を回転させて、再確認する。

 ……そうだった、プログラムなんだ。

プログラム、殺し合い。次々と呼び起こされていく記憶。玄関先に転がっていた死体。何度も聞こえてきた銃声。安心
することなんか出来ない。今この瞬間にも、誰かと誰かが殺し合いをしている。
明美は時計を見る。時刻は午前1時。……やっぱり、ダメだった。眼を瞑ってから、まだ5分も経っていない。こんなに
も頑張って眠ろうとしているのに。いつもなら、とっくに暖かい布団の中ですやすやと寝息を立てている頃なのに。な
のに、眠れない。眠たい、眠りたい、なのに、眠れない。極度の緊張、極限の環境下のストレスが、眠らせない。一
時的な不眠症とはいえ、それは辛い。体力がみるみるうちに減っていくのが、自分でもわかった。
家の中に入ろうと思った。だけど、ダメだった。目ぼしい家には全て(当然ながら)鍵がかかっていたし、彼女に支給さ
れた武器……いや、武器と呼べるのかどうかさえわからない。何の変哲も無い折り畳み傘では、鍵を破壊することだ
って出来なかった。こんなもので、いったいどうやって殺し合いをしろというのだろう。
仕方なしに、外で寝ようとした。別にそこまで寒いわけじゃない。風邪を引くなんてこともないだろう。……だけど、甘
かった。よく考えてみれば野宿をした経験も、むしろキャンプを張ってテントの中で寝たことでさえないのだ。いきなり
寝ろと言われても、そんなことは出来なくて当たり前なんだ。

 ……結局、起きているしかないのか。

明美は大きく深呼吸をすると、立ち上がった。まだ、ふらふらとする。ダメだ、眠たい。だけど、眠れないんじゃ仕方な
い。まずは寝なくちゃならない。寝ないと、死ぬ。殺される。こんな状態では、逃げることだって出来ない。
まずは、安心して眠ることの出来る家が必要だった。街道沿いには沢山家が建っている。もしかしたら、そのうちのひ
とつくらいは鍵がかかっていない家があるかもしれない。その、わずかな希望を。
明美は懐中電灯の明かりをつけた。それが、この暗闇の中でどれだけ危険なことかなんて、睡魔に襲われている彼
女に判断できる思考は残されていなかった。
彼女が求めているもの。それは、安住の地。ただ、純粋に眠りたい、それだけだった。誰にも邪魔されずに、好きなだ
け、ゆっくりと。今まで当たり前だったそれが奪われた今、非常に恋しい、睡眠と言う名の欲望。

 カサリ、と。わりと近くで物音がする。それは、風などでは決してなかった。明らかに、人為的な力によってもたらさ
れた現象。そのときばかりは、明美も身構えた。相変わらずの睡魔は健在だったが、それでも生存本能だけは、しっ
かりと働いていた。誰かが、近くにいる。それだけは、わかった。
明美は、音のした方に向けて懐中電灯を構えた。照らし出された茂みの奥に、ぼんやりと人が立っているのが見え
る。むこうもふらふらとしていて、顔は青白くやつれていた。しかし、唇は笑みの形を浮かべている。
そう、嫌な予感がしたその瞬間に、本当は逃げ出していればよかったのかもしれない。

「……加藤さん」

その人物、由井都(女子20番)は、ぼそぼそっとした口調で明美に話しかける。その声に、覇気はない。ただ、明美
はじっと都を見つめていた。正確には、彼女の手に握られた、その『凶器』を。懐中電灯に照らし出されて輝いてい
る、鋭そうなコンバットナイフを。
由井都は、普段から別に付き合いがあったわけじゃない。よく話す間柄でもなかったし、部活動だって明美が文化部
なのに対して、都は根っからの運動部だ。都は活発的だったし、いつもクラスの中ではやかましいと思うグループに
属していて楽しそうにおしゃべりをしていた。対照的な存在だったのだ。
そんな彼女が、ここまで憔悴しきっている。それほどまでに、彼女もまた疲れきっているのだ。この、殺し合いという状
況に。

「……由井さん」

明美は、刺激しないように彼女の名前を呼んだ。彼女をよく観察する。返り血、無し。あのナイフもまだ新品同様。と
いうことは、彼女はまだ誰も殺していない可能性が高い。それならまだ、安心できる。逃げ出す余地は、ある。
だが、それは間違いだったようだ。由井都はさらに唇をゆがめた。そして、その口をそっと開く。ぼそぼそと、しゃべり
始める。

「加藤さん。あのね、私考えたの。どうすれば、早く楽になれるかって」

「……楽に?」

「であった人、全員。楽にしてあげる。そしたら、いつか私だって楽になれる。そうだよね」

その意図を理解した瞬間、明美はさぁっと血の気がうせていくのを肌で感じた。違う。別に自分はやる気なんかじゃな
い。いや、むしろやる気になったところでどうしようもない。折り畳み傘なんかじゃ、何も出来ない。
そうだ、支給されたものを出そう。そうすれば、彼女だってわかってくれる。きっと、そのナイフを収めてくれる。

「させないよ。絶対に、私を殺させない」

だが、バッグに手を突っ込もうとした瞬間に、都が一気に踏み出してきた。その時、ようやく自分の行動が相手に誤
解を与えたのだと理解した。だけどもう、手遅れだった。
咄嗟に後ろへ下がろうとする。だけど、相手の勢いは止まらなかった。深々と左脇を抉られるように刺され、鋭い焼け
るような痛みが、明美に襲い掛かった。こんな痛みは、生まれて初めてだった。
明美はバッグを丸ごとつかむと、都に向けて投げつけた。利き腕がやられなかっただけマシだ。バッグは都の顔面を
捉え、一瞬だが隙を作ることが出来た。すかさず、振り向いて一気に駆け始める。左腕の痛みがこみ上げてきたが、
ここで悲鳴なんかを上げたらすぐに見つかってしまう。ここは我慢だ。あまりの痛みに涙を流しながらも、明美は必死
に耐えた。
背後からは、笑い声と共に都の足音が聞こえてくる。もう、完全に明美はパニックに陥っていた。方向感覚が狂って
いた。どちらにいけばいいのか、今自分はどこへ向かっているのか。禁止エリアは大丈夫なのか。そんなことは、全く
わからなかった。
何度も何度も道を変えて、気がつけば森の中にいた。ずいぶんと走りにくいと思ったら、木の根が結構張り出してい
るらしい。そして、相変わらず背後からは笑い声が響いてきている。どうして、どうしてこんなにも必死に逃げているの
に、追われているんだろう。どうして、逃げられないんだろう。

 ……懐中電灯!

そして、気がついた。なんて愚かの行為をしていたのかと。懐中電灯をさして逃げていれば、その光を追えば簡単に
追いつけるじゃないか。あぁ、なんたる失態。
明美は懐中電灯を慌てて投げ捨てようとした。だが、それも叶わなかった。意識を逃走からわずかでも逸らした。それ
が理由なのかどうかはわからないが、結果的に明美は木の根に足をとられた。転げた瞬間、頭に鈍痛、そして傷つ
けられた左脇に、耐え難い激痛がほとばしった。ついに、明美は悲鳴をあげた。

「……やーっと追いついた」

顔を起こすと、目の前に都が立っている。その手元には、光るナイフ。先程と違って、今は鮮血をポタポタとたらしてい
た。懐中電灯で照らされたその顔は、酷く醜い。

 ……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!

「助けて……!」

「んー?」

「助けて……助けてよっ!」

こんなところで死にたくない。まだ、やってないことは沢山あるんだ。
会いたい人に会えてない。睡眠だって満足にとれてない。まだまだ、することは山ほどあるんだ。

 だから。
 助けて。

「だからー、言ったでしょ。楽にしてあげるんだって」

都が、唇を吊り上げた。そして、ナイフを握るその手に力を込める。
明美はそれでも目の前の事実を受け入れることが出来なくて。声を、ふりしぼった。わけもわからぬ、奇声を。


  トォン……!


やけに軽い銃声が、一発。直後に、目の前で笑みを浮かべていた都が、横へと吹き飛ばされる。
明美はなにが起きたのかわからず、その音がした方へと顔を向ける。


「いちいち変な声あげるなっつーの。鬱陶しくてしゃーないって」


 そこには、軽い口調でケタケタと笑っている、伊出茜(女子2番)が、飄々と立っていた。





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