043



 この話には、まだ続きがある。
 これが始まりとなり、そして崩壊への伏線となる、末路。

 由井都は、走っていた。頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。どうすればいいのかわからなくて、どうしようもなくて、た
だ、がむしゃらに走っていた。
ありえない。ありえないのだ。自分が負けるなんてことは、絶対にありえない。あの時邪魔さえ入らなければ、加藤明
美を楽にしてやれた。なのに、結果的に殺すことが出来なかった。第三者の介入? 容赦ない発砲? そんなのは
よくわからない。ただ、めちゃくちゃ痛かった割には全く血なんて出ていなかったし、多分気のせいなんだろうと信じた
かった。だけど、確かに自分は撃たれたのだ。現に、今でも鈍い痛みは残っている。だけど、血は出ていない。わか
らない。あれは、現実に起きていたことなのか。それとも、ただの自分の妄想だったのか。
なんにせよ、加藤明美を殺しそこなったのは事実。まだ、誰も殺せていない。ただ無駄に時間だけが経過していっ
て、結局誰も殺すことが出来ないで死ぬ。そんなのは嫌だった。これは殺し合いだ。自分は生き延びる。なら、殺すし
かない。それしか方法は残されていない。当たり前じゃないか。人一人殺せないようで、なにが優勝だ。なにが英雄
だ。自分は出来る。やれば出来る。だから、この殺し合いにのる。そう、決めたんじゃないか。
落ち着け。落ち着いて考えるんだ。まだ、終わったわけじゃない。自分は生きているんだ。生きていれば、生きてさえ
いれば、なんとかなる。なんとかなるんだ。

 生きてりゃ、なんとかなる。

その言葉が、都に落ち着きを与えた。すうっと頭に心地よい空気が入り込んでいくような感覚。走っていても、体力を
無駄に消耗するだけ。都は、立ち止まる。

「ここは……」

冷静に考えて、地図を取り出した。自分が今までどこをどういう風に走ってきたのか、全く思い出せない。時計を見る
と、午前二時半。いったい加藤明美と対峙したのはいつだったっけか。どのくらい、走っていたんだっけか。
落ち着いて思い起こそうにも。記憶は、抜け落ちていた。
恐ろしいのは禁止エリアだ。既に指定されているエリアに一歩でも突っ込んだら、即座にこの首輪を爆破される。そ
んなの、恐ろしくて想像も出来ない。それだけは、絶対に嫌だった。

 ふと、森の中に人工物が見えた。あれはなんだろう、結構大きなものな気がする。そう思って近づいてみると、鳥居
だった。とはいっても、あまり立派なものではなく、せいぜいが2m程度のもの。なるほど、ここは神社か。となると、う
ん。間違いない。F=3だ。近くにまだ禁止エリアはない。ここなら、まぁ安心だ。
鳥居をくぐると、境内が見えてきた。小規模ではあるが、しっかりとした造りの建物。鍵なんてかかってないだろう。と
りあえず今晩は、ここで一休みするのがいいのかもしれない。
そこまで考えたところで、都はふと、人の気配を感じた。誰かに見られている、そう思い、振り返ると、そこにはいつの
間にか一人の女が立っていた。

 芳田妙子(女子21番)だった。

「芳田さん……」

ピクン、と芳田の体が反応する。その目つきは、鋭い。都は、おや、と思った。普段の芳田という奴は、まぁまずクラス
一のバカで、だけど明るい奴で、よくあの浜田篤(男子18番)や角元舞(女子11番)あたりと遊んでいた印象が強い
のだが。目の前にいる芳田は、いつもの芳田とは違う、そう感じた。
芳田はなにも言ってこない。じっとただ、こちらの方をにらみつけてくるだけだ。それがなんだか、気に入らない。都
は、唇をゆがめた。なるほど、なにもしてこない。なにも出来ないんだ。見たところ、芳田は両手に何も持っていない。
そして、別になにか武器を隠し持っている風にも感じられない。

「なに、にらみつけてきてるのかな。なんか私の顔についてる?」

「…………」

 ……気に入らない。
 こいつも、楽にしてやろう。

都は、一気に幅を詰めて、右手に持っていたコンバットナイフを突き出す。その切っ先は真っ直ぐに芳田の胸に吸い
込まれていく……はずだった。

「……え?」

ナイフの切っ先は、むなしく空を切っていた。と思った次の瞬間、右腕を思い切りつかまれて、そのまま背負い投げを
される。勢い良く背中を叩きつけられて、胸が苦しくなった。反撃を。そう思ってから初めて、右手にナイフが握られて
いないことに気がついた。首だけを動かすと、少しはなれたところに、キラリと光るナイフの刃が見えた。

 今のは……なに?

芳田は、息が荒かった。だけど、それだけだった。表情は、一切変化していない。

「芳田……さん?」

違う。芳田妙子じゃない。いつもの彼女じゃ、ない。
芳田は脇に転がっていた、一抱えもある石を両手で持ち上げた。それはなんとも、軽そうに。嫌な、予感がした。

「……! 違うの、芳田さん違うの! その……殺す気なんてない! ただ、今のは間違い! 間違いなんだから!」


  グシャ。


石が、都の顔にめり込んだ。鈍い痛みが、都に襲い掛かる。勢いで歯が数本折れたかもしれない。鼻も潰されたかも
しれない。とにかく、耐え難い痛みだった。さっき撃たれたよりも、それはそれは痛かった。思わず悲鳴をあげる。その
光景は、先程の自分と加藤明美のやり取りの繰り返しのような気がしてならない。

「芳田……さん! ごめんなさい! もうしないから、ね! お願い! 許してください!」


  グシャ。


「やめて! 痛いの……痛いの、芳田さん! 痛いから、ねぇ、やめてよ! 芳田さん!」


  グシャ。


喚けば喚くほどに、顔が潰されていく。都は信じられなかった。芳田の顔は、全く変化していなかった。ただ、淡々と。
淡々と、その両手に抱えた石を振り落としているだけなのだ。ただ、淡々と。

「そんな! 芳田さん! どうして?!」


  グシャ。


それが、最後。それが、終幕。
ガクンと一度だけ、都の顔がはねた。改めてその顔を見ると、見るも無残に潰されている。よくまぁこの状態で、最後
まで口答えが出来たものだと、そう思えてしまうほどに。

 芳田妙子は息絶えた由井都を確認すると、石をその顔の上へと投げ捨てた。そしてまた、顔が潰される。荒くなっ
てしまった息を、静かに落ち着かせる。
由井都が襲ってきたから殺したではない。ただ、許せなかっただけだ。芳田は、その死体に吐き捨てた。


「その名前で、アタシを呼ぶな」





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