午前五時。D=5、民家。 扉を開けて、奥へと進む。まもなく辿りついたリビング、そこに弟は、首無し死体の横に座っていた。 「兄さん……?」 兵士姿の俺の格好を見て、目を丸くした弟が、ポツリとそう呟く。 「……晴信」 俺は、ただ弟の名前を呼んだ。銃を握る右手が、とてつもなく重たく、感じた。 最初は、なにかの聞き間違いだと思った。兵士が会場に出向いて参加者を殺すだなんて話、聞いたことが無い。そ んなことが認められるはずが無い。そうだと信じていた。だが、門並は悲しそうな顔をして、すぐに繰り返した。 「寺井晴信を、殺しなさい」 そう、これは俺のミス。首輪を解体するのだと公言した岡本翔平の存在を門並に報告しなかった、俺の判断ミスだ。 自分のミスは自分でしっかりと繕うべき。それが、たとえどんなことであろうとも。それが今回は、首輪による拘束を解 除してしまった人間を、人力で退場させる、それだけの話だ。偶然にも、それが肉親、兄弟であったということだけ。 なにも不思議なことはない。だげど、こんなことって。……こんな、ことって。 「…………」 何も、言い返せない。悪いのは俺。責任は俺。だから、ケリをつけなきゃならない。それはわかる。頭ではよーくわか る。だけど。だけど……。 門並の眼は真剣そのものだった。いつもの、おっとりとした雰囲気は感じられない。仕事人の、顔つきだった。俺に拒 否権はない。兵士は教官に絶対の服従を誓う。そういうものだ。 「……はい」 俺は、門並の視線を逸らさずに、そう返事をした。多分、しっかりと言えたと思う。だけど、門並の視線が外れることは なくて。俺は、動けなかった。苦しくて、逃げ出したくなったけれど、それだけはしたくなかった。心のどこかでは、求め ていたのかもしれない。命令の、撤回を。だけど、いつまで経ってもそれは来なかった。結局、蒔田が俺の肩を叩い てくれて、それでようやく門並も視線を逸らしてくれて。やっと解放された、そう思ったときには、既に五時まであと十 分になろうとしていた。 俺は、持ち場を離れる。有事に備えて、兵士はいつでも出撃できる態勢になっている。特に身支度をする必要も無く、 俺は単身、玄関へと向かった。そこに転がっている二人の死体の存在が、既にここはプログラム会場なのだというこ とを知らせてくれた。そう、もうここは、戦場なのだ。いつ殺されてもおかしくない、そんな場所。 そこに、門並が立っていた。どうやら先回りをされたらしい。 「いってらっしゃい、寺井くん」 「……いってきます」 外は仄かに明るくなりかけている。辺りに人の気配は無い。当然だ。出発地点であるここは、とっくに禁止エリアに指 定されていて、生徒達は一切の立ち入りを禁止されているのだから。 そして、隣接するD=5も、まもなく禁止エリアに指定される。つまり、この時間帯ならば、誰とも遭遇しない。安心で きる。そう、無事に、弟のいる場所まで辿りつける。 ……弟がもし移動していたらどうなるのだろうか。見つけ出すまで、探すことを命じられるのだろうか。そうなると、この 広い会場だ。捜索は無謀に近い。だが、弟の性格は手に取るようにわかる。そんなはずは、ない。 ……そう、弟は律儀に、まだあの民家にいた。 恐らく、なぜ突然岡本の首輪が爆発したのか、理解できなかったのだろう。それが、まさか本部の人間の仕業だと、 思いつくはずもない。 だが、岡本は死んだ。そして、自分だけが生き残った。その状況を把握できるだけの精神力は、もはや弟には残され ていなかったというわけだ。俺は、そんな弟を不憫に思った。どのみち、弟は他の生徒と同じスタートラインになったと ころで勝てやしないだろう。優勝者であるからこそ、それはわかる。弟は、どちらにしろ死ぬ運命だったんだ。 皮肉なものだ。俺が優勝したばっかりに、家族は引っ越した。そして、その引越し先で弟がプログラムに巻き込まれ た。俺が優勝しなければ、弟は死ななくて済んだのだ。つまり、弟は俺が殺したようなもん……いや、今から俺が殺 す側になるからそれは違うか。 俺は弟の名前を呼んだ。弟は、なぜ兄がこの場にいるのか。なぜ兵士の格好なんかしているのか。それを質問した いのだろう。だが、うまく言葉が紡ぎ出せないらしい。驚くことが、一度に起こりすぎたのだ。 「俺は……兵士だ」 自身に言い聞かせるように、俺はそう言った。そうでもしないと、今すべきことを忘れてしまいそうな気がしたから。 「お前達は、違反行為をした。だから、処罰を下すことになった」 「違反……!」 時刻はとっくに五時を過ぎている。弟の首元には首輪が巻かれていたが、それが爆発する様子もない。やはり無効 化されていたとみて間違いはないだろう。それだけで、立派な違反行為だ。 「晴信、久々に会えて、嬉しかったよ。だけど……ごめん、さよならだ」 「兄さん、どうして……?」 俺は、右手に握った銃を持ち上げて、その先を晴信の胸に照準する。家族の顔を吹っ飛ばすような真似だけは、した くなかった。 あとはその引き金を絞るだけ。そこに、ほんの少しでいい、力を込めるだけなのに。それだけなのに。 指が、言うことを聞いてくれなかった。 「兄さん……」 「……勘弁、してくれな」 殺せ。殺すんだ。 俺は兵士だ。違反行為をした生徒を、殺すために派遣された、それだけだ。 さぁ、早く殺すんだ。 「……畜生」 「やっぱり、お前には無理だったのか?」 背後から、声が聞こえてきた。振り向くと、そこには同じように武装した蒔田が、壁によっかかった状態で気だるげ にこちらを眺めている。その眼は、とても悲しそうだった。 「私が、やるか」 そして、銃を構えようとする。咄嗟に俺は。気がついたら、それを手で止めていた。 「……なんだ」 「これは、俺の問題です。俺が、ケリつけます」 「……そか」 俺は、再び弟を見つめる。 弟は、何が目の前で起きているのか、ようやく判断がついたらしい。それでいて、落ち着き払っていた。 「晴信。死ぬのは……怖くはないのか」 「いや……もちろん怖いよ。だけど、兄さんなら……まぁ、諦められるよ」 「諦める?」 「仲良かったクラスメイトに殺されることだけは、怖かったんだ。僕は、クラスメイトと最後まで、仲良くしていたかった。 結局、夢空言だったけどね。だけど、それでもマシだよ。兵士に、殺されるならね」 「……口だけは、達者なんだな」 俺は、笑った。 弟も、笑った。 今度は、自然に。指に、力が入った。 一発の、銃声。鮮血を撒き散らしながら、弟は岡本の横に、並んで倒れた。 俺は、一歩も動けなかった。少しでも動いたら、立っていられない、そんな気がした。 何人も、殺してきた。親友だって、殺してきた。 だけど、こんな経験は初めてだった。こんなに苦しい殺人は、初めてだった。 「寺井」 「だ、大丈夫です。ちょっと、ほんの少しだけ……気分が、悪い……だけです」 「……そうか。私は、先に戻っているぞ。お前も落ち着いたら、本部に戻って来い。わかったな」 「は、はい」 蒔田の気配が消えて、俺は一気に脱力し、床に崩れ落ちた。 そして、這って弟の死体の傍に、行く。俺が作り出した、亡骸のもとへ。 「晴信……晴信……!」 嗚咽が漏れる。涙を流すのなんて、いつ以来だろう。 俺は、弟の亡骸を、抱きしめた。 ごめん。ごめん。ごめん。 殺して、ごめん。 弟からの返事は、二度と返ってこない。 【残り32人】
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