午前10時。 入江浩太は、ようやく移動を再開した。 もう、目黒幸美はこの辺にはいないだろう。あいつは間違いなく人を殺してまわっている。自分を見つけることが出来 なかったのだから、今はもう別の場所へ、新たな獲物を求めてさまよい始めているに違いない。 これで、また別のクラスメイトが犠牲になる。そうなった場合、自分にも責任はくるのだろうか。あそこで目黒幸美を止 めることが出来ていたら……いや、やめよう。自分にとめることが出来たとは思えない。どうせろくな話も出来ずに殺 されるのが関の山だ。悲しいことにも。 再び、辺りを注意深く観察する。禁止エリアが密集したせいで、会場の西側と東側をつなぐ唯一の経路になってしま った水田。人が沢山来るのは、必然なのかもしれなかった。てか、これは明らかに本部のミスなんじゃないんだろう か。まさか、あの険しい渓流を渡れとは言わないだろうし。 また、誰かがやってきたみたいだった。目黒かと思って、咄嗟に身をかがめるが、どうやらその心配はないようだ。背 の高い、女子。残念ながら彼女でもない。あれは、誰だったっけか。 「あん? おい、誰だ、そこに隠れてんの」 身をかがめた状態だというのにバレた。その口の悪さ、ピンとくるものがあった。 バレている以上は仕方ない、自らの姿を晒す。そして、その顔をまじまじと見る。どうやらこいつも相変わらずのようだ った。 「仙道さんか」 仙道美香(女子8番)。女子の中では特に悪い奴だ。この間も、屋上で隠れて煙草を吸っていた。ん? なんでそれを 自分が知っているかって? そんなことは聞くもんじゃないよ。 今の仙道からは、強烈な煙草の臭いは漂ってこなかった。流石に、プログラム中に吸おうという気にはならなかった のだろうか。 「吸ってないみたいだけど」 「……うるせぇな。たまたま家に忘れてきたんだよ」 仙道は支給武器なんだろう、金属バットを肩に担いでいた。こいつも目黒と一緒。この試合に乗る気まんまんの臭い がプンプンとする。ただ、どうやらまだ人を殺している雰囲気ではない。目黒のそれに比べると、格段に弱い。慣れと は恐ろしい。不思議と、恐怖は感じなかった。 「入江。あんたはどうなんだよ。見たところ単独っぽいけど。彼女様とは一緒じゃないのかい?」 「いやー、それが残念なことにまだ出会えてなくて。見なかった?」 「はっ、誰が教えるか」 「見てないっぽいね」 見たところ単独っぽい。その一言で、仙道がまだ彼女に出会えていないことはすぐにわかった。これだから、バカは 扱いやすくて便利だ。もう、こいつに用はない。適当なところでさっさと逃げたほうがよさそうだった。 「じゃ、僕はこれで」 「待てやコラ。せっかく出会えたのもなんかの縁だし、ちょっといいかい」 目黒幸美は、笑いながらせまってきた。それはこれまでにない恐怖だった。だけど、仙道美香は、これまたわかりや すく誘っている。隙を見せた瞬間に殴り殺すつもりなんだろう。全てがわかってしまっていると、逆にこれもまた怖い。 無視をして、背中を見せるのもまた怖い。 なら、こちらから仕掛けるしかないのだろうか。向こうを逆に油断させて、この場を離れる。それが、今の状態で考えら れる最善なのかもしれない。さて、どうやろうか。 「仙道さん。僕はとりあえず死ぬ気はないんで」 「ほぉ、なんか全部バレてるみたいだね。こりゃ都合がいいわ」 とりあえず、かがむ。手ごろな大きさの石を、いくつかつかむ。自分の武器が、もし武器だったのなら。まだ、それを使 って賢明に抵抗していたのだと思う。だけど、残念ながら、武器じゃない。だから、その辺のものでカバーするしかな い。 向こうは、こちらを完全に見くびっている。つけ込むなら、そこしかなかった。 「じゃ、遠慮なくこっちから」 「らぁ!」 ゆっくりと近づいてきた仙道に向けて、思い切り石をばら撒く。目くらましになれば充分だと考えていた弾幕は、思い のほか効いたらしい。そのうちのひとつが、左目に直撃したらしく、仙道が悲鳴をあげた。 「て、てめぇぇええっ!!」 かわいそうだとか思っちゃいけない。これは戦いなんだ。今は、目の前の敵から逃げるための自衛を行っただけのこ と。今こそチャンスなんだ。早く、逃げないと。 一気に、駆け抜ける。両手で顔を押さえて悲鳴を上げている仙道には、自分が逃げたことさえ把握出来ないに違いな い。本当に、銃とかが支給されていなくて助かった。下手に乱射でもされたら、それこそ危なかった。 少し離れた位置にある茂みの中へと、飛び込んだ。仙道が、怒号をあげている。左目から血を流しながら、辺りをキ ョロキョロと見回している。 「入江ぇっ! どこいきやがったぁっ!」 今は、耐えるんだ。そのうち、誰かが騒ぎを聞きつけて、やってくるかもしれない。もしかしたらそれは、目黒幸美かも しれない。その騒動に巻き込まれないためにも。 今はただ、耐えるしか、ないんだ。
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